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102ただ、あなたの幸せを、願っている。

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開け放った窓から、爽やかな風が室内を通っていく。

机の端に避けておいた紙が数枚、過ぎゆく風に攫われて舞う。
はらはらと舞い落ちるそれらを拾い集めようと、椅子から腰を上げる。

ふと、視線を感じて窓を見遣ると、こちらを見詰める真紅の小鳥が。
その瞳は、緋色を湛えている。

視線が交わると、小鳥はこちらに飛んでくる。
慌てて受け止めようと伸ばした手の上で、真紅の小鳥はするり、と溶けて消えた。
その代わり、一枚の紙切れが残される。


「兄さんのところに行ってくる!」

ドタドタと慌ただしく足音を鳴らす己に、何事かと、三つの視線が向けられる。
いつもなら己を追いかけてくる四つ目の瞳が、緩やかに閉じられているのを見て、心なし慎重に扉を開けて外に出る。

「そんなに慌てて、どうしたんだい? シエル」
「フリアちゃんが、帰ってくるから!」

扉が閉まる間際、優しく問いかける父に向かって返事をすると、すぐに転移魔術を発動する。

――目指すはバイアーノ公爵家




「兄さん! フリアちゃんが!」
「あぁ、帰ってくる、な」

バイアーノ公爵家の門を入ってすぐ側に生い茂る巨木の根に腰掛けながら、兄は笑う。
少し、端に寄った兄の意図を察して、隣に腰を下ろす。

まだ、幼かった頃は、三人座ってちょうど良かったこの場所も、今は兄と二人で並ぶと少し窮屈に感じる。
それでも、兄の隣でこうして話せる事が、とても嬉しい。

本当は、“兄”と呼ぶべきではないのかもしれない。けれど、兄がバイアーノ公爵家を正式に継いだ時、“ガロン様”と口にしたら酷く寂しげな表情をされたので、未だに呼び名は“兄”で固定となっている。


「ところで、“姫”は元気か?」
「うん、とっても。さっきは寝てたから置いてきた。兄さんの方こそ、ここに避難してるってことは、元気なんだね」
「まぁ、な。さっきまで元気に木刀を振り回していたよ」

互いの現状を確認して、どちらからというわけでも無いが、苦笑を漏らす。


その時、目の前の芝生に、見覚えのある陣が浮かび上がる。

「ガロン、シエル、久しぶりね!」

一陣の風が通り過ぎると共に、待ち望んでいた人物が現れる。

「お帰り、フリア。そして、グレン殿」
「お帰り、フリアちゃん。と、グレンさん」
「――あぁ、」
「はい、これ。お土産よ」

そう言って差し出されたのは、綺麗に包装された袋。
手触りから察するに、なにかしらのぬいぐるみだと思われる。
チラリ、と兄に渡されたものを窺うと、これまた綺麗に包装されてはいるが、見た目からしてなにかしらの模造刀だろう。

「いつも、悪いな」
「月一でいろいろ送ってくれるのは嬉しいけど、あまり無理はしないでね?」
「迷惑で無いのなら、気にしないで。私が好きで送っているのだから」

そっと、彼女の隣に立つ漆黒の青年に視線を向けると、こくん、と頷かれたので、本当に問題ないらしい。

「ふふ、やっぱり、時の流れは速いものね。ガロンもシエルも、アレクさんにとても似ているわ」
「どうやら、俺がバイアーノ側から受け継いだのは、髪と瞳の色だけだったらしいな」
「だって、フリアちゃんと別れてから、軽く十年だよ? こっちはもう、“あの頃”の父上や母上と同じ歳なんだからさぁ……それにしても、二人は見た目が変わらないよね、全然」
「――中身も変わらないぞ。いつまで経っても“あの頃”のままだ」
「ちょ、グレン、それは、私の中身は子供のままって言いたいわけ?」
「――さぁ、」

目の前で言い合う二人を、穏やかな気持ちで眺める。
きっと、兄もそうなのだろう。

“あの時”二人を送り出してからの出来事はまるで、今思い出しても夢のようだ。

「それにしても、フリアちゃんさぁ、“瘴気を集めに旅にでるわね!”って言って、突然旅に出て、戻って来るのが十年後って、どういうわけ? もう、こっちはわけがわからなくてほんと、慌てたんだからね?」
「あぁ、それは……、うん、ごめんなさい。“常夜の森”の瘴気も薄くなってきて、“魔力の材料”が心許なくなったから、補うために仕方がなかったのよ」
「――だったら、仕方ないけど……。それでも、一言説明してくれたらよかったのに……グレンさん」
「――俺に、フリアを止められると思うか?」

