よいこ魔王さまは平穏に生きたい。

海野イカ

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間章・まもる魔王さまは涙を流せない② ✧

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 デスタリオラが自室を構える塔の周辺は、積み上っていた瓦礫の山や生い茂るばかりだった雑草など全て取り払われ、花壇やアーチなどが設えられた中に様々な植物が植わっている。
 ただの空き地然としていたのが、今では立派な庭園だ。
 整えても良いかと訊ねてきたウーゼに「好きにして良い」と答えた結果、手の空いた人狼族ワーウルフや鉄鬼族、アリアたちが少しずつ整え、最終的に凝り性の地人族ホービンまでもが加わり、今の状態に仕上がった。
 外壁沿いには青々とした針葉樹が並び、その手前には低い花壇が続く。アーチに絡まった蔦は暖かくなると鮮やかな花をつけ、それが散る頃には白い小花が絨毯のように咲き誇る。
 ぽつんと一本だけ生えていた八朔の木は、鉄鬼族の移住に伴いさらに十本ほどその数を増やした。土の養分が良くなったお陰か、たわわにつく実は以前よりずっと甘いらしい。

 その庭は各々が好きにいじったせいか、一貫したテーマのようなものは見られない。花も木も果樹も、城の周辺で手に入るものが様々に植えられている。
 まともな庭師から見れば児戯にも等しいのだろう。だが、特に美観を気にする性質でもないデスタリオラは、整いながらもどこか雑然としたこの庭が気に入っていた。

 塔を下りて庭へ出ると、赤子の泣き声はさらに大きく響いた。つい先日生まれたばかりなのに、こんな大声を出しては喉を痛めるんじゃないかと心配になる。

「ずいぶん泣いているが、大丈夫なのかそれは?」

「ごめんなさい、魔王さま。うるさいですよね。さっきおむつ替えたし、おなかは空いてないはずなんだけど……」

「この程度は騒音にも入らん。だが、どこか具合が悪いのだとしたら困るだろう。アルトバンデゥス、何かわかるか?」

<診断:体内には、特に異常はみられません>

 健康状態に問題がないのなら、なぜこんなにけたたましく泣いているのだろう?
 デスタリオラは刺激しないようゆっくり近寄り、ウーゼが抱える布包みの中身、顔を真っ赤にして泣き続ける赤ん坊を覗き込んだ。
 小さな両手をぎゅっと握りしめ、目元をしわだらけにしながらわんわん泣いている。体躯の小さなウーゼよりもさらに小さい、見ているだけで不安になるほどの脆弱さ。
 及び腰で観察するデスタリオラの横から、同じようにおっかなびっくりという様子のアリアが顔を出した。

「私も子どもの世話はしたことないから、あんまりわからなくて……」

「誰もお前には期待しておらんだろう」

「何よー、失礼しちゃうわねー! いつもはこの子、私が抱っこしてあげるとキャッキャッて喜んですぐ寝ちゃうんだから!」

 アリアが声を張り上げると同時に、赤子の泣き声が一層高まる。
 お前が驚かしたせいだろう、と横目で非難を送れば、吸血族ダンピールの少女は気まずげに顔をしかめながら数歩下がった。

「あんれまぁ、また派手に泣いとるね。ちょっど貸してみんさい」

 おっとりした声にウーゼと揃って振り向けば、筋骨隆々とした鉄鬼族の女、金歌が籠を片手に立っていた。
 まだ自身の子はないが、黒鐘の集落でずっと赤ん坊たちの世話を見てきた手練れだ。ここは彼女に任せるべきだろうと道を譲る。
 ウーゼも安堵した様子で赤ん坊を預けると、食事も衣類の替えもしたばかりで泣いている原因がわからないと説明をした。
 血の繋がりのないふたりだが、一応は縁戚……義理の姉ということになる。金歌はウーゼの出産前から同じ部屋に泊まり込み、何かと世話を焼いていたらしい。

 話を聞いた金歌は心得たとばかりに赤ん坊の体を縦に抱え、背中を軽く叩く。すると空気を吐くような小さな音をたて、しばらくぐずってから大人しくなった。
 何をしたのか理解できず、アリアと顔を見合わせる。

