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第五章 星は天を巡る
67 教会の一日
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「わぁ~!海が見えるよ!」
怖々と階段を登っていたラークも、窓から見える景色にいっとき高さを忘れて声を上げた。
先発組が出発して、居残り組は寝床の引越しの真っ最中だ。旅人たちの泊まる大部屋から、司教たちの居住区へと荷物を運んでいる。長期滞在を見越して、個室を用意してくれたのだ。
『青の教会』では常に百名前後の司教たちが、寝泊まりして修行をしている。大聖堂の左右にある円柱形の建物が、居住塔になっている。
北が男性、南が女性と分けているため、三人が登ってきたのは北塔だった。
北塔からは東の海と北の大山脈、そして地上の花畑に湖と、まるで自然の美全てを集めたような景色が一望できる。
延々とした螺旋階段を登るのは、かなり体力が必要な上、これほど高い建物は初めてのユエとラークは、下を見ないように見ないように気を張っていたから、必要以上に疲れていた。
見晴らしのいい景色で少しだけ回復したが、毎日この階段を上り下りするのかと思うと、ユエもラークもこれは大変だと汗を拭う。
「申し訳ありません。お年寄りも多いので、どうしても下の階から埋まってしまって、こんな高い部屋しか空きがないのです」
案内してくれたラフィール司教が、二人の不安そうな顔に向けて謝るのを、
「とんでもない。わがままを通してもらったのはこちらなのですから」アイビスが如才なく返す。
ユエはその対外用の笑顔を見て、アイビスが一緒でよかったと胸を撫で下ろしていた。
あれほど反対していたアイビスが、ここに残ってくれた理由について、ユエはよく分かっていない。
しかしもし自分とラークだけだったらと考えると、知らない人ばかりの慣れない場所で、オロオロするばかりだったことは想像に難くない。
だからユエとしては、アイビスの存在は心強いものだ。
特に──カイトを頼ることができない、現状では。
「あの……カイトの部屋は……?」
最上階の一つ下の階、三つの個室を割り当てられたところで、ユエが思い切ってラフィールに尋ねる。
「カイトさんの部屋も、一応この上に用意してあります。しかし……昨夜は使われてはいないようです」
心配そうに言うラフィールに、ユエも心配顔になる。
この二日、カイトが仲間の元に顔を出したのは一度きり。二手に分かれることを報告するために、ラフィールに呼んでもらった時だけだ。
カイトは「そうか」と一言残して、また大司教の部屋へと戻って行った。
怒りもしなかったカイトに、ユエはますます不安になった。
そしてとても幼稚な言い方をすれば、教会にカイトを取られたような、そんな気持ちにもなっていた。
「カイトさんがアディーン様の看病をしてくださるのは、我々としてもありがたいのですが……これでは先にカイトさんが倒れてしまいそうです」
ラフィールの言葉には嫌味が全くなくて、ユエは少しそれを不思議に思う。
例えるならば、教会という国の大司教という王が伏せっているのだ。しかしそれを看病しているのは、医者でも家族でも側近でもない、部外者のカイト。
普通ならば部外者の存在を、あまりよくは思わないものだろう。
「あの……ラフィール司教は、その、カイトに大司教様を取られたみたい、とは思わないんですか?」
「おい……っ、何言い出すんだ」
ユエにしてみれば、自分がカイトに対して考えたことを、ラフィールは考えないのか、と純粋に疑問に思っただけなのだが、アイビスが止める仕草をするから、変なことを聞いただろうかと首をかしげる。
ラフィールは特に失礼だとも思わなかったようで、「そんなことはありませんよ」と微笑んだ。
そして少し声を落として続ける。
「情けないことに、私たちもまだ受け止めきれていないのです。おそらく一番冷静なのが、アディーン様本人で……司教の中には、お顔を見て泣き崩れる者もいますし、皆がお世話をしたがって揉め事になったりも……そんなことではアディーン様も安まれないでしょう。ですから、カイトさんが看病をしてくださったことで、我らも少しだけ心を落ち着けることができているのです」
実際にはもっと心中は複雑なのだろうが、ラフィールは大人の対応でユエを安心させた。
そしてその口の端々には、大司教への敬意が溢れている。大司教がそばに置いているという理由だけで、カイトたち一行を信頼するには十分だ、と。
そして大司教の望みを尊重し、自分たちの気持ちを押しつけまいと、決めているようでもある。
「あの、ラフィール司教は、カイトが大司教様とどういう関係なのか、とか、聞いてますか?」
アイビスが探るように慎重に問うと、「旧い友人、とだけ」ラフィールは特に思うこともないのか、あっさりと答える。
「……それだけ、ですか?」
言外に、「それだけで本当に納得しているのか?」と不審を滲ませるアイビスに、ラフィールは困ったように苦笑する。
ユエも『友人』という表現を不思議に感じた。
寝台に横たわった大司教と、その横に立つカイト──年も違えば、立場や生き方もまるで違う二人。
もちろん、そんな違いを超えて友情を育むこともあるだろうが。
死の淵に立って昔の友に会いたくなる気持ちなら、ユエにも理解できる。