話しを向けられた彼は、気まずそうにそっぽを向く。
きっとフリアちゃんに何回お願いしたところで、彼女は思うままに行動するだろう。だから、彼女の動きを察知して、何かあればこちらに伝えてほしい旨を匂わせたのだが……

「グレン殿は、しっかりとフリアの尻に敷かれている、ということか」
「――別に、」

つーん、と、先程から口数の少ない彼は、眉間に皺を寄せる。
けれど、それは照れ隠しであると、共に過ごした五年間で心得ている。

「まぁ、立ち話もなんだし、入るか? 暫くはゆっくりするんだろう?」
「えぇ、お邪魔で無ければ、暫くお世話になろうかしら」
「邪魔なわけないだろう。バイアーノ公爵家ここはフリアのものなのだから。二人の部屋もそのままにしている」


「シエル様! 私たちを置いていくなんて、あんまりですわ!」
「……、ルー、いや、だって、……寝てたから……」

兄達の後ろに続こうとしていると、真横から叱責の声を浴びる。

「ルイーザ様、お久しぶりですね」
「はい、フリア様。と、いうか、いい加減敬称を止めて頂けませんか? もう、他人ではないのですから……」
「うーん、でも、ねぇ……ちょっとやっぱり、気恥ずかしいのよね」

フリアちゃんは困ったように頬を掻いている。

「シエル様のように、“ルー”と呼んで頂いてもかまいませんわ。――それと、こちら、娘の“リア”ですわ。――ほら、リア。挨拶は?」
「はじめまして、リア、です」
「あ、ほら、リア。これ、フリアちゃんからだよ」

先程渡されたお土産を手渡すと、満々の笑みでフリアちゃんにお礼を言っている。
お土産片手に、もう一方でフリアちゃんの手を握っているあたり、初対面にして完全に餌付けされたようだ。

二人増えて、兄達の背を追う。
屋敷の扉に背をあずけ、リカルダさんがこちらを見ながら手を振っている。

――いっそ、父と母も呼ぶべき?

そう、考えたとき、背後から威勢のいい声が。

「隙ありぃっ! えーいっ!」
「っ!?」

慌てて振り返ると、木刀を持った甥っ子が勢いよく得物を振り下ろしていた。

――やばい、

己が反応するよりも早く、木刀は不可視の結界に阻まれた。

「――武器を持つ心得を、母に教わらなかったのか?」
「っ!!」
「ありがとう、グレンさん。助かりました」

甥っ子の木刀を弾き、一瞬で転移してきたグレンさんは、礼の言葉に片手をあげてこたえた。
視線は眼下の甥っ子に据えられたまま。

漆黒の青年に黄金の瞳で、見下ろされたら、きっと中々の迫力に違いない。

「――なにか、言うことはないのか?」
「っ……、ご、ごめんなさいっ……」
「俺じゃないだろ」

グレンさんの一睨みで、震え上がったらしい甥っ子は、瞳に涙を溜めながら、こちらに向かって謝罪の言葉を口にした。

頭を一撫でして、あやしていると、兄さんとリカルダさんが駆けてきた。

「グレン殿、すまない。手を煩わせてしまって……」
「申し訳無い。わたくしの指導不足だ」
「――別に。親に対してはどうしても甘えが出るから。他から言われないと、効かないこともあるよ」

肩を竦めながら、兄が持っている包みを受け取ると、グレンさんは甥っ子と目線を合わせるようにしてしゃがむ。

包みの形状から、中身がなんであるか察した甥っ子は、オロオロしつつも瞳を輝かせている。

「武器は、奪うものじゃない。大切なものを、護る為に振るうものだ。――約束、できる?」
「――はい。やくそく、です」

甥っ子が頷いたのを確認して、手渡しで包みを渡す。


「二人とも、紹介が遅れてすまない。この子はレンだ。ほら、二人に挨拶を」
「――レン、です」

渡された包みをギュ、と抱きしめながらレンはぺこりと頭を下げる。

「はじめまして、レンくん。ふふ、ガロンの小さい頃によく似てるわ。私はフリア、よろしくね」
「俺はグレン。姉と違って、少し、魔力を持っているみたいだな。――後で相手をしてやろうか?」
「はいっ! おねがいします!」

