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第十三章 学園祭二日目
10 噛み癖
しおりを挟む空がオレンジ色に染まり始めたので、呉宇軒たちは静かな教室を出て服飾科のある棟へ向かった。
仮装大会の時間が近付いてきているからか、道行く人の中にもお化けの衣装や可愛らしいコスプレを着た人たちの姿が増えている。どこかに一般の来客が着替える場所もあるらしいが、目的地に着くまでの間には見かけなかった。
「あっ、軒兄、然兄、こっちですよ!」
集まっている正規の参加者の中から、謝桑陽が手を振って居場所を知らせてくれている。二人が彼の元へ行くと、先に到着していたイーサンは早くも衣装を着終わっていた。
「遅いぞ。どこでイチャついてたんだ?」
キョンシーの要素を残しつつ中世ヨーロッパの貴族コート風の格好をした彼は、その姿によく似合う高慢ちきな態度で遅れてきた二人をジロリと見る。反抗しないと気が済まない呉宇軒は、図星を突かれたにも拘らずすっとぼけて返した。
「別にしてませんけど! そもそも、なんでイチャついてたと思うんだ?」
「二人で回ってたんだろ? むしろそれ以外に何かあるのか?」
どうやらイーサンは、彼らが一緒に行動している時はいつもイチャついていると思っているらしい。
いつもではないが当たらずとも遠からずで、呉宇軒は咄嗟に言葉が出て来なかった。それを見たイーサンはやっぱりな、と言うようにフンと鼻で笑う。
「さっさと着替えてこい。特殊メイクもあるんだから急げよ!」
「いつもじゃないし! 大体お前な、先に来てるからって……」
開催時間まではまだ十二分に余裕がある。それなのに文句を言われ、呉宇軒は不満タラタラで言い返していたが、全て言い切る前に李浩然に襟首を掴まれてしまった。まるで母猫に咥えられた子猫のように襟を引っ張られ、そのまま更衣室代わりの教室に連行されていく。
厄介払いできたと嬉しそうな顔をするイーサンがだんだん遠ざかっていき、呉宇軒は唇を尖らせて李浩然を睨んだ。
「浩然、まだ話の途中なんだけど!?」
「後にしなさい」
呆れ半分の視線を向ける李浩然に一切の容赦もなく切り捨てられ、呉宇軒は閉口するしかなかった。
彼に引きずられるようにして建物の中へ入ると、明かりのついた廊下には魑魅魍魎になりかけている生徒たちがひしめきあう。まだ特殊メイクをしていないので、ぱっと見ではお化けの格好をしたコスプレ集団だ。彼らの間を進んでいくと、着替えの場所はすぐに見つかった。
狭い場所にぎゅうぎゅう詰めにされながら着替えた前の時とは違い、教室丸々一つを使えるようになったため、二人は広々とスペースを使うことができた。時間が押しているわけでもなかったので、のんびりと服を着替える。
赤い袖なしの伝統衣装に頭を通した呉宇軒は、向かいで一番上までボタンを閉めていた李浩然を見て目を輝かせた。
「浩然、やっぱりお前は最高だな!」
衣装を着たイーサンはいかにも鼻持ちならない貴族のような雰囲気だったが、まだ特殊メイクをしていない李浩然はまさしく正統派の格好で、清らかな薄青を基調とした衣装がよく似合う。まるで時代劇に出てくる良家の若様のようだ。
呉宇軒は極めて露出の少ない彼の清廉とした佇まいを心ゆくまで眺め回し、うっとりした。
「これでカツラがあれば、映画の撮影みたいになるんだけどな」
謝桑陽と高進のデザインした衣装はしっかりした作りで、ちょっとやそっとじゃ破れそうにない。それに、動きやすいようにスリットが入っていたり、伸縮性のある素材を使ったりと工夫されている。これならカンフー映画さながらのアクションにも耐えられるだろう。
「君の衣装もかなりいいと思う」
「だな。あいつら本当にセンスあるよ」
くるりと回って衣装を披露すると、呉宇軒はパンク風デザインのゆったりしたサイズのジャンパーを羽織った。黒い生地に彼のお気に入りの蛍光ピンクが差し色に入っている。
呉宇軒の衣装は袖がないノースリーブタイプなので、上着がないと少し寒い。これから夜になるので、裏地がしっかりした上着があるのはありがたかった。
「似合う?」
衣装を見せびらかすと、李浩然は愛しげに目を細めて微笑んだ。
「可愛い」
その言葉と共に、彼は得意顔で笑う呉宇軒の頬にキスをする。だが、彼の行動はそれだけでは終わらなかった。
腰に手を回して呉宇軒を抱き寄せると、甘えたように首筋に顔を埋める。そして何を思ったか、李浩然はそのまま首に齧り付いた。
「いってぇ! ちょ、またかよっ!」
幼馴染の温もりに身を委ねてすっかり落ち着いていた呉宇軒は、突然首に痛みが走り悲鳴を上げる。前に衣装を着て撮影をした時も同じことをされたが、またやられるとは思わなかった。
ヒリヒリする肌をそっと触ると、くっきりと歯形がついているのを感じる。呉宇軒は急に噛みついてきた李浩然に呆れと怒りの入り混じった視線を向けた。
「また噛みつきやがって……歯形更新してんじゃねぇぞ」
前に噛まれた時の痕はもうほとんど残っていなかったのに、今ので復活してしまった。
どうしてくれるんだと責めるように睨んだものの、李浩然は彼の視線を涼しい顔をして受け流す。まるで反省の色が見られず、呉宇軒は盛大にため息を吐いた。
「あーあ、また特殊メイクって言って誤魔化すしかねぇな……」
前回の時は、不審がる視線を向けられる度に、そう言って強引に押し通していたのだ。
ただし、それが通じるのは今日のイベントが終わるまでの短い間だけだ。明日は祖父たちと一緒に出かける予定なのに、彼らの前ではどう誤魔化せばいい?