だが、これはただの旧友の扱いではない。
もっと親密で、もっと特別な──二人の間にあるものは、もっと深い。
「……なにか、約束をしたのだと」
指で無意識に聖帯を撫でながら、ラフィールは痛みをこらえるように一度まぶたを閉じてから、話し出した。
「約束?」
「ええ、大司教様はこう仰っていました。『私が約束を守ったら、最期にもう一度だけ会いに来てください、とお願いしたのです』と」
「最期に……」
噛みしめるように繰り返したアイビスに、ラフィールは眉を下げ、痛みを抑えるように手を胸に当てる。
それは彼が初めて見せた、公ではない私の顔だった。
「カイトさんに……『死』を見届けて欲しい、と…………アディーン様は、そう……」
ラフィールはこれ以上は言葉にできない、したくない、と、滲んだ涙を拭って言葉を切った。
司教たち、そしてカイトやヘイレンでさえも口が重いのは、このためなのだ。
言葉に出してしまったら、『死』を受け入れてしまう気がして──誰もが、なるべくその現実を遠ざけようと、もがいてあらがっていた。
******
教会の朝は早い。
日の出と共に起き、朝陽の中で一日の始まりを祈り、朝食の前に掃除をし、朝食が終わる頃にはもう、熱心な信者たちが聖堂で祈っているのだ。
『司教見習い』として白い祭服を着た三人も、揃って朝のお勤めを終えると、教会の表の仕事を手伝うべく、外の建物へと移動した。
正門へと続く道の脇に、扉のない建物が十ほど並んでいる。居住塔が炎がついたロウソクに見えるなら、こちらはキノコのような印象だ。
その中に備えつけられた机に、運んできた瓶や袋を並べると、待っていたように礼拝帰りの信者たちがやってくる。
「その蜂蜜と、そっちのラベンダーの匂い袋をくださる?」
「ハーブティーを二袋、お願いします」
「おばあちゃん、この前買ったクッキー!また食べたい!」
「はいはい、あと……お花の苗も買おうかね。どのお花がいいかい?」
「んーと……あっ、あの黄色の!!」
ここに並べられるのは、全て教会内で作った食品や育てた花たちだ。広大な土地を活かして、花や果物を育て、それを加工して販売している。
教会の運営は、基本的には寄付で賄われているため、こうした売買は貴重な安定した収入源となっている。
教会の商品は、他では真似できない特別なもので、特に風味豊かな蜂蜜と花の香りを引き出した匂い袋が人気商品らしく、ほとんどは午前中に売り切れてしまうほどだ。
司教見習いの三人は、初めて体験する売り手側に最初は戸惑っていたが、すぐに容量を掴み始める。
計算が得意なアイビスがお金の受け渡しをして、ユエが商品を包み、ラークが足りなくなった商品を補充したり『売り切れ』と紙を貼ったり──一緒に旅をしているだけあって、抜群の連携を見せた。
お客さんはみんな優しく鷹揚で、どちらかと言わなくても人見知りなユエとラークでも、あまり緊張させられることもなかった。
それどころか、慣れない様子の三人を微笑ましく見て、色々と声をかけてくれる。
「あら、初めて見るお顔ね。新しい方?」
「あ、はい。今日から見習いとして手伝ってます」
「まあまあ、綺麗な男の子ばかりで、こんなおばあちゃんでもちょっと照れちゃうわ」
『綺麗』よりも『男の子』と言われたことが照れ臭いのか、アイビスが「いえ……」と口ごもる。
孫を連れたこのご婦人は、毎日のように来ているのか、他の司教たちにもあいさつをしている。
「ね、あなた。最近、大司教様のお姿を見ないのだけれど、またどこかへお出かけなのかしら?」
顔馴染みの司教にそう問いかけたご婦人に、三人はドキッとして、その司教がどう返すのか聞き耳を立てた。
「いえ、大司教様はいらっしゃるのですが……少しお疲れが溜まっていまして。しばらくは養生してくださいと、我らがお願いしてお部屋にお止めしているのですよ」
嘘はついていないが、茶目っ気を見せて言うことで、あまり深刻には聞こえないように気をつけている。
ご婦人もちょっとした休養なんだろうと取ったようだ。
「お姿を見られないのは残念だけれど、無理は禁物ですもの。ええ、そうね。わたしでも時々、床から起きられない日があるのですもの。あんなにお元気だから忘れがちだけれど、わたしよりもずっと年上なのだものね」
「えっ?!」隣で退屈そうにしていた女の子が、祖母の言葉に声を上げる。「おばあちゃん、大司教様っておばあちゃんよりもお年が上なの?」
びっくり目を丸くする孫に、祖母も司教も笑って、
「そうよ、おばあちゃんよりも十は年上よ」
「大司教様は今年、九十四になられたのですよ」
その言葉に驚いたのは、女の子だけではない。
アイビスとラークも目を丸くして顔を見合わせ、「きゅうじゅう……」ユエは数字を数えられないようにポカンとした。
***
担当として振り分けられた商品が完売すると、次の手伝いに向かう道すがら、三人は先ほど判明した衝撃の事実をしみじみと語り合う。
「……九十四……びっくりだね?」
「ああ。……確か、前にカイトとフェザントが話していたんだが、カイトが知る人間の最高齢が九十五とか六とか……それが本当なら、まあ、あり得なくはない、のか」
「そうなのっ?僕、そんなに長生きの人、見たことないよ」
「俺もだな。でもフェザントなんかは、百歳越えの妖怪みたいな婆さんを知ってるらしいぞ」
「ええっ?!ひゃくさいっ?!」
「ドワーフは人間より長生きなんだと」
