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第四章 地下に眠る太陽のカケラ
番外編 シンシア・ヴェルドット監修『君影草の恋』後編※
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「ジャック、久々に手合わせをしないか?」
ローランドの誘いに、ジャックは一も二もなく頷いた。
二人は他の護衛を置いて、慣れ親しんだヴェルドット領主の館の中庭へと向かう。
初めて二人が剣を交えた場所──だが今はあの時と違って、観客はいない。近く、主人がいなくなることを知っているように、館も別れを惜しんで沈黙している。
二人は剣で語るように、無言で幾度も打ち合った。互いの癖も思考も、手に取るように分かる。この三年、毎日隣にいたのだから。
夢に確実に近づいているという、充実感。
賛同してくれる者が日に日に増えるという、喜び。
皆が少しずつ豊かに、そして自分たちに誇りを持てるようになっているという、満足感。
だがその一方、失くしていくものもある。
ローランドはもう、一人で安酒場には行けない。いつでも人目を気にし、立場に相応しい行動を取らなければならない。
ローランドとローサの最も近くにいるということで、ジャックは嫉妬や詮索にさらされる。足を引っ張ろうとする者、取り入ろうとする者──一匹狼だった彼には、さぞ窮屈だっただろう。
そしてこの窮屈さは、これから増すばかりなのだ。
ローランド・ヴェルドットは、近く王になる。
東の海を望む丘に構えた、新しい城──そこへ数日のうちに居を移すことになっている。
聖会からの承認もすでに取りつけた。聖会内でも西と東の格差はあり、東は見下され続けてきたため、それを巻き返そうという打算もあるだろうが、やはりローランドの政策の成果が目に見えるほど出ていることが大きい。
遊牧民族と協力し、南の国から食料を購入する伝手を作ったこと。
寒冷な気候でも育つ穀類などの、品種改良に着手したこと。
武具だけでなく、生活用品の質を高めたこと。
安価で高品質な紙のすき方を広めたこと。
治水に道の整備、橋の建設に治安の維持──枚挙にいとまがないほどだ。
地方領主に過ぎなかったローランドを、いくつもの領主や果ては王までが、自分たちの君主だと認めているのも、皆がこの変化を待ち望んでいたからだろう。
ローランドは、痩せた土地と共に閉塞していたこの地方に、新たな風を送り込んだ。
皆、ローランドに魅了されたのだ。
柔軟な発想力に、それを実現する行動力、そしてどんな壮大な夢でも叶えてしまうのではないかという、期待感。
そして、その全てを背負える度量も持ち合わせている。
ジャックが第一印象で抱いた通り、ローランドは王の素質を持っていた。
ガンッ!!
最後の一太刀で、双方が大きく弾け飛ぶ。
全て通じ合っているように、二人は同時に剣を納めた。そして弾んだ息を整えながら、向かい合う。
「……珍しく、緊張しているのか?」
言い当てられたローランドは、苦笑いではなく、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「そうみたいだ。俺でも人並みに緊張することがあったんだな」
他人事のように言って、段差に腰かけると、ジャックはその近くの柱へと背を預ける。同じ方向を向けば、互いの表情は見えなくなる。それが今はありがたかった。
「俺は別段、王になりたいと思ったことはなかった」
「……周りが、お前を王にと望んでいる。それが全てだ」
「なりたくない訳でもない。責任は果てしないが、やりがいも感じるしな」
「それなら、なにが引っかかっているんだ?」
「……失うものを、考えている」
ローランドの視線の先には、その象徴である腹心の剣。
今でも周りの目は厳しい。王となれば、なおさらのこと。
よほど近しい者でない限り、ジャックが果たした大きな役割を知らない。彼の知識が経験が人脈が、ローランドの功績を支えたことを。
手柄をひけらかさないこともあって、周囲のジャックに対する印象は、『出自が分からないよそ者』『ローランドにも対等な口を聞く無礼者』『ローサのお気に入り』などとあまり芳しくない。
ローランドが望む『友情』がこれから先どこまで続けられるのか──二人にはすでに終わりが見えていた。
「……俺は──」
ジャックが何かを言いかけたその時、「っ失礼します!!」兵士が二人、慌ててローランドを探しに来た。
「連絡が入りました!『動きあり』と!」
その報告に、「……来たか」ローランドは落ち着いて立ち上がり、ジャックと視線を交わして頷き合う。
「……これが最後の山場になりそうだな」
「ああ。これを越せば……──出陣の準備を!」
「はい!!」
兵士に指示を出して退がらせると、ローランドは腰の剣に手をやって、深呼吸してからぐっと握る。
「……大丈夫、か?」
ジャックの気遣いに、ローランドは「覚悟はしていたさ」と返しながらも、彼にだけ本音を覗かせて眉を少しだけ下げた。
これから戦うのは、ヴェルドット家が属していたかつての王家──主君に牙を剥くのだ。
すでに他の貴族たちもローランドに付き、孤立無援となっているが、それでも王は戦いを選んだ。
ローランドは王と戦うことについては、それほど特別な何かを感じてはいない。血を流す選択をしたことは残念ではあるが、戦うことでしか決着のつかないこともある、と達観している。
ローランドに突き刺さる一本の棘は、自身の父親のこと──彼は息子ではなく、滅びゆく王家に付いたのだ。
夢に最後に立ちはだかるのは、父。
複雑なローランドの心境を思いやって、ジャックは静かにその背に手を添えた。支えるように、背を押すように──。
******
ジャックへの想いが恋心だと気づいたのは、いつのことだったろう──ローランドは記憶を辿る。
ローサとの仲を、周囲が疑い始めた時だろうか。
ローサとジャックが二人になることなど、そうはなかった。彼女がジャックと話す時には、ほとんどローランドも一緒にいたはずだ。それなのに──
「ローサ様は本当にジャックがお気に入りだな」
「あの二人、怪しいんじゃないか?いつも一緒にいる」
「ローサ様はジャックと話す時、笑顔が多い気がする」
──ローランド、ローサ、そしてジャック、三人が己の感情を自覚する前に、周囲が勝手に決めつけてしまったのだ。
ジャックとローサにそんな気がなくとも、そんな噂が立ってしまえば、意識するなと言う方が難しい。
妹と親友の間に立ったさざ波を、ローランドは見ないふりをして、何も言うことはなかった。
いや、だがこの時はまだ──ローランドの記憶はもう少し進む。
父との戦いの後だろうか。
戦力差は歴然だった。犠牲は最小限に抑えられ、最後はジャックが王を討ち取って、戦は終結した。父は──戦いの中で討死した。
自陣から上がる勝ち鬨を聴きながら、ローランドは初めて味わう喪失感の中にいた。勝利と建国の前祝いとして酒宴が催されたが、ローランドは早々にそれを辞した。
そして、ジャックとローサと三人だけで、静かに献杯したのだった。
ジャックは慰めなど言わなかった。ただ兄妹の思い出話を聞いてくれただけ。ただそれだけで、ローランドの心を軽くしてくれた。
いつの間にかジャックは、領主として王としてのローランド・ヴェルドットだけでなく、ローランド個人をも支える存在になっていた。
ローサが辞して二人になってから、ローランドの目から涙が一粒流れた。
誰も踏み込めないような、聖域めいた空間──特別な時間だった。
いや、この時もまだ──ローランドの記憶は、どんどんと現在に近づいていく。
建国の後のことだろうか。
秋晴れの日、ローランドは王となった。
誰もがヴェルドット国の誕生を祝福し、そして新たな王に期待した。
やるべきことは山のようにある。
そんな中、どこからともなく聞こえてくる声──「妃を選ばなければ」「早く子を──」「後継を──」
「まだ早い」とローランドが一蹴すると、今度はローサにその鉾は向けられた。
「王妹に相応しいお相手を見つけなければ──」
「まさかローサ様は、あんな出自も知れない者と……?」
「ジャックなどローサ様には釣り合わない!」
ローサとジャック、二人の間に何も進展がなかったことを、ローランドだけはよく知っていた。だが、他の者は噂を鵜呑みにして、二人の仲を疑っていた。
そして有りもしない仲を裂こうと、ジャックを攻撃し始めたのだ。
ジャックはこれまで、特に役職がなかった。それは信頼していないのではなく、むしろその反対で、ローランドは彼を臣下にはしたくなかった故のことだ。
だがこうなっては、それもジャックの立場を不利にする材料となっていた。
ジャックを臣下にするか、それとも──義弟にするのか……?
