126 / 362
第六章 千灯夜に願いを乗せて
19 気分は新婚
しおりを挟むホテルを出ると、李浩然はほっと安堵の息を漏らした。撮影スタジオにいた野次馬たちもさすがにここまでは追ってこなかったので、人目がなくなって緊張の糸が切れたのだろう。先ほどまでの凛々しい姿はどこへやらで、ほんのりと頬が赤く染まっている。
「恥ずかしかった……」
役になりきってセリフを言うなんて、真面目な彼にはさぞ辛かったことだろう。注目されるのがあまり好きではないのに、幼馴染に調子を合わせて随分と頑張ってくれた。
呉宇軒は労うように彼を抱きしめて、赤くなった頬を両手で挟み込んだ。すると、涼しげな青に縁取られた双眸が不満を訴えるように彼をじっと見つめてきた。
記念撮影しただけで大騒ぎになったので、この格好のまま表を歩きたくないのだろう。玄薄の衣装を着た李浩然は惚れ惚れするほど格好良く、せっかく様になっているのに、すぐに脱いでしまうなんて勿体ない。
どうにか彼の機嫌を取ろうと、呉宇軒は柔らかく微笑んで口を開いた。
「よしよし、よく頑張ったな。ご褒美に何でも言うこと聞いてやるよ。何がいい?」
たっぷり甘やかしてやろうと思って尋ねると、李浩然はたちまち目を輝かせ、なんでも?と聞き返してきた。
まるで誕生日プレゼントを貰った子どもみたいだ。可愛らしい反応に、思わずくすりと笑みが漏れる。
「いいよ。何がいい?」
「新婚旅行」
即答した彼に、ついさっきまで微笑ましい気持ちでいた呉宇軒は顔を引き攣らせた。
イーサンが言った『新婚』の一言がよほど気に入ったらしい。もう今日だけでその言葉を何回聞いたか分からない。
「またそれかよ! しゃーねぇな、今回だけだぞ!」
何でもと言ってしまった手前断る訳にもいかず、やれやれと苦笑する。幼馴染から許しを得た李浩然は途端にやる気を取り戻し、玄薄さながらのキリリとした表情で呉宇軒の手を取った。
「では行こうか」
「現金なやつ!」
さっきまであんなに嫌そうにしていたのに、いくらなんでも立ち直りが早すぎる。
コロリと態度を変えた彼をからかったが、聞こえないふりをされた。
待ち合わせの広場には、すでに貸し衣装に着替えた仲間たちが立っていた。三人とも後ろを向いて顔が見えないが、そのうち一人は金髪で、一目でイーサンだと分かる。
「おーい、着替えてきたぞ!」
呼びかけると金髪頭が振り返り、やって来た幼馴染コンビを見て隣の友人たちに声をかけた。振り返った二人は高進と謝桑陽だ。
三人は落ち着いた色合いの漢服を着ていて一見地味に見えるが、身に付けている翡翠や金の小物から高貴な雰囲気を漂わせていた。真ん中に立つ謝桑陽は特に上品で、払子を手に優雅に佇んでいる。
「もしかして、『若様は謎解きがお好き』?」
ピンときた呉宇軒が尋ねると、彼はにこりと笑って正解です!と言った。
「気付いていただけて良かったです! 誰も分からなかったらどうしようって思ってました。お二人は『華侠仙神伝』の木春と玄薄ですよね!? よくお似合いです!」
待っている間ずっと不安だったのだろう、謝桑陽は当ててもらえて嬉しそうだ。アメリカ育ちのイーサンには馴染みがないので、そんなに有名なのか?と不思議そうにしている。
彼らの衣装のテーマは、推理小説が原作の『若様は謎解きがお好き』だ。貴族の三男坊がお忍びで市井へ繰り出し、出先で起きた難事件を解決する時代劇で、事件を解決する推理パートと悪人を成敗するアクションパートがあり、老若男女に人気がある。謝桑陽は主人公の李月天に扮していて、地味ながらも高価な小物使いが上品な衣装だ。
テーマにした作品について語り合っていると、イーサンが我慢できずに口を開いた。
「なあ、僕の衣装は変じゃないか?」
「大丈夫だよ。用心棒の一人は金髪だし」
顔立ちがアメリカ人寄りの彼は、衣装が似合っているか気になっているようでソワソワしている。呉宇軒は慣れない漢服に落ち着かなげな彼にそう言うと、改めて三人の姿をじっくりと眺めた。
柔和な笑みを浮かべた謝桑陽は、まさしく貴族の三男坊の佇まいだ。高進とイーサンは簡素ながらも細部に拘った動きやすい衣装を着ていて、いかにも護衛をする用心棒らしい。
