よいこ魔王さまは平穏に生きたい。

海野イカ

文字の大きさ
50 / 431

曇天濡れる中庭①

しおりを挟む

 体調不良だというレオカディオは、翌日も朝食の席へ姿を現さなかった。
 症状が重いというよりは、他の子どもに風邪が感染するのを防ぐため快方へ向かうまでは部屋で食事をとるようだ。軽い汁物や菓子ならばきちんと食べているらしいから、あと数日もすれば元気な顔を見せるだろう。
 疲労を溜めたり、体を冷やしたり、病を得た者のそばにいるだけで罹患するというのだから、ヒトの身で健やかに生きるのは本当に大変だ。

「ここのところ急に気温も下がってきたからな、寝具や着るものに不足があればちゃんと言うんだぞ? そろそろ冬の防寒具なども支度を進めさせている。リリアーナは新しいコートどんな色にしようか?」

「フェリバたちに任せる」

「そ、そうかぁ。去年は白いファーをつけたから、次はフードとかついていると可愛いんじゃないかな?」

「フード……そうだな。屋外へ出るときに温かくて良いと思う」

 そう返事をすると、ファラムンドは途端に顔を輝かせた。
 ほとんど外出をさせてもらえないのだから、コートを新調しても中庭で着るぐらいしか用途がない。去年だって襟元と袖口にふさふさとした毛のついたコートを作ってもらったのに、それを着て屋敷の敷地から外へ出ることは一度もなかった。一着作るにも素材や手間がかかるものだろうから、さすがにもったいないと思う。
 だが、領主邸から発注が出されるそういった品は街の職人たちの重要な収入源となっており、たとえ使用しなくとも各所へ仕事を振り、金銭を支払うことが大事なのだと、それとなくトマサが教えてくれた。一日しか着用しなかった五歳記の衣装などもそれに当たるのかもしれない。
 もっと大きな枠となれば、王宮が毎年各領から名産品を一定量買い上げているのも同じことらしい。人を使い仕事を回し、金銭と物資を循環させるのも、上に立つ者の重要な役目ということだろう。

「あと、大きめのポケットはつけてほしい」

「わかった、伝えておくよ。リリアーナは何でも似合っちゃうからなぁ、今年も恐ろしく可愛く仕上がっちゃうなぁ、楽しみだなぁ」

 食後のお茶を片手に、目を細めて表情を緩める父は朝から上機嫌だ。
 屋敷の外へ出る機会のないリリアーナよりも、頻繁に来客を迎えたり外出したりするファラムンドとアダルベルトの方こそ新しい上着や衣装を新調するべきだと思うのだが、おそらくそちらもきちんと手配しているのだろう。自身の新しい衣服など慣れていて何の感慨も湧かないから、娘であるリリアーナの服を仕立てるのが楽しく感じるに違いない。
 女物の衣類は男物よりも形や色に幅があるらしく、毎年異なる趣向を凝らしたものがクローゼットへ並ぶ。屋敷の中でも、鮮やかな色の布を使ったり、ふわふわとした形状の服を着用しているのはリリアーナひとりだけだ。街中の様子を思い返しても、女性の着衣の方が色彩豊かだった記憶がある。鳥などは雄の羽根の方が鮮やかなのに、ヒトの文化圏ではその逆が普通らしい。

「季節の変わり目は体調を崩しやすいから、ふたりとも気をつけるように。レオカディオもあと二日もすれば快復するだろう、それまで部屋に見舞いに行ったりしてはいけないよ」

「はい」

「わかった。……父上、雨がやんだらまた街へ下りる許可をもらえるのだろうか?」

「う。そうだなぁ、もうちょっと検討してみるから、いい子にして待ってておくれ」

 『検討』はすでに六回聞いた。だが適当に耳触りの良い嘘でごまかさず、下手なはぐらし方を続けるところは父の誠意として受け止めておこう。
 レオカディオの誕生祝いの品を探すために街へ下りて以降、リリアーナは一度も外出の許可が得られていない。もう三年も屋敷の中だ。さして不満があるわけでもなく、街にどうしてもという用事もないから強く要望を出せないでいるが、できればそろそろ外出をしたい。
 前回見学できなかった居住区にも興味はあるし、他の店舗ものぞいてみたいと思っていた。だが成人前の自分が街へ行くとなれば、護衛とお付きの者が必要になる。その手配や面倒をかけてしまうことを考えれば、あまりわがままを言うべきではないと理解はしている。