そう考えた時に、ローランドは思い知った。
どちらも嫌だ。だが──ジャックを手放すよりはマシだ。
結論はまだ出していない。なるべく引き延ばすことが、ローランドにできる唯一のこと。
なんだ、そうか──ローランドのジャックに対する感情は、出会った最初から何も変わってはいない。
──ただ彼が欲しかった。
なんだ、そうか、最初からだったのか──ローランドは自分の恋心の始まりを知り、それをひとり胸の中に隠した。
******
国を建てる以上に、国を動かしていくことは困難を極める。覚悟していたとはいえ、言葉通り寝る間も惜しんで、ローランドは王としての役目を果たしていた。
『王』がそろそろ日常になってきた、ある日。
「ローランド、一緒にドワーフ王国へ行ってみないか?」
ジャックが唐突にそんなことを言い出した。
「ドワーフ王国?」
「亜種に対する政策は、軌道に乗り始めている。次の段階に進んでもいいんじゃないか?」
次の段階──ドワーフとの協力体制を敷くこと。
すでにジャックの人脈を伝って、個人的な取引は始めていた。それを今度は、国と国単位でのものに拡大する。
確かに「そろそろ」とローランドも考えていた。だが……
「一緒にって……」
「あそこならお前の顔も知られていない。町を歩いても騒ぎにはならないだろう」
「お忍びってことか?」
「ああ。俺とお前だけなら、護衛はいらないだろう?」
ローランドはそう言うジャックを見て、それからその後ろに控えていたローサに目を向ける。
「……行ってもいいのか?」
決定権を持つローサにおそるおそる聞くと、
「留守はお任せください。お兄様は風邪を引いて寝込んでいるとでも誤魔化しますわ」
頼もしい妹の言葉に、「いいのかっ?!」思わずガタンとイスを鳴らして立ち上がってしまう。
「ドワーフ王国を、直接見ていらしてください。お兄様、ずっと行ってみたかったのでしょう?」
どうやらジャックもローサも、ローランドに限界が近づいていることを感じていたらしい。
ローランドは根っからの行動派。何でも自分で足を運んで、見て聞いて感じたいのだ。
あれほど領主の館を留守にして飛び回っていた男が、大人しくイスに座って書類整理ばかりしていては、いつ爆発してもおかしくない。
その前に、ガス抜きをしてもらおうという計らいだった。
「二、三日が限界ですからね!」というローサの忠告を背中で聴きながら、ローランドはジャックと二人、城を抜け出した。その顔に、久しぶりにいたずらっ子のような笑顔を浮かべて。
***
ジャックの案内で忍び込んだドワーフ王国は、ローランドが初めて目にするものばかりだった。
地下に作られた町、色とりどりの鉱物、最高級の剣、見たことのない形の武具──ローランドはその一つ一つに感嘆の声を上げる。
見た目だけではドワーフも人間も案外見分けられないもので、身構えていたローランドも、すぐに肩の力が抜けた。ドワーフの間では顔を知られていないことで、人目を気にせずはしゃげるようになる。
もちろん、ローランドの心が弾んでいる理由は、それだけではない。
「やはりドワーフの技術力はずば抜けているな」
「だが武具に関しては、これ以上の伸び代は望めない。どこを攻めるか……」
「俺が一つ考えているのは……船だ」
「船……?っそうか!」
「ドワーフは水が苦手だから、造船には手を出していない。そこを俺たちと協力すれば──ジャック、どう思う?」
「いい考えだ!……まさか、城を港町に造ったのはこのためか?」
「それもある。いつまでも遊牧民に頼ってはいられないからな。海路が使えるようになれば、南との交易で優位に立てるだろう?」
まるで過去に戻ったかのように、二人は並んで会話に夢中になる。久しぶりの二人きりの時間──それがローランドを高揚させていた。
夜になって宿を取ると、部屋に酒を持ち込んで飲み比べを始めた。ドワーフたちに負けず劣らず酒が強い二人は、珍しい酒を片っ端から買い込んでいた。
護衛のためもあって、部屋には寝台が二つ並んでいる。
戦場での雑魚寝は当たり前だったし、過去にはこうして諜報員のような真似事をして、安宿に二人で泊まったこともあった。だが──ローランドはその時とは違って、少しの緊張を隠している。
それが、ローランドの酒量を狂わせていった。
「ドワーフとの交渉には、『月下鈴』が使えるんじゃないか?」
「地下の光源は死活問題だからな。だがあれはまだ、流通させるほどの品質は維持できていない」
「光の強さと、発光の長時間化……その両方を備えるには、やはり品種改良を──」
「いや、それよりも、発光の仕組みを解明する方が先だ。日光に当てる時間なのか、気温なのか──」
真面目な話から、話題はだんだんと個人的なものに移っていく。
「……俺は最後になって、父のことを見直した」
「ローランド」
「権力に擦り寄って、勝ち馬に乗るばかりかと思っていたが……忠義を貫いたんだな。……まあ、俺に対抗しただけかもしれんが」
ジャックからも酌をされて、さらにローランドの酒量は増えていく。
「王ってのは思っていたより、窮屈なものだ。あれはしてはいけない、これはこういうものと決まってる、それは王のすることではない──少しだけ、疲れる」
「ローランド……」
「なんだ、お前にくらい愚痴をこぼしたっていいだろう?」
ドワーフ好みの度数の高い酒を、ほとんど飲み干してしまったことに、ローランドは気づいていない。とっくに酒量は限界を超えていた。
ここまでの酔いは、人生初のものだ。今まで酒に呑まれたことのないローランドは、自分が酔っているという自覚がないまま、ふらっとジャックの肩に寄りかかる。
「ジャック……お前だって、息苦しさを感じているだろう……?何も知らないやつから、あれこれ好き勝手言われて」
「……そう、だな。俺は今まで一人で気ままにやってきたから、時々、協調ってものが煩わしくなることがある」
紛れもない本音の吐露に、ローランドは一気に不安を煽られた。彼はきっと、去る時は何の前触れもなく去るだろう。ジャックのいない城を想像し、ローランドに身震いが走る。
縛らなければ……!酒が回った頭は、視野を狭窄にしてしまう。
「……臣下と義弟、どっちが……」
「何の話だ……?」
口に出していることにも気づかず、ローランドは考えに没頭する。
ジャックは責任感が強い。役職を与えれば、それを簡単に放り出したりはしない。いや、それよりも身内にしてしまえば……──
「ジャック、お前、ローサと結婚するか……?」
口走ったそばから、ローランドは後悔し始めていた。
ズキンと胸が痛み、どんな顔をしていいのか分からずに顔を上げられない。
触れていたジャックの肩が強張ったことが、ローランドにも伝わってくる。
「……そんなこと、誰も望んでいないだろう」
ジャックの声も、身体と同じくらい強張っていた。
そこで冗談だと笑ってしまえばよかったのに、ローランドの口は勝手に動いて、「ローサはお前のことを──」気づいているくせに、と詰るような声が出た。
「お前は……?」
「え……?」
ジャックの思いがけない強い口調に、ローランドは反射的に顔を上げる。するとそこには、見たことのない顔──怒りをたたえた瞳に飲み込まれる。
「ローランド、お前はそれを望んでいるのか?」
「俺、は……」
「お前は、俺とローサが結婚すればいいと、そう思っているのか……?」
怒りの中には、一粒の哀しみも混じっていた。
お前がそれを言うのか?お前の口からその言葉は聞きたくなかった!──ジャックの瞳がそう語っていると思ったのは、ローランドの願望だろうか。
いや──
「お前を見つけたのは、俺だ!俺が、見つけた……!」
ローランドの腕が、彼の首へと巻きつく。自分の腕の中に収めてしまったら最後、もう離れることはできない。
力を込めて引き寄せる。
「ジャック、お前は俺のものだ……!」
傲慢な台詞だったが、語尾は震えていて懇願にさえ聞こえる。
この瞬間のローランドからは、国のことも立場のことも、そして妹のことも消えていた。
ただ、濡羽色の瞳だけが、世界の全てだった。
***
どちらが先だったのかは、二人にも分からない。
気がついた時には、唇が合わさっていた。
「ンっ、んっ、んんっ……」
膝に乗り上がったローランドの腰を、大きな手が這い回る。
酒の味なのか、相手の唾液の味なのか分からないが、口の中は甘い。その甘味を奪い合うように、舌が二人の口の中を行ったり来たりして、口の端から雫が溢れた。
今ならまだ引き返せる──酩酊する頭の隅から小さな声が聴こえてきたが、だんっ、とジャックに組み敷かれて、再び熱が加速する。
ジャックも酒量を読み間違えたのか、目元が紅く染まって、身体も発熱しているかと思うほど熱い。上あごをなぞる舌も、服の中に忍び込み尻を揉む指も、擦りつけられる股間も──触れる場所全てに熱が伝わる。
二人は言葉を封じるように、ずっと口づけを交わしていた。
口づけを交わしたまま、互いの服を脱がせ合い、愛撫して、抱き締めて──身体を繋げる瞬間も、口づけはしたまま。
「は……っ」
ジャックは普段の冷静さが信じられないほどに、情熱的にローランドを抱いた。
そしてローランドもそれに負けじと──二人はドワーフ王国滞在二日目を、ほとんど宿から出ることなく過ごした。
何かに追い立てられるような焦燥感は、それだけ身体を重ねても消えることはなかった。
******
一度知ってしまった熱を、もう見て見ぬ振りすることはできない。
二人は日常に戻ってからも、何度も隠れて口づけを交わした。
執務の合間に、卓の下で。
剣を打ち合った後、汗だくのままで。
真夜中の閨で、息を殺しながら。
どちらも表情を繕うことには慣れたもので、どれだけ激しい情事の後でも、すっと『友の顔』に戻った。そのため二人の関係を疑う者すらいるはずもない。
いや、ひとりだけ──ローサだけは何かを感じ取っているのか、ローランドがジャックと二人きりでいると、一瞬話しかけることを躊躇うような素振りを見せるようになった。
背徳感と甘美、罪悪感と充足──ローランドはその間を行ったり来たりしながらも、束の間の蜜月を過ごしていた。
しかし、ローランドのささやかな願いも虚しく、思っていたよりもずっと早く、その蜜月は壊されることとなった。
ローランドの妃問題が、再び持ち上がったのだ。
「……南の国が……?」
「そうです、陛下。こちらに併合する条件として、あちらの国は陛下と自国の姫との婚姻を望んでいます」
それはヴェルドット国からすれば、利ばかりの申し出であった。
王の婚姻が、自分の意思よりも国の利益のために成されることなど、承知の上だったし覚悟もしていた。
だが──ローランドの頭に最初に浮かんだのは、ジャック。彼の肌を知ってしまった今となっては、愛のない結婚がどれだけ多くを裏切ることになるのか。
妃となる女性、ジャック、ローサ、そして自分をも裏切り、欺き、繕って──それに耐えるのが、王というものなのだろうか。
結婚しないという選択肢など端からあり得ない。遅いか早いか、それだけだ。
臣下が急かす気持ちもよく分かるし、民たちが望んでいるのも伝わってくる。
色々なものを天秤にかけ、ローランドは悩みに悩んだ。そして、結論を出す。
誰よりも先に、とジャックを呼び出したローランドだったが──ローランドより早く、ジャックはすでに心を決めていたのだ。
「ジャック……俺は」「何も言うな」
ジャックはローランドの言葉を遮って、続きを言わせない。
二人きりの執務室には、夕陽が射し込んでいる。柔らかい黄昏色の中で、幾度も唇を擦り合わせると、最後には涙の味が残った。
***
正式に婚姻が決まるまでは、表面上は穏やかに時が過ぎた。
そしてついに、夫婦となる二人の顔合わせの日がやってくる。
南の国の姫は、聡明で美しく、そして立場や背負っているものをよく理解していた。
誰もが歓迎し祝福して、その日は暮れていく。
「……ローサ」
一足先に女性陣が退出していくと、待っていたようにジャックがローサを呼び止める。
そしてあるものを手渡して、ローランドへの言づけを頼んできた。
「……どうして直接言わないのです?」
不審に思ったローサがそう訊くが、ジャックは何も応えずに背を向けた。
肩書きのない彼は、この場ではただの護衛の一人。兄王と南の王の語らいは続いていたが、ジャックはその場には残れずに、女性陣と一緒に退出した。
そして賑やかな酒宴から顔を背けるようにして、暗い通路へとその姿を消していく。
そんな後ろ姿に、強烈な不安を覚えたローサだったが、引き止めることもできず見送ることしかできなかった。
そのまま自室に戻ったローサだったが、時間が経つほどに不安は増していく。このままでは眠れそうにない、と思い切って行動に移したローサは、ジャックを呼び出すように使いを出した。そして使いが戻った時にやっと、不安の正体を知ることになったのだ。
ジャックが姿を消した──その報せを持って、ローサは兄の元へと急ぐ。
宴会を終えて部屋に戻っていた兄を捕まえて、ローサは「ジャックが……!」と一言を発すると、ローランドは息を飲んで後、「……行ってしまったのか……」と全てを理解した顔で呟いた。
「お、兄様……?『行ってしまったのか』って、そんな悠長なこと……!お、追いかけなければ──」
「追いかけてどうする……」
「どうって……」
全てを諦めた顔をする兄に、ローサはかっと頭に血が上る。
「追いかけなさいっ!!」
ビシッと扉を指差して、ローサは兄を急き立てる。
「別れるにしても、このまま顔も合わせず言葉も交わさずでは、絶対に後悔が残ります!お兄様は一生、自分にもジャックにも、妻となる女性にも……そしてわたくしにも、ずっと罪悪感を抱えて生きていくおつもりですかっ?!」
「ローサ……」
目を合わせた兄妹は、互いの瞳の奥に共通の感情を見る。それは互いにずっと、目を逸らしてきたもの。
「……お兄様、わたくしのためにも、行ってください。彼はまだ城下にいるはず。今なら追いつけます」
***
妹にあそこまで言わせて、ローランドはやっと腹をくくった。
ローサに協力してもらい城を抜け出して、ジャックの後を追う。顔を合わせずに別れた方がいいと思っていた時には、ジャックの行方など検討もつかなかったが、夜道を馬で駆けていると、彼の思考を辿ることができる。
もし待っていてくれるのなら、あそこだ。
城下町の外れ、馴染みの宿に着くと、それが正しかったことがすぐに証明された。ジャックの馬の横に自分の馬を並べて、不規則に跳ねる心臓に振り回されながら、戸を叩く。
女将は王の訪れを予期していたように、黙って迎え入れ、自分はそのまま玄関を出て行った。
ここはローランドが以前から、密会に使っていた馴染みの宿だった。密会といっても、情事に使うのではなく、諜報員や非公式な相手との秘密の話し合いのためである。
女将の息子が亜種で、ローランドが彼を引き立てたことに感謝しているため、秘密は守ってくれる。
彼女は客をこの離れに通すと、自分は母屋に戻って、一切の干渉はしない。
すなわち今ここには、彼と自分だけ。
「ジャック……!」
扉の中に彼の姿を認めた途端、ローランドは反射的にその腕の中に飛び込んでいた。
「お前を愛している……!ジャック、お前を……」
「……分かっている。俺も……お前を愛している。だからこそ……愛したからこそ、お前のそばにはいられない。妃を娶り、彼女を抱き、子を作るお前を、俺は……!」
無我夢中で接吻を交わし、服を剥ぎ取って、裸になって抱き合う。
最後の夜の、最初の交合は、瞬く間に過ぎ、間髪入れず二度目が始まっていた。
「あっ、あぁ!あン……あぁ……!」
騎乗位で腰を振るローランドは、感じる場所に自分から屹立を擦りつけて、快楽にすがった。
「あ、あぁぁーーーっ!!」
「く……」
びくん、びくん、と身体全体を跳ねさせたローランドを、ジャックは押さえつけるように抱き締めて、搾り取るようにうごめく隘路に、熱い放埓を注ぐ。
三度目は対面座位で──自重でいつもより深く飲み込んで、ローランドは初めて後ろだけで絶頂に達した。
快楽一色に染まった後は、心も頭も不思議と澄み切っていた。
正常位で繋がったまま、二人はゆらゆらと心地のいいたゆたいに身を委ねる。
「ん……ジャック、もし俺と寝ていなかったら、お前は……あっ!一生この国に仕えてくれたか……?」
「……どうだろう、な。今ではそんな『もしも』は考えられない……」
「そう、だな。俺も……ん、もし過去に戻っても、お前に触れることを思い留まるなどできない……は、ぁ……!」
少しだけ強く抉られて、ローランドの腰がくんっと浮かんだ。再び走り出しそうになる体を、どうにか宥めると、ジャックの頰を手で挟んで引き寄せる。
「……俺を、不実だと思うか……?」
赦しを請うように尋ねると、ジャックはローランドの手に自分の手を重ねて、静かに首を振った。
「俺たちはこれ以外の道を選ぶことはできなかった。いや……どの道を選んでも、きっと同じところにしか辿り着かなかっただろう」
結末を変える方法は、ただ一つ──ローランドが全てを捨てて、ジャックと共に逃げること。
だがそれだけは──選べない。選んだとしても、結局それは二人の絆を壊すことになるだけ。
二人の夢を自らの手で壊すことなど、別れよりも受け入れ難いことだった。
「この国は言わば、俺たち二人の子どものようなもの。産んでおいて途中で放り出してみろ。お前は自分を許せないだろう」
ジャックはローランドのことをよく分かっていた。だからこそ、「俺よりも国が、民が大事なのだろう?」とは口が裂けても聞かない。
そしてローランドも言わない。
「俺が結婚しても、子ができても、そばにいてくれ」とは。
別れこそが、最上の愛の証──。
「う、あ……っん!!」
ぱんっ!と肌を打つ音で、最後の時間が始まりを告げた。
「ローランド、ローランド……!この先、俺を忘れてもいい……伴侶を、子を、民を愛することで、俺に罪悪感など感じなくていい……だが……!ひとつだけ、お前を縛りたい……!」
「いい……っ!なんでもっ、あっあっ……言って、っいい、ぞ……っ」
「お前を抱くのは、俺だけだ……!俺だけに、しろ……っ!他の男には……!!」
「あぁ……っ!あぁ、もちろん、お前だけ……っ、お前だけだ……!やっ、あっンン……俺を抱いていいのは……、俺の上に乗ることを許すのは、ジャック、お前だけ……!!」
絶頂の中の約束──それが二人が交わした最後の言葉になった。
***
翌日、目を覚ましたローランドの元には、温もりさえ残ってはいなかった。
王の不在が知れる前に、城へと戻る。
一睡もせずに待っていたのか、目を赤くしたローサに迎えられ、ローランドは無言で頷いた。
ローサは自分よりも辛いはずの兄の前では、大きな動揺を見せることなく、目を閉じて深呼吸してから、握り締めていた掌を開いて見せる。
「お兄様、これを……」
「こ、れは……」
ローサの手の上には、小さな太陽があった。
彼女の手には余るほどのそれを、ローランドが受け取ると、キラッと紅が煌めく。
「紅光石……これほどの大きさのものは、初めて見る……」
呆然とその綺麗な球形を撫でるローランドに、ローサは「ジャックからの餞別です」と語る。
「ジャック、から……?」
「ええ。昨日、わたくしに託して行きました。『これは俺が偶然手に入れたもの。元はドワーフの宝物だ。ドワーフ王国との交渉に役立てろ』、と……」
『太陽のカケラ』とも呼ばれるその宝石だけが、ジャックが唯一残した、形あるものだった。
ローランドはそれを胸に抱いて、初めて愛した男に、心の中で別れを告げた。
******
翌年の春、ヴェルドット国王の婚姻の儀が執り行われ、ほどなくして後継が誕生した。
祝福に湧くヴェルドット国は、すでに大国への道を歩み始めている。
しかし人々は、この国の建国に尽力した一人の人物の存在を知らない。彼はその大きな功績に反して、記録にはほとんど記されていないのだ。
それは彼自身が望んだことでもあったのだが──王の意向がもっとも影響している。
国王は、彼を隠した。思い出に軽々しく触れられないように──。
彼が残した唯一も、すでにドワーフ王国へと還り、この国の発展に貢献してくれた。
もう、彼の思い出の品など──いや、実はひとつ、王も予期していなかった置き土産があったのだ。
そして今日、もうひとつ贈り物が届いた。
国中が王子の誕生に騒ぐ中、城は妃と子を労って、静かな祝福に包まれている。
二人を見舞った王は、最愛の妹と共にある部屋へと向かった。
王族だけが立ち入ることを許された場所──そこには一枚の絵が飾られている。
一見、何の変哲もない日常を描いたもの──戴冠したばかりの王とその妹が、くつろいだ様子でお茶の時間を楽しんでいる。二人が笑いかける第三の人物は、横顔だけでその顔の作りはよく分からない。だが、誰の目にも、二人がその人物に心を許していることは伝わってくる。
その人物──黒髪と黒い瞳が印象的──のことを知るのは、この部屋に足を踏み入れることのできる者だけ。
王は絵の前に立つと、その腕の中に抱えていた花束を、そっと抱き締める。
王子の誕生祝いに届いたその花は、この部屋を照らす『月下鈴』とそっくりだったが、黄色ではなく澄んだ白色をしていた。
王の耳には、まるで隣から話しかけられているようにまざまざと、過去の会話が聞こえてきた。
あれは、彼と二人、ドワーフ王国へと忍び込んだ時──初めての後の、睦言の一幕────
「……知っているか?『月下鈴』はこの地方でしか咲かない花なんだ」
「へぇ、知らなかった。どの国にもあるのかと」
「似たような花はあるがな」
「なんと言う花だ?」
「鈴蘭。見た目はそっくりだが、月下鈴のように発光はしない」
「鈴蘭!ははっ、名前も似ている。……いつか見てみたい」
「そうだな、いつか見に行こう」
贈り主の名がない花束を、王はいつまでも優しく抱き締めていた。
────────────『君影草の恋』完
********************
監修 シンシア・ヴェルドット
注意 史実とは異なる描写がある点をご了承ください。
ローランドの誘いに、ジャックは一も二もなく頷いた。
二人は他の護衛を置いて、慣れ親しんだヴェルドット領主の館の中庭へと向かう。
初めて二人が剣を交えた場所──だが今はあの時と違って、観客はいない。近く、主人がいなくなることを知っているように、館も別れを惜しんで沈黙している。
二人は剣で語るように、無言で幾度も打ち合った。互いの癖も思考も、手に取るように分かる。この三年、毎日隣にいたのだから。
夢に確実に近づいているという、充実感。
賛同してくれる者が日に日に増えるという、喜び。
皆が少しずつ豊かに、そして自分たちに誇りを持てるようになっているという、満足感。
だがその一方、失くしていくものもある。
ローランドはもう、一人で安酒場には行けない。いつでも人目を気にし、立場に相応しい行動を取らなければならない。
ローランドとローサの最も近くにいるということで、ジャックは嫉妬や詮索にさらされる。足を引っ張ろうとする者、取り入ろうとする者──一匹狼だった彼には、さぞ窮屈だっただろう。
そしてこの窮屈さは、これから増すばかりなのだ。
ローランド・ヴェルドットは、近く王になる。
東の海を望む丘に構えた、新しい城──そこへ数日のうちに居を移すことになっている。
聖会からの承認もすでに取りつけた。聖会内でも西と東の格差はあり、東は見下され続けてきたため、それを巻き返そうという打算もあるだろうが、やはりローランドの政策の成果が目に見えるほど出ていることが大きい。
遊牧民族と協力し、南の国から食料を購入する伝手を作ったこと。
寒冷な気候でも育つ穀類などの、品種改良に着手したこと。
武具だけでなく、生活用品の質を高めたこと。
安価で高品質な紙のすき方を広めたこと。
治水に道の整備、橋の建設に治安の維持──枚挙にいとまがないほどだ。
地方領主に過ぎなかったローランドを、いくつもの領主や果ては王までが、自分たちの君主だと認めているのも、皆がこの変化を待ち望んでいたからだろう。
ローランドは、痩せた土地と共に閉塞していたこの地方に、新たな風を送り込んだ。
皆、ローランドに魅了されたのだ。
柔軟な発想力に、それを実現する行動力、そしてどんな壮大な夢でも叶えてしまうのではないかという、期待感。
そして、その全てを背負える度量も持ち合わせている。
ジャックが第一印象で抱いた通り、ローランドは王の素質を持っていた。
ガンッ!!
最後の一太刀で、双方が大きく弾け飛ぶ。
全て通じ合っているように、二人は同時に剣を納めた。そして弾んだ息を整えながら、向かい合う。
「……珍しく、緊張しているのか?」
言い当てられたローランドは、苦笑いではなく、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「そうみたいだ。俺でも人並みに緊張することがあったんだな」
他人事のように言って、段差に腰かけると、ジャックはその近くの柱へと背を預ける。同じ方向を向けば、互いの表情は見えなくなる。それが今はありがたかった。
「俺は別段、王になりたいと思ったことはなかった」
「……周りが、お前を王にと望んでいる。それが全てだ」
「なりたくない訳でもない。責任は果てしないが、やりがいも感じるしな」
「それなら、なにが引っかかっているんだ?」
「……失うものを、考えている」
ローランドの視線の先には、その象徴である腹心の剣。
今でも周りの目は厳しい。王となれば、なおさらのこと。
よほど近しい者でない限り、ジャックが果たした大きな役割を知らない。彼の知識が経験が人脈が、ローランドの功績を支えたことを。
手柄をひけらかさないこともあって、周囲のジャックに対する印象は、『出自が分からないよそ者』『ローランドにも対等な口を聞く無礼者』『ローサのお気に入り』などとあまり芳しくない。
ローランドが望む『友情』がこれから先どこまで続けられるのか──二人にはすでに終わりが見えていた。
「……俺は──」
ジャックが何かを言いかけたその時、「っ失礼します!!」兵士が二人、慌ててローランドを探しに来た。
「連絡が入りました!『動きあり』と!」
その報告に、「……来たか」ローランドは落ち着いて立ち上がり、ジャックと視線を交わして頷き合う。
「……これが最後の山場になりそうだな」
「ああ。これを越せば……──出陣の準備を!」
「はい!!」
兵士に指示を出して退がらせると、ローランドは腰の剣に手をやって、深呼吸してからぐっと握る。
「……大丈夫、か?」
ジャックの気遣いに、ローランドは「覚悟はしていたさ」と返しながらも、彼にだけ本音を覗かせて眉を少しだけ下げた。
これから戦うのは、ヴェルドット家が属していたかつての王家──主君に牙を剥くのだ。
すでに他の貴族たちもローランドに付き、孤立無援となっているが、それでも王は戦いを選んだ。
ローランドは王と戦うことについては、それほど特別な何かを感じてはいない。血を流す選択をしたことは残念ではあるが、戦うことでしか決着のつかないこともある、と達観している。
ローランドに突き刺さる一本の棘は、自身の父親のこと──彼は息子ではなく、滅びゆく王家に付いたのだ。
夢に最後に立ちはだかるのは、父。
複雑なローランドの心境を思いやって、ジャックは静かにその背に手を添えた。支えるように、背を押すように──。
******
ジャックへの想いが恋心だと気づいたのは、いつのことだったろう──ローランドは記憶を辿る。
ローサとの仲を、周囲が疑い始めた時だろうか。
ローサとジャックが二人になることなど、そうはなかった。彼女がジャックと話す時には、ほとんどローランドも一緒にいたはずだ。それなのに──
「ローサ様は本当にジャックがお気に入りだな」
「あの二人、怪しいんじゃないか?いつも一緒にいる」
「ローサ様はジャックと話す時、笑顔が多い気がする」
──ローランド、ローサ、そしてジャック、三人が己の感情を自覚する前に、周囲が勝手に決めつけてしまったのだ。
ジャックとローサにそんな気がなくとも、そんな噂が立ってしまえば、意識するなと言う方が難しい。
妹と親友の間に立ったさざ波を、ローランドは見ないふりをして、何も言うことはなかった。
いや、だがこの時はまだ──ローランドの記憶はもう少し進む。
父との戦いの後だろうか。
戦力差は歴然だった。犠牲は最小限に抑えられ、最後はジャックが王を討ち取って、戦は終結した。父は──戦いの中で討死した。
自陣から上がる勝ち鬨を聴きながら、ローランドは初めて味わう喪失感の中にいた。勝利と建国の前祝いとして酒宴が催されたが、ローランドは早々にそれを辞した。
そして、ジャックとローサと三人だけで、静かに献杯したのだった。
ジャックは慰めなど言わなかった。ただ兄妹の思い出話を聞いてくれただけ。ただそれだけで、ローランドの心を軽くしてくれた。
いつの間にかジャックは、領主として王としてのローランド・ヴェルドットだけでなく、ローランド個人をも支える存在になっていた。
ローサが辞して二人になってから、ローランドの目から涙が一粒流れた。
誰も踏み込めないような、聖域めいた空間──特別な時間だった。
いや、この時もまだ──ローランドの記憶は、どんどんと現在に近づいていく。
建国の後のことだろうか。
秋晴れの日、ローランドは王となった。
誰もがヴェルドット国の誕生を祝福し、そして新たな王に期待した。
やるべきことは山のようにある。
そんな中、どこからともなく聞こえてくる声──「妃を選ばなければ」「早く子を──」「後継を──」
「まだ早い」とローランドが一蹴すると、今度はローサにその鉾は向けられた。
「王妹に相応しいお相手を見つけなければ──」
「まさかローサ様は、あんな出自も知れない者と……?」
「ジャックなどローサ様には釣り合わない!」
ローサとジャック、二人の間に何も進展がなかったことを、ローランドだけはよく知っていた。だが、他の者は噂を鵜呑みにして、二人の仲を疑っていた。
そして有りもしない仲を裂こうと、ジャックを攻撃し始めたのだ。
ジャックはこれまで、特に役職がなかった。それは信頼していないのではなく、むしろその反対で、ローランドは彼を臣下にはしたくなかった故のことだ。
だがこうなっては、それもジャックの立場を不利にする材料となっていた。
ジャックを臣下にするか、それとも──義弟にするのか……?
そう考えた時に、ローランドは思い知った。
どちらも嫌だ。だが──ジャックを手放すよりはマシだ。
結論はまだ出していない。なるべく引き延ばすことが、ローランドにできる唯一のこと。
なんだ、そうか──ローランドのジャックに対する感情は、出会った最初から何も変わってはいない。
──ただ彼が欲しかった。
なんだ、そうか、最初からだったのか──ローランドは自分の恋心の始まりを知り、それをひとり胸の中に隠した。
******
国を建てる以上に、国を動かしていくことは困難を極める。覚悟していたとはいえ、言葉通り寝る間も惜しんで、ローランドは王としての役目を果たしていた。
『王』がそろそろ日常になってきた、ある日。
「ローランド、一緒にドワーフ王国へ行ってみないか?」
ジャックが唐突にそんなことを言い出した。
「ドワーフ王国?」
「亜種に対する政策は、軌道に乗り始めている。次の段階に進んでもいいんじゃないか?」
次の段階──ドワーフとの協力体制を敷くこと。
すでにジャックの人脈を伝って、個人的な取引は始めていた。それを今度は、国と国単位でのものに拡大する。
確かに「そろそろ」とローランドも考えていた。だが……
「一緒にって……」
「あそこならお前の顔も知られていない。町を歩いても騒ぎにはならないだろう」
「お忍びってことか?」
「ああ。俺とお前だけなら、護衛はいらないだろう?」
ローランドはそう言うジャックを見て、それからその後ろに控えていたローサに目を向ける。
「……行ってもいいのか?」
決定権を持つローサにおそるおそる聞くと、
「留守はお任せください。お兄様は風邪を引いて寝込んでいるとでも誤魔化しますわ」
頼もしい妹の言葉に、「いいのかっ?!」思わずガタンとイスを鳴らして立ち上がってしまう。
「ドワーフ王国を、直接見ていらしてください。お兄様、ずっと行ってみたかったのでしょう?」
どうやらジャックもローサも、ローランドに限界が近づいていることを感じていたらしい。
ローランドは根っからの行動派。何でも自分で足を運んで、見て聞いて感じたいのだ。
あれほど領主の館を留守にして飛び回っていた男が、大人しくイスに座って書類整理ばかりしていては、いつ爆発してもおかしくない。
その前に、ガス抜きをしてもらおうという計らいだった。
「二、三日が限界ですからね!」というローサの忠告を背中で聴きながら、ローランドはジャックと二人、城を抜け出した。その顔に、久しぶりにいたずらっ子のような笑顔を浮かべて。
***
ジャックの案内で忍び込んだドワーフ王国は、ローランドが初めて目にするものばかりだった。
地下に作られた町、色とりどりの鉱物、最高級の剣、見たことのない形の武具──ローランドはその一つ一つに感嘆の声を上げる。
見た目だけではドワーフも人間も案外見分けられないもので、身構えていたローランドも、すぐに肩の力が抜けた。ドワーフの間では顔を知られていないことで、人目を気にせずはしゃげるようになる。
もちろん、ローランドの心が弾んでいる理由は、それだけではない。
「やはりドワーフの技術力はずば抜けているな」
「だが武具に関しては、これ以上の伸び代は望めない。どこを攻めるか……」
「俺が一つ考えているのは……船だ」
「船……?っそうか!」
「ドワーフは水が苦手だから、造船には手を出していない。そこを俺たちと協力すれば──ジャック、どう思う?」
「いい考えだ!……まさか、城を港町に造ったのはこのためか?」
「それもある。いつまでも遊牧民に頼ってはいられないからな。海路が使えるようになれば、南との交易で優位に立てるだろう?」
まるで過去に戻ったかのように、二人は並んで会話に夢中になる。久しぶりの二人きりの時間──それがローランドを高揚させていた。
夜になって宿を取ると、部屋に酒を持ち込んで飲み比べを始めた。ドワーフたちに負けず劣らず酒が強い二人は、珍しい酒を片っ端から買い込んでいた。
護衛のためもあって、部屋には寝台が二つ並んでいる。
戦場での雑魚寝は当たり前だったし、過去にはこうして諜報員のような真似事をして、安宿に二人で泊まったこともあった。だが──ローランドはその時とは違って、少しの緊張を隠している。
それが、ローランドの酒量を狂わせていった。
「ドワーフとの交渉には、『月下鈴』が使えるんじゃないか?」
「地下の光源は死活問題だからな。だがあれはまだ、流通させるほどの品質は維持できていない」
「光の強さと、発光の長時間化……その両方を備えるには、やはり品種改良を──」
「いや、それよりも、発光の仕組みを解明する方が先だ。日光に当てる時間なのか、気温なのか──」
真面目な話から、話題はだんだんと個人的なものに移っていく。
「……俺は最後になって、父のことを見直した」
「ローランド」
「権力に擦り寄って、勝ち馬に乗るばかりかと思っていたが……忠義を貫いたんだな。……まあ、俺に対抗しただけかもしれんが」
ジャックからも酌をされて、さらにローランドの酒量は増えていく。
「王ってのは思っていたより、窮屈なものだ。あれはしてはいけない、これはこういうものと決まってる、それは王のすることではない──少しだけ、疲れる」
「ローランド……」
「なんだ、お前にくらい愚痴をこぼしたっていいだろう?」
ドワーフ好みの度数の高い酒を、ほとんど飲み干してしまったことに、ローランドは気づいていない。とっくに酒量は限界を超えていた。
ここまでの酔いは、人生初のものだ。今まで酒に呑まれたことのないローランドは、自分が酔っているという自覚がないまま、ふらっとジャックの肩に寄りかかる。
「ジャック……お前だって、息苦しさを感じているだろう……?何も知らないやつから、あれこれ好き勝手言われて」
「……そう、だな。俺は今まで一人で気ままにやってきたから、時々、協調ってものが煩わしくなることがある」
紛れもない本音の吐露に、ローランドは一気に不安を煽られた。彼はきっと、去る時は何の前触れもなく去るだろう。ジャックのいない城を想像し、ローランドに身震いが走る。
縛らなければ……!酒が回った頭は、視野を狭窄にしてしまう。
「……臣下と義弟、どっちが……」
「何の話だ……?」
口に出していることにも気づかず、ローランドは考えに没頭する。
ジャックは責任感が強い。役職を与えれば、それを簡単に放り出したりはしない。いや、それよりも身内にしてしまえば……──
「ジャック、お前、ローサと結婚するか……?」
口走ったそばから、ローランドは後悔し始めていた。
ズキンと胸が痛み、どんな顔をしていいのか分からずに顔を上げられない。
触れていたジャックの肩が強張ったことが、ローランドにも伝わってくる。
「……そんなこと、誰も望んでいないだろう」
ジャックの声も、身体と同じくらい強張っていた。
そこで冗談だと笑ってしまえばよかったのに、ローランドの口は勝手に動いて、「ローサはお前のことを──」気づいているくせに、と詰るような声が出た。
「お前は……?」
「え……?」
ジャックの思いがけない強い口調に、ローランドは反射的に顔を上げる。するとそこには、見たことのない顔──怒りをたたえた瞳に飲み込まれる。
「ローランド、お前はそれを望んでいるのか?」
「俺、は……」
「お前は、俺とローサが結婚すればいいと、そう思っているのか……?」
怒りの中には、一粒の哀しみも混じっていた。
お前がそれを言うのか?お前の口からその言葉は聞きたくなかった!──ジャックの瞳がそう語っていると思ったのは、ローランドの願望だろうか。