「おっぱいの後はこげして、げっぷさせてやるどええ。もし重いだば私がやるき、言いまれね」

「ありがとう、お義姉ねえさん」

「ええって。あんのバカ亭主はどした、こきゃめんこい奥さん放って」

「あの、何か、乳母車? っていうのを、つくるんだって……昨日からゴビッグさんのところに」

 そういえば地人族ホービンの集落では、たまに赤ん坊を入れた小型の荷台のようなものを見たことがある。あれを用いれば、非力なウーゼでも親子での外出がしやすいだろう。
 片手で掴めそうなほど小さな赤ん坊でも、痩せ細ったウーゼが抱えているとひどく重そうに見える。本当に重くても当人は決して認めないから、赤ん坊の世話をするための道具として既にあるなら……。
 きっと銀加も同じことを考えたに違いない。


 三年前に黒鐘率いる鉄鬼族の一部が配下に加わり、魔王城の一角に住み始めた。
 人狼族ワーウルフ地人族ホービンたちの働きによってすぐに空き室は改造され、黒鐘ほどの巨躯でも自由に行き来ができるようになっている。
 そんな暮らしの中、同じ城内に住んでいる小鬼族とも交流が持たれたらしい。元を辿れば同じ鬼族の末裔、他種族よりは仲間意識も生まれやすかったろう。
 どちらも大変な境遇の中で生き抜いてきた者たちだ。ここを安住の地として仲良くできているなら結構、と満足気に見守っていたデスタリオラへ、ウーゼと銀加の婚姻が伝えられたのはその二年後だった。

 ふたりの間に産まれた娘は、体の大きさを見ると小鬼族寄りのようだが、麦穂のような産毛は父親に似ている。
 曾祖父となった黒鐘は子も孫もすでに多くいるはずなのに、孫の婚姻と曾孫の誕生をひどく喜んだ。出産翌日には祝い酒だと言ってデスタリオラの私室へ樽ごと持ち込み、丸一日ウーゼと曾孫の可愛さを語り倒し、次の日は丸一日その場で寝ていた。

「もうすっかりご機嫌ね、赤ちゃんって難しいなぁ。あーでも可愛い、あったかい!」

「またそうやって大きな声を出して。乱暴にして赤子を怯えさせるでないぞ」

「平気だもーん。ほら、アリアおねえちゃんの胸は柔らかくてだいちゅきでちゅーって顔してるじゃない」

 金歌から泣き止んだ赤ん坊を受け取ったアリアは、どちらがご機嫌かわからない様子で抱えた布包みを揺らしている。
 さっきまで大声で泣いていた赤ん坊は静かなものだ。変に揺らさないほうが眠りの妨げにならないのではないか、と母親であるウーゼに視線を送る。
 もともと虚弱で枯れ木のように痩せている少女だったが、出産を終えてからは一層顔色が悪くなった。産後の肥立ちが良くないから、当面は安静にして栄養を摂らなくてはいけないのだと聞いている。こんな所に長居して消耗するのも体に良くないだろう。

「ウーゼ、少し木陰で休んだらどうだ? 喉が渇いたなら水もあるぞ」

「大丈夫、もうちょっとしたら、もどります。あんまり外に出てると、お兄ちゃんもうるさいし」

「そうか。ウーゴはこの前、アルトバンデゥスに向かって嫁が欲しいとぼやいていたな。あいつの方はまだ相手はいないのか?」

「魔王さまとちがって、お兄ちゃんはそういうこと言うから、もてないんです」

 どう違うのかはよくわからないが、瞳に虚無を漂わせるウーゼにそれを問うことはできなかった。横に立っている金歌を見ると妙な苦笑いを浮かべている。

「あの、魔王さまも、赤ちゃん抱いてあげてください」

「え、いや、それはやめておいた方がよかろう」

「なんでですか?」

「何でって、そんな小さくて柔らかいもの、我が手に持てばどうなるかわからんぞ。少し力加減を誤るだけで、潰れたり千切れたり歪んだりするかもしれん、危ないだろう」

「ちょっと、怖いこと言わないでよね!」

 横からアリアが赤ん坊を押し付けてくるため、後退するわけにもいかず包みを受け取るしかない。つい今しがた乱暴に扱うなと言ったばかりなのに。
 アルトバンデゥスの杖を木に立てかけて、両手を空けた状態で赤子を慎重に受け取った。
 手のひらに頭部を乗せるが、全体的にぐにゃりとしているので慌てて反対の手で尻を支える。本当に腕へ乗っているのかどうかも怪しいほど軽い。柔らかい。しかも動く。