困っている彼の心を察して、李浩然は悪びれる様子もなくそっと助言した。
「ハイネックの服を着たらどうだ?」
確かに歯形を隠すにはそれしかない。ただ、呉宇軒は動き回るのが好きなので、体にピッタリするタイプの服をあまり好まない。ハイネックの服なんて手持ちにあっただろうかと考え込む。
「俺持ってたっけ?」
「無ければ俺のを貸す」
すかさず答えた李浩然に、呉宇軒は苦笑を漏らす。
二人の体型は近いものの、センスの違いでお互いに服の貸し借りはあまりしたことがない。しかし、今回ばかりは彼を頼るしかなさそうだ。
着替えを済ませた二人は、廊下に張り出された案内に従って別の教室に入った。中ではすでに特殊メイクの順番待ちができていて、お化けの仮装をした係の人から列に並ぶように指示される。
「係の人たちも仮装してるんだ。気合い入ってるなぁ」
教室を眺めていた呉宇軒は、隣の李浩然に寄りかかりながら小声で話しかけた。案内をする係の人たちだけでなく、メイクをしてくれるサークルの人たちまでお化けに様変わりしている。この教室だけ別世界のようだ。
前の列はまだ捌けそうになく、暇を持て余した呉宇軒は、李浩然を肘でちょんとつついた。
「なあ、さっきの何だったんだ?」
「……何とは?」
少しの間を空けて、李浩然は不思議そうに首を傾げる。分かりやすく嘘をついた彼に、呉宇軒は小さく吹き出すと、今度は尻でどついた。
「とぼけんなよ! 空き教室でのこと、もう忘れたのか? 獣みたいにがっつきやがって」
突然唇を奪っておきながら、まさか忘れたなんて言うまい。呉宇軒がニヤニヤしながらからかうと、李浩然は表情を僅かに固くさせて抗議の声を上げる。
「人聞きが悪い」
「事実だろ? 急にどうしたんだよ」
突然の情熱的な口づけに、呉宇軒はしばらく腰が抜けて立てなくなってしまった。それに、わざわざ二人きりになれる場所へ連れ込んだのは、他ならぬ李浩然だ。
茶化すような瞳に見つめられ、李浩然は押し黙ってしまう。彼はしばらく無言で抵抗していたものの、呉宇軒が諦めないと分かると、恥ずかしそうに目を逸らしてぽつりと呟いた。
「……ご褒美がまだだった」
「なんだよ、可愛いやつ!」
どうやら、呂子星の乱入によって有耶無耶になっていたご褒美が欲しかったらしい。
急にしおらしくなった彼に、呉宇軒は胸がキュンとして居ても立っても居られなくなる。思わず飛びついて全力で抱きしめると、不意に後ろからLuna先輩の声が響いた。
「宇軒、うるさい!」
彼女に頭が上がらない呉宇軒は、びっくりして口から心臓が飛び出そうになる。慌てて抱きついていた手を離して振り返ると、怖い魔女メイクのLunaが仁王立ちしてこちらを睨んでいた。
「なに騒いでるのよ。そういうことは誰もいない場所でやんなさい!」
まさしく彼女の言う『誰もいない場所』でひとしきりイチャついてきた後だったので、呉宇軒は神妙な面持ちで反省しているふりをしながら、密かに隣の李浩然へ目配せした。彼の悪戯めいた眼差しに、李浩然も僅かに目を細めて応える。
Lunaは二人が意味ありげに視線を交わしていることには気付かず、「大人しくしてなさいよ!」と釘を刺して部屋を出て行った。
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