いや──
「お前を見つけたのは、俺だ!俺が、見つけた……!」
ローランドの腕が、彼の首へと巻きつく。自分の腕の中に収めてしまったら最後、もう離れることはできない。
力を込めて引き寄せる。
「ジャック、お前は俺のものだ……!」
傲慢な台詞だったが、語尾は震えていて懇願にさえ聞こえる。
この瞬間のローランドからは、国のことも立場のことも、そして妹のことも消えていた。
ただ、濡羽色の瞳だけが、世界の全てだった。
***
どちらが先だったのかは、二人にも分からない。
気がついた時には、唇が合わさっていた。
「ンっ、んっ、んんっ……」
膝に乗り上がったローランドの腰を、大きな手が這い回る。
酒の味なのか、相手の唾液の味なのか分からないが、口の中は甘い。その甘味を奪い合うように、舌が二人の口の中を行ったり来たりして、口の端から雫が溢れた。
今ならまだ引き返せる──酩酊する頭の隅から小さな声が聴こえてきたが、だんっ、とジャックに組み敷かれて、再び熱が加速する。
ジャックも酒量を読み間違えたのか、目元が紅く染まって、身体も発熱しているかと思うほど熱い。上あごをなぞる舌も、服の中に忍び込み尻を揉む指も、擦りつけられる股間も──触れる場所全てに熱が伝わる。
二人は言葉を封じるように、ずっと口づけを交わしていた。
口づけを交わしたまま、互いの服を脱がせ合い、愛撫して、抱き締めて──身体を繋げる瞬間も、口づけはしたまま。
「は……っ」
ジャックは普段の冷静さが信じられないほどに、情熱的にローランドを抱いた。
そしてローランドもそれに負けじと──二人はドワーフ王国滞在二日目を、ほとんど宿から出ることなく過ごした。
何かに追い立てられるような焦燥感は、それだけ身体を重ねても消えることはなかった。
******
一度知ってしまった熱を、もう見て見ぬ振りすることはできない。
二人は日常に戻ってからも、何度も隠れて口づけを交わした。
執務の合間に、卓の下で。
剣を打ち合った後、汗だくのままで。
真夜中の閨で、息を殺しながら。
どちらも表情を繕うことには慣れたもので、どれだけ激しい情事の後でも、すっと『友の顔』に戻った。そのため二人の関係を疑う者すらいるはずもない。
いや、ひとりだけ──ローサだけは何かを感じ取っているのか、ローランドがジャックと二人きりでいると、一瞬話しかけることを躊躇うような素振りを見せるようになった。
背徳感と甘美、罪悪感と充足──ローランドはその間を行ったり来たりしながらも、束の間の蜜月を過ごしていた。
しかし、ローランドのささやかな願いも虚しく、思っていたよりもずっと早く、その蜜月は壊されることとなった。
ローランドの妃問題が、再び持ち上がったのだ。
「……南の国が……?」
「そうです、陛下。こちらに併合する条件として、あちらの国は陛下と自国の姫との婚姻を望んでいます」
それはヴェルドット国からすれば、利ばかりの申し出であった。
王の婚姻が、自分の意思よりも国の利益のために成されることなど、承知の上だったし覚悟もしていた。
だが──ローランドの頭に最初に浮かんだのは、ジャック。彼の肌を知ってしまった今となっては、愛のない結婚がどれだけ多くを裏切ることになるのか。
妃となる女性、ジャック、ローサ、そして自分をも裏切り、欺き、繕って──それに耐えるのが、王というものなのだろうか。
結婚しないという選択肢など端からあり得ない。遅いか早いか、それだけだ。
臣下が急かす気持ちもよく分かるし、民たちが望んでいるのも伝わってくる。
色々なものを天秤にかけ、ローランドは悩みに悩んだ。そして、結論を出す。
誰よりも先に、とジャックを呼び出したローランドだったが──ローランドより早く、ジャックはすでに心を決めていたのだ。
「ジャック……俺は」「何も言うな」
ジャックはローランドの言葉を遮って、続きを言わせない。
二人きりの執務室には、夕陽が射し込んでいる。柔らかい黄昏色の中で、幾度も唇を擦り合わせると、最後には涙の味が残った。
***
正式に婚姻が決まるまでは、表面上は穏やかに時が過ぎた。
そしてついに、夫婦となる二人の顔合わせの日がやってくる。
南の国の姫は、聡明で美しく、そして立場や背負っているものをよく理解していた。
誰もが歓迎し祝福して、その日は暮れていく。
「……ローサ」
一足先に女性陣が退出していくと、待っていたようにジャックがローサを呼び止める。
そしてあるものを手渡して、ローランドへの言づけを頼んできた。
「……どうして直接言わないのです?」
不審に思ったローサがそう訊くが、ジャックは何も応えずに背を向けた。
肩書きのない彼は、この場ではただの護衛の一人。兄王と南の王の語らいは続いていたが、ジャックはその場には残れずに、女性陣と一緒に退出した。
そして賑やかな酒宴から顔を背けるようにして、暗い通路へとその姿を消していく。
そんな後ろ姿に、強烈な不安を覚えたローサだったが、引き止めることもできず見送ることしかできなかった。
そのまま自室に戻ったローサだったが、時間が経つほどに不安は増していく。このままでは眠れそうにない、と思い切って行動に移したローサは、ジャックを呼び出すように使いを出した。そして使いが戻った時にやっと、不安の正体を知ることになったのだ。
ジャックが姿を消した──その報せを持って、ローサは兄の元へと急ぐ。
宴会を終えて部屋に戻っていた兄を捕まえて、ローサは「ジャックが……!」と一言を発すると、ローランドは息を飲んで後、「……行ってしまったのか……」と全てを理解した顔で呟いた。
「お、兄様……?『行ってしまったのか』って、そんな悠長なこと……!お、追いかけなければ──」
「追いかけてどうする……」
「どうって……」
全てを諦めた顔をする兄に、ローサはかっと頭に血が上る。
「追いかけなさいっ!!」
ビシッと扉を指差して、ローサは兄を急き立てる。
「別れるにしても、このまま顔も合わせず言葉も交わさずでは、絶対に後悔が残ります!お兄様は一生、自分にもジャックにも、妻となる女性にも……そしてわたくしにも、ずっと罪悪感を抱えて生きていくおつもりですかっ?!」
「ローサ……」
目を合わせた兄妹は、互いの瞳の奥に共通の感情を見る。それは互いにずっと、目を逸らしてきたもの。
「……お兄様、わたくしのためにも、行ってください。彼はまだ城下にいるはず。今なら追いつけます」
***
妹にあそこまで言わせて、ローランドはやっと腹をくくった。
ローサに協力してもらい城を抜け出して、ジャックの後を追う。顔を合わせずに別れた方がいいと思っていた時には、ジャックの行方など検討もつかなかったが、夜道を馬で駆けていると、彼の思考を辿ることができる。
もし待っていてくれるのなら、あそこだ。
城下町の外れ、馴染みの宿に着くと、それが正しかったことがすぐに証明された。ジャックの馬の横に自分の馬を並べて、不規則に跳ねる心臓に振り回されながら、戸を叩く。
女将は王の訪れを予期していたように、黙って迎え入れ、自分はそのまま玄関を出て行った。
ここはローランドが以前から、密会に使っていた馴染みの宿だった。密会といっても、情事に使うのではなく、諜報員や非公式な相手との秘密の話し合いのためである。
女将の息子が亜種で、ローランドが彼を引き立てたことに感謝しているため、秘密は守ってくれる。
彼女は客をこの離れに通すと、自分は母屋に戻って、一切の干渉はしない。
すなわち今ここには、彼と自分だけ。
「ジャック……!」
扉の中に彼の姿を認めた途端、ローランドは反射的にその腕の中に飛び込んでいた。
「お前を愛している……!ジャック、お前を……」
「……分かっている。俺も……お前を愛している。だからこそ……愛したからこそ、お前のそばにはいられない。妃を娶り、彼女を抱き、子を作るお前を、俺は……!」
無我夢中で接吻を交わし、服を剥ぎ取って、裸になって抱き合う。
最後の夜の、最初の交合は、瞬く間に過ぎ、間髪入れず二度目が始まっていた。
「あっ、あぁ!あン……あぁ……!」
騎乗位で腰を振るローランドは、感じる場所に自分から屹立を擦りつけて、快楽にすがった。
「あ、あぁぁーーーっ!!」
「く……」
びくん、びくん、と身体全体を跳ねさせたローランドを、ジャックは押さえつけるように抱き締めて、搾り取るようにうごめく隘路に、熱い放埓を注ぐ。
三度目は対面座位で──自重でいつもより深く飲み込んで、ローランドは初めて後ろだけで絶頂に達した。
快楽一色に染まった後は、心も頭も不思議と澄み切っていた。
正常位で繋がったまま、二人はゆらゆらと心地のいいたゆたいに身を委ねる。
「ん……ジャック、もし俺と寝ていなかったら、お前は……あっ!一生この国に仕えてくれたか……?」
「……どうだろう、な。今ではそんな『もしも』は考えられない……」
「そう、だな。俺も……ん、もし過去に戻っても、お前に触れることを思い留まるなどできない……は、ぁ……!」
少しだけ強く抉られて、ローランドの腰がくんっと浮かんだ。再び走り出しそうになる体を、どうにか宥めると、ジャックの頰を手で挟んで引き寄せる。
「……俺を、不実だと思うか……?」
赦しを請うように尋ねると、ジャックはローランドの手に自分の手を重ねて、静かに首を振った。
「俺たちはこれ以外の道を選ぶことはできなかった。いや……どの道を選んでも、きっと同じところにしか辿り着かなかっただろう」
結末を変える方法は、ただ一つ──ローランドが全てを捨てて、ジャックと共に逃げること。
だがそれだけは──選べない。選んだとしても、結局それは二人の絆を壊すことになるだけ。
二人の夢を自らの手で壊すことなど、別れよりも受け入れ難いことだった。
「この国は言わば、俺たち二人の子どものようなもの。産んでおいて途中で放り出してみろ。お前は自分を許せないだろう」
ジャックはローランドのことをよく分かっていた。だからこそ、「俺よりも国が、民が大事なのだろう?」とは口が裂けても聞かない。
そしてローランドも言わない。
「俺が結婚しても、子ができても、そばにいてくれ」とは。
別れこそが、最上の愛の証──。
「う、あ……っん!!」
ぱんっ!と肌を打つ音で、最後の時間が始まりを告げた。
「ローランド、ローランド……!この先、俺を忘れてもいい……伴侶を、子を、民を愛することで、俺に罪悪感など感じなくていい……だが……!ひとつだけ、お前を縛りたい……!」
「いい……っ!なんでもっ、あっあっ……言って、っいい、ぞ……っ」
「お前を抱くのは、俺だけだ……!俺だけに、しろ……っ!他の男には……!!」
「あぁ……っ!あぁ、もちろん、お前だけ……っ、お前だけだ……!やっ、あっンン……俺を抱いていいのは……、俺の上に乗ることを許すのは、ジャック、お前だけ……!!」
絶頂の中の約束──それが二人が交わした最後の言葉になった。
***
翌日、目を覚ましたローランドの元には、温もりさえ残ってはいなかった。
王の不在が知れる前に、城へと戻る。
一睡もせずに待っていたのか、目を赤くしたローサに迎えられ、ローランドは無言で頷いた。
ローサは自分よりも辛いはずの兄の前では、大きな動揺を見せることなく、目を閉じて深呼吸してから、握り締めていた掌を開いて見せる。
「お兄様、これを……」
「こ、れは……」
ローサの手の上には、小さな太陽があった。
彼女の手には余るほどのそれを、ローランドが受け取ると、キラッと紅が煌めく。
「紅光石……これほどの大きさのものは、初めて見る……」
呆然とその綺麗な球形を撫でるローランドに、ローサは「ジャックからの餞別です」と語る。
「ジャック、から……?」
「ええ。昨日、わたくしに託して行きました。『これは俺が偶然手に入れたもの。元はドワーフの宝物だ。ドワーフ王国との交渉に役立てろ』、と……」
『太陽のカケラ』とも呼ばれるその宝石だけが、ジャックが唯一残した、形あるものだった。
ローランドはそれを胸に抱いて、初めて愛した男に、心の中で別れを告げた。
******
翌年の春、ヴェルドット国王の婚姻の儀が執り行われ、ほどなくして後継が誕生した。
祝福に湧くヴェルドット国は、すでに大国への道を歩み始めている。
しかし人々は、この国の建国に尽力した一人の人物の存在を知らない。彼はその大きな功績に反して、記録にはほとんど記されていないのだ。
それは彼自身が望んだことでもあったのだが──王の意向がもっとも影響している。
国王は、彼を隠した。思い出に軽々しく触れられないように──。
彼が残した唯一も、すでにドワーフ王国へと還り、この国の発展に貢献してくれた。
もう、彼の思い出の品など──いや、実はひとつ、王も予期していなかった置き土産があったのだ。
そして今日、もうひとつ贈り物が届いた。
国中が王子の誕生に騒ぐ中、城は妃と子を労って、静かな祝福に包まれている。
二人を見舞った王は、最愛の妹と共にある部屋へと向かった。
王族だけが立ち入ることを許された場所──そこには一枚の絵が飾られている。
一見、何の変哲もない日常を描いたもの──戴冠したばかりの王とその妹が、くつろいだ様子でお茶の時間を楽しんでいる。二人が笑いかける第三の人物は、横顔だけでその顔の作りはよく分からない。だが、誰の目にも、二人がその人物に心を許していることは伝わってくる。
その人物──黒髪と黒い瞳が印象的──のことを知るのは、この部屋に足を踏み入れることのできる者だけ。
王は絵の前に立つと、その腕の中に抱えていた花束を、そっと抱き締める。
王子の誕生祝いに届いたその花は、この部屋を照らす『月下鈴』とそっくりだったが、黄色ではなく澄んだ白色をしていた。
王の耳には、まるで隣から話しかけられているようにまざまざと、過去の会話が聞こえてきた。
あれは、彼と二人、ドワーフ王国へと忍び込んだ時──初めての後の、睦言の一幕────
「……知っているか?『月下鈴』はこの地方でしか咲かない花なんだ」
「へぇ、知らなかった。どの国にもあるのかと」
「似たような花はあるがな」
「なんと言う花だ?」
「鈴蘭。見た目はそっくりだが、月下鈴のように発光はしない」
「鈴蘭!ははっ、名前も似ている。……いつか見てみたい」
「そうだな、いつか見に行こう」
贈り主の名がない花束を、王はいつまでも優しく抱き締めていた。
────────────『君影草の恋』完
********************
監修 シンシア・ヴェルドット
注意 史実とは異なる描写がある点をご了承ください。
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凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
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