二十年、焦がれつづけた

明里もみじ

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第1話

 
 第一章

 かつて、一枚の広告写真が世間の注目を集めたことがある。
 世界的にも有名な海外のファッションブランド。そのキッズモデルとして、ひとりの日本人が採用された。
 これまでそのブランドで日本人モデルが起用された前例はない。なおかつキッズモデルに選ばれた子どもは、名前や顔が売れていたわけでもない、ほとんど素人と言ってよい子どもだった。
 選ばれただけでも奇跡だというのに、極めつけは出来上がった広告写真だ。世間が注目するきっかけとなったもの。それはキッズモデルにありがちな、いわゆる作った笑顔でも、自然とこぼれた笑顔でもない。いうなれば、大人顔負けの――愁い顔であった。
 そんな表情なのに、なぜかたった五歳の子どもとは思えない色香と、他者を惹きつける魅力を醸し出している。

 ――あの子どもは誰だ?
 ――どこの事務所だ?

 多くの業界人の注目を浴び、その動向が注視されていた。
 しかしその子どもはそれ以降、表舞台から姿を消すこととなる。理由はわからない。後日、所属事務所から正式な引退が書面にて発表された。
 呆気ないほどの幕引きだ。それゆえに、人々の関心は徐々に別の事柄へと移りゆく。一時でも世間の目を釘づけにした、そんなキッズモデルがいたことも、すぐに新しい話題に掻き消され世間から忘れ去られた。

 * * *

「――はい、こちらで確認いたしました。それではオーディションの詳細を後日、記載されたメールアドレスへご連絡いたします。――はい、失礼いたします」

 受話器を置き、すぐにパソコン画面へ必要要項の入力をする。一通り作業が終われば、すぐに向かいのデスクへ声をかけた。

「矢吹(やぶき)さん。四歳の女の子一名、入所オーディションの応募ありました」
「ういーす、了解」

 矢吹と呼ばれた彼は、この事務所の古株で、社長とともに子役のオーディションを担当する同僚男性だ。彼から了解の返事が返ってきたことで、再びパソコンへ視線を戻す。
 都内某所にあるビルの一室。ここはフェアリーキッズプロダクション――ゼロ歳から十八歳までの子どもが所属する、芸能事務所である。
 従業員数は十名で、タレント在籍数は約百五十名。キッズモデル事務所としては、中堅といったところだろう。
 主な事業内容はファッションモデルや雑誌モデル、テレビやコマーシャル、また映画や舞台といった場で活躍するタレント養成業務に始まり、各種方面への斡旋、企画制作など多岐にわたる。
 従業員数十名のフェアリーキッズプロダクションには、社長と社長秘書のほかに、営業や経理担当、タレントを管理するマネージャーなどが存在する。
 その中で事務員として働く、ひとりの社員。それが門倉(かどくら)千穂(ちほ)だ。二十五歳の彼女は、同僚の中では一番若い従業員でもある。
 事務所内での電話対応を筆頭に、仕事内容は一般的な事務職と変わらないはずだ。入所オーディションにかかわることもないし、内勤のため外に出ることもほとんどない。
 事務所に顔を出す在籍タレントの子どもたちとは会話する機会は少なくなかったが、幼い彼らからすればせいぜい『ジュースやお菓子をくれるお姉さん』な立ち位置だろう。少し照れくさそうに礼を述べる彼らは、二十五歳の千穂からすればとてもかわいらしい。そのため、ついつい親切にしたくなってしまうものだ。
 彼らは普段、事務所に顔を出さず直接現場へと向かう場合が多い。なぜなら、彼らひとりひとりに専属のマネージャーがついているわけではないからだ。
 子役は通常、仕事の場合、家族の付き添いが必須である。仕事場での保護者の付き添いはもちろん、現場への送り迎えなど、家族の協力なくして続けることは困難だ。入所オーディションでも、その点だけは保護者の理解を徹底していた。
 子役それぞれにマネージャーがつくことはない。ひとりのマネージャーが多くの子役の仕事内容を一括に管理し、現場にも毎回付き添わないので、仕事場へは保護者が直接送迎する。
 仕事の内容などは電話やメールでも確認できるため、事務所に顔を出すタレントは意外と少ない。現場へ寄ったついでに顔を見せる子はいるが、直接対面して仕事内容を確認する必要がない限り、在籍タレントと顔を合わせる機会は少ない。そのせいか、いざ事務所に現れれば構ってしまいたくなるのが常であった。


 夕方に近づいた時間帯。事務所の入り口がにわかに騒がしくなった。

「いま戻りました」
「ただいま~!」

 すると扉を開けて二人の男女が室内へ現れる。千穂は入り口に近いデスクに座っていたため、真っ先に気づいた。

「おかえりなさい社長、小野(おの)さん」

 千穂の声で、事務所内にいたほかの同僚たちも気づいたようだ。次々に声をあげる。こんなふうに声がかかるのは、わりといつもの光景だった。

「社長、小野さん! おかえりなさい」
「おかえりです、社長。小野秘書も」
「お疲れさまでーす」
「はい、ただいま~」

 実年齢はもう五十代前半だというのにまだまだ若々しい女性と、三十歳そこそこの男性。前者はこのフェアリーキッズプロダクション代表の肩書きを持つ姫菱(ひめびし)夕美(ゆみ)社長。後者は社長秘書を務める小野。二人は千穂の上司である。
 そして姫菱社長は今日、我が事務所にとって重要な意味を持つ、とあるオーディションの結果を持ち帰ってきたのだ。

「帰ってそうそうだけど、はいみんな~注目!」

 ぱん、と一拍手を打ち鳴らした社長の一声に、事務所内の視線が集まる。社員から向けられる期待のこもった眼差しを受けて、姫菱はにんまりと口元を笑みのかたちに変えた。

「ハナサキの新シリーズのコマーシャルだけれど、うちの葦原(あしはら)ルカくんに決まりました!」
「え!」
「うそっ」
「本当ですかっ?」
「さすがルカくん! よっしゃあ!」

 嬉しい報告を聞いて、社員から『おおおおっ』と歓声があがる。

(すごい、ルカくんが……!)

