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第1章 クレシーの戦い
商家の娘
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エドワードは主だった捕虜を国王に引き渡すために、本陣へと向かった。本陣と言っても、陣幕がしかれているわけでもなく、ただ馬上の騎士に囲まれて、赤字に三頭の金獅子の文様を兜の額につけた国王が、馬に乗っているのみである。それでも、白と緑の軍服を身につけた騎士たちが一堂に会している様は、壮観であった。
「息子よ、ご苦労だった」
「戦勝、おめでとうございます。これも陛下のご威光の賜物です」
すでに馬から下りていたエドワードは、馬上の国王に向かって敬礼を施した。
「さて、我が息子よ。予は少々疲れた。そこで、ここの後始末をそなたに任せたい」
戦の事後処理。それは、まだ十六歳の若者にとっては、異例ともいえるほど重い任務であった。しかし、エドワードは一向にひるむ様子もなかった。
「はっ、かしこまりました。あとのことはお任せあれ」
「うむ。わからない点があれば、チャンドスやウォリック伯に相談しながら行うがよい」
チャンドスとウォリック伯は、二人ともエドワードが幼少の頃より、その世話を任された者であって、国王の信頼は絶大であった。チャンドス及びウォリック伯は、国王が後に創設したガーター騎士団の名誉ある初代団員にも選ばれていることからも、その事実は窺える。いわば、この二人は英国を支える両柱といえよう。そしてエドワードも、人柄に優れた二人に対し、言葉の上で刃向かうことはあっても、心の中では信を置いていた。
やがて国王が去ると、エドワードは捕虜の処遇や傷病者の手配までのすべてを、まわりの臣に助けられながらも無事行った。これらの戦後処理は戦いそのものとは異なり、エドワードの闘争本能を刺激するものではなかったが、それでも彼は戦いに伴う義務として、これらをおろそかにすることはなかった。
エドワードが戦後処理を一通り終える頃には、すっかり日は暮れていた。彼は山を降り、クレシー村近辺に陣を張った。野営の準備である。
陣の中心に張った、ひときわ大きなテントの隣のテントで、エドワードは待機していた。総大将たる国王のテントに次ぐ規模のものであるが、周りにいるのはニール一人である。重臣たちにひとまず休みを取らせた、といえば聞こえはいいが、要は父の重臣たちが周りにいると気疲れするというだけのことであった。
「今日は大勝利でしたね。お見事です」
二人は、チーズにハム、それに野菜をはさんだパンを食べるという、ごく簡単な夕食をとっていた。いくら王太子といっても、野営の最中では、この程度がせいぜいであった。あまりに豪華な食事を将軍が取っていると、部下から不満が出る恐れもある。
「味方には、その大勝利の理由をわかってないやつが多いようだがな」
エドワードは自分の手で肩を揉み解しながら言った。重い鎧は脱いでしまい、今の彼は赤いシャツと簡単な装身具を身にまとっただけの軽装である。テントの中心では燭台に赤々と火が灯り、二人を照らし出している。
「ダービー大伯爵様が私に言ったセリフを教えてやる。『フィリップ六世はろくに隊列を整えることもできない愚か者よ。我々が勝つのも自明の理だな』と、こうだ。なぜフィリップ六世が隊列を整えられなかったのかすらわかっていない。どうしようもない低能だ」
エドワードが言うと、ニールは苦笑いを浮かべた。フランス軍が隊列を整えられず、混乱するままに戦端を開くことになった理由。それは、ニールが敵軍に忍ばせておいた間者に命じ、たくみに敵の騎士たちを煽って競争意識に火をつけさせたからなのだが、多くの者たちはその努力すら気づかずに、勝利は自分の手のみで掴み取ったものだと誤信している。
「フランス軍の騎士は、槍をふるい、盾をかざして戦うことだけが戦いだと思っています。わが軍は、弓矢を使って戦うことを知っていますが、ただそれだけのこと。私の諜報活動はもちろん、国王陛下やエドワード様がどれほど今回の戦いのために腐心したかなど、考えてもいないでしょうね」
「うむ……先が思いやられるな」
