三鍵の奏者

春澄蒼

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第三章 交点に降るは紅の雨

35 反撃 ※残酷な描写あり

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 剣を振るいながら、ユエはこの状況でも、不思議と頭が冷えていた。


******
 男たちと医者のやり取りや、クレインとの会話は、ユエにはよく分からないことが多かった。
 そのため彼にとっては、話よりも、自分がやるべきことに集中できたのだ。

(まずは腕が自由にならないと……!いや、その前に、剣を取って、それで紐を切ればいい!手は……なんとか足首に届く!)

 クレインが注意を引きつけてくれている間に、後ろ手にゴソゴソと、足首のドワーフの剣をすぐに取り出せるように準備をしていた。

 そして、クレインとの特訓を思い出す。

(狙うのは、足、手、首、頭……相手が驚いている間に、素早く、手際よく……!)

 ユエが落ち着いていられたのは、クレインのおかげというのが大きい。

 静かに獲物を待ち、隙を伺って、一瞬で狩る──道中の狩りではいつもそうして、目で会話をしていたのだ。
 この状況でも、意思疎通はできていた。

 そして──ここにはいない、カイトの存在。
 ユエは信じていた。いや、いた。彼が来てくれることを。

(カイトが来てくれるまで、二人で頑張ればいい)
 どこかユエには、そんな余裕さえあった。

 そうして、その時に備えていた。


******
(血って、熱いんだな……)
「ぎゃっ!!」「ぐあ……!」「がっはぁ……!!」

(足、手、首、頭……)
 呪文のように頭の中でそう唱えながら、ユエは剣を振り下ろす。

 手には肉を断つ感触と、刃が骨に当たる感触がした。

 一振りするごとに、紅く熱い液体が飛ぶ。目に入りそうになるそれを、だがユエは一瞬の隙も作らないように、瞑ることもしない。

 誰かが倒れ、誰かが蹲る。

 扉に向かって進むごとに、髪が大きく揺れて、視界が狭まる。
(っ、邪魔!!)
 無意識に手で払い、青い視界を赤に戻す。

「ユエ……っ!」
 クレインの声だけを目指して、腕を振りながら歩を進める。

 ガチャッ!
 扉に鍵はかかっていなかった。

 誰を斬ったのか、部屋の中はどうなっているのか、確認しないまま部屋を飛び出す。

「っ、ラークを、見つけないと!!」
 クレインの言葉に頷いて、薄暗い廊下を駆けた。

 部屋の外は静まり返り、この騒ぎを聞きつけて、誰かが来る様子はなかった。
 それにひとまず息をつき、とにかく片っ端から扉を開けていく。

 はぁはぁ……!
 荒い息の二人は、この建物中に充満する、焦げ臭い嫌な臭いを感じ取っていた。

 背後を気にしながら、ユエがある扉を開け放った時──「え……?」異様な臭いと、そして気配──。

 知った顔と、目が合った気がした──ユエはふら……と部屋へと足を踏み入れる。

「ユエ?!いたか?」
 クレインもやって来て、中を覗き込む。

 部屋の中央で足を止めたユエの隣に並ぶ。

 その部屋には、大きな酒樽が十ほど並んでいる。
 全て蓋は開いていて、液体で満たされている。むせ返るような、血の匂い。
 その一つから、顔が、覗いている。

「……ぁ、あ…………」
 近づいて上から、目を合わせた。その、虚ろな目──光をもう映さない、濁った虹彩。

 彼だ。
 この一週間探し回った、似顔絵の彼。

 樽の中の液体の中に、彼の頭だけが浮かんでいる。

「な、に……これ……」
 クレインもそれ以上の言葉を持たなかった。

 血を薄めたような液体が、全ての樽を満たしている。その中に頭部だけではない、奇怪な物体が浮かんだり沈んだりしていた。

 死──

 この光景を言い表す言葉は、それだけだった。


******
「っ見つけたぞ……!この野郎!!」
 パッと、二人は剣を構え直した。

 その部屋の光景に目を奪われている間に、奴隷商人の一人──クレインに執着するあの男──と医者が、入り口に立っていた。

(っまずい……!出入り口を塞がれた……)
 クレインは己の迂闊さにほぞを噛む。

 獲物だと侮っていたクレインに手を噛まれたような気分の男は、完全に激昂している。いたぶる余裕もなくし、斬りつけられた足を引きずりながら、唾を飛ばす。

「つけ上がりやがって……!!許さねぇぞ!!大人しくしてりゃあ、バラしたりしないで、俺が飼ってやってもよかったのによぉ!!決めたぜ……!犯しまくってから、命乞いさせて、それから殺してやる!!」

 大振りの剣を突き出して、クレインに迫る。

 後退ったクレインに対して、一歩進み出たのは、ユエ。

「……どうして?」
「ああ?!なん──」
「どうして?!」

 クレインを、そして背で庇って、声を振り絞る。

「どうしてこんなことができるんだ?!」

 ユエは囚われてから、もちろん、恐怖を感じていたし、不安でいっぱいだった。
 クレインの冷静さのおかげで、取り乱すことはなかったが、お守りのようにドワーフの剣を握り締めた掌は、汗が滲んでいた。

 だが今、その全てを上回るほどの──強い感情が込み上げている。
(なんだ、これ……体が、震える……!)
 だがその震えは、恐怖ではない。

「どうして……!この人が、こんな目に合わないといけない……?!どうして、こんなことをしておいて、平気でいられるんだっ?!」

 震えていた声が、だんだんと鋭く尖っていく。言葉をやいばに、奴らを斬りつけるように──。

「どうしてクレインが……俺たちが!こんな扱いをされなきゃいけない?!どうしてお前は!クレインのことを好きにできると思ってるんだ?!」

 これまで大人しかったユエの豹変に、敵は圧倒されている。
 クレインも、初めて見る仲間の姿に、ただ見入っていた。

「お前たちが悪いのに……!反撃されて、どうしてお前が怒るんだ……!!──怒りたいのは、俺たちだ!!」

(ああ……俺、怒ってるんだ……)

 考えるより先に言葉が出てきて、そこで初めて、ユエは自分の感情を自覚した。

 剣を振るう前──クレインと目を合わせ頷き合ったあの時も、ユエは今と同じ感情を抱いていた。

 男たちの勝手な言葉に、クレインを蔑むような態度に、自分たちを軽く扱う傲慢さに。

 頭がすぅーっと、冷たくなって、妙に物事がはっきり見えるような──
 だがその時は、それが『怒り』の感情だと、ユエは気づいていなかった。

 今やっと、掴んだ。
 掴んで、ぶつける。

「どうして!!!」
 ビリ……ッ!

 ユエの剣幕に呼応するように、樽を満たす液体が揺れた。

 それは偶然なのか、ユエの気迫が空気を震わせたのか、それとも──の命の残り火なのか──。

 ぐら……と樽が傾き、液体と共に、ゴロン……!

「ひっ、ひぃ……っ」

 転げ出た頭部は、扉の方へと転がり──腰を抜かした医者の前で、目を合わせるようにして止まった。

「ひっ!ひっ……!しょ、しょうがなかったんだ!!わ、私はただ娘のために……む、娘が助かるからと……!私は悪くない!!ひぃ、ひっ……だ、だから!!」

 医者は矜持をかなぐり捨てて、床に這い蹲り、頭を抱える。

「だから……そんな目で見るなぁぁぁ!!!」

 それでもまだ、自分の犯した罪と向き合えない医者に、ユエもクレインも、言葉すら与える気はなかった。


******
 ダンッ!!
 バキッ!!
 ガタガタッ!!!

 何かを破壊する音と、数人の足音、そして名前を呼ぶ声──「クレイン!!」

「っここだ!!」

 奴隷商人の男は反射的に剣を構えたが、ピクリとも動く前に、ガンッ!!横腹を蹴られて、クレインの視界から消えていった。

 蹲ってまだ言い訳を続ける医者も、同じ脚に蹴り飛ばされ、入り口を塞いでいたモノはなくなった。

「っクレイン!!」
 部屋へと飛び込んで来た、ジェイが見たものは────赤、赤、紅、赤、紅……。

 一面の赤──。

 その海に、二人は佇んでいた。
 クレインもユエも、血で真っ赤に染まっている。

 クレインの血塗れのその姿は、ジェイの忌まわしい記憶を呼び起こしていく。

(血、が……クレインの、血……)
 刃が肉を貫く感触。
 噴き出す、熱い血。
 広がる赤。
 冷たくなっていく、からだ──。

 あれほど心を砕き、無事を祈り、己の腕でその体温を確かめたいと求めていたはずなのに、ジェイはクレインに駆け寄ることができない。

「三人とも、無事か?」
 そのジェイの隣から、カイトが顔を覗かせる。
 その顔を見た瞬間──

「カイトっ!!」

 一直線にカイトの腕の中に飛び込んだ、華奢な肢体──。

 手が赤くなるほど握り締めていたドワーフの剣が、カラン、と軽い音を立てて、床に転がる。

 受け止めたカイトは少し動揺する。
 そんな彼の珍しい様は、ユエの行動に目を奪われていた周囲に、気づかれることはなかったのだが。

 ユエはがっしりとカイトの背中に手を回し、その肩は見るだけで分かるほど震えている。
 それは先ほどまでの、怒りをたたえたあの姿と同一人物とは思えない。

 あの姿を見ていたクレインは、自分が気圧されるほどだったさっきとの変わり身に、一瞬場違いにも、きょとんとしたほどだ。

 ユエのその震えを宥めるように肩をさすりながら、カイトは部屋を確かめる。

「ラークは……」
「っ、ラーク!一緒じゃなかったんだ!どこか別の部屋に……!!」
 クレインの言葉に、部屋の外にいたヘロンとフェザントが反応して、ダッと駆け出す。

 それを見送って、カイトは「二人とも、けがは?」
「……だぃ、じょうぶ、これ、ほとんど返り血だから……」
 クレインの言葉にやっと、ジェイは息をすることを思い出す。

 だがそれでもジェイは、足が床に貼りついたようにその場から動けない。

 ユエとカイト、クレインとジェイ、その二組は、実に対照的だった。

 カイトの前では、弱さを見せられるユエ。
 ジェイがいると、余計に気を張ってしまうクレイン。

 ユエの弱さを受け止めることができるカイト。
 クレインのを、真正面から受け入れられないジェイ。

 ジェイがこの状況に、感じなくてもいい責任を背負っていることが分かるクレインは、ユエのように自分からジェイに縋ることはできなかった。

 お互いを思い合っているのに──いや、だからこそ二人は、今の関係から進めないでいた。

 クレインとジェイのそんな様子に気がついているのは、カイトだけだ。
 だが、彼は何も言うことはなかった。

 ユエを腕に抱いたまま、カイトは部屋の中へと足を踏み入れた。
 その後ろに続いたアイビスは、「うっ……」目に入るその異様な光景に、言葉をなくす。

「……っ!」
 カイトの胸に顔を埋めたまま、ユエは脳裏に焼きついた彼を思い、涙が零れていく。
 カイトの腕の中で、泣くことを思い出したように──。


******
「クレイン!ユエ!!」
 それほど時間がかからずに、ヘロンとフェザントに、ラークが救出された。

「「ラーク!!」」
 全員の無事が確認されて、ひとまず一行は胸を撫で下ろした。

「よか、た……はぁはぁ……」
 フェザントの背中から二人の姿を捉えて、ラークは安心したように目を閉じた。

 縛られた紐を切ろうとしたのか、その腕には大きな擦り傷があり、頰も床で擦ったのか、血が滲んでいる。

「ラーク……!?」
 気を失ってしまったラークを見て慌てる二人に、

「酸欠だろう。ラークがずっと笛を吹き続けてくれたから、最短でここに辿り着くことができた。──お手柄だな」
 カイトは褒めるようにその頭を撫でた。

 ラークは別の部屋で縛られ、一人で放置されていた。

 それはギルドの医者が「子どもは傷つけないでくれ」「子どもに残酷なところは見せないでくれ」と、奴隷商人たちに頼んだからなのだが──それを『優しさ』と呼ぶ者は、ここにはいない。

 意識を取り戻したその時は、混乱し取り乱したのだが、それも一瞬のこと。

 耳のいいラークは、建物内での会話を漏れ聞いて、状況をいち早く把握し、そして自分ができる精一杯をやったのだ。


******
 そこでやっと、ベレン領の衛兵が追いついたようで、ガヤガヤと建物内が騒がしくなる。

 床に転がったままになっていた彼の頭に、アイビスが静かに己の上着をかけ、衛兵に知らせる。

 そして衛兵たちが医者と奴隷商人たちを拘束していく様子を見て、これでこの陰惨な事件が解決に向かうだろうと、誰しもが感じていた。

 全ての謎が明らかになるだろう、と。

 ──一行は予想だにしていなかった。この事件が、さらに謎を呼ぶことを。
 この出来事は、ただの序章に過ぎないことを。


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