ラークとアイビスの会話を、ユエは「ひゃくさい……」百歳って何歳だろう……?という混乱した遠い目をして聞いている。
「そうなんだ、ドワーフって長生きなんだね。あっ、そう言えば、クリストバル・トリエンテの日記に、『妖精は元々長寿の種だ』とかなんとか書いてあったよね?それってドワーフよりも長生きってことなのかな。それだったら、妖精はもっと寿命が長いのかなぁ」
「ああ、そうだろうな。妖精が一番で、次がドワーフ、その次に人間──」
そこまでアイビスが並べたところで、情報が足りないことに気づく。
同時に気づいたラークが、気軽に「ユエ、人魚で一番長生きだったの、何歳くらい?」と振ると、ユエは「……俺が知ってる中だと」と前置きして「……六十?」と疑問形で答えた。
「え」「えっ?!」
「えっ!?」
驚いて立ち止まった二人に、ユエも驚き返す。
「……あ、まあ、ユエが知ってる範囲、だから、なっ?!」
「そ、だよねっ?きっと人魚の中でも、もっと長生きの人がいるよねっ?」
予想外に少ない数字が出てきて、焦るアイビスとラークに、
「……そう、かも。俺の周りには、あんまりお年寄りっていなかったし」
ユエは珍しく空気を読んで、結論を曖昧にしておいた。
「まあ、な!それにしても──」アイビスは力技で話を戻す。「大司教の歳を考えると、病気っていうよりも老衰なんだろうな。もしかしたら早とちりっていうか、案外すぐに回復したりもあり得るんじゃないかと軽く考えていたが……」
「そうだよね……九十四歳なら、もういつ──」何が起こってもおかしくはない。
ラークが飲み込んだ台詞は、アイビスにもユエにも予想がついて、三人の足取りは自然としんみりとなった。
******
販売の手伝いの後も、花を鉢植えに植え替えたり、匂い袋作りを手伝ったり、炊き出しのための下ごしらえをしたりと、いつもより長く感じる午前中を、三人は過ごした。
正午の鐘が鳴る頃には、お腹がぐぅぐぅと鳴っていたが、何とも言えない達成感ややりがいが感じられて、空腹が清々しいくらいだった。
食堂へ向かう足も軽く、会話も弾んでいる。
食堂へ入るとすぐに、「あっ!」ユエが小さく声を上げた。
アイビスとラークが視線の先を辿る前に、ユエはその人物めがけて小走りに駆け寄っていく。
「カイト……!」
純白の司教服の中で、カイトのいつも通りの暗い色の服は、ポツンと孤立している。大司教のお客様という認識は、司教たちの間で共有されているのだろうが、カイトに話しかけようとする者はいなかったようだ。
周りの司教たちと、そしてアイビスとラークが感じる拒絶を、ユエは感じないのか、平気で近寄って「もう食べ終わっちゃったの……」と言いながらも隣に座る。
「……その服──」
言いかけて途中で止めたカイトは、立ち上がる契機を逃して、微妙な表情で座り直した。
それを見てアイビスとラークも、おっかなびっくりと近づいて来る。
カイトを繋ぎ止めるために、ユエは急いで話題を探す。
「あのねっ、カイト、ちょっと聞きたいこと、ある」
「……なんだ」
何を言い出すのか、アイビスもラークもハラハラして見守ったが──
「あのね…………っドワーフが百歳まで生きるって、ほんとう?」
ユエが選んだのは、よりにもよって午前中にした世間話の続きだった。
カイトも身構えていたのか、突拍子もない話題に「まあ……そういう人もいる、な」と、力の抜けた顔で返す。
「フェザントの知り合いに、百歳のおばあさんがいるっていうのも、本当なの?」
「……ああ。それどころか、ドワーフの歴史上では、百二十歳が最高齢の記録として残っている」
「ひゃくにじゅう……」
カイトが「なんだ、どういう経緯でそんな話題が出てくる?」と訝しがると、絶句しているユエではなく、アイビスが代わりに、午前中に交わした会話を簡単に説明した。
アイビスとしては大司教の名を出すことで、カイトから何か話を聞けないかと期待していたようだが、そんな目論見は、ユエの素朴な疑問に立ち消える。
「カイト、カイト!それじゃあ、人魚で一番長生きした人っていくつなのか、知ってる?!」
簡単に答えようとして口を開きかけたカイトは、ハッと一瞬息を呑み──ユエの瞳に呑み込まれたように息を止めた。
「カイト……?」
「っ、」動きまで止まっていたカイトは、ユエに名前を呼ばれて、幾度か瞬きを繰り返す。話を再開した時には、宵闇の瞳に浮かんだ揺らめきを、もう消し去っていた。
「……俺が知る限りでは、六十五歳前後、だな」
その答えにアイビスとラークは息を呑んだが、ユエは「やっぱり」と納得する。
「どうして……っ、そんなに開きが出るんだ?ドワーフと人魚では、倍近く違うじゃないか?」
動揺したアイビスが発した疑問に、カイトは少し考えてから答える。
「……生活環境や食事が関係しているとは言われている──が、詳しいことは分かっていない。根本的に種の違いによるものかもしれないし──」
記憶を探るような遠い目をしてから、カイトは続ける。
「確か──あまり正確な調査ではなかったが、どこかで読んだ本には、亜種の中でも寿命に違いがあるとかなんとか──妖精の亜種は平均より長命で、反対に人魚の亜種は短命になる、んだったか……」
カイト自身はあまり信じていないのか、「まあ、結局は個人差があるんだろうがな」と苦笑して、特別講義を終わらせた。
真剣な表情になっていた三人は、その答えよりも、カイトの対応に安心して、表情を緩めた。
──よかった、いつも通りのカイトだ、と。
しかしそう安心したのもつかの間──カイトは核心に触れられる前に、すっと席を立ってしまう。
思わず伸びたユエの手をするりとかわしたカイトは、一度背を向けてから、「カイト!」引き止めるユエの声に振り返ると、
「俺からラフィールに話を通しておくから、午後からリ、……大司教のお茶に付き合ってやれ。お前たちの話を聞きたいと言っていた」
妙にさっぱりとした顔でそう言って、三人を置いて食堂を出て行った。
******
アディーン大司教との二度目の対面は、ふんわりと始まった。
「どうぞ、教会自慢のハーブティーです。それとこちらは、レーズンの入ったスコーン。私の大好物なのですよ」
「はあ……ありがとうございます」
毒気を抜かれたようなアイビスは、勧められるままにスコーンを手に取る。
大司教の私室に用意されていたのは、華奢なイスと机、季節の花、花柄の茶器に、三段重ねのトレイに乗った三種類のお菓子。
全てが上品でありながらも、客を萎縮させない可愛らしさも同居している。
「今日は天気もよいですし、体調もわりかしよくて……寝ているだけなんてもったいないと思っていたのです。ですから、みなさんが来てくださってうれしいです」
確かに初対面の時よりも顔色がいいアディーン大司教は、ちょこんとイスに腰掛けてニコニコと三人を見つめてきた。
「あの……カイトは一緒じゃないんですか?」
ユエが問うたように、ここにいるだろうと思っていたカイトの姿は、どこにも見えない。
それどころかお付きの司教たちも、お茶やお菓子を運んでくれた後は、部屋を出て行ってしまったから、ここには大司教とユエ、アイビス、ラークの四人しかいなかった。
「一緒にどうですか、と誘ったのですけど……」アディーン大司教は苦笑しながら首を振った。
「気を使ってくれたのか、はたまた──カイトなりの信頼の証なのか……」大司教のつぶやきの意味は、ユエには分かるような分からないような感じで、んん?と首をひねる。
気を取り直したように大司教は、ふわっと笑って主導権を取る。
「他のみなさんは、もう出立されてしまったのですってね。ちゃんとごあいさつもできずに申し訳ないです」
「あ、いえ」
「えっと確か──そちらのキリッとされた方がアイビスさんで、可愛らしい方がラークさん、綺麗な青い髪と瞳がユエさん、でしたね」
一度名乗っただけなのに、大司教は完璧に三人を覚えていた。
「みなさん、カイトと一緒に旅をしているのでしょう?ぜひ、色々と話を聞かせて欲しいと思って──カイトにお願いしたら、みなさんに直接聞いてくれ、って丸投げされてしまって」
しょうがない人、とでも言うように、大司教は微笑む。
「はぁ……旅の話、ですか」
「カイトからはね、先日のドワーフ王国の騒動と、ベレン領地での事件の話は聞いたのですよ」
「ベレン領の……」
「私もベレン卿とは面識がありまして、『再生の水』や亜種を見分ける水晶についての警告は、以前に受け取っていたのですが……まさかあの事件にもカイトが関わっていたとは、驚きました」
大司教の話し振りからすると、ベレン卿は大司教とカイトの繋がりを知らず、大司教もカイトがベレン卿から仕事を受けていた事実は知らなかったということが、推測できた。
「それ以前の話を聞こうとしたら、カイトは『自分が勝手に話すのはどうか』と言って……」
旅を遡れば、ユエの身の上に起きたことに触れざるを得ない。
マイナとヘイレンに打ち明けた時のように、カイトは秘密をどうするかを、ユエ自身に託したようだ。──いや、大司教が言ったように、丸投げしただけとも取れるが。
「もちろん、話したくないことは話さなくていいですよ。ですが、安心してください。秘密を守ることにかけては、私はかなりの自信があるのです」
顔を見合わせた三人に、大司教は真剣な顔でそう言ったかと思うと、「──秘密はお墓まで持っていきますから」と反応に困ることを付け足して、茶目っ気たっぷりに笑った。
***
アディーン大司教は、独特の雰囲気を持っていた。
居るだけで空気が柔らかくなり、時間がゆったりと感じ、周囲の人の心を和らげていく。優しさが伝播していくのか、この人の前では大剣豪でさえ闘争心を失いそうだ。
最初は警戒しながら話していた三人も、いつの間にか安心して全てを打ち明けていた。
十字行路でのアンナ・リーリア団との出会い──東の海の出来事──ユエの秘密──アスカ村の病気とフェザントの加入──フラヴィウム闘技場の逃走劇──ヘロンとの出会い──ラークの救出──アイビスとカイトの出会い────
聞き上手な大司教に導かれるままに、時間を遡って、遡って──ユエが知らない出来事も多く、一緒になって聞き入ってしまっていた。
気がつけば夕刻。
扉の外に控えていた司教が時間を知らせに来たところで、アイビスが『痛恨の極み』という顔をした。
せっかくの機会だったのに、自分たちの話をするばかりで、大司教からカイトのことについて何も聞き出せなかったからだ。
「とっても楽しいお話をありがとうございました。また時間がありましたら──」
満足そうに締めようとする大司教に、間一髪、最後の最後に滑り込みで、アイビスが質問をする。
「あっ、あの!大司教様とカイトは、旧い友人だとうかがったのですが……っ」
終わりのあいさつには似つかわしくないその言葉を、大司教は少しの驚きも見せずにゆったりと受け止めた。
「……ええ、そうです。旧い──それこそ、幼い頃からの──」
大司教はなぜか哀しげに、三人を見つめた。そして言葉にはできない何かを伝えるように、ひとりひとりとしっかりと目を合わせる。
「私の最後の心残りは、カイト──どうか彼を、」
イスに乗せた小さく痩せた身体を、折りたたむようにして一礼したアディーン大司教は、それ以上を語ることはなかった。
怖々と階段を登っていたラークも、窓から見える景色にいっとき高さを忘れて声を上げた。
先発組が出発して、居残り組は寝床の引越しの真っ最中だ。旅人たちの泊まる大部屋から、司教たちの居住区へと荷物を運んでいる。長期滞在を見越して、個室を用意してくれたのだ。
『青の教会』では常に百名前後の司教たちが、寝泊まりして修行をしている。大聖堂の左右にある円柱形の建物が、居住塔になっている。
北が男性、南が女性と分けているため、三人が登ってきたのは北塔だった。
北塔からは東の海と北の大山脈、そして地上の花畑に湖と、まるで自然の美全てを集めたような景色が一望できる。
延々とした螺旋階段を登るのは、かなり体力が必要な上、これほど高い建物は初めてのユエとラークは、下を見ないように見ないように気を張っていたから、必要以上に疲れていた。
見晴らしのいい景色で少しだけ回復したが、毎日この階段を上り下りするのかと思うと、ユエもラークもこれは大変だと汗を拭う。
「申し訳ありません。お年寄りも多いので、どうしても下の階から埋まってしまって、こんな高い部屋しか空きがないのです」
案内してくれたラフィール司教が、二人の不安そうな顔に向けて謝るのを、
「とんでもない。わがままを通してもらったのはこちらなのですから」アイビスが如才なく返す。
ユエはその対外用の笑顔を見て、アイビスが一緒でよかったと胸を撫で下ろしていた。
あれほど反対していたアイビスが、ここに残ってくれた理由について、ユエはよく分かっていない。
しかしもし自分とラークだけだったらと考えると、知らない人ばかりの慣れない場所で、オロオロするばかりだったことは想像に難くない。
だからユエとしては、アイビスの存在は心強いものだ。
特に──カイトを頼ることができない、現状では。
「あの……カイトの部屋は……?」
最上階の一つ下の階、三つの個室を割り当てられたところで、ユエが思い切ってラフィールに尋ねる。
「カイトさんの部屋も、一応この上に用意してあります。しかし……昨夜は使われてはいないようです」
心配そうに言うラフィールに、ユエも心配顔になる。
この二日、カイトが仲間の元に顔を出したのは一度きり。二手に分かれることを報告するために、ラフィールに呼んでもらった時だけだ。
カイトは「そうか」と一言残して、また大司教の部屋へと戻って行った。
怒りもしなかったカイトに、ユエはますます不安になった。
そしてとても幼稚な言い方をすれば、教会にカイトを取られたような、そんな気持ちにもなっていた。
「カイトさんがアディーン様の看病をしてくださるのは、我々としてもありがたいのですが……これでは先にカイトさんが倒れてしまいそうです」
ラフィールの言葉には嫌味が全くなくて、ユエは少しそれを不思議に思う。
例えるならば、教会という国の大司教という王が伏せっているのだ。しかしそれを看病しているのは、医者でも家族でも側近でもない、部外者のカイト。
普通ならば部外者の存在を、あまりよくは思わないものだろう。
「あの……ラフィール司教は、その、カイトに大司教様を取られたみたい、とは思わないんですか?」
「おい……っ、何言い出すんだ」
ユエにしてみれば、自分がカイトに対して考えたことを、ラフィールは考えないのか、と純粋に疑問に思っただけなのだが、アイビスが止める仕草をするから、変なことを聞いただろうかと首をかしげる。
ラフィールは特に失礼だとも思わなかったようで、「そんなことはありませんよ」と微笑んだ。
そして少し声を落として続ける。
「情けないことに、私たちもまだ受け止めきれていないのです。おそらく一番冷静なのが、アディーン様本人で……司教の中には、お顔を見て泣き崩れる者もいますし、皆がお世話をしたがって揉め事になったりも……そんなことではアディーン様も安まれないでしょう。ですから、カイトさんが看病をしてくださったことで、我らも少しだけ心を落ち着けることができているのです」
実際にはもっと心中は複雑なのだろうが、ラフィールは大人の対応でユエを安心させた。
そしてその口の端々には、大司教への敬意が溢れている。大司教がそばに置いているという理由だけで、カイトたち一行を信頼するには十分だ、と。
そして大司教の望みを尊重し、自分たちの気持ちを押しつけまいと、決めているようでもある。
「あの、ラフィール司教は、カイトが大司教様とどういう関係なのか、とか、聞いてますか?」
アイビスが探るように慎重に問うと、「旧い友人、とだけ」ラフィールは特に思うこともないのか、あっさりと答える。
「……それだけ、ですか?」
言外に、「それだけで本当に納得しているのか?」と不審を滲ませるアイビスに、ラフィールは困ったように苦笑する。
ユエも『友人』という表現を不思議に感じた。
寝台に横たわった大司教と、その横に立つカイト──年も違えば、立場や生き方もまるで違う二人。
もちろん、そんな違いを超えて友情を育むこともあるだろうが。
死の淵に立って昔の友に会いたくなる気持ちなら、ユエにも理解できる。
だが、これはただの旧友の扱いではない。
もっと親密で、もっと特別な──二人の間にあるものは、もっと深い。
「……なにか、約束をしたのだと」
指で無意識に聖帯を撫でながら、ラフィールは痛みをこらえるように一度まぶたを閉じてから、話し出した。
「約束?」
「ええ、大司教様はこう仰っていました。『私が約束を守ったら、最期にもう一度だけ会いに来てください、とお願いしたのです』と」
「最期に……」
噛みしめるように繰り返したアイビスに、ラフィールは眉を下げ、痛みを抑えるように手を胸に当てる。
それは彼が初めて見せた、公ではない私の顔だった。
「カイトさんに……『死』を見届けて欲しい、と…………アディーン様は、そう……」
ラフィールはこれ以上は言葉にできない、したくない、と、滲んだ涙を拭って言葉を切った。
司教たち、そしてカイトやヘイレンでさえも口が重いのは、このためなのだ。
言葉に出してしまったら、『死』を受け入れてしまう気がして──誰もが、なるべくその現実を遠ざけようと、もがいてあらがっていた。
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教会の朝は早い。
日の出と共に起き、朝陽の中で一日の始まりを祈り、朝食の前に掃除をし、朝食が終わる頃にはもう、熱心な信者たちが聖堂で祈っているのだ。
『司教見習い』として白い祭服を着た三人も、揃って朝のお勤めを終えると、教会の表の仕事を手伝うべく、外の建物へと移動した。
正門へと続く道の脇に、扉のない建物が十ほど並んでいる。居住塔が炎がついたロウソクに見えるなら、こちらはキノコのような印象だ。
その中に備えつけられた机に、運んできた瓶や袋を並べると、待っていたように礼拝帰りの信者たちがやってくる。
「その蜂蜜と、そっちのラベンダーの匂い袋をくださる?」
「ハーブティーを二袋、お願いします」
「おばあちゃん、この前買ったクッキー!また食べたい!」
「はいはい、あと……お花の苗も買おうかね。どのお花がいいかい?」
「んーと……あっ、あの黄色の!!」
ここに並べられるのは、全て教会内で作った食品や育てた花たちだ。広大な土地を活かして、花や果物を育て、それを加工して販売している。
教会の運営は、基本的には寄付で賄われているため、こうした売買は貴重な安定した収入源となっている。
教会の商品は、他では真似できない特別なもので、特に風味豊かな蜂蜜と花の香りを引き出した匂い袋が人気商品らしく、ほとんどは午前中に売り切れてしまうほどだ。
司教見習いの三人は、初めて体験する売り手側に最初は戸惑っていたが、すぐに容量を掴み始める。
計算が得意なアイビスがお金の受け渡しをして、ユエが商品を包み、ラークが足りなくなった商品を補充したり『売り切れ』と紙を貼ったり──一緒に旅をしているだけあって、抜群の連携を見せた。
お客さんはみんな優しく鷹揚で、どちらかと言わなくても人見知りなユエとラークでも、あまり緊張させられることもなかった。
それどころか、慣れない様子の三人を微笑ましく見て、色々と声をかけてくれる。
「あら、初めて見るお顔ね。新しい方?」
「あ、はい。今日から見習いとして手伝ってます」
「まあまあ、綺麗な男の子ばかりで、こんなおばあちゃんでもちょっと照れちゃうわ」
『綺麗』よりも『男の子』と言われたことが照れ臭いのか、アイビスが「いえ……」と口ごもる。
孫を連れたこのご婦人は、毎日のように来ているのか、他の司教たちにもあいさつをしている。
「ね、あなた。最近、大司教様のお姿を見ないのだけれど、またどこかへお出かけなのかしら?」
顔馴染みの司教にそう問いかけたご婦人に、三人はドキッとして、その司教がどう返すのか聞き耳を立てた。
「いえ、大司教様はいらっしゃるのですが……少しお疲れが溜まっていまして。しばらくは養生してくださいと、我らがお願いしてお部屋にお止めしているのですよ」
嘘はついていないが、茶目っ気を見せて言うことで、あまり深刻には聞こえないように気をつけている。
ご婦人もちょっとした休養なんだろうと取ったようだ。
「お姿を見られないのは残念だけれど、無理は禁物ですもの。ええ、そうね。わたしでも時々、床から起きられない日があるのですもの。あんなにお元気だから忘れがちだけれど、わたしよりもずっと年上なのだものね」
「えっ?!」隣で退屈そうにしていた女の子が、祖母の言葉に声を上げる。「おばあちゃん、大司教様っておばあちゃんよりもお年が上なの?」
びっくり目を丸くする孫に、祖母も司教も笑って、
「そうよ、おばあちゃんよりも十は年上よ」
「大司教様は今年、九十四になられたのですよ」
その言葉に驚いたのは、女の子だけではない。
アイビスとラークも目を丸くして顔を見合わせ、「きゅうじゅう……」ユエは数字を数えられないようにポカンとした。
***
担当として振り分けられた商品が完売すると、次の手伝いに向かう道すがら、三人は先ほど判明した衝撃の事実をしみじみと語り合う。
「……九十四……びっくりだね?」
「ああ。……確か、前にカイトとフェザントが話していたんだが、カイトが知る人間の最高齢が九十五とか六とか……それが本当なら、まあ、あり得なくはない、のか」
「そうなのっ?僕、そんなに長生きの人、見たことないよ」
