三鍵の奏者

春澄蒼

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第四章 地下に眠る太陽のカケラ

51 密談

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「カイトが説明して」というユエの要請を受けて、カイトの口から、東の海での出来事、メイの知る鍵の伝説、そしてカイトの推察が語られることとなった。


***
「……信じられないわ……」
 初めて聞くマイナは、ヘイレンの素性よりも鍵盗難の真実よりも、よほど驚愕していたが、この場ではそう言うに留めた。
 いや、そう呟く他なかっただけかもしれない。


「ふぅん……人魚が、ね……」
 ヘイレンは反対に、予想通りという口ぶりで受け止め、ユエの姿をしげしげと見つめた。

 そしておもむろに──「っ!!」ユエの脚をつかんで、ずるっとブーツをはぎ取った。

「鱗もない……」
 足の甲を撫でられ、ユエの背にはぞわっと悪寒が走る。

 すぐに脚を取り戻すが、今度はシャツの裾をまくって、へその周りをさわっ、と撫でられる。「人間にしか見えんな……」

 ユエにははっきりと、自分の腕に鳥肌が立ったことが分かった。

 バシッと、無遠慮な手を叩き落とす。

 だがヘイレンはそんなことお構いなしで、「ちょっと服、脱げ」とさらに不躾なことを言うものだから、ユエは身を守るために服の裾を押さえて、キッと、まなじりを釣り上げた。

 ヘイレンにとってはそんなユエの威嚇は、ネコが毛を逆立てるくらいの、かわいいものにしか見えなかったが。


「人魚が人間に、ね。ふぅん……カイト、人間っつぅのは、だ?」
「……外見だけでなく、内面的な……感覚やら能力も、だ」

 カイトはヘイレンが聞かんとしていることを、的確に把握して答えた。

「亜種よりも、よほど『平均』に近い」


 ここに至るまでに確かめてきた、ユエの現状を話すと、ヘイレンは──大爆笑した。

 特に「泳げない」という一言に。


 そう、ユエはベレン卿の館の大浴場で、満を持して泳いでみたのだ。
 それまでの旅路では機会がなかったため、人間になって初めてのことだ。

 だが……泳げなかった。

 人魚にとっては、泳ぐということは、人間が呼吸をするのと同じくらい当たり前なことだ。意識しなくてもできていたことを、意識してやるとなると、存外難しい。

 水の中で呼吸できないだけでパニックに陥り、鼻に水が入ってむせた。

 脚をどう動かせば前に進むのか理解できず、そもそも浮くことすらできずに終わったのだ。

 ユエは生まれて初めて、水が怖いと思った。


 ──それでも不思議と、その事実を楽天的に受け入れていた。

 なんとなく、この姿なら仕方ない、と。
 人魚の姿に戻れば普通に泳げるだろう、と。



「──っ、泳げない?!泳げないって……っ!!くっは!人魚が、か?!うけるな、それ!!」

 ヘロンに笑われた時は、恥ずかしいとか情けないという気持ちになったが──ヘイレンのこの反応には、ムッとするユエだった。

 膝をバンバン叩いてひとしきり笑い転げた後、ヘイレンは「は~あ、笑わせんなよ」と、まるでユエが悪いように言うものだから、余計に。



「……あまり、驚いていない、な……?」
 アイビスがその反応を訝しんでそう聞くと、

「うん?まぁ、な。これは予想できたことだ」
 ヘイレンはいともあっさり肯定する。

 実際のところ、今聞かされた話のほとんど全ては、ヘイレンの予想の範疇に収まっていた。

 ヘイレンの情報網をもってすれば、一行の動向など手に取るように分かるのだ。

 それでも、予想と事実の間には大きな溝がある。だから今、確かめた。

 だが確かめた事実はヘイレンにとって──「……ふん、あんまり役に立たねぇな」

「や……くに、って……」
 あまりの言い草に、思わず食ってかかろうとしたユエを、ヘイレンは視線だけで抑える。


「役に立つどころか、むしろ、悪い。害の方が多い」

 だってそうだろう?とヘイレンは続ける。

「人魚が人間になってどうする?泳げない魚に何の意味がある?自らの特殊性を投げ打ってどうすんだよ」

「……メイとクウェイルの、子どもができるかもしれない」

 ユエが反論したことに、少し眉を動かして、ヘイレンは試すように強い言葉を使う。

「それはすなわち、人間による強姦の危険性をはらむことになる」

 ユエは一瞬ひるんだが、それでも視線は逸らさなかった。

 そんなユエを瞳だけで笑って、ヘイレンは「……ま、いいさ。色んな意見があるってこった」と、鷹揚に敵対心をいなした。



***
「それにしても、俄然、『鍵』に興味が湧いてきた」

 ヘイレンは先ほどのやり取りなどなかったように、ワクワクと楽しそうに身を乗り出す。

 新しいオモチャを見つけたような、無邪気と嗜虐心がない交ぜになった表情だ。


「俺もカイトの意見には全面的に賛成だ。『鍵』こそが、亜種の存在を説明する大きな材料になりそうだな」


 ついさっき、正にヘイレンの口から、『ドワーフの鍵』の存在を否定するような事実が明かされたというのに、その本人がなぜこうも肯定派なのか……?

