真面目ちゃんの裏の顔

てんてこ米

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第六章 千灯夜に願いを乗せて

19 気分は新婚

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 ホテルを出ると、李浩然リーハオランはほっと安堵の息を漏らした。撮影スタジオにいた野次馬たちもさすがにここまでは追ってこなかったので、人目がなくなって緊張の糸が切れたのだろう。先ほどまでの凛々しい姿はどこへやらで、ほんのりと頬が赤く染まっている。

「恥ずかしかった……」

 役になりきってセリフを言うなんて、真面目な彼にはさぞ辛かったことだろう。注目されるのがあまり好きではないのに、幼馴染に調子を合わせて随分と頑張ってくれた。
 呉宇軒ウーユーシュェンは労うように彼を抱きしめて、赤くなった頬を両手で挟み込んだ。すると、涼しげな青に縁取られた双眸が不満を訴えるように彼をじっと見つめてきた。
 記念撮影しただけで大騒ぎになったので、この格好のまま表を歩きたくないのだろう。玄薄シュェンバオの衣装を着た李浩然リーハオランは惚れ惚れするほど格好良く、せっかく様になっているのに、すぐに脱いでしまうなんて勿体ない。
 どうにか彼の機嫌を取ろうと、呉宇軒ウーユーシュェンは柔らかく微笑んで口を開いた。

「よしよし、よく頑張ったな。ご褒美に何でも言うこと聞いてやるよ。何がいい?」

 たっぷり甘やかしてやろうと思って尋ねると、李浩然リーハオランはたちまち目を輝かせ、なんでも?と聞き返してきた。
 まるで誕生日プレゼントを貰った子どもみたいだ。可愛らしい反応に、思わずくすりと笑みが漏れる。

「いいよ。何がいい?」

「新婚旅行」

 即答した彼に、ついさっきまで微笑ましい気持ちでいた呉宇軒ウーユーシュェンは顔を引き攣らせた。
 イーサンが言った『新婚』の一言がよほど気に入ったらしい。もう今日だけでその言葉を何回聞いたか分からない。

「またそれかよ! しゃーねぇな、今回だけだぞ!」

 何でもと言ってしまった手前断る訳にもいかず、やれやれと苦笑する。幼馴染から許しを得た李浩然リーハオランは途端にやる気を取り戻し、玄薄シュェンバオさながらのキリリとした表情で呉宇軒ウーユーシュェンの手を取った。

「では行こうか」

「現金なやつ!」

 さっきまであんなに嫌そうにしていたのに、いくらなんでも立ち直りが早すぎる。
 コロリと態度を変えた彼をからかったが、聞こえないふりをされた。



 待ち合わせの広場には、すでに貸し衣装に着替えた仲間たちが立っていた。三人とも後ろを向いて顔が見えないが、そのうち一人は金髪で、一目でイーサンだと分かる。

「おーい、着替えてきたぞ!」

 呼びかけると金髪頭が振り返り、やって来た幼馴染コンビを見て隣の友人たちに声をかけた。振り返った二人は高進ガオジン謝桑陽シエサンヤンだ。
 三人は落ち着いた色合いの漢服を着ていて一見地味に見えるが、身に付けている翡翠や金の小物から高貴な雰囲気を漂わせていた。真ん中に立つ謝桑陽シエサンヤンは特に上品で、払子を手に優雅に佇んでいる。

「もしかして、『若様は謎解きがお好き』?」

 ピンときた呉宇軒ウーユーシュェンが尋ねると、彼はにこりと笑って正解です!と言った。

「気付いていただけて良かったです! 誰も分からなかったらどうしようって思ってました。お二人は『華侠かきょう仙神伝せんじんでん』の木春ムーチュン玄薄シュェンバオですよね!? よくお似合いです!」

 待っている間ずっと不安だったのだろう、謝桑陽シエサンヤンは当ててもらえて嬉しそうだ。アメリカ育ちのイーサンには馴染みがないので、そんなに有名なのか?と不思議そうにしている。
 彼らの衣装のテーマは、推理小説が原作の『若様は謎解きがお好き』だ。貴族の三男坊がお忍びで市井へ繰り出し、出先で起きた難事件を解決する時代劇で、事件を解決する推理パートと悪人を成敗するアクションパートがあり、老若男女に人気がある。謝桑陽シエサンヤンは主人公の李月天リーユエティェンに扮していて、地味ながらも高価な小物使いが上品な衣装だ。
 テーマにした作品について語り合っていると、イーサンが我慢できずに口を開いた。

「なあ、僕の衣装は変じゃないか?」

「大丈夫だよ。用心棒の一人は金髪だし」

 顔立ちがアメリカ人寄りの彼は、衣装が似合っているか気になっているようでソワソワしている。呉宇軒ウーユーシュェンは慣れない漢服に落ち着かなげな彼にそう言うと、改めて三人の姿をじっくりと眺めた。
 柔和な笑みを浮かべた謝桑陽シエサンヤンは、まさしく貴族の三男坊の佇まいだ。高進ガオジンとイーサンは簡素ながらも細部に拘った動きやすい衣装を着ていて、いかにも護衛をする用心棒らしい。
 原作の再現度も申し分なく、呉宇軒ウーユーシュェンは思わぬ伏兵が現れたぞ、と李浩然リーハオランに目配せした。

「残りの奴らはまだなのか? お前らも遅かったけど」

 時計に目をやって、イーサンが待ちくたびれたようにぼやく。彼らは少人数だったのですぐに着替え終わり、しばらく待っていたらしい。自分たちより遅れて来た二人にご立腹だ。