実際、国王はこの戦いに備えて、神聖ローマ帝国と同盟を結んだり、イベリア半島やフランドル地方の諸都市に手を回したりして、なるべく敵が増えないようにしている。
また、エドワードは、有利な地形を進言し、罠を仕掛けて敵の勢いをそぐ一方、自らは特注の黒い鎧を着て、動きやすくなるよう心がけている。この鎧は、その色から一見重厚長大なものに見えるが、その実軽い素材でできている。
この時代の鎧兜は、まだ磨きこまれていなかったから、後世のような白銀色ではない。騎士たちはその地味さを補うために、鎧兜の上に様々な彩色や飾りを施していた。
エドワードは、この鎧を真っ黒に染め上げた。その代わり、飾り等は一切つけない。そうすることで、実用性と見た目を兼ね備えたものにしているのである。
「ですが、味方にすら気づかれなかったということは、敵にも気づかれていないということ。また同じ戦術が使えると思えば、良いではありませんか」
「敵がこの敗戦から何も学ばぬ無能であれば、な」
エドワードはパンの最後のひとかけらを口に放り込んだ。
「堅苦しい話はこれくらいにしよう。それより、クレシーと聞いて、一つ思い出さないか」
「キャル少年のことですか」
自分の期待通りの答えを得て、エドワードは大きくうなずいた。
キャルとは、今をさかのぼること六年前、まだ十歳だったエドワードとニールがこっそり船に乗り込んで大陸に冒険に来たときに、クレシー村でエドワードと大喧嘩した子どものことである。
その子とエドワードがいさかいになった原因は、二人とも覚えていなかった。子どものことだから、おおかた肩がぶつかっただの、視線が合って笑っただの、そんなありきたりの理由だったと思う。
ありきたりでなかったのは、その結果だった。イングランドきっての猛者(悪ガキともいう)だったエドワードと互角に渡り合ったのは、あとにも先にもキャル一人であった。ニールはといえば、邪魔するなといわれたこともあり、もともと喧嘩が苦手なこともあって、ただ見ていただけである。
殴りあい、叩きあい、蹴りあって、お互いに勝ちを諦めたのは、最初に手を出してから三十分以上も経ってからのことだった。
感心したエドワードが去り際に名を尋ねると、子どもは「キャル」とだけ答えた。無愛想な子どもだったが、エドワードはその腕っぷしの強さをすっかり気に入ってしまったのだった。
「手がかりはキャルという愛称だけ、か。カルロス、カール、カルヴィン。本名はそんなところかな」
「あとはライトブラウンの髪にグレーの瞳、か。珍しくもなんともないですね。今の身長が高いか低いかも不明ですし」
「まあ、見つかりはしないだろうさ。子ども時代のいい思い出だな」
エドワードはそう言って、両腕を枕にしながらごろんと横になった。そのとき、テントの外から、彼を呼ぶ声がした。
「殿下。クレシーの村の者が、面会を求めております」
その声は、チャンドスのものだった。
「そうか。まずは、入れ」
エドワードが上体を起こしながら言うと、チャンドスはテントの端を持ち上げ、その鍛えられた身体をエドワードの前に現した。あちこちに傷のあるその身体は、彼が歴戦の勇士であることを示していた。片目は度重なる戦の中で失明していたが、残った右目は今も鋭い光を放っていた。
「で、どんな人物だ。男か、女か」
「女です。それも、妙齢の美女ですな」
チャンドスは凄みのある低い声で答えた。
女と聞いて目の色を変えたのは、エドワードよりもむしろニールのほうであった。エドワードの言う「ニール最大の欠点」が発動しているのである。もっとも、それはニールに言わせれば、彼の持ち味ということになるのだったが。
「ほう。それで、その者は何を求めているのだ?」
「はっ、ただ戦勝のお祝いをお持ちした次第、と申しております」
「ふむ、戦勝の祝いか。こんな夜更けにな……」
エドワードは首をかしげた。チャンドスはその仕草と言葉から、来訪はエドワードにとって迷惑なものであったと早合点した。
「お疲れのところ申し訳ありませぬ、一応お耳に入れておきたかったので。では、早々に追い払ってまいります」
「まあ待て。イングランドの勝利を祝いに、わざわざ駆けつけた民を手荒にあしらったとあっては、私の名に傷がつこう。エドワードはなんと心の狭い奴よと、フランスに笑われるぞ」
エドワードは言った。これが二番目や三番目の平民の来陣であれば、適当に対応しておけばよい。だが、最初に陣に来た平民に対する扱いは、それがそのままイングランドの平民に対する扱い方の模範図となってフランス全土に知れ渡るであろう。いわば、この応対はその者だけでなく、平民全体に対する広報となり得るのであって、その効果が格段に違う。
もちろん、そのことを計算し、受け取ってもらえると思ったからこそ、その女も夜中にあえてやってきたのであろう。なかなかに抜け目のない奴だ。
「は、では、ねぎらいの言葉をかけておきましょう」
「いや、その必要はない。よいか、その者をここに通せ」
「まさか、殿下じきじきにお会いになるのでございますか?!」
王太子がもし貢物を受け取るようなことがあれば、それはイングランド軍がクレシー村について認めたことになる。そうなれば、盗賊たちも下手をすればイングランド軍を敵に回すことになるのであって、なかなか手を出しにくいということになるであろう。その女にも、その程度の思惑はあるに違いない。
一方エドワードとしては、味方であるフランドル地方を盗賊に荒らされたくはないという思惑が働く。もともと羊毛の名産地であるイングランドと、毛織物の名産地であるフランドル地方の結びつきは強い。国王エドワード三世も、羊毛の輸出を強く推進したことから、彼のことを羊毛商人王と呼ぶものもあるほどである。
交易の規模が大きければ、人の往来も自然と多くなる。フランドルの民は、皆イングランドとの結びつきをもっと強くしたいと願っていた。そんな中で、領主たるフランドル伯のみが一人、フランスへの忠誠を表明していたのであった。
そのフランドル伯がクレシーの戦いで戦死したことにより、同地方は今後、よりいっそうイングランドに傾斜するであろう。盗賊に好き勝手させておく手はない。そのためには、まずクレシー村を押さえ、ここより北への侵入は許さぬと盗賊たちに示す必要があった。
「戦勝祝いに美女と会うのも一興ではないか。さあ行け、チャンドス」
エドワードはそこまで深いことはチャンドスには説明せず、多少のジョークを交えて言うと、身体を起き上がらせて、豹の毛皮を貼り付けた木製の椅子に座った。
チャンドスはその言葉に従いテントを出て行き、しばらくして一人の女を従えて戻ってきた。確かにチャンドスの言葉どおり、見目麗しい美女であった。イングランド兵士の軍服に合わせたか、白と緑の彩色鮮やかなドレスを着ている。
「こちらがエドワード殿下である。くれぐれも失礼のないように」
チャンドスはそう言うと、エドワードの斜め前に腰を下ろした。護衛のつもりであろう。万一女が襲ってきても、そうやすやすと刺されるエドワードでもなかったが、念には念を入れておく必要がある。
一方ニールは、それは自分の役目ではないとでもいうように、エドワードから遠く離れた位置に腰を下ろしていた。チャンドスへの遠慮の意味合いもあるのであろう。
女は、テントの中ほどまで進むと、ドレスの裾を持ち上げて一礼し、しかるのちエドワードの前に跪いた。末広がりのドレスが、ふわっと地面の上に舞う。
「キャロラインと申します。お会いできて光栄でございます」
「うむ、私がエドワードだ。面を上げるがいい」
「はい」
女はそう言って、面を上げた。顔立ちが整っていることや、身体の線がほっそりしているところはジョアンと同じだが、向こうが北国の冬の光のような女性だとすれば、こちらは夏の光を擬人化したとでも言おうか。繊細な中にも、その瞳は精彩を放ち、活気に満ちていた。
しかしその透き通ったグレーの瞳が、エドワードの姿を視界に捉えた途端、女性の動きはぴたりと止まった。
「…………エド?」
その場にいた全員が、一瞬彼女が何を言ったのかわからなかった。それがエドワード王太子殿下のことだと知ったとき、チャンドスの顔がみるみるまに紅潮した。
「無礼者! 畏れ多くも殿下に対して、エドなどと!」
「いや……」
エドワードはチャンドスとは違う意味で、興奮していた。彼女の呼び方と、その名前に対し、彼はある一つの想像を掻き立てられていた。
「構わん」
「しかし、殿下」
「いいんだ。チャンドス、おまえは席をはずしてくれ。私はこの女に話がある」
エドワードが異議を許さない調子で言うと、チャンドスは渋々テントの外へと出て行った。それを確認してから、改めて女へと向き直る。見覚えのあるライトブラウンの髪に、グレーの瞳。さらに自分を愛称で呼ぶ者といえば、まさかとは思うが、あのときの子どもとしか考えられない。
「キャル、なのか?」
彼が問うと、彼女はよく通る落ち着いた声をその場に響かせた。
「はい。六年前にエド少年と喧嘩した、キャルです。本名は、キャロライン=タイラーと申します。しがない商家の娘でございます」
「驚いたぞ、まさか女性だったとはな」
「それはお互い様です。まさかあのときのエド少年が英国王太子殿下だとは、思いもよりませんでした」
「別に隠しているつもりはなかったのだがな」
「私も特に女だということを隠していたつもりはありませんでした」
「なるほど、ではこれもお互い様ということかな」
エドワードがそう言って笑うと、彼女もまた笑顔を見せた。彼女の方の笑いには、エドワードに比べると、やや愛想笑いの面が強かったようであったが。
「その後、息災だったか?」
「はい、おかげさまで、つつがなく暮らしております。といっても、小さな商家の当主に過ぎませんけど」
「それは何より。しかし、腕のほうは衰えていまいな?」
エドワードが聞いたのは、狩りの腕のことである。六年前の大喧嘩のあと、二人は仲直りの証として、ニールをつれて近くの森に狩りに出かけていた。そのときどんな話をしたかは、もうエドワードの記憶には残っていないが、弓の扱いが抜群に上手かったことだけは憶えていた。だからこそ、エドワードも彼女を男と思っていたのである。
「さあ、近頃はあまり狩りにも行かなくなったので、衰えたかどうかわかりません」
「よし、それならどうだ。こうして会ったのも何かの縁。日を改めて、三人で狩りにでも出かけようではないか」
エドワードがそう提案してから、一瞬の間を置いて、彼女は首を縦に振った。旧友を懐かしむ気持ちを抜きにしても、王太子と懇意になれる機会を、商家の者がみすみす逃すはずはなかったのである。
日時の指定を受けて彼女が去ったあと、エドワードは傍らの腹心を振り返った。
「何日かかる?」
「一日あれば十分でしょう。あれだけの美人なら、力も入ろうってものです」
「うむ、頼むぞ。ああ、ついでにパリの方も頼む」
女の素性が第一で、フランスの王都たるパリの内部工作はそのついで。常識に外れたエドワードの言葉に、優れた諜報員であり親友であり、同時に好色家でもあるニールは、にやりと笑った。
「息子よ、ご苦労だった」
「戦勝、おめでとうございます。これも陛下のご威光の賜物です」
すでに馬から下りていたエドワードは、馬上の国王に向かって敬礼を施した。
「さて、我が息子よ。予は少々疲れた。そこで、ここの後始末をそなたに任せたい」
戦の事後処理。それは、まだ十六歳の若者にとっては、異例ともいえるほど重い任務であった。しかし、エドワードは一向にひるむ様子もなかった。
「はっ、かしこまりました。あとのことはお任せあれ」
「うむ。わからない点があれば、チャンドスやウォリック伯に相談しながら行うがよい」
チャンドスとウォリック伯は、二人ともエドワードが幼少の頃より、その世話を任された者であって、国王の信頼は絶大であった。チャンドス及びウォリック伯は、国王が後に創設したガーター騎士団の名誉ある初代団員にも選ばれていることからも、その事実は窺える。いわば、この二人は英国を支える両柱といえよう。そしてエドワードも、人柄に優れた二人に対し、言葉の上で刃向かうことはあっても、心の中では信を置いていた。
やがて国王が去ると、エドワードは捕虜の処遇や傷病者の手配までのすべてを、まわりの臣に助けられながらも無事行った。これらの戦後処理は戦いそのものとは異なり、エドワードの闘争本能を刺激するものではなかったが、それでも彼は戦いに伴う義務として、これらをおろそかにすることはなかった。
エドワードが戦後処理を一通り終える頃には、すっかり日は暮れていた。彼は山を降り、クレシー村近辺に陣を張った。野営の準備である。
陣の中心に張った、ひときわ大きなテントの隣のテントで、エドワードは待機していた。総大将たる国王のテントに次ぐ規模のものであるが、周りにいるのはニール一人である。重臣たちにひとまず休みを取らせた、といえば聞こえはいいが、要は父の重臣たちが周りにいると気疲れするというだけのことであった。
「今日は大勝利でしたね。お見事です」
二人は、チーズにハム、それに野菜をはさんだパンを食べるという、ごく簡単な夕食をとっていた。いくら王太子といっても、野営の最中では、この程度がせいぜいであった。あまりに豪華な食事を将軍が取っていると、部下から不満が出る恐れもある。
「味方には、その大勝利の理由をわかってないやつが多いようだがな」
エドワードは自分の手で肩を揉み解しながら言った。重い鎧は脱いでしまい、今の彼は赤いシャツと簡単な装身具を身にまとっただけの軽装である。テントの中心では燭台に赤々と火が灯り、二人を照らし出している。
「ダービー大伯爵様が私に言ったセリフを教えてやる。『フィリップ六世はろくに隊列を整えることもできない愚か者よ。我々が勝つのも自明の理だな』と、こうだ。なぜフィリップ六世が隊列を整えられなかったのかすらわかっていない。どうしようもない低能だ」
エドワードが言うと、ニールは苦笑いを浮かべた。フランス軍が隊列を整えられず、混乱するままに戦端を開くことになった理由。それは、ニールが敵軍に忍ばせておいた間者に命じ、たくみに敵の騎士たちを煽って競争意識に火をつけさせたからなのだが、多くの者たちはその努力すら気づかずに、勝利は自分の手のみで掴み取ったものだと誤信している。
「フランス軍の騎士は、槍をふるい、盾をかざして戦うことだけが戦いだと思っています。わが軍は、弓矢を使って戦うことを知っていますが、ただそれだけのこと。私の諜報活動はもちろん、国王陛下やエドワード様がどれほど今回の戦いのために腐心したかなど、考えてもいないでしょうね」
「うむ……先が思いやられるな」
実際、国王はこの戦いに備えて、神聖ローマ帝国と同盟を結んだり、イベリア半島やフランドル地方の諸都市に手を回したりして、なるべく敵が増えないようにしている。
また、エドワードは、有利な地形を進言し、罠を仕掛けて敵の勢いをそぐ一方、自らは特注の黒い鎧を着て、動きやすくなるよう心がけている。この鎧は、その色から一見重厚長大なものに見えるが、その実軽い素材でできている。
この時代の鎧兜は、まだ磨きこまれていなかったから、後世のような白銀色ではない。騎士たちはその地味さを補うために、鎧兜の上に様々な彩色や飾りを施していた。
エドワードは、この鎧を真っ黒に染め上げた。その代わり、飾り等は一切つけない。そうすることで、実用性と見た目を兼ね備えたものにしているのである。
「ですが、味方にすら気づかれなかったということは、敵にも気づかれていないということ。また同じ戦術が使えると思えば、良いではありませんか」
「敵がこの敗戦から何も学ばぬ無能であれば、な」
エドワードはパンの最後のひとかけらを口に放り込んだ。
「堅苦しい話はこれくらいにしよう。それより、クレシーと聞いて、一つ思い出さないか」
「キャル少年のことですか」
自分の期待通りの答えを得て、エドワードは大きくうなずいた。
キャルとは、今をさかのぼること六年前、まだ十歳だったエドワードとニールがこっそり船に乗り込んで大陸に冒険に来たときに、クレシー村でエドワードと大喧嘩した子どものことである。
その子とエドワードがいさかいになった原因は、二人とも覚えていなかった。子どものことだから、おおかた肩がぶつかっただの、視線が合って笑っただの、そんなありきたりの理由だったと思う。
ありきたりでなかったのは、その結果だった。イングランドきっての猛者(悪ガキともいう)だったエドワードと互角に渡り合ったのは、あとにも先にもキャル一人であった。ニールはといえば、邪魔するなといわれたこともあり、もともと喧嘩が苦手なこともあって、ただ見ていただけである。
殴りあい、叩きあい、蹴りあって、お互いに勝ちを諦めたのは、最初に手を出してから三十分以上も経ってからのことだった。
感心したエドワードが去り際に名を尋ねると、子どもは「キャル」とだけ答えた。無愛想な子どもだったが、エドワードはその腕っぷしの強さをすっかり気に入ってしまったのだった。
「手がかりはキャルという愛称だけ、か。カルロス、カール、カルヴィン。本名はそんなところかな」
「あとはライトブラウンの髪にグレーの瞳、か。珍しくもなんともないですね。今の身長が高いか低いかも不明ですし」
「まあ、見つかりはしないだろうさ。子ども時代のいい思い出だな」
エドワードはそう言って、両腕を枕にしながらごろんと横になった。そのとき、テントの外から、彼を呼ぶ声がした。
「殿下。クレシーの村の者が、面会を求めております」
その声は、チャンドスのものだった。
「そうか。まずは、入れ」
エドワードが上体を起こしながら言うと、チャンドスはテントの端を持ち上げ、その鍛えられた身体をエドワードの前に現した。あちこちに傷のあるその身体は、彼が歴戦の勇士であることを示していた。片目は度重なる戦の中で失明していたが、残った右目は今も鋭い光を放っていた。
「で、どんな人物だ。男か、女か」
「女です。それも、妙齢の美女ですな」
チャンドスは凄みのある低い声で答えた。
女と聞いて目の色を変えたのは、エドワードよりもむしろニールのほうであった。エドワードの言う「ニール最大の欠点」が発動しているのである。もっとも、それはニールに言わせれば、彼の持ち味ということになるのだったが。
「ほう。それで、その者は何を求めているのだ?」
「はっ、ただ戦勝のお祝いをお持ちした次第、と申しております」
「ふむ、戦勝の祝いか。こんな夜更けにな……」
エドワードは首をかしげた。チャンドスはその仕草と言葉から、来訪はエドワードにとって迷惑なものであったと早合点した。
「お疲れのところ申し訳ありませぬ、一応お耳に入れておきたかったので。では、早々に追い払ってまいります」
「まあ待て。イングランドの勝利を祝いに、わざわざ駆けつけた民を手荒にあしらったとあっては、私の名に傷がつこう。エドワードはなんと心の狭い奴よと、フランスに笑われるぞ」
エドワードは言った。これが二番目や三番目の平民の来陣であれば、適当に対応しておけばよい。だが、最初に陣に来た平民に対する扱いは、それがそのままイングランドの平民に対する扱い方の模範図となってフランス全土に知れ渡るであろう。いわば、この応対はその者だけでなく、平民全体に対する広報となり得るのであって、その効果が格段に違う。
もちろん、そのことを計算し、受け取ってもらえると思ったからこそ、その女も夜中にあえてやってきたのであろう。なかなかに抜け目のない奴だ。
「は、では、ねぎらいの言葉をかけておきましょう」
「いや、その必要はない。よいか、その者をここに通せ」
「まさか、殿下じきじきにお会いになるのでございますか?!」
王太子がもし貢物を受け取るようなことがあれば、それはイングランド軍がクレシー村について認めたことになる。そうなれば、盗賊たちも下手をすればイングランド軍を敵に回すことになるのであって、なかなか手を出しにくいということになるであろう。その女にも、その程度の思惑はあるに違いない。
一方エドワードとしては、味方であるフランドル地方を盗賊に荒らされたくはないという思惑が働く。もともと羊毛の名産地であるイングランドと、毛織物の名産地であるフランドル地方の結びつきは強い。国王エドワード三世も、羊毛の輸出を強く推進したことから、彼のことを羊毛商人王と呼ぶものもあるほどである。
交易の規模が大きければ、人の往来も自然と多くなる。フランドルの民は、皆イングランドとの結びつきをもっと強くしたいと願っていた。そんな中で、領主たるフランドル伯のみが一人、フランスへの忠誠を表明していたのであった。
そのフランドル伯がクレシーの戦いで戦死したことにより、同地方は今後、よりいっそうイングランドに傾斜するであろう。盗賊に好き勝手させておく手はない。そのためには、まずクレシー村を押さえ、ここより北への侵入は許さぬと盗賊たちに示す必要があった。
「戦勝祝いに美女と会うのも一興ではないか。さあ行け、チャンドス」
エドワードはそこまで深いことはチャンドスには説明せず、多少のジョークを交えて言うと、身体を起き上がらせて、豹の毛皮を貼り付けた木製の椅子に座った。
チャンドスはその言葉に従いテントを出て行き、しばらくして一人の女を従えて戻ってきた。確かにチャンドスの言葉どおり、見目麗しい美女であった。イングランド兵士の軍服に合わせたか、白と緑の彩色鮮やかなドレスを着ている。
「こちらがエドワード殿下である。くれぐれも失礼のないように」
チャンドスはそう言うと、エドワードの斜め前に腰を下ろした。護衛のつもりであろう。万一女が襲ってきても、そうやすやすと刺されるエドワードでもなかったが、念には念を入れておく必要がある。
一方ニールは、それは自分の役目ではないとでもいうように、エドワードから遠く離れた位置に腰を下ろしていた。チャンドスへの遠慮の意味合いもあるのであろう。
女は、テントの中ほどまで進むと、ドレスの裾を持ち上げて一礼し、しかるのちエドワードの前に跪いた。末広がりのドレスが、ふわっと地面の上に舞う。
「キャロラインと申します。お会いできて光栄でございます」
「うむ、私がエドワードだ。面を上げるがいい」
「はい」
女はそう言って、面を上げた。顔立ちが整っていることや、身体の線がほっそりしているところはジョアンと同じだが、向こうが北国の冬の光のような女性だとすれば、こちらは夏の光を擬人化したとでも言おうか。繊細な中にも、その瞳は精彩を放ち、活気に満ちていた。
しかしその透き通ったグレーの瞳が、エドワードの姿を視界に捉えた途端、女性の動きはぴたりと止まった。
「…………エド?」
その場にいた全員が、一瞬彼女が何を言ったのかわからなかった。それがエドワード王太子殿下のことだと知ったとき、チャンドスの顔がみるみるまに紅潮した。
「無礼者! 畏れ多くも殿下に対して、エドなどと!」
「いや……」
エドワードはチャンドスとは違う意味で、興奮していた。彼女の呼び方と、その名前に対し、彼はある一つの想像を掻き立てられていた。
「構わん」
「しかし、殿下」
「いいんだ。チャンドス、おまえは席をはずしてくれ。私はこの女に話がある」
エドワードが異議を許さない調子で言うと、チャンドスは渋々テントの外へと出て行った。それを確認してから、改めて女へと向き直る。見覚えのあるライトブラウンの髪に、グレーの瞳。さらに自分を愛称で呼ぶ者といえば、まさかとは思うが、あのときの子どもとしか考えられない。
「キャル、なのか?」
彼が問うと、彼女はよく通る落ち着いた声をその場に響かせた。
「はい。六年前にエド少年と喧嘩した、キャルです。本名は、キャロライン=タイラーと申します。しがない商家の娘でございます」
「驚いたぞ、まさか女性だったとはな」
「それはお互い様です。まさかあのときのエド少年が英国王太子殿下だとは、思いもよりませんでした」
「別に隠しているつもりはなかったのだがな」
「私も特に女だということを隠していたつもりはありませんでした」
「なるほど、ではこれもお互い様ということかな」
エドワードがそう言って笑うと、彼女もまた笑顔を見せた。彼女の方の笑いには、エドワードに比べると、やや愛想笑いの面が強かったようであったが。
「その後、息災だったか?」
「はい、おかげさまで、つつがなく暮らしております。といっても、小さな商家の当主に過ぎませんけど」
「それは何より。しかし、腕のほうは衰えていまいな?」
エドワードが聞いたのは、狩りの腕のことである。六年前の大喧嘩のあと、二人は仲直りの証として、ニールをつれて近くの森に狩りに出かけていた。そのときどんな話をしたかは、もうエドワードの記憶には残っていないが、弓の扱いが抜群に上手かったことだけは憶えていた。だからこそ、エドワードも彼女を男と思っていたのである。
「さあ、近頃はあまり狩りにも行かなくなったので、衰えたかどうかわかりません」
「よし、それならどうだ。こうして会ったのも何かの縁。日を改めて、三人で狩りにでも出かけようではないか」
エドワードがそう提案してから、一瞬の間を置いて、彼女は首を縦に振った。旧友を懐かしむ気持ちを抜きにしても、王太子と懇意になれる機会を、商家の者がみすみす逃すはずはなかったのである。
日時の指定を受けて彼女が去ったあと、エドワードは傍らの腹心を振り返った。
「何日かかる?」
「一日あれば十分でしょう。あれだけの美人なら、力も入ろうってものです」
「うむ、頼むぞ。ああ、ついでにパリの方も頼む」
女の素性が第一で、フランスの王都たるパリの内部工作はそのついで。常識に外れたエドワードの言葉に、優れた諜報員であり親友であり、同時に好色家でもあるニールは、にやりと笑った。
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