よいこ魔王さまは平穏に生きたい。

海野イカ

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桃はいい。桃はうまい。

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 エーヴィが携えてきたトレイには、ティーポットと三人分のカップ、それから陶器の器と小皿などが乗っている。
 あのろくでもない夢を見て以降、気づけば身の回りで使われている銀盆が丸型から四角いものへ換えられていた。
 夢の中で転がった銀盆の音が未だ耳に残っている、なんて話は誰にもしたことはないから、ただ古くなったものを取り替えただけかもしれない。それでも、何かの折に顔に出ているのを察されたという線のほうが可能性が高いように思える。
 大きめのトレイに乗せられた、自室にあるものとは異なる茶器。裏庭からは部屋よりも厨房のほうが近い、そこから直接持ってきたのだろうか。
 丁寧に、それでいて素早く支度を進める侍女にテーブルを任せ、作業に没頭しているカステルヘルミを呼びに行くことにした。
 どうせこの場所から声をかけても聞こえないだろう。集中力が高いのは良いことだが、のめり込みすぎて他が目に入らなくなるのは問題だ。……身に覚えがあるからこそ、余計にそう思う。
 丸くなった背に歩み寄り、軽く肩を叩く。

「おい、ひとまずその辺で切り上げろ。お茶を飲んで休憩だ」

「……」

「根を詰めすぎたところで、急にどうこうなるものでもない。そのうちコツは掴めるだろう、ゆっくりやればいい」

「……はい」

 そう答えて手を止めたカステルヘルミは、疲れたように肩を落として脱力した。それから膝に手をついてゆっくりと立ち上がり、尻や裾についた土をはたく。
 魔法師のための作業着として、最近フェリバが持ってきた上下揃いの着衣は、形状に無駄がなく汚れても落としやすい。前が開く形で着脱が楽だし、袖口や足首のあたりが締まっているため防寒にも適している、こうして屋外で作業をする分にも邪魔にならなくていい。
 自分も同じものが欲しいと言ったら、なぜかふたり揃って断固反対と怖い顔をされた。釈然としない。そのうち「我侭」として父上にねだってみようと思っている。

「足も両手もぷるぷるしますわ……」

「その体勢は疲れるだろうからな。少し筋を伸ばしたり回したりして、休めたほうがいい」

「ええ……。あら? お嬢様、あのヒゲの御仁はどなたかしら?」

 首をかしげるカステルヘルミの視線の先には、お茶の支度をする侍女の手元を注視しているキンケードの姿があった。
 格好はまともでも、伸び放題の髪とヒゲのせいで風体がまともではない。

「どこからどう見ても怪しい不審者だが、あれでもわたしの知人だ。紹介してやるから、まぁ来い」

「あのなぁ、全部聞こえてるからなー!」

 距離にして二十歩分ほど。聞こえてしまうのも無理はないが、聞こえても構わないと思って話していたのだから何も問題はない。
 内股になった足を震わせながら歩くカステルヘルミを促し、木製のステップを上がる。それぞれが着席すると、エーヴィが手早く毒味を済ませてトレイを下げた。

「キンケード、改めて紹介するぞ。わたしの魔法の教師として、父上が中央から招いた魔法師のカステルヘルミだ」

「ほー、アンタ中央から来たのか。こっちのほうが冬はいくらか過ごしやすいぜ、食い物もうまいしな。まぁ、何かと気苦労も多いだろうが頑張れや」

「気苦労……ええ、はい。頑張りますわ、よろしくお願いいたします」

 そんな苦労をさせているつもりはないと言おうとしたが、確かにここのところ心労も疲労もかさんでいるかもしれない。つい先ほどもべそをかいていたし、長く居着いてもらうにはもう少し労ったほうが良いだろう。
 これから冬の季になれば裏庭での訓練は厳しい。自分も寒いし。もしコツを掴むまでに長引きそうなら、室内でも練習できるよう小さな黒板のようなものを用意してやろう。

「ふむ。……それで、こっちのヒゲは街の自警団に所属しているキンケードだ。護衛などで幼い頃から度々世話になっている」

「自警団の方でしたの。同じ制服を着た方に、街での滞在中わたくしもお世話になりましたわ。道に迷っている時に親切にして頂いて……喧嘩の仲裁をしているのもお見かけしましたし」

「そうか、ウチの連中が役に立ってるなら何よりだぜ」

「ふむ、自警団と言うくらいだから、普段は街の治安を守るような仕事をしているのか」

「そうだな、一応それが中心だが、魔物が出りゃ退治するし、罪人捕まえてふん縛ることもあれば荷馬車や領主の護衛もする。他にも色々やってるが、イバニェスはもう長く領兵を置いてないからな、その代わりも含まれてるってワケだ」