原作の再現度も申し分なく、呉宇軒は思わぬ伏兵が現れたぞ、と李浩然に目配せした。
「残りの奴らはまだなのか? お前らも遅かったけど」
時計に目をやって、イーサンが待ちくたびれたようにぼやく。彼らは少人数だったのですぐに着替え終わり、しばらく待っていたらしい。自分たちより遅れて来た二人にご立腹だ。
「俺たち記念撮影してから来てるから。野次馬凄くて大変だったんだよ」
呉宇軒が言い訳すると、彼は目を吊り上げた。
「記念撮影だと!? 抜け駆けしやがって!」
「悪かったって。係の人にぜひって勧められちゃって、衣装代もサービスしてくれるって言うからさぁ。そのうちホテルのブログに画像上げるって言ってたぜ?」
目立ちたがり屋のイーサンがぶつくさと文句を言ってくるので、呉宇軒はやかましい彼のために携帯でその勇姿を撮ってやった。
衣装を着た集団は遠目からでも目立つらしく、残りの仲間を待つためにしばらくその場で待機していると、周囲にどんどん人が集まり始めた。
古北水鎮では、あちこちで伝統衣装を着た人たちによるショーが行われている。そのため、何かイベントがあると勘違いされてしまったようだ。特に本家顔負けの格好をした李浩然は注目の的で、ただ立っているだけだというのに彼の周りには人集りができていた。仏頂面で立ち尽くす彼を大勢が囲み、完全に見せ物状態だ。
ちょうど作中でそっくりなシーンがあり、呉宇軒はぷっと吹き出すと可哀想な幼馴染を助けに向かう。
「見せ物じゃねぇぞ! 行った行った!」
しっしと手で追い払おうとしたものの、図らずもその言葉は原作の木春が言っていた言葉そのままだった。おまけに彼が木春の衣装を着ているせいで、いよいよ劇が始まったと思われたらしい。
待ってました!と観客から拍手が起こり、中には動画を撮影する人まで現れる。集まった人たちの期待の眼差しに、誤解だと言い出し辛い雰囲気が漂い始めた。
困ったな、と呉宇軒がどう話そうか考えていると、背後から不機嫌な声が響いた。
「木春、彼らは何故集まって来ている」
李浩然が口にしたのは、市民から囲まれた玄薄仙人が実際に言ったセリフだ。彼の言葉にくるりと振り返ると、覚悟を決めた眼差しと目が合う。この窮地をアドリブで乗り切る気だ。
そういう事ならと、呉宇軒は木春になりきってにんまりと微笑み、孤高の仙人に扮する幼馴染の周りをゆっくりと一周した。
「そりゃあ、仙人様が珍しいからさ。こんなに色男だしな」
つんと頬を突くと、李浩然は薄青に染まった袖を振り、不愉快と言わんばかりの態度で不躾な手を払う。
「それで、情報とやらは手に入ったのか? まさか食事のためだけに町へ寄ったのではあるまいな」
「そのまさかって言ったらどうする?」
悪戯っ子の笑みを浮かべてそう言うと、彼の表情はたちまち険しくなった。内心ではきっと冷や冷やしているに違いない。
その時、金属の擦れる微かな音がして、呉宇軒は咄嗟に宙返りで後ろへ飛び退いた。ついさっきまで彼が居た場所を小道具の剣が一閃し、観客から拍手が起きる。ドラマを二人で見ていたからこそできる阿吽の呼吸だ。
「ちょっと待った!」
「待てと言われて私が待つと思うか?」
役になりきった李浩然が剣で追撃する。体勢を立て直した呉宇軒は、今度は逃げずに素手で迎え撃った。
作り物の剣なので本当に斬れるわけではないものの、当たれば流石に痛い。そのことをよく分かっている李浩然は、当たらないように細心の注意を払い、しっかりと加減してくれていた。彼が視線でどんな攻撃をするか合図をしてくれるので、呉宇軒はそれに合わせて猛攻をいなし続ける。二人でごっこ遊びをしていた経験がまさかこんな所で役に立つとは。
何度か派手に攻防戦を繰り広げて観客を沸かせた後、不意に李浩然が剣を鞘に戻した。
「もう充分だ」
「えぇーっ、もう終わり? 俺、まだ三時辰はやれるのに!」
彼があまりにも完璧に玄薄を演じていたので、まるで本物と戦っているみたいで大興奮していた呉宇軒は素で落胆の声を出す。観客からも残念そうな声が漏れ聞こえてきたが、李浩然は問答無用で幼馴染の首根っこを掴んだ。