 千穂もその報告を聞いて、湧き上がる気持ちが無視できない。噛みしめるように胸の中で歓喜する。
 名前が出た彼――葦原ルカは、フェアリーキッズプロダクションに在籍するタレントだ。そして現在、事務所トップの売れっ子でもある。
 ハナサキとは、国内で販売される柔軟剤のシェアナンバーワンを占める会社だ。そんな大きな会社のコマーシャルを射止めた実績を持つタレントなど、中堅であるこの芸能事務所では初めての快挙だ。だからこそ、従業員一同、喜びが溢れんばかりであった。
 細々とした仕事はあっても、ここまで大きなものは会社設立以来、初めてのこと。
 在籍するタレント全員がみな、事務所に入所したからといって仕事が与えられるとは限らない。キッズモデルたちは、ほとんど仕事をオーディションで勝ち取ってこなければならないのだ。
 何度もオーディションを受けては落ち、受けては落ちるを繰り返す中、途中で諦め辞めていく子どもは少なくない。
 そんな中でも、突出した才能やセンスを持つ子はいる。なおかつ諦めない気持ちを抱いて頑張る子どもたちを見ているので、彼らの努力が実った結果がなによりも嬉しかった。

「さあこれから忙しくなるから、みんなもそのつもりでいてね」

 『はい!』と社員一同、声が揃う。続けて姫菱は秘書である小野が持っていた菓子箱を上に掲げた。

「じゃあとりあえず、これはお祝いも兼ねたお土産よ。みんなで食べましょう!」

 彼女が掲げた箱には、有名パティシエが最近オープンしたと噂の、パティスリーのロゴが印刷されていた。さっそく昼の情報番組で取り上げられていた店でもある。
 たしか、休日は開店前からでも行列ができるほどの人気店であったはずだ。わざわざそのような店を選んでくれた心配りが嬉しい。

「あ、これあの店のですよね! わあ~さすが社長です!」
「やった!」
「ありがとうございます」

 そんな喜びが満ちる事務所内で、千穂はすっと立ち上がった。そして備えつけのキッチンで飲み物の準備を始める。

(社長は紅茶で、小野さんはあたたかい日本茶。矢吹さんは甘いものが得意じゃないからコーヒーで――)

 自分も含め、たった十人しかいない従業員。なので、おのおのの嗜好は把握済みだ。
 そう大きくない会社ならば、飲み物の種類など微々たるものだろう。だが、姫菱のこだわりで、ここにはさまざまな飲み物が用意できるようにスペースが確保されていた。
 従業員だけならまだしも、来客用や在籍タレント、その保護者など老若男女問わず対応できるように、用意は周到だ。
 湯の温度を頭に浮かべつつ、慣れた手つきで用意していく。すると、ふと背後にひとの気配を感じた。

「手伝うよ、門倉さん」

 社長秘書の小野が手伝いを申し出てくれた。

「小野さん。ありがとうございます」

 その申し出をありがたく受け取る。

「気にしないで」

 小野と並び、少し手狭なキッチンで飲み物の用意を進めた。

「じゃあこれ、先に運ぶよ。持っていっても大丈夫かな」
「大丈夫です。お願いします」
「了解」

 先に用意できた分をトレーに乗せた小野の姿がキッチンから消えた。ひとり残された千穂は、残りの人数分も手早く用意していく。

「よし、準備できた」

 全員分が準備できた頃合いで小野が戻ってきた。

「残りも僕が運ぶよ」
「ありがとうございます。ここ片づけて、すぐに戻りますね」
「うん、よろしくね」

 再び小野がトレーを持っていく後ろ姿を見送り、千穂は使った茶葉や茶器を手早く片づける。そしてキッチンを出た。
 しかし先に休憩に入っていたと思っていた同僚たちは、自分を待っていたようだ。

「お茶の用意ありがとう、千穂ちゃん。じゃあ千穂ちゃんも戻ったことだし、いただきましょうか。はいどうぞ、みんな好きなものを選んでね」

 そう言って姫菱が箱の蓋を開けた。そこから数種類のケーキが顔を覗かせている。色とりどりの小さなケーキはかわいらしくて、食べるのがもったいないと思えてしまうくらいだ。

「私はー……そうね、これにしましょう」

 まず最初に姫菱が選んだ。この流れは事務所内での決まりごとである。なにも姫菱の権力に恐れて……という意味ではなく、初めにトップの人間が選べば、あとに残された者が気楽になるからだ。
 姫菱のわがままでは決してないことを、強く明言しよう。
 ちなみに、千穂は甘酸っぱいフランボワーズとライチ、そして甘いローズのクリームが絶妙に合わさった、見た目もピンクでかわいらしいケーキを選んだ。
 口にするのがもったいないと思えるほど芸術的で、思わず食べる前にスマホにおさめてしまったくらいである。

(美味しい……っ)

 しかも見た目からは想像つかないほど、爽やかな口当たりで食べやすい。さすがは有名パティシエが作る一品だと思う。
 事務所所属のキッズモデル、葦原ルカ。彼が掴んだ大きな仕事の前祝いの意味合いさえあった菓子とともに、本日の残りの仕事は従業員全員が幸せな気持ちでやり遂げたのだった。

 * * *
 
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