「俺たち記念撮影してから来てるから。野次馬凄くて大変だったんだよ」

 呉宇軒ウーユーシュェンが言い訳すると、彼は目を吊り上げた。

「記念撮影だと!? 抜け駆けしやがって!」

「悪かったって。係の人にぜひって勧められちゃって、衣装代もサービスしてくれるって言うからさぁ。そのうちホテルのブログに画像上げるって言ってたぜ?」

 目立ちたがり屋のイーサンがぶつくさと文句を言ってくるので、呉宇軒ウーユーシュェンはやかましい彼のために携帯でその勇姿を撮ってやった。
 衣装を着た集団は遠目からでも目立つらしく、残りの仲間を待つためにしばらくその場で待機していると、周囲にどんどん人が集まり始めた。
 古北水鎮こほくすいちんでは、あちこちで伝統衣装を着た人たちによるショーが行われている。そのため、何かイベントがあると勘違いされてしまったようだ。特に本家顔負けの格好をした李浩然リーハオランは注目の的で、ただ立っているだけだというのに彼の周りには人集りができていた。仏頂面で立ち尽くす彼を大勢が囲み、完全に見せ物状態だ。
 ちょうど作中でそっくりなシーンがあり、呉宇軒ウーユーシュェンはぷっと吹き出すと可哀想な幼馴染を助けに向かう。

「見せ物じゃねぇぞ! 行った行った!」

 しっしと手で追い払おうとしたものの、図らずもその言葉は原作の木春ムーチュンが言っていた言葉そのままだった。おまけに彼が木春ムーチュンの衣装を着ているせいで、いよいよ劇が始まったと思われたらしい。
 待ってました!と観客から拍手が起こり、中には動画を撮影する人まで現れる。集まった人たちの期待の眼差しに、誤解だと言い出し辛い雰囲気が漂い始めた。
 困ったな、と呉宇軒ウーユーシュェンがどう話そうか考えていると、背後から不機嫌な声が響いた。

木春ムーチュン、彼らは何故集まって来ている」

 李浩然リーハオランが口にしたのは、市民から囲まれた玄薄シュェンバオ仙人が実際に言ったセリフだ。彼の言葉にくるりと振り返ると、覚悟を決めた眼差しと目が合う。この窮地をアドリブで乗り切る気だ。
 そういう事ならと、呉宇軒ウーユーシュェン木春ムーチュンになりきってにんまりと微笑み、孤高の仙人に扮する幼馴染の周りをゆっくりと一周した。

「そりゃあ、仙人様が珍しいからさ。こんなに色男だしな」

 つんと頬をつつくと、李浩然リーハオランは薄青に染まった袖を振り、不愉快と言わんばかりの態度で不躾な手を払う。

「それで、情報とやらは手に入ったのか? まさか食事のためだけに町へ寄ったのではあるまいな」

「そのまさかって言ったらどうする?」

 悪戯っ子の笑みを浮かべてそう言うと、彼の表情はたちまち険しくなった。内心ではきっと冷や冷やしているに違いない。
 その時、金属の擦れる微かな音がして、呉宇軒ウーユーシュェンは咄嗟に宙返りで後ろへ飛び退いた。ついさっきまで彼が居た場所を小道具の剣が一閃し、観客から拍手が起きる。ドラマを二人で見ていたからこそできる阿吽の呼吸だ。

「ちょっと待った!」

「待てと言われて私が待つと思うか?」

 役になりきった李浩然リーハオランが剣で追撃する。体勢を立て直した呉宇軒ウーユーシュェンは、今度は逃げずに素手で迎え撃った。
 作り物の剣なので本当に斬れるわけではないものの、当たれば流石に痛い。そのことをよく分かっている李浩然リーハオランは、当たらないように細心の注意を払い、しっかりと加減してくれていた。彼が視線でどんな攻撃をするか合図をしてくれるので、呉宇軒ウーユーシュェンはそれに合わせて猛攻をいなし続ける。二人でごっこ遊びをしていた経験がまさかこんな所で役に立つとは。
 何度か派手に攻防戦を繰り広げて観客を沸かせた後、不意に李浩然リーハオランが剣を鞘に戻した。

「もう充分だ」

「えぇーっ、もう終わり? 俺、まだ三時辰はやれるのに!」

 彼があまりにも完璧に玄薄シュェンバオを演じていたので、まるで本物と戦っているみたいで大興奮していた呉宇軒ウーユーシュェンは素で落胆の声を出す。観客からも残念そうな声が漏れ聞こえてきたが、李浩然リーハオランは問答無用で幼馴染の首根っこを掴んだ。
 観客たちから割れんばかりの拍手と歓声が送られ、二人は深々と頭を下げた。彼らがいいものを見たと満足しながら引いていく中、小さな女の子がちょこちょこと小走りに近付いてくる。彼女はキラキラした瞳で真っ直ぐに李浩然リーハオランを見上げ、そっと手を差し出した。

「仙人様、これあげる」

 すっかり李浩然リーハオランを本物だと信じきっている。彼女は桃色の飴を手渡すなり、恥ずかしそうに走って両親の元へ帰って行った。

「この色男め! よかったな、労働の対価だぞ」

 背中をバシッと叩いて褒め称えると、彼は複雑な表情で呉宇軒ウーユーシュェンを見返した。

「……変ではなかったか?」

「さっきの子を見たら分かるだろ? お前の玄薄シュェンバオは完璧だったよ。今日一日その格好しててほしいくらい格好いい!」

 丸一日この格好のままでいるとどうなるだろうか。観光客に囲まれて一芝居打つ羽目になった李浩然リーハオランは、呑気な彼の言葉に途端に嫌そうな顔をした。
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