 それでも多少の落胆を抱いたまま朝食を終え、部屋へ戻る時間になった。廊下の窓から外をうかがえば、相変わらずの曇天が広がっている。うっすら白んでいるから雲の厚みはないのだろう。そう思って顔を近づけてよく見ると、どうやら雨は止んでいるようだった。

「……雨、止んでるみたいだな」

「あ、ほんとですね。ちょっと明るいし、今日はお日様が顔を見せるかもしれませんねー」

「フェリバ、少し中庭を歩きたいんだが良いか?」

「石の通路から逸れないでくださいね。あと、また雨が降ってきたらすぐお戻りください」

 フェリバはこういう時、余程の理由がなければこちらの意志を尊重してくれる。やりたいこと、試してみたいことなどを、危険だとか身のためにならないとか言って大人の目線で遮らないのは、自身が開放的な環境で育った故もあるのだろう。よい娘に育てたアマダへの好感がまたひとつ上がった。

 両開きの中扉を開けてもらい、しとどに濡れた石の通路へと踏み出す。
 数週間前まで青々生い茂っていた芝生は土と雨水に浸って、とてもこの小さな足を踏み入れる気にはなれない。他の季節は芝上の散歩を好んでいるが、さすがに雨の季だけはこちらだ。表面荒く削り出された通路の石は水はけが良く、靴底も滑らず歩きやすい。
 水の匂い、湿った土の匂い。それに混じってどこからか甘い匂いも漂ってくる。季節によって様々な色彩と香りを楽しませてくれる中庭は、曇り空の下でも飽きることがない。
 水滴をつけた紫陽花の葉の陰から、鮮やかな緑色のカエルが顔をのぞかせている。ぽつりと雫が落ちた拍子に葉が揺れると、驚いたのか跳ねて奥へと隠れてしまう。
 動作を休止している噴水の縁には小さな蝸牛が二匹這っており、足を止めてその粘液が描く軌跡をしばらく眺めていた。

「リリアーナ様。今日はぬかるんで足元が悪いでしょうに、お散歩ですかな?」

「アーロン爺か。雨が止んでいるようだったから、ちょっと気晴らしに来たんだ」

 雨の多いこの時期でも庭の手入れは怠らないのだろう、大きなバケツを手にした老爺が慎重な足取りでこちらへ近づいてきた。身軽な自分はまだしも、老いたアーロンは滑って転んで腰でも痛めたら事だ。振り返ったまま、石敷きの面積が広い噴水前まで到着するのを待った。

「雨に濡れた草木の匂いも悪くない。また降ってきたらすぐ中へ戻るとフェリバとも約束しているから、安心してくれ」

「ええ、そうなさってくだされ。濡れてお風邪など召されては大変ですから」

「レオ兄が寝込んでいる最中だからな、先程も父上から心配されてしまったが。この通り、わたしは案外丈夫なのだ」

 ちょっとした風邪をひいたことはあっても、この八年の間は大病を患うこともなく健康に過ごしてこられた。衣服や食事など常に気を遣ってくれる周囲のお陰だろうが、この体は次兄よりもいくらか頑丈らしい。この分であれば二年後は無事に十歳記を迎えることもできそうだ。

「アーロン爺も体調にはくれぐれも気をつけろよ。庭の手入れを欠かさずにいてくれるのは有り難いが、これから寒くなるのだし」

「ありがとうございます。何、このじじいもこう見えて丈夫なのですよ。雨の上がっているうちに色々片づけてしまいませんとな」

 そう言って携えていたバケツを軽く持ち上げてみせる。おそらくこれから雑草取りなどをするのだろう。いつまで曇り空が保つかわからないのだ、あまり長居をして仕事の邪魔をするわけにもいかない。
 だがそんなリリアーナの遠慮を見て取ったのか、アーロンは噴水のそばへバケツを置くと軽く伸びをして雑談の続きを始めた。

