暴君は野良猫を激しく愛す

藤良 螢

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それは静かな

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「殿様、私そろそろ逆上せそうなのですが……」
「何を言うか、まだ寒そうに震えているくせに」

 彰久の引き寄せた肩は確かに震えていたが、それが寒さによるものではないことはわかりきっていた。
 うっすらと色づいていた肌が赤みを増す。湯以外に二人を隔てるものはなく、せっかくの広い湯船だというのに縮こまるのだが、それさえも彼の興を擽るらしい。
 水気を帯びた髪も、肌で直に感じる体温も、意識しせずにはいられない。動作一つ、眼差し一つを取っても凄絶な色気が溢れ出ているから心臓が大忙しだ。
 だというのに、彼は戯れに幸菜に触れてくる。いやらしさの全くない指で、愛でるような触り方をして、幸菜の体温を上げた。
 拒まなければと思うけれど、そうしようという気力が生まれない。ぼんやりとされるがままになって、体の力がみるみる失われていく。

「ぉの、さま……」
「…………仕方がないな」

 呂律のおかしくなった幸菜の訴えに、ようやく彰久はやれやれと彼女を抱き上げた。
 ひんやりとした外気の心地よさに恍惚として目を閉じる。頭の中は変わらずふわふわとしていた。

「夕餉がまだだろう。起きていろ」

 言われて、そうだったと思い出す。
 お腹は減っているけれど、それと同じくらい眠い。
 本格的にうつらうつらとし始めると、彼は「おい」と低い声を出した。咎めるようなそれは困惑と焦りが感じ取れて、怖くはない。

「……そんなに油断していていいのか」

 それはきっと、彼なりの威圧だったのだろう。事実、常であれば幸菜は慌てて彼に縋っていたはずだ。
 だが頭と体が離れている今は役目を果たさない。低く、そして耳触りの良い声はすんなりと幸菜の中に入り込み、溶けていく。
 起きていると口を動かすことも億劫で、くりくりと彼の胸板に額を擦り付ける。彼は一瞬体を強張らせたが、すぐに落ち着きを取り戻し尊大に鼻を鳴らした。
 機嫌は、悪くはないようだ。
 溶けそうになる意識を繋ぎ止めて、うっすらと押し上げた目で見上げた彼の顔は、そうとわかるほど柔らかさがあった。

(変な人……)

 彼の一面を知る度、やりきれない思いが胸に込み上げる。その大半は疑問だ。
 いっそ、血も涙もない鬼のような人であればよかったのに。徹頭徹尾手酷く扱ってくれたなら、悲劇を気取ることもできたのに。
 滑らかな生地の夜着を着せられて、外套まで羽織らされて腕の中に帰る。
 外はすっかり暗くなって、日の沈んだ山際だけがうっすらと橙に染まっていた。あれほどいた人もどこへ行ったのか、耳に届くのは彼の衣擦れの音だけ。
 彼のことは嫌いだけれど、彼の纏うこの静けさは、不思議と嫌いではなかった。



𓆛𓆜𓆝𓆞𓆟



本日も)日付変わってしまいましたが……)お付き合いくださりありがとうございます。
明日(正確には本日も、なのですが)も更新致しますので、お付き合い頂ければ幸いです。
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