「ど、ど、ど、どうすれば良い、ウーゼ、抱き方はこれで合っているのか?」

「大丈夫です。ちゃんと手で、あたまとおしりを持っていれば、落ちないですよ」

「まままま待て、動くぞこやつ、危ないのではないか、ほら、落ちるぞ、危ないって、だめだ、もう受け取ってくれ」

「だーじょうぶです、しっかり抱いていれば落ちません。それより魔王さま、もうこの子の名前は、考えてくれましたか?」

 それより何より全然大丈夫ではないのだが、なるべく安定するようにと胸元で抱き込むようにしてから目を向けると、ウーゼは心底楽しそうに笑っていた。
 自分の慌てる様子が余程おかしかったのだろう。またも胸の中でもぞもぞと動きだすため、取り落とさないか心配になって布包みの中の赤子を見る。
 さっきまであんな大声で泣き叫んでいたというのに、すでに涙の跡も消えて声を上げる様子もない。両手を動かしながら、興味深げに輝く目がこちらを見上げていた。





 小さく、脆弱で、頼りない命だ。
 産まれたばかりの赤子なら、他に人狼族ワーウルフ地人族ホービンの子を見たことがある。いずれも祝福を求めて生後間もなく呼ばれたのだが、種族差のせいだろうか、彼らの子はもっと形がしっかりしていた。
 母体が弱いせいか、それとも父である銀加が鉄鬼族の中でも小さく生まれついたことと関係しているのか。
 ただ、皆に望まれ、これだけ喜ばれている新しい命はかけがえのないものだと思う。
 『魔王』である自分が視ることで、少しでも力を与えることが叶うなら、この先いくらでも見守ろう。濡れた玉のような瞳をじっと見つめる。
 自ら子を成すことのできない『魔王』でも、臣下の子どもを守ることくらいは――

「アー」

「あー?」

「ふふ、この子も、魔王さまのことがだいすきだって、言ってるんですよ」

「好かれるようなことは何もしていないが……。ふむ、これを呼ぶためにも早急に名前は必要だな。本当に我が名付け親でよいのか?」

「はい。銀加さんも、魔王さまにおねがいしたいって」

 十日前から頼まれていた子どもの名付けだが、経験がないため未だに決めかねていた。
 ウーゴとウーゼの兄妹は両親の名前から一文字ずつ譲り受けたとのことだから、それなら「銀ゼ」とか「ウー加」が良いのだろうか?
 たまたま部屋に来ていた夜御前にそう訊ねたら、何とも言い難い表情で「デスタリオラ様がそうお決めになったなら反対はされませんでしょう」と返されたので、たぶんこれは不正解だ。ウーゼに聞かれなくて良かった。

「……もう少し考えてみる」

「はい!」

 腕の中の赤子が眠そうにしているのを見て取り、慎重にウーゼへ手渡した。
 顔つきは少女の頃からそう変わらず、背丈も未だ自分の胸ほどまでしかないが、抱きかかえる娘を見る顔はすっかり母親のそれだ。
 初めてこの城で出会ってから、もう十年近く経つ。いつもそばで見ていたから、ずっと小さな少女の印象が強かったけれど、ウーゼも成長している。
 ……そして、老いていく。

「なーによ、やっぱりまだ抱っこし足りないんじゃないの?」

「あんなに肝を冷やす思いは、もう十分だ」

 横から腕をつついてくるアリアの指先を払い、自分の部屋へ戻るウーゼと金歌を見送る。
 ここへ来た時は金歌も痩せ細って骨と皮ばかりだったのに、食事と睡眠を安定して摂れるようになってからは鉄鬼族らしい鋼のような筋肉に包まれた。
 ウーゼも食事はしっかり摂っているはずなのに、兄のウーゴや他の小鬼族と比べるとどうも肉付きは悪い。種族差だけでなく、個体差も関係しているのかもしれない。
 産後の体力が回復するまで、さらに栄養を摂らねばならないということだが、ちゃんと食糧は足りているのだろうか。後で銀加を捕まえて不足はないか訊いておこう。

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