「毎日天候の優れない日が続いておりますが、領道の花畑の方は今年も見事な花が咲き続けているそうですよ」

「あのナスタチウムか」

「ええ、不思議なものですなぁ。こんなに長く咲く花ではないのですが、花の季から雨の季まで、代わる代わる芽を出しては開花しているようで」

 三年前、何者かによって山崩れを起こされた場所は、リリアーナの治める領域と宣言し土砂を戻して以降、真っ赤なナスタチウムの咲き誇る花畑となっていた。軽い気持ちでパストディーアーへ告げた『命令』に対し、土着の精霊たちが励みすぎた結果の産物だ。
 突然現れた鮮やかな花園についての噂はリリアーナもいくつか耳にしているが、あれ以来外出の許可が下りないため、未だ自身の目で見ることは叶っていない。

「あの近くには、共用休憩所としてどこかの商会が天幕を張っていたのですが、今年はちゃんと整地して簡易な小屋ができたそうで」

「旅人や商人たちが休憩するための小屋か。父上が手配したのか?」

「旦那様が許可をお出しになられて、商会の主導で作られたと聞きました。こんな長雨の季節には助かる者も多いかと。窓からは花畑も見られて、さぞ長旅の癒しとなることでしょう」

 意図せず生み出してしまった花畑ではあるが、領や民たちの役に立っているなら何よりだ。急に咲き出した花に関しては様々な憶測を呼びながらも、一帯には精霊の加護が宿っているという噂は根強いらしく、花畑を荒らすような不届き者はいないと聞く。
 確かに、あの辺りは自分の領土となっているわけだから、下手におかしなことをすれば『保守』を命じられた精霊たちが黙ってはいないだろう。自ら宣言を解くか、もしくはリリアーナが死ぬまでは、一度告げた命令は生き続ける。何事もなければこの先数十年間はあの地にナスタチウムが咲き、落石などの事故も起こらないはずだ。

 そこでふと、キヴィランタの占有権は今どうなっているのかが気になった。
 主となったデスタリオラが死んだのだから、もう領域の宣言は解かれているのだろうか。それとも同じ眼を引き継いだ以上、その権限はリリアーナに移っているのか。今すぐに確かめる手段はないが、そのうち確認をしておくべきだろう。

<あの赤い花は食用にも適しているようですね。もっとも、荒らす行為に該当しますから、花畑の花を摘んで食べる旅人などいないでしょうが>

「食用……? ナスタチウムは食べられるのか?」

 アルトから向けられた意外な言葉に首をかしげると、話しかけられたと思ったらしいアーロンが穏やかな笑みを浮かべた。

「昔は薬として食用に使われたこともあるそうですな。ですが辛味があるので、リリアーナ様が口にされるにはまだ向かないでしょう」

「そうなのか、花を食べるという発想はなかったな。彩りが良くなりそうだし、興味はある」

「でしたら、次の陽の季にはいくらか摘んで厨房へ届けておきましょう」

「うん、そうしてくれ」

 アマダに任せておけば、適した料理や菓子に生かしてくれることだろう。
 アーロンに聞くと、どうやら食べられる花というのは他にもたくさん種類があるらしい。新たな食の可能性が拓けてしまった。食べ物の世界は果てがない。これからの時期はしばらく庭も寂しくなるが、また花の季や陽の季が巡ってきたら色々と試してみたいものだ。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

没落ルートの悪役貴族に転生した俺が【鑑定】と【人心掌握】のWスキルで順風満帆な勝ち組ハーレムルートを歩むまで

六志麻あさ
ファンタジー
才能Sランクの逸材たちよ、俺のもとに集え――。 乙女ゲーム『花乙女の誓約』の悪役令息ディオンに転生した俺。 ゲーム内では必ず没落する運命のディオンだが、俺はゲーム知識に加え二つのスキル【鑑定】と【人心掌握】を駆使して領地改革に乗り出す。 有能な人材を発掘・登用し、ヒロインたちとの絆を深めてハーレムを築きつつ領主としても有能ムーブを連発して、領地をみるみる発展させていく。 前世ではロクな思い出がない俺だけど、これからは全てが報われる勝ち組人生が待っている――。

処理中です...