 カップを手に取りながら、キンケードの言葉にほうとうなずいた。
 どうりで練兵や徴兵の気配がないわけだ。書斎で領内の職務について調べていても、耕種・畜産農業の従事者と工夫、商人などが多くを占めていて、兵役が見あたらなかった。
 他の領では各々に管理する兵を、中央では王城が騎士団を抱えているそうだが、そういった防備は人口や環境の危険度にもよるのだろう。
 森からはぐれた魔物や、賊などの不届き者を相手取るのは街の自警団で十分。それ以外に武力の必要となる脅威がないのなら、それだけイバニェス領が長く平和でいるという証拠だ。

「ま、最近は酔っぱらいや護衛の任務がせいぜいだけどな。今日一緒に来た荷馬車みたいなのも、いつもは若い連中に任せてるんだが。……そういや、他領から瓶詰めの果物を仕入れたって色々積んでたぜ、桃とか苺のジャムとか、」

「桃!」

 不意にもたらされた吉報に瞠目し、こぶしを握る。
 果物は何でもうまいが、桃は特に好んでいるうちのひとつだ。
 甘くて瑞々しく、とろけるような香りも良い。やはり生のまま食べるのが一番だが、どの領でも収穫から空いたこの時期はあまり手に入らないらしく、生の桃は久しく口にしていない。
 その代わり、日持ちのする瓶詰めのものがたまに入ってくる。
 シロップ漬けになった桃も、あれはあれで独自の風味があってうまい。体調を崩した時に出してもらったように甘みの少ないクリームをのせたり、お気に入りの丸い菓子を作ってもらったり。
 アマダが様々な工夫を凝らしてくれるお陰で、どんな状態でもおいしい桃を堪能できる。口いっぱいに広がる甘酸っぱさを思い、つい頬が緩む。

「さっそく今日のデザートに出してもらえるかもしれないな、楽しみだ。蒸した丸いやつが特にうまい、またあれを作ってくれるかな……」

 桃の果実と、小麦と砂糖と豆を主原料として作られている菓子だとフェリバが教えてくれたが、その材料をどうしたらあんなおいしいものに化けるのか不思議でならない。
 ふっくらした菓子を思い出しながら上機嫌でいると、こちらを見るキンケードとカステルヘルミが妙な笑いを浮かべているのに気づいた。

「何だ、ふたり揃ってにやにやして」

「うふふふ、お嬢様が子どもみたいなことを仰っているから、可愛らしくてつい」

「子どもだぞ、八歳児に何を言っている?」

「…………そうでしたわね」

「いや、オレだってわかっちゃいるんだけどな。子どもが子どもらしくしてるの見て、あぁそういや子どもだったな~なんて思うこっちの心情もだな……いや、何でもねぇよ」

 もっとも、この先体が大きくなったところで、アマダの作る料理や菓子を楽しみにする気持ちは変わらないだろう。
 デスタリオラのままでいたとしても、味覚がきちんとしていればきっとアマダの作る菓子を気に入ったはずだ。それに、食の楽しみを知ってからまだ八年弱なのだから、子どもみたいだと揶揄されても仕方ない。

「リリアーナ様。果物は使われておりませんが、こちらは黒糖をまぶしたラスクです。いくらか摘まれても昼食には差し障りないかと思われますので、どうぞお召し上がりください」

「うん、お茶請けにはちょうど良いな、ありがとう」

 陶器の中身は一口大にカットされたラスクだった。エーヴィが小皿に取り分けてくれたものを受け取ると、深みのある黒糖の匂いが鼻先を掠める。
 しばらく前までは腹に溜まらない菓子という位置づけでいたが、最近は空腹感に悩まされることもなくなったので、素直に歯触りや味わいを楽しめる。
 絞られた布巾で手を拭っていたカステルヘルミとキンケードも、それぞれ小皿へと手を伸ばす。
 しばらくパリパリ、ポリポリと、お茶を片手にラスクを食べる安穏とした時間が流れる。

 そうして四つばかり食べたところで、すっかり忘れかけていた本題を思い出した。
 香茶で喉を潤し、タイミングを待っていた風を装いカップをソーサーごとテーブルへと置く。

「……キンケード。それを摘みながらの雑談で構わないから、聞かせてほしい話があるんだが」

「ん、ああ。あの武器強盗のことだろ?」

「トマサから聞いたか?」

「まぁな。お前さんが興味持ったってんなら、もうちょっと何か情報を手土産にしてやりたいと思ったんだが、ダメだな。今んとこカミロに上がってる報告以上の進展はねぇよ」

 ぐびりと音をたてて飲み干したカップをテーブルへ戻すと、キンケードは背もたれに体重を預けながら腕を組んだ。厳めしい顔をしかめて、ひと呼吸置く。

「それで。嬢ちゃん、わざわざオレをここまで呼びつけて、一体何を聞きたいってんだ?」

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