先程の怯えはどこへやら。
全身で喜びを表現するかのように、グレンさんに纏わり付いて離れない。

――こちらも、ある意味、餌付けが完了しそうな勢いだ。


甥っ子に纏わり付かれて歩きにくかったらしいグレンさんは、ひょい、と片手で抱えて歩き出す。

その様子を見て、なにを思ったのか、娘はフリアちゃんに抱っこをせがんでいる。

――母と父が、目の前に居るというのに、なんとも……

己のそんな視線を感じたからか、彼女は苦笑しながらもリアを抱き上げる。
彼女の腕の中でご満悦な表情でこちらに笑顔を向けてくるものだから、頬が緩んで仕方がない。

――まぁ、結局は、甘いのだ




「それにしても、もう少し帰ってくるのが早ければ、アリアも居たんだがな」
「そうだね。ちょうど、新学期が始まるから、アレンたちは王都に行っちゃったもんねぇ」

戯れる息子と娘を眺めながら、兄と言葉を交わす。

「あ、それなら大丈夫よ。ここに来る前に王都に行ってきたから! アリアはリカルダ様にそっくりだし、アレンは雰囲気がルイーザ様に似てるわね」
「性別の違いはあれど、あの頃の令嬢二人を見ているようだった」

苦笑交じりに話すグレンさんの言葉に、“あの頃の令嬢二人”はワタワタと表情を変える。

「そ、そんな昔のことっ! そ、そんな事より、お二人の方は、どうなのです?」
「そうですわ! わたし共よりも時に余裕があるからといって、後回しにしないでくださいね!」
「――そうだねぇ、せめて、こっちが動けなくなる前には、“甥っ子か姪っ子”が見たいかなぁ」
「俺は他の三人よりも猶予が短いからな。そこのところを考慮して、よろしく頼む」

「――なんで、みんな、俺を見るわけ?」

いつの間にか、甥と姪の二人にじゃれつかれているフリアちゃんは、こちらの会話に全く気付いていない。

二人が喜んでくれるのが嬉しいのか、庭の草を生長させて子供が入れるくらいのこぢんまりとした家まで創り上げている。

「――だから、“中身も”変わってないんだよ。ずっと、“あの頃”のまま」
「それはあれだ。アピールが足りないのだ。わたくしは己から働きかけて、ガロン殿を手に入れたぞ!」
「わたしだって、淑女としてあるまじきだとは思いましたが、シエル様を手に入れるために、手段を選びませんでしたよ? わたしたちにできて、グレン様にできぬはずがありませんわ!」

「――こんなこと真正面から言われているけど、それでいいの?」
「――はは……」
「――だって、ねぇ……」

じとー、っとした目で見られたけれど、否定も反論もできないので、曖昧に誤魔化す。

「で、グレン様、暫くはこちらでゆっくりなさるのでしょう!? 勝機はあるのですか!?」
「フリア様には幸せになってもらいたい。グレン様がそのように奥手では、他の誰かに取られてしまいますよ?」



息巻く女性達。それの様子を、なんとも言え無い表情で眺める兄弟二人。
そんな己たちに向かって、グレンさんはニヤリと笑う。

そして、クルリと反転して、フリアちゃん達がじゃれている方向へと足を進めながらも、声と意識はこちらに向けられる。

「まぁ、俺は“愛する人に裏切られると、命が危ないから”な」


そこまで言って、言葉を句切る。
その声は、フリアちゃんにも聞こえたらしく、“グレン、どうかしたの”と言いながら彼の元に近付いている。

かつて、フリアちゃんが言っていた。

”愛した人に裏切られると命が危ないから”
裏切られても大丈夫なように
”愛のない家庭を築くことにする”
と。

そして、今、グレンさんもかつてのフリアちゃんと同じことを口にした。
つまり、これからもずっと、付かず離れずの距離感を保つと言うことだろうか。


そんなことを考えているうちに、グレンさんは彼女を引き寄せ、己の腕の中に囲む。
驚いて抗議するフリアちゃんのことなどお構いなしに、再びこちらを振り返る。

腕の中には、状況が飲み込めずに顔を赤く染める彼女が捕われている。
その、彼女の肩口に顎を乗せて、彼は口を開く。




「他の誰にも意識がいかないほどに、”どろどろに愛して、この腕の中で囲うことにしている”」









――Fin――
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