 否定派になりたい常識人のアイビスは、なんの苦悩もなくあっさりと受け入れるヘイレンのことが異様に思え、つい胡乱な目を向ける。

「あなたも、『人魚の鍵』『ドワーフの鍵』『妖精の鍵』、三つの鍵があると……?それによって人間になって、血を交えたのだと?」

「そうでなけりゃあ、亜種の説明がつかないだろ」

 だがヘイレンには、さも当然と肯定されてしまった。


「三種が人間と血を交えたのは間違いない。だが……血縁だけでは説明できない事象もあるんだよなー。だから厄介なんだ」

 例えば、亜種が生まれやすい血族や血縁が証明できるのなら、その仮説は分かりやすい。
 だが現実には、ラークのように強い能力を持った者が、突然変異的に現れるのだ。

 商会とギルドの統治者として世界を股にかけるヘイレンには、亜種の分布が、遺伝だけでは説明できないことが、身に染みて分かっていた。


「例えば、ユエがこの姿で人間の女と子どもを作ったとする。その子は人間か?それとも……半分は人魚なのか?」

 考えてもみなかった疑問に、はた、とその場の動きが止まる。


「そんなことを考えるとそのうち、『人間ってなんだ?』なんていう、哲学的で壮大で、かつ答えの出ない問いにぶち当たっちまうぜ」

 ヘイレンはそう言って、この時点での考察を締めくくった。




******
 ヘイレンはその後、ゲルトの作った夕食を図々しく食べ、さらにふてぶてしく「泊めてくれ」と、フェザントを絶句させた。


 もちろん最初は警戒していた一行だったが──ヘイレンはまるで竹馬の友のような馴れ馴れしさで、一気に距離を詰めてきた。

 よく心得たもので、勝手にカイトとの昔話をすることで、一行の関心を集めたのだ。



「へぇ。それじゃあ、クウェイルとメイは、あんたの正体を知らないのか」
「あぁ、二人は盗賊稼業のことしか知らない」

 クウェイルとメイよりも、ベレン卿よりも、ヘイレンはカイトとの出逢いが早い。

 秘密主義で謎めいたカイトの過去を知りたいと、一行の頭にはたくさんの質問が浮かんでいたが、黙ったままのカイトを慮って躊躇してしまう。

 そのため直接的な質問は避けて、婉曲的に、外堀から攻めていた。

「別にあの二人を信用してないワケじゃないがな。世の中には、知らなくていいこともある」

「……それなのに、俺たちなんかにバラしてもよかったのか?」

 クレインが言外に、「なんで教えたんだ?」と責める色合いを出す。

 今回のことを説明するだけならば、裏の顔、すなわち盗賊団の頭としての身分を明かすだけでよかったはずだ。

 表の、『ヴァンダイン』の正体を図らずも知ってしまったクレインは、そのことを少し負担に感じていた。

 上がるつもりのなかった舞台に、出演者として勝手に名前を発表されてしまったような、憤りすらある。


「『なんか』、ね。お前ら、自分たちの価値を知らねぇな」

 知りたいなんて言ってないのに……とツンケンするクレインに、ヘイレンは思いの外、マジメな声を出した。


「お前らは間違いなく、世界の深淵に最も近づいてるぜ?俺やクリスよりも、遥かに──。だからこれでも敬意を示したつもりだ。身分を明かすことで、な」

 世界の経済を牛耳っているようなヘイレンに、『敬意』などと言われて、クレインだけでなく皆一様に落ち着かなくなる。

 背中がむずがゆいような、照れ臭いような、過大評価だと謙遜したいような……。


 そんな一同の素直な反応を、ヘイレンは楽しそうに観察して、

「お前らが持つ情報は、ヴァンダインの正体よりもよっぽど重大で危険だってことを、自覚しておくこったな」

 脅すように忠告した後、

「お前たちは俺を──商会を後ろ盾として利用すりゃあいい。コネは持っとくもんだぜ」

 と、太っ腹なことを言ってのけた。



 それからしばらく、ヘイレンはカイトとの昔話を披露して、仲間たちの歓心を買った。

 最初はカイトの反応を伺っていた一行も、彼が特に咎めないのをいいことに、本人がいるにも関わらず、カイトのことをヘイレンから聞き出すことに躍起になった。

 だがその中で──ユエだけは、ヘイレンの話を楽しめていなかった。

 自分の知らないカイトの話を、ヘイレンの口から聞くことが、たまらなく嫌だったのだ。

 カイトの過去に興味がない訳ではない。むしろ知りたくてしょうがない、のに──(でも、この人からは聞きたくない……)

 無造作に肌に触れられるという、傍若無人な振る舞いをされて、ユエがヘイレンに好意を向けるはずもないが、それだけではなく──。

 いきなり現れて、カイトを押し退けてイニシアチブを取ったこと。
(ヘイレンは仲間じゃない。俺たちの中心は、カイトなのに……)

 ヘイレンの登場から、カイトの纏う空気が重くなったこと。
(カイトは警戒してる……?)

 自分の方がカイトのことを知っているとばかりに語られる話。
(ヘイレンの方が先にカイトに出逢っていたとしても、仲間なのは俺たちだ……!)

 その全てが、ユエの癇に障る。

(……この人、きらい)

 ユエの辞書には、『嫉妬』という単語はまだ刻まれていなかった。



******
 村が寝静まった時間──カイトは古木の幹に背を預け目を閉じている。

 樹齢二千年とも伝えられるカツラの巨木は、樹高三十メートル、幹周りが二十メートルになろうかという、堂々とした佇まいだ。


 この狭い村では、密談をするのは難しい。
 だが、カイトの耳をもってすれば、こうして人気のない場所を選び、二人きりで対峙することも可能だ。



「……意外だったぜ。お前がこうもあっさり、俺の提案に乗るとはな」

 ヘイレンにとっては、王位争いも戦争もどうでもいいことだった。

 こんなことを言えば、「無責任だ!」と詰られそうだが、今回の騒動を、ヘイレンは自分のせいだとは少しも思っていない。

 自分が関わらずとも、いずれ王位争いは起きただろうし、人間とドワーフの関係もこじれただろう。

 だがそのために、自分が利用されたのが、我慢ならない。


 言うならば、ヘイレンがこれからしようとしていることは、私怨なのだ。

 カイトを乗せるための『鍵』がエサにならないのなら、カイトを使うのは難しいかと、ヘイレンは断られることを覚悟した。

 だが……ヘイレンが苦心する間もなく、あっさりとカイトは乗ってきた。


「お前も俺と同じで、『国』っつぅもんにあんまり思い入れはないだろ。国は滅びるものだし、戦争は起きるもんだ。個人が何かできるほど、世界は単純じゃねぇ」

「……まだ、道は変えられるはずだ」
 カイトは多くを語らずに、反対に聞き返す。

「お前こそ」
「うん?」
「なぜ今この時に、顔を出した?」

 ヘイレンは標準装備のニヤニヤをすっと封印して、ただでさえ張り詰めている空気を、さらに引き絞る。


「……アディーン大司教のこと、お前もウワサくらい聞いてるだろう?」

 交差した瞳には、鏡のように同じ感情が滲んでいた。

「……いよいよ、危ないそうだ」

 その言葉をカイトは、待っていたかのような、でも聞きたくなかったように、呼気とともに吸い込んだ。

「近いうちに、一報が届く。そうなりゃお前は……全てを捨てていくんじゃねぇか?」

 ザァァァーー、と風が葉を揺らし、二人の間を駆け抜けて行った。

 カイトは沈黙を貫く。

「お前が捨てるなら、俺が拾おうと思ってな。……構わねぇだろ?」

 応えはやはりなかった。



***
「──……お前ってアレだな。死者には優しい」

 短くも長くも感じる沈黙の末、ヘイレンはそう会話を再開した。


「あーあ!死んだら俺にも、お前は優しくしてくれんのか?」
「なに、言ってる」

 冗談めかしているが、ヘイレンのそれが紛れもなく本音だと、カイトには分かっていた。

「だあってよお前、俺が生きてる間は、絶対に信用してくれねぇんじゃねーの?俺だけじゃなくて、一緒に旅をするお仲間でも、秘密を共有する共犯者でも、生きてる限り、信用できねぇんだろ?」

 かっわいそうだな、という見え見えの挑発は、完全に黙殺される。

「そのくせ、こーんな薄情者なのに、なぜか惹かれるヤツが途切れない。お前も拒まないんだから、ホントのところ、一人じゃ寂しいんだろう?」

「……何が言いたい……?」
「べっつにぃー。ただ……お前を揺らがせたいだけさ」

 ヘイレンの目的は、お世辞にも達成できたとは言えなかった。


 大地を絡めるように根を伸ばす、彼の背を支えるカツラの巨木のように、カイトは揺るぎなく立つ。

 そんなカイトに内心憐憫を抱いたが、ヘイレンは決してそれを表に出すことはしない。

 それ以上は無駄だと判断し、さっさと頭を切り替えたヘイレンは、本題に入った。

「……で?まだ話してないことがあるだろう?」


***
 仲間の前では絶対に明かせない情報を、カイトから聞き出したヘイレンは、これで全てが繋がった、と納得する。


「死者との約束、か……。ははっ!仙人みたいな、『世俗のことには関心アリマセン!』って生き方してるくせに、案外、約束でがんじがらめだな」

 古馴染みのその評を、カイトは甘んじて受け容れた。

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