三鍵の奏者

春澄蒼

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第四章 地下に眠る太陽のカケラ

52 恋の萌芽

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 明けて次の日、ヘイレンはカイト、フェザント、アイビスを伴って、ヴェルドット国内へ入った。
 例の、『面白い情報』のウラを取るために。

 他はとりあえず待機ということで、村に残っている。

 その中でユエは、マイナから「少しからだを診せて」と言われ、クレインとともに診療所にいた。

 マイナは医者として、ユエの身に起きた奇跡の現象を調べてみようと思ったのだ。


***
「──う~ん……」

 胸に聴診器を当てられたり、眼に光を当てられたり、口の中を見られたり……初めての経験ということもあって、触れられるたびにビクッとしてしまう。

「あら、ごめんね。くすぐったい?」
「あっ、ううん!……ちょっと、びっくりするっていうか、どうしても身がまえちゃって……」

「ははっ!気にしないで!村にも医者嫌いって人はいるわ」

 マイナのフォローはありがたかったが、医者嫌いという訳ではないユエは、どうしてこうもビクビクしてしまうのか、自分でも不思議でならない。

「う、」
 今もお腹を触られて、思わず身をよじってしまった。

「ごめんねー、動かないでー」
 マイナは謝りながらも、がっちりとユエの体を固定して逃さなかった。



***
「うん、特に異常はないわ。健康そのもの、普通そのもの、っと」
「それって……?」
「でもねー、残念ながら私、人魚を診たことがないのよねー。だから何が変わったかなんて分かんないというか、普通ってなに?っていうか」
「……なにそれ」

 師弟のとぼけた会話を聞きつつ、ユエはこっそりと胸をなで下ろす。

「そんなに嫌だったかしら?」
「えっ?!」

 こっそりのつもりが、マイナには筒抜けだったようだ。

「鳥肌立ってたもんね。触られるの、苦手?」
 マイナはただ単に、事実確認としてそう聞いただけなのだが……まだマイナに対して軽口を叩けないユエは、図星を指されたことに不自然に慌ててしまう。

「やっ、嫌とかじゃなくって……!その、自分でもよく……──」

 昨晩ヘイレンに触れられた時に気持ちが悪かったのは、当たり前だとユエは思っていた。
 ヘイレンを信用していないし、はっきり言えば嫌いな相手だからだ。

 だが今マイナに触れられても、やはり同じようにゾワっとして、逃げ出したい衝動に駆られたのだ。
 マイナのことは、決して嫌いではないのに。


 確かにユエは、こうして肌に触れられることに慣れていない。

 旅の間、ラークと手を繋いだり、ヘロンがふざけて背中に飛びついてきたり、転びそうになったところをフェザントが支えてくれたり──そういう触れ合いはもちろんあった。

 だが仲間であっても、腹や胸、それから脚といった普段隠れている場所に、直接触れる機会などそうはない。

 触れたことがあるのは──カイトだけだ。


「……カイトは、平気なのに……」

 それは、カイトことを信用しているからだろうか?仲間だから?嫌いじゃないから?

(そう、かもしれない……でも、)

 ユエは思い出す。
 このカラダに最初に触れた、カイトの手の感触を──脚を、腹を確かめるように這わされた、硬い指。生まれたばかりのユエの肌を辿った、あの……──。

 あの時はまだ、カイトのことをよく知らなかった。それでも、気持ち悪いとは思わなかった。
 むしろ──。



「『カイトは平気』って、どういう意味?」

 マイナの声に、ハッとユエは現実に戻った。
 声に出したつもりのなかったユエの言葉は、ばっちり二人に聞かれていたようだ。

 脈絡のない登場人物に、マイナもクレインもきょとんとしている。


「あ、その……俺は確かに触られるの、苦手かもしれない、けど……なんでか、カイトだけは平気だなって……」

「そうなの?」
「ん。カイトに触れられても、ぞくってする、けど……でもヘイレンみたいに嫌な感じじゃなくって、むしろ──気持ち、いい」


「き、もち……?」
「うん。もっと触ってほしくなる……」


 どうしてだろう……?と、首をかしげるユエに、返ってくる答えはない。


 マイナとクレインは顔を見合わせて、
(えっ?!待って、コレ、聞いていい話?!)
(えーと……どうなんだろう……?)
(だって、えっ!?二人って、なのっ?!)
(うーん……?なんかあったっぽいけど……まではいってないんじゃ……?)

 目でこれだけの会話をした。

 そしてもう一度ユエに視線を戻し、何の含みもない純粋な瞳にかち合って、何ともむず痒くなる二人。


「……どうして、カイトだと大丈夫なのか、俺にも分からなくて……」
 ユエはあくまで真剣だ。

 コホン、とわざとらしく咳をして、マイナは問診のように確認を取る。

「えーと、カイトに触れられると、気持ちがいいのね?」
「ん」
「カイト以外は、気持ち悪い?」
「……よくは、ない……」
「カイトにはもっと触ってほしい?」
「うん」
「……どこを、触ってほしい、とか……?」

 セクハラすれすれのマイナの質問だったが、ユエは全く気にせずに真剣に考える。

「どこ……?」

 髪の毛、頰、首筋、胸、背中……ユエは自分の体を上から辿って、カイトが触れた場所を思い描いていく。
 すると答えは……「ぜんぶ」

「へっ?!」
「ぜんぶ、触ってほしい」

 眩しいほどの直球が返ってきた。


 それを投げられたマイナは──

「やだーーっ!!なにこれ、たっのしいわ!!」
「ちょ、マイナ!!」
 クレインの制止もかき消えるほどに身悶えて、ユエの方へと身を乗り出す。

「なに?!ユエはカイトのこと、好きなの?!」
「好き……?」

「もちろん、恋愛的な意味でよ!!」
「れん、あい……?」

「やだぁ!!この子、とっても純粋なのねっ!」


 出会いからここまで、マイナとユエはそれほど多く言葉を交わしてはいなかった。

 ベレン領で髪を切ってからというもの、肩の上で切りそろえられたその髪型と相まって、ユエはどことなく厳かな雰囲気を醸していた。

 人間の生活に慣れてきたこともあって、以前のようなオドオドとした自信のなさが見えなくなったため、落ち着いた態度がさらにそれを惹き立てる。

 もちろん整った容姿も、周りに与える印象に何役も買っていた。

 そのためマイナでさえ、気安く触れられない聖域のようなものを感じていた。



 だが今の会話は、そんなユエの印象をひっくり返すものだった。この海の宝石のような人魚のことを、マイナは一気に好きになってしまった。


「なになに?!ユエ、もしかして初恋?!甘酸っぱいわぁ!!自覚もないなんてっ!」

 はぁ、と頭を抱えるクレインと、まだマイナの言葉の意味を理解できていないユエ──二人を置き去りに、マイナはどんどんはしゃいでいく。

「ほらほら!お姉さんに話してみなさいな!ん?どうなのどうなの?!」

 ユエにはなぜ彼女がこれほど嬉しそうなのか、皆目分からない。



「すき、って……俺がカイトのことを……?」
「そうじゃないの?『触ってほしい』なんて、なかなか強烈な愛の言葉だと思うけど」

「『愛』……?」
 ユエはその単語を、得体の知れないもののように恐る恐る口に出した。



 海で──ユエが暮らしていた一族で『愛』と言えば、それは『自己愛』だった。
 他人に対して向けるものではなく、己に、自分が属する一族に、自分の種に向けられるもの。

 男女の比率が一対九ということもあって、ユエがいた中央の一族では、夫婦という関係はもはや希薄だ。
 それどころか、恋人関係もないに等しい。

 一人の男を何十人もの女性が共有し奪い合う様は、権力や己のプライドをかけた闘いだった。


 だからユエは、メイが人間のクウェイルのことを「愛してる」ことが、あの時理解できなかった。



「……俺、は……『好き』とか『愛』って、よく分からない……『好き』ってどういうこと……?」

 照れたり誤魔化したりするでなく、またしても直球の質問がユエから投げられる。

 それにははしゃいでいたマイナも、言葉に詰まってしまった。

 予想外の話の流れと、カイトとユエという興味深い組み合わせに、自分が暴走しかけていたことに気づいて、慌ててブレーキをかける。

(やだ……もしかして私、責任重大……?)

 チラッとクレインを見ると……(……しーらない)と、ツンとそっぽを向かれる。


 気軽な恋愛相談のつもりが、深みに足を踏み入れてしまったようだ。

 なぜならそれは、正解のない問いなのだから。


***
「う~ん、その質問、すっごく難しい」
 考えた末、マイナは唸るようにそう返す。

 そして「あくまで一般論よ!」と前置きして、正解とも不正解とも言えない例をいくつも挙げていく。


「その人の『特別になりたい』とか、その人を『独り占めしたい』とか『幸せにしたい』とか……?」

 ユエは自分が知る数少ない知り合いの中から、『恋』や『愛』のイメージとして、マイナとゲルト、メイとクウェイルの二組の夫婦を思い浮かべた。

 だがその人たちに、自分とカイトを重ね合わせて考えることができなくて、ユエは余計に混乱してくる。

 ピンときていないユエのために、マイナはさらに具体的な行動を挙げる。

「あとは……『触れたい』『触れられたい』、『口づけをしたい』……『抱き締めたい』」


(触れたい……触ってほしい……背中から抱き締められると安心して……でもそれだけじゃ……)
 ユエの頭の中の想像はどんどん具体的になっていく。
(口づけ……したこと、ない。カイトと……?カイトの唇に、俺の唇が触れる……)


 素直過ぎるユエが、流れのままに終着点へと到着しようとした、その寸前に──。


「ちょっと待って」
 黙っていたクレインが、とうとう口を挟む。
 このままでは、マイナが望む結論に誘導されてしまう、と。

 他人の恋愛に首をつっこむ気など毛頭ないクレインだが、そうも言っていられない。

 マイナは知る由もないが、ユエとカイト、二人の関係は今、とても微妙なところなのだ。


 ベレン領に着くまでは、まるで親鳥に全幅の信頼を寄せるひな鳥のごとく、ユエはカイトを頼っていたし、カイトはそれを受け止めていた。

 しかしベレン領でのあの事件があって、二人の関係は変わってきている。

 だが、それがいい変化なのか悪い変化なのか──仲間たちにはどっちなのかいまいちよく分からない。

 ユエもカイトも特殊過ぎて、常識が通用しないところがあるからだ。

 クレインとしてはここで波風を立てるくらいなら、全力で現状維持の方向へ持って行きたい。



 だから自然と、マイナの意見に反論する立場に立った。

「後半の例えは、ただの性欲で説明できる場合もあるでしょ」
「えぇ?!そうかしら?『触れたい』なんて、精神的なものじゃない?」

「そもそも前提として、男同士ってところは考えなくてもいいの?」
「いいの!私は同性同士の恋愛を否定しないわ!」

「……マイナが教えてくれたんじゃなかった?ほら、吊り橋効果、とかいう……」
「……」

 ユエそっちのけの、クレインとマイナの場外乱闘は、クレインにやや天秤が傾きかける。


「緊張のドキドキを、恋愛のそれだと勘違いするんでしょ?ユエは人間に捕まったのをカイトに助けてもらったし、緊張の連続だった陸の旅で頼りにしたのもカイトだった。……勘違い、なんじゃないの?」


 クレインは最後に、痛みをこらえるように拳を握った。

 ユエとカイトのことを想定して放った言葉が、そのままそっくり自分に返ってきて、胸にトゲを残していく。


「……確かにそういうこともあるわ」

 出会いが出会いだということもあって、クレインのことを弟のように見守ってきたマイナは、彼の複雑な心境が何となく想像できていた。

 だから、ユエだけでなくクレインに向けても言葉をかける。


「私はね、もし……あなたたちが男女なら、その理論を振りかざして『よく考えなさい!』って言うわ。でもね、男同士だから──」


 悩める弟分たちに、自分なりのエールを。


「だって、一緒に危険をくぐり抜けた同性なら、それは無二の親友になれるんじゃない?特に同性愛者の自覚がない者同士なら、そっちの方が自然の流れでしょう?」


 男から向けられる好意が嫌でたまらないクレイン。
 恋愛どころか、人間全てに絶望していたジェイ。


「それでも恋愛に繋がるなら……それは勘違いなんかじゃあないと思うわ」


 その言葉が、ユエだけでなく自分にも向けられたものだとクレインはすぐに気づき、バツが悪そうに「……そうかな」と勢いをなくした。


「ジェイとなにかあった?」
 マイナはそう聞きたかったが、ぐっと思い留まる。ユエの前では聞かれたくないだろう、と。

(……クレインと二人きりになる機会、あるかしら?それに……ジェイとも話したいわ……!)

 マイナは旧友たちの色恋沙汰に、全力でお節介を焼く準備を始めていた。



***
 一方、おいてけぼりになったユエは、懐かしい二人の顔を思い出していた。


(ギリーとミカエル……)


『男同士』と聞いて、もうひと組、参考にできる二人がいたことを思い出したのだ。


 サーカス団の役者ギリーと、教会の司教ミカエル──二人は男同士の恋人だ。

 十字行路の旅の途中、カイトとユエは二人の逢引現場を見てしまったことで、少しばかり巻き込まれたことがあった。

 ユエにとってはその先例があっただけに、男同士の恋愛というものを、自然と受け入れている。

 そしてその時に、正に今、参考とするべき発言が、カイトとギリーとミカエルから与えられていた。


「あ──」

 その話をしかけて、ユエはすぐに口をつぐむ。

(『誰にも言わないで』ってミカエルに頼まれたんだった……)

「友だちの友だちの話で……」やら、「うわさ話で……」などと上手く誤魔化す技は、ユエにはない。


 それと同時に、あの時のカイトのセリフも、脳裏に再生される。


『いいか、分からないことがあったら俺に聞け。他の奴に、こういうことを聞くなよ』

 ユエが交尾や男同士の性行為について尋ねた時の、カイトの忠告だ。


(……あれ?もしかして今話してることも、カイトが言った『こういうこと』に当てはまるのか……?もしかして……マイナとクレインにも、聞いちゃいけなかった……?)



「あっ!そ、それでユエは?!どう?自分の気持ち、分かった?」

 やっとユエの存在を思い出した二人に、そう最終確認のように問われたが──

「……あの……もう少し考えてみる、から」

 ユエにとっての精一杯で誤魔化した。


 はっきりした答えを聞きたかったマイナと聞きたくなかったクレインのせめぎ合いが一瞬あったが、最終的には『続報を待つ』ということで、この場の恋愛相談は終わったのだった。


***
(……カイトに聞いてみる……?でも、『俺ってカイトのこと、好きなの?』って、本人に聞くのは……ちょっとおかしい)

 流石のユエでも、それは踏み止まった。だが──
(うん、まずは確かめて、みよう)

 感情が育ち始めたばかりの初心うぶな人魚は、やはりどこかズレていた。

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