観客たちから割れんばかりの拍手と歓声が送られ、二人は深々と頭を下げた。彼らがいいものを見たと満足しながら引いていく中、小さな女の子がちょこちょこと小走りに近付いてくる。彼女はキラキラした瞳で真っ直ぐに李浩然を見上げ、そっと手を差し出した。
「仙人様、これあげる」
すっかり李浩然を本物だと信じきっている。彼女は桃色の飴を手渡すなり、恥ずかしそうに走って両親の元へ帰って行った。
「この色男め! よかったな、労働の対価だぞ」
背中をバシッと叩いて褒め称えると、彼は複雑な表情で呉宇軒を見返した。
「……変ではなかったか?」
「さっきの子を見たら分かるだろ? お前の玄薄は完璧だったよ。今日一日その格好しててほしいくらい格好いい!」
丸一日この格好のままでいるとどうなるだろうか。観光客に囲まれて一芝居打つ羽目になった李浩然は、呑気な彼の言葉に途端に嫌そうな顔をした。
11
あなたにおすすめの小説
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしょういむ
田原摩耶
BL
苦手な性格正反対の難あり双子の幼馴染と一週間ひとつ屋根の下で過ごす羽目になる受けの話。
穏やか優男風過保護双子の兄+粗暴口悪サディスト遊び人双子の弟×内弁慶いじめられっ子体質の卑屈平凡受け←親友攻め
学生/執着攻め/三角関係/幼馴染/親友攻め/受けが可哀想な目に遭いがち
美甘遠(みかもとおい)
受け。幼い頃から双子たちに玩具にされてきたため、双子が嫌い。でも逆らえないので渋々言うこと聞いてる。内弁慶。
慈光宋都(じこうさんと)
双子の弟。いい加減で大雑把で自己中で乱暴者。美甘のことは可愛がってるつもりだが雑。
慈光燕斗(じこうえんと)
双子の兄。優しくて穏やかだが性格が捩れてる。美甘に甘いようで甘くない。
君完(きみさだ)
通称サダ。同じ中学校。高校にあがってから美甘と仲良くなった親友。美甘に同情してる。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
制服の少年
東城
BL
「新緑の少年」の続きの話。シーズン2。
2年生に進級し新しい友達もできて順調に思えたがクラスでのトラブルと過去のつらい記憶のフラッシュバックで心が壊れていく朝日。桐野のケアと仲のいい友達の助けでどうにか持ち直す。
2学期に入り、信次さんというお兄さんと仲良くなる。「栄のこと大好きだけど、信次さんもお兄さんみたいで好き。」自分でもはっきり決断をできない朝日。
新しい友達の話が前半。後半は朝日と保護司の栄との関係。季節とともに変わっていく二人の気持ちと関係。
3人称で書いてあります。栄ー>朝日視点 桐野ー>桐野栄之助視点です。
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わり、転校してきたのは、初恋の相手だった——。
鬱々とした気分で二学期の初日を迎えた高須明希は、忘れかけていた記憶と向き合うことになる。
名前を変えて戻ってきたかつての幼馴染、立石麻美。そして、昔から気になっていたクラスメイト、河西栞。
親友の田中浩大が麻美に一目惚れしたことで、この再会が静かに波紋を広げていく。
性と欲の狭間で、歪み出す日常。
無邪気な笑顔の裏に隠された想いと、揺れ動く心。
そのすべてに触れたとき、明希は何を守り、何を選ぶのか。
青春の光と影を描く、"遅れてきた"ひと夏の物語。
前編 「恋愛譚」 : 序章〜第5章
後編 「青春譚」 : 第6章〜
あなたのお気に召すままに
舞々
BL
水瀬葵は小児科病棟で働く医師。
そこの先輩医師である成宮千歳はハイスペックで、周囲の人達からの人望も厚いスーパードクター。それなのに恋人である葵には、とても冷たくて…。
ツンデレな千歳に振り回されながらも溺愛される、現役看護師が送る甘々なラブストーリー♡
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる