288 / 431
間章・まもる魔王さまは涙を流せない①
しおりを挟む新調したばかりのペン先は滑りが良く、皮の表面になめらかな曲線をするりと描く。
大判の紙を継ぎ足しながら描いていた魔王領内の地図だが、試行錯誤を重ねて最終的には獣皮紙に行きついた。ベーフェッドの皮を削いで作った巨大な紙は頑丈で継ぎ目もなく、頻繁に書き換える必要のある地図には植物原料の紙よりも向いている。
城の周辺に広がる集落や施設、住まう種族などを細かに書き込んできた見取り図は、一歩離れて見れば放射状に広がる壁画のようだ。
昨日新たに造られた人狼族の第三集落倉庫を描き足し、魔法でインクを乾かしてから、その出来栄えにデスタリオラは満足気なため息を吐いた。
地図作成なんて『魔王』自らするような仕事ではないだろうと度々アリアに文句を言われるけれど、ちまちま描き込むのは秘かな楽しみなので他に譲る気はない。
立場的にあまり胸を張って言える趣味ではないが、自分の気質はこういう地道な作業に向いているようだ。
「うむ、ここなら材木置き場にも適しているし、東南道の脇を空けておいて正解だったな」
<質問:地人族の集落から少々離れておりますが、運搬についてはよろしいので?>
「あぁ、ここに貯めるのは彼らの使う素材ではなく、建築用資材が主となる。どうせ人狼族たちは力が有り余っているんだ、新築の現場には自力で運ばせれば良いだろう」
そんな無責任な判断から倉庫の場所を決めたが、どうせ自分が何も言わずとも人狼族たちは重い丸太を小脇に抱えながら現場へ駆けつける。『魔王』の眼により強化が進んでいるとはいえ、せっかく作った荷車すら要らない様子には呆れ混じりの複雑な思いを抱く。
まぁ、荷車は他の種族が活用してくれているから、無駄にはなっていないし、別に良いけれど……。
胸内でそんなことをぼやくデスタリオラが地図をめくり上げると、窓の外から低い羽音が響く。
開け放ったままの窓を振り返れば、そこには空中で停滞する燕蜂と、魔法で浮遊しているバラッドが仲良く並んでいた。表情の変わらないはずの燕蜂からは、どこか困惑した様子が漂う。
「何だ、報告か?」
<通訳:森の物見櫓から、急ぎの報らせだそうです>
「そうか、では先に燕蜂の方から聞こう。バラッドはその辺に浮いていろ」
指先で適当な方向をさすと、黒衣の吸血族は直立したままふわりと離れていった。
邪魔者がいなくなってスペースが空いたことにより、大きな羽音をたてていた燕蜂は脚を伸ばして窓枠に止まる。
全長が鳩ほどある大きな蜂は、ベチヂゴの森に住まう虫型の魔物だ。高速飛行や意思疎通に魔法を用いる種族で、最近は遠距離間の連絡役として活躍してもらっている。
大きな目や揺れる触覚は愛嬌もあると思うのに、この羽音を聞くとアリアやウーゼたちはなぜか大袈裟に怖がるのが不思議だった。黙したまま報告をアルトバンデゥスへ伝えているらしく、二本の触覚が上下に動く様子は見ていて飽きない。
<報告:何やら、森を抜けてきたヒト族がいるようです>
「ほう、こちら側まで来るとは珍しいな。まさかもう『勇者』が攻めて来たということはあるまい?」
<通訳:正体は不明、数は成体が六。荷馬車が一台。森の切れ目付近で、荷車を引いていた馬を失い動けなくなったようです。狩り途中の人狼族が発見、負傷者が多かったのでひとまず櫓まで連行したとのこと>
森を抜けただけで身動きが取れなくなるようなら、『勇者』は含まれていないと見て良いだろう。
強力な魔物が棲むベチヂゴの森に阻まれるため、魔王領にヒトが迷い込むのは稀だ。今の世代の人狼族たちもほとんどヒトを見たことはないはずだから、負傷者を櫓まで運んだという報告は少しばかり意外だった。
「ふむ……。あいつらは鼻が利くからな、現場の判断を信じよう。手当てをしてやって、敵対の意思がないようなら城まで連れてこい。帰らせるにしても森を抜けるための支度が要るだろう」
了承の意思を帰した燕蜂が再び羽根を広げ、窓枠から飛び立っていった。
それと入れ違うようにして、今度は直立姿勢のバラッドが綿毛のような動きで近づいてくる。窓から出入りをするなと再三にわたり注意をしてきたのだが、やめる気配も反省の色も見えないのでもう諦めた。
「ご機嫌麗しゅう、デスタリオラ様」
「能書きはいいからさっさと報告をしろ」
「はい。大黒蟻の女王からの報告でゴザイマス。北西に伸ばしていた道は途中で硬い層に阻まれ、作業が止まっているとのこと。迂回も難しいため、可能であれば『魔王』様のお力を借りたいと仰せでゴザイマス」
バラッドの話を聞きながら、テーブルに広げた皮紙を入れ替えた。細かに書き込んだ領内見取り図とは違い、こちらは中心部から方々へと線が伸び、複雑な迷路のようになっている。
大黒蟻のワウ・トライテと協力してキヴィランタ中に張り巡らせた、地下通路の地図だ。
北側はまだテルバハルムに届くほど伸びてはいないが、南側はすでにベチヂゴの森の物見櫓まで開通している。
「彼らの顎でも削れないとなると、崖から続く鉱床か? 先に材質を見たいから、周辺を少しずつ削り採って城まで持ってくるように伝えてくれ」
「かしこまりマシタ」
「珪岩でも出てくれれば嬉しいんだが、北は層が古いからな。あの辺は開通後にもう少し深く掘れたら面白いものが見つかりそうだ」
硬い層に阻まれて作業を止めることになるのは、北へ掘り進めているルートのうちの一つ。地下道の地図に軽く書き込んでから、その下の崖を目で辿る。
前に谷まで下りて古い地層を見てきたが、この一帯に鉄鉱床が広がっているのは西にある山々の噴火の影響だろう。その他にも様々な鉱物資源が出てくるが、崖を掘り進めるよりも地中から掘削するほうが安全で効率も良い。
大黒蟻にとっても巣作りに鉱物は有用らしく、地中からの資源調達は互いの利益になっている。早期に彼らと協力体制を敷けたのは幸運だった。
インクを乾かし、元通り領内の地図を重ねて置くと、窓の外から今度はけたたましい泣き声が聞こえてきた。
「おやおや、お散歩の時間ですかな、元気な赤ん坊が泣いてオリマス」
「あの小さな体から、どうしてこんな大声が出せるんだか……」
窓の下を覗かなくても、泣き声だけで誰がいるのかはすぐにわかる。
下手に窓から顔を出すと下りてくるよう呼ばれてしまうから、今のうちに地下書庫にでも移動して――
「あ、デスタリオラが部屋にいるわよ! おーい、下りてきなさいよー!」
高低差をものともしない女の大声が部屋まで届く。
わざわざ窓から顔を出さずとも、バラッドが窓の外に立っていれば自分が在室していることなど一目瞭然。だから、ちゃんと歩いて入口から入ってこいと何度も言っているのに。
恨みがましい目を向けると吸血族の男は恭しく頭を下げて、その体勢のまま上空へと飛び去った。
<諦念:無視すると後がうるさいですし、お散歩のついでということで外へ出てはいかがでしょう?>
「まぁ、そうだな……。アリアが騒がしいだけで赤子に罪はないし、生育の様子を見ておくか」
今日で生後十日目。産まれた次の日に見せられたときは、赤くてしわしわで小さくて、泣き声もかすかなものだった。それがわずか十日でここまで威勢の良い泣き声を発するまでになるとは。
できればあまり近寄りたくはないのだが、赤ん坊がどんな速度で成長するかは知識にないため、少し離れたところから観察するくらいなら良いだろう。
若干の苦手意識を押さえ込みながら、デスタリオラはアルトバンデゥスの杖を手に取り、自室を後にした。
0
あなたにおすすめの小説
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
没落ルートの悪役貴族に転生した俺が【鑑定】と【人心掌握】のWスキルで順風満帆な勝ち組ハーレムルートを歩むまで
六志麻あさ
ファンタジー
才能Sランクの逸材たちよ、俺のもとに集え――。
乙女ゲーム『花乙女の誓約』の悪役令息ディオンに転生した俺。
ゲーム内では必ず没落する運命のディオンだが、俺はゲーム知識に加え二つのスキル【鑑定】と【人心掌握】を駆使して領地改革に乗り出す。
有能な人材を発掘・登用し、ヒロインたちとの絆を深めてハーレムを築きつつ領主としても有能ムーブを連発して、領地をみるみる発展させていく。
前世ではロクな思い出がない俺だけど、これからは全てが報われる勝ち組人生が待っている――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる