三鍵の奏者

春澄蒼

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第三章 交点に降るは紅の雨

41 夜明けの歌

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 海を知らない人魚には、きれいな花を送りましょう
 毎日、毎日、違う色の
 きれいな花を送りましょう

 海を知らない人魚には、きれいな宝石送りましょう
 海と同じ色をした
 青い宝石送りましょう

 海を知らない人魚には──


******
「ぅ、ん……」
 歌声が聞こえて、ジェイは目を開けた。

 月の光を受けて輝くクレインが、窓の外を見ながら口ずさんでいた。

 上半身を起こし、正座を崩したようにぺたりと座って、脚はシーツで隠れている。

 本当に人魚のように見える姿だが、それはどこか物悲しく、儚く感じられ、ジェイは捕まえるように手を伸ばす。

「っ、悪い、起こしたか?」
「……いや……」

 背中から抱き締め、髪に頰を擦りつける。

「聞いたことがない歌だった」
「……母さんがよく歌ってたんだ。なんとなく、思い出して……」
「……もう一度、歌ってくれ」
「……やだよ。あんまり、上手くない、し」
「綺麗な声だった。ちゃんと、聞きたい」

 少しの押し問答の末、クレインは恥ずかしそうに口を開いた。

「……うーみを知らない人魚には──」

 少し掠れた声で、シーツに向かって歌う。
 ゆらゆらと波のような心地よい響き──

「……なんだか、子守唄みたいだ」
「ああ、うん。母さんはよく俺を寝かしつける時に歌ってくれたから」

 クレインの母親のことは、ジェイたちも情報としては知っていた。人魚の亜種だった、と。
 だが彼が自分の母のことをこうやって、思い出話として話すのは、初めてだった。

「母さんはたぶん、この『人魚』は『人魚の亜種』だって解釈で、自分と重ね合わせてた。『海を知らない人魚の亜種だけど、陸にも綺麗なものはたくさんあるから、だから幸せよ』って……」
「そうか……」

「でもさ、今、自分で歌ってみると、当時とは少し印象が変わる」
「どういう風に?」
「……これは、人魚を陸に縛りつける歌、なんじゃないかな」

 クレインがどうしてこんなことを言い出したのか、ジェイには分からなかったが、彼の言葉を一言一句聞き漏らさないように、耳を傾ける。

「海を恋しがる人魚に、陸にしかない綺麗なものを見せて、なんとか自分の元に止めようとする、みたいな」

「……人間と人魚の、恋の、歌?」
「っ、そうやって言われると、なんかすごくキレイに聞こえるけど……俺はさ、モノで釣ってる感じで、ちょっと……」

 思わず、という笑みを見せてから、それが皮肉な笑みに変わる。

 首筋に口を寄せて、声帯の震えを吸い取るように口づけを散らしながら、ジェイは、

(俺も、お前を繋ぎとめておくためなら、何でもする……どんなにみっともない真似でも──でも、お前はきっと、潔く別れを選ぶことができるんだろう……)

 その歌に自分とクレインを重ね合わせた。

 いきなりこんな話を始めた自分をくすぐったそうに、クレインは首をよじって、言い訳のように続ける。

「なんとなく、お前との出会いを思い出してたら、どんどん昔に遡っていって……」

「聞かせてくれ。昔のお前を──」
「……別に、そうおもしろい話は……」
「何でもいい、お前の話なら──」

 すでに暖炉の火が消えて、空気は刺すように冷たい。
 冷えていく互いの身体に擦り寄って、体温でもって暖をとる。

 ぽつり、ぽつり、とクレインは思い出を話す。

 その間、どちらからも「火をつけよう」とは言い出さなかった。



 広い胸に背中を預けながら、クレインの話は徐々に二人の出会いへと近づいていく。
 だが二人はまだを、笑って穏やかに語れるほど消化できてはいない。

 ジェイが身構えるのを感じたのか、クレインの話はいきなり、二人がこの一行に加わるところまで飛んだ。

「……覚えてるか?俺はあの時には、こんなに長く旅をすることになるなんて、考えてもいなかった──」



******
 意識を取り戻したクレインのことを、ジェイは甲斐甲斐しく世話をした。

 そのおかげと、マイナの医術の腕もあって、一週間ほどで何とか起き上がれるまでに回復した。

「あり、がとう……」
 包帯を取り替えるマイナに、クレインは毎回律儀に礼を言う。
「どういたしまして」

 その日はクレインが休む部屋に、マイナとジェイと、そしてカイトが訪れている。
 いや、ジェイはほとんどこの部屋で寝起きしているようなものだから、『訪れた』はおかしいのだが。

「まだ体力が回復していないところ悪いが、そろそろ俺たちは移動しなければならないんでね、少し話をしておきたい」

 壁にもたれて口火を切ったカイトを、クレインは静かな目で見る。

「……どうして俺を──俺たちを、助けた?」

 警戒心の入り混じった声に、カイトは薄く笑うだけ。

「何となく、さ」

 目をすがめたクレインを、笑みを濃くして見つめ返す。

「俺たちが居合わせたのは、偶然だ。たまたま俺の目の前で起きて、何となく気が向いて助けた──それだけだ」

「…………」
 戸惑っているのか、カイトの言葉の裏を読もうとしているのか、黙ったままのクレインに、カイトは肩をすくめる。

「……まあ、強いて理由をつけるなら、お前の──」ベッドの上のクレインを指差す。「──あの場面で迷わず死を選ぶ苛烈さと、お前の──」今度はジェイに指を向ける。「──見ず知らずの人間、それも死にかけている人間のために剣を抜いた愚かさを、おもしろいと思ったからだ」

 順番に指差された二人は、戸惑いを隠せずに顔を見合わせる。

 納得などできないであろう二人を、マイナが笑いながら取りなす。

「カイトにそんなこと聞いても意味ないわ。この人、本当に『おもしろい』って理由だけで動くんだもの」

 ケラケラと笑って、「付き合わされる方は、ほーんと大変っ!」そんなことを言いながら、彼女も楽しそうだ。

「だからあなたたちは、『運がよかったぁーー!!』って思っておけばいいわ!」

 あの脱出劇を、そんな豪快な言葉で締めくくった。

「だから別に、お前たちに恩を売るつもりなんてないし、俺たちも、まあ、お前らの面倒を見る義理もないんだが──さすがにこのまま放り出すのも、目覚めが悪いんでな」

 カイトが本題に入る。

「俺たちは数日以内にここを発つ。それで、お前たちをどうするかなんだが──」

 ここはベレン卿の手の者の家だ。
 フラヴィウム国内ではなく、その隣、属国ではあるが、本国の手が届きにくい国境近くにある。

「どう考えても二人共、どこかに頼りはなさそう、だな……」
 本人に聞かずにカイトは断定したが、二人は否は言えない。

「この周辺にいるのは危険が大きいからな。とりあえず俺たちと一緒に、ここを出てもらう」

 こちらにも否は言えず、二人は黙って頷いた。

「その後のことは、お前たちで決めろ」
「カイト!」

 いきなり突き放した言葉に、マイナが呆れた声を上げる。

「もう少し具体的に選択肢を与えてあげてよ!強制させるのはよくないけど、これじゃあ選ぶこともできないわ!」

「……分かった、そうだな……例えばクレイン、お前はベレン卿が歓迎するだろう。安全を得たいのなら、ベレン卿に保護してもらうのが一番だ。ジェイ、お前の腕なら、ギルドの傭兵としてやっていける」

 そんなカイトの提案に、ジェイは胡乱うろんな目を向ける。

「……俺たちは、お尋ね者だろう……?そんな簡単に……」

「まあ、確かに血眼になって探しているだろうが、それもせいぜい国内、属国くらいのことだ」
「どう、いう……?」
「お前たちのことは闘技場にとっては、醜聞だぞ。国外に大々的に手配したりはできん。それにあの闘技場は、東側の国々には蛇蝎だかつの如く嫌われている。『闘技場の奴隷が逃げて来た』と知られても、同情こそされ、わざわざ知らせたりはしない。むしろ下手に通報すると、通報した人間も危険だからな」

 西側の常識しか知らなかった二人は、カイトの言葉に目を丸くした。

「……クレインのケガが治るまで、まだかかるだろう。考える時間はある。どうするかは、自分たちで決めろ」



『ケガが治るまで』というつもりで、二人はカイトたちと共に大陸の中央部へと移動を始めた。

 一行は仕事の報告と報酬を受け取るために、ベレン領へ向かうのだ。

 クレインがまだ騎乗はできないということもあって、馬車を一つ借り、悪路を進んで行く。


「……お前、これからどうするつもりなんだ?」
 クレインに問われたジェイは、緩く頭を横に振る。
「……何も、考えていない」

 二人の関係は、微妙なものだった。

 互いの立場は、似ている。
 フラヴィウム闘技場から逃げた元奴隷。
 頼りもなければ、行く当てもない。
 この一行の、客のような立場。

 だからと言って、『仲間』だと単純に語れるものでもない。

 それでも、互いのことを何も知らないはずなのに、あの出会いは確かに、二人の間に『何か』を繋いでいる。

 それを手離したくなくて、二人は考えるのだが──結局は進む方向も見えないで立ち尽くすだけだった。


 そんな二人に一つの灯りを差し出したのは、意外にもヘロンだった。


「じゃあさ、二人共、俺たちと一緒に来ればいいじゃん!」

 ぽかん、とする二人に、にぃ!と笑う。

「行くとこないんだろ?!」
「っちょっと、ヘロン……!」

 全員が揃った食事時に、立ち上がって演説するヘロンの服の裾を、ラークが引っ張る。

「なんだよ?」
「そんな……勝手だよ……」
「え~?!すっげぇいい考えだと思ったんだけどな!!」
 自分の思いつきをラークが否定的に受け取るのを、ぷくぅ、と頰を膨らませて見返す。

「いいじゃない!私は歓迎するわ!!」
 いち早く賛成の声を上げたのはマイナだ。

「二人はまだ外の世界のこと、右も左も分からないのよ。このまま放り出すのは、ちょっと心配だもの」

「……まあ、戦力が増えるのは、いいんじゃないか?」
 アイビスは即物的だ。これまでの道中でジェイの腕を見て、(こいつは使える)と内心思っていたのだ。

『戦力』と言われて、クレインは顔を背ける。それを見たジェイは、顔を俯けた。

 ラークは二人がどうという訳ではなく、この一行が変わることを恐れて躊躇していて、ヘロン、マイナは諸手を挙げて賛成、アイビスも反対はしない。

 本人二人は、賛成も反対もできないでいる。

 そんな時に、最後に視線が集まるのは、カイトだ。
「……まあ、それもいいんじゃないか」

 気のない返事に、場が脱力する。

「カイト、てきとー!!」
「お前、それ、どっちなんだ?」
「もうちょっと親身になりなさいよ!助けた責任ってのがあるでしょ!」

 ヘロンに笑われ、アイビスに呆れられ、マイナに怒られても、カイトは己の調子を崩さない。

「そう言えば……クレイン、お前、人魚の亜種だったな」
「……まぁ」

 警戒するクレインを気にもしないで、ふと思い出したようにカイトは少し考える。

「……次の仕事で、人魚の亜種の能力が必要になるかもしれん。──ちょうどいい、少し手伝っていけ」

「仕事……?」
 クレインからすれば、何の利もないのに自分という面倒を抱えるカイトの思惑が分からず、混乱が続いていたのだが、(本当に……思惑なんて、ないのか?)この時やっと、その心境に辿り着いた。

「……お前たちは、一体、何なんだ?」
 クレインの口から、思わずそんな台詞が漏れる。

 何でもないようにクレインとジェイを助けて、さらに簡単に仲間に迎え入れようとしている。
 ──そんな酔狂な人間が、いるのか……?


「俺たちは、海賊になったり、山賊になったり、傭兵になったり、それから!時には正義の味方にもなっ!!」
 ヘロンの格好をつけた宣言を、皆が笑う。

「『何』って言われると、説明が難しいけど……そうね、世界中を旅しながら、カイトが『おもしろい』って思うことを一緒になって楽しんでいる、って感じかもね」

「たの、し、む……」
 その単語を、二人は初めて聞いたかのように、呟いた。

「いいじゃない!そう、深く考えることもないわ!!『やりたいことが見つかるまで』そんな軽い気持ちでも、いいじゃない!」

 そんなマイナの言葉で、何となく話がまとまってしまって、二人は明確な返事をしないまま、一行に加わることとなった。



******
 ──「あれから三年も経つのか……」
 ジェイの呟きは、クレインも同意だった。

 慌ただしい毎日。
 クレインもジェイもいつの間にか笑うことを思い出していた。

 カイトがドン、と中心にいて、その隣にアイビスが控える。二人の周りをウロチョロする子ども二人をマイナが叱りつけ、少し離れたところにいるクレインとジェイを、時には無理やり引っ張り込む。

 そうして過ぎて行く日々には、腰を落ち着けて考える時間などなかった。──いや、それにかまけて、逃げてきたのだ。

『お前、これからどうするつもりなんだ?』
 あの時ジェイに向けた問いは、そのまま自分への問いだった。

『やりたくないこと』ならすぐに思い浮かぶのに、『やりたいこと』となると、クレインは考え込んでしまう。

 彼のこれまでの人生は、彼の意思に耳を貸さないで勝手に転がってきてしまったのだ。

 そんな中で、唯一ジェイだけが、クレインの手を取って一緒に坂道を転げ落ちたのだ。

(……俺は、この手を離せない……同情でも構わない……)

 クレインは大きな手を抱え込む。その姿はまるで、宝物を隠す子どものようだ。

 クレインはジェイとになるとは、予想だにしていなかった。

 彼の体温を知るまでは、自分でも己の複雑な感情を掴み取ってはいなかったし、ジェイが自分に欲情する場面なんて想像もしていなかった。

 確かに二人の関係は、ただの友情とくくることも、仲間と言う言葉に当てはめることもできないものだった。
 特別な感情があることは、互いに悟っていたはずだ。

 それでも関係を変えることを恐れて、互いに踏み出せなかった。


 ユエを見習って自分も少しは素直になろう──と、クレインが思った今日、ジェイが先に本音を吐露した。

 それに触れて、クレインはとても自然に飲み込めたのだ。
(ああ、ジェイに対する感情は、だ──)
 だからクレインは、ジェイを受け入れた。

(──俺が欲しいのは、ジェイだけだ……)
 振り向いて、首に腕を回して、口づける。

 抱かれる前は、確かに思っていた。
 ジェイを過去の出来事で自分に縛りつけておくのは、よくない、と。お腹の傷に責任を感じることなんてないのだと。

 でも今は──責任で縛りつけ、同情につけ込んでもいい。
 それでもジェイを手離せない。

(そうだ……俺はお前が考えているほど、強くもないし、潔くもないし、綺麗でも、ない……)
 クレインは口づけを深くしながら、己を嘲る。

(お前は、こんな俺を知ってもまだ、そばにいてくれるか……?)
 口に出せない問いかけは、二人の口の中へと消えて行く。

 互いを大事にし過ぎる二人は、相手のことを想い、口が重くなってしまう。

 どちらも言い出せなかった言葉が宙ぶらりんになって、二人の間に小さな影を落とした。

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