「俺もだな。でもフェザントなんかは、百歳越えの妖怪みたいな婆さんを知ってるらしいぞ」
「ええっ?!ひゃくさいっ?!」
「ドワーフは人間より長生きなんだと」
ラークとアイビスの会話を、ユエは「ひゃくさい……」百歳って何歳だろう……?という混乱した遠い目をして聞いている。
「そうなんだ、ドワーフって長生きなんだね。あっ、そう言えば、クリストバル・トリエンテの日記に、『妖精は元々長寿の種だ』とかなんとか書いてあったよね?それってドワーフよりも長生きってことなのかな。それだったら、妖精はもっと寿命が長いのかなぁ」
「ああ、そうだろうな。妖精が一番で、次がドワーフ、その次に人間──」
そこまでアイビスが並べたところで、情報が足りないことに気づく。
同時に気づいたラークが、気軽に「ユエ、人魚で一番長生きだったの、何歳くらい?」と振ると、ユエは「……俺が知ってる中だと」と前置きして「……六十?」と疑問形で答えた。
「え」「えっ?!」
「えっ!?」
驚いて立ち止まった二人に、ユエも驚き返す。
「……あ、まあ、ユエが知ってる範囲、だから、なっ?!」
「そ、だよねっ?きっと人魚の中でも、もっと長生きの人がいるよねっ?」
予想外に少ない数字が出てきて、焦るアイビスとラークに、
「……そう、かも。俺の周りには、あんまりお年寄りっていなかったし」
ユエは珍しく空気を読んで、結論を曖昧にしておいた。
「まあ、な!それにしても──」アイビスは力技で話を戻す。「大司教の歳を考えると、病気っていうよりも老衰なんだろうな。もしかしたら早とちりっていうか、案外すぐに回復したりもあり得るんじゃないかと軽く考えていたが……」
「そうだよね……九十四歳なら、もういつ──」何が起こってもおかしくはない。
ラークが飲み込んだ台詞は、アイビスにもユエにも予想がついて、三人の足取りは自然としんみりとなった。
******
販売の手伝いの後も、花を鉢植えに植え替えたり、匂い袋作りを手伝ったり、炊き出しのための下ごしらえをしたりと、いつもより長く感じる午前中を、三人は過ごした。
正午の鐘が鳴る頃には、お腹がぐぅぐぅと鳴っていたが、何とも言えない達成感ややりがいが感じられて、空腹が清々しいくらいだった。
食堂へ向かう足も軽く、会話も弾んでいる。
食堂へ入るとすぐに、「あっ!」ユエが小さく声を上げた。
アイビスとラークが視線の先を辿る前に、ユエはその人物めがけて小走りに駆け寄っていく。
「カイト……!」
純白の司教服の中で、カイトのいつも通りの暗い色の服は、ポツンと孤立している。大司教のお客様という認識は、司教たちの間で共有されているのだろうが、カイトに話しかけようとする者はいなかったようだ。
周りの司教たちと、そしてアイビスとラークが感じる拒絶を、ユエは感じないのか、平気で近寄って「もう食べ終わっちゃったの……」と言いながらも隣に座る。
「……その服──」
言いかけて途中で止めたカイトは、立ち上がる契機を逃して、微妙な表情で座り直した。
それを見てアイビスとラークも、おっかなびっくりと近づいて来る。
カイトを繋ぎ止めるために、ユエは急いで話題を探す。
「あのねっ、カイト、ちょっと聞きたいこと、ある」
「……なんだ」
何を言い出すのか、アイビスもラークもハラハラして見守ったが──
「あのね…………っドワーフが百歳まで生きるって、ほんとう?」
ユエが選んだのは、よりにもよって午前中にした世間話の続きだった。
カイトも身構えていたのか、突拍子もない話題に「まあ……そういう人もいる、な」と、力の抜けた顔で返す。
「フェザントの知り合いに、百歳のおばあさんがいるっていうのも、本当なの?」
「……ああ。それどころか、ドワーフの歴史上では、百二十歳が最高齢の記録として残っている」
「ひゃくにじゅう……」
カイトが「なんだ、どういう経緯でそんな話題が出てくる?」と訝しがると、絶句しているユエではなく、アイビスが代わりに、午前中に交わした会話を簡単に説明した。
アイビスとしては大司教の名を出すことで、カイトから何か話を聞けないかと期待していたようだが、そんな目論見は、ユエの素朴な疑問に立ち消える。
「カイト、カイト!それじゃあ、人魚で一番長生きした人っていくつなのか、知ってる?!」
簡単に答えようとして口を開きかけたカイトは、ハッと一瞬息を呑み──ユエの瞳に呑み込まれたように息を止めた。
「カイト……?」
「っ、」動きまで止まっていたカイトは、ユエに名前を呼ばれて、幾度か瞬きを繰り返す。話を再開した時には、宵闇の瞳に浮かんだ揺らめきを、もう消し去っていた。
「……俺が知る限りでは、六十五歳前後、だな」
その答えにアイビスとラークは息を呑んだが、ユエは「やっぱり」と納得する。
「どうして……っ、そんなに開きが出るんだ?ドワーフと人魚では、倍近く違うじゃないか?」
動揺したアイビスが発した疑問に、カイトは少し考えてから答える。
「……生活環境や食事が関係しているとは言われている──が、詳しいことは分かっていない。根本的に種の違いによるものかもしれないし──」
記憶を探るような遠い目をしてから、カイトは続ける。
「確か──あまり正確な調査ではなかったが、どこかで読んだ本には、亜種の中でも寿命に違いがあるとかなんとか──妖精の亜種は平均より長命で、反対に人魚の亜種は短命になる、んだったか……」
カイト自身はあまり信じていないのか、「まあ、結局は個人差があるんだろうがな」と苦笑して、特別講義を終わらせた。
真剣な表情になっていた三人は、その答えよりも、カイトの対応に安心して、表情を緩めた。
──よかった、いつも通りのカイトだ、と。
しかしそう安心したのもつかの間──カイトは核心に触れられる前に、すっと席を立ってしまう。
思わず伸びたユエの手をするりとかわしたカイトは、一度背を向けてから、「カイト!」引き止めるユエの声に振り返ると、
「俺からラフィールに話を通しておくから、午後からリ、……大司教のお茶に付き合ってやれ。お前たちの話を聞きたいと言っていた」
妙にさっぱりとした顔でそう言って、三人を置いて食堂を出て行った。
******
アディーン大司教との二度目の対面は、ふんわりと始まった。
「どうぞ、教会自慢のハーブティーです。それとこちらは、レーズンの入ったスコーン。私の大好物なのですよ」
「はあ……ありがとうございます」
毒気を抜かれたようなアイビスは、勧められるままにスコーンを手に取る。
大司教の私室に用意されていたのは、華奢なイスと机、季節の花、花柄の茶器に、三段重ねのトレイに乗った三種類のお菓子。
全てが上品でありながらも、客を萎縮させない可愛らしさも同居している。
「今日は天気もよいですし、体調もわりかしよくて……寝ているだけなんてもったいないと思っていたのです。ですから、みなさんが来てくださってうれしいです」
確かに初対面の時よりも顔色がいいアディーン大司教は、ちょこんとイスに腰掛けてニコニコと三人を見つめてきた。
「あの……カイトは一緒じゃないんですか?」
ユエが問うたように、ここにいるだろうと思っていたカイトの姿は、どこにも見えない。
それどころかお付きの司教たちも、お茶やお菓子を運んでくれた後は、部屋を出て行ってしまったから、ここには大司教とユエ、アイビス、ラークの四人しかいなかった。
「一緒にどうですか、と誘ったのですけど……」アディーン大司教は苦笑しながら首を振った。
「気を使ってくれたのか、はたまた──カイトなりの信頼の証なのか……」大司教のつぶやきの意味は、ユエには分かるような分からないような感じで、んん?と首をひねる。
気を取り直したように大司教は、ふわっと笑って主導権を取る。
「他のみなさんは、もう出立されてしまったのですってね。ちゃんとごあいさつもできずに申し訳ないです」
「あ、いえ」
「えっと確か──そちらのキリッとされた方がアイビスさんで、可愛らしい方がラークさん、綺麗な青い髪と瞳がユエさん、でしたね」
一度名乗っただけなのに、大司教は完璧に三人を覚えていた。
「みなさん、カイトと一緒に旅をしているのでしょう?ぜひ、色々と話を聞かせて欲しいと思って──カイトにお願いしたら、みなさんに直接聞いてくれ、って丸投げされてしまって」
しょうがない人、とでも言うように、大司教は微笑む。
「はぁ……旅の話、ですか」
「カイトからはね、先日のドワーフ王国の騒動と、ベレン領地での事件の話は聞いたのですよ」
「ベレン領の……」
「私もベレン卿とは面識がありまして、『再生の水』や亜種を見分ける水晶についての警告は、以前に受け取っていたのですが……まさかあの事件にもカイトが関わっていたとは、驚きました」
大司教の話し振りからすると、ベレン卿は大司教とカイトの繋がりを知らず、大司教もカイトがベレン卿から仕事を受けていた事実は知らなかったということが、推測できた。
「それ以前の話を聞こうとしたら、カイトは『自分が勝手に話すのはどうか』と言って……」
旅を遡れば、ユエの身の上に起きたことに触れざるを得ない。
マイナとヘイレンに打ち明けた時のように、カイトは秘密をどうするかを、ユエ自身に託したようだ。──いや、大司教が言ったように、丸投げしただけとも取れるが。
「もちろん、話したくないことは話さなくていいですよ。ですが、安心してください。秘密を守ることにかけては、私はかなりの自信があるのです」
顔を見合わせた三人に、大司教は真剣な顔でそう言ったかと思うと、「──秘密はお墓まで持っていきますから」と反応に困ることを付け足して、茶目っ気たっぷりに笑った。
***
アディーン大司教は、独特の雰囲気を持っていた。
居るだけで空気が柔らかくなり、時間がゆったりと感じ、周囲の人の心を和らげていく。優しさが伝播していくのか、この人の前では大剣豪でさえ闘争心を失いそうだ。
最初は警戒しながら話していた三人も、いつの間にか安心して全てを打ち明けていた。
十字行路でのアンナ・リーリア団との出会い──東の海の出来事──ユエの秘密──アスカ村の病気とフェザントの加入──フラヴィウム闘技場の逃走劇──ヘロンとの出会い──ラークの救出──アイビスとカイトの出会い────
聞き上手な大司教に導かれるままに、時間を遡って、遡って──ユエが知らない出来事も多く、一緒になって聞き入ってしまっていた。
気がつけば夕刻。
扉の外に控えていた司教が時間を知らせに来たところで、アイビスが『痛恨の極み』という顔をした。
せっかくの機会だったのに、自分たちの話をするばかりで、大司教からカイトのことについて何も聞き出せなかったからだ。
「とっても楽しいお話をありがとうございました。また時間がありましたら──」
満足そうに締めようとする大司教に、間一髪、最後の最後に滑り込みで、アイビスが質問をする。
「あっ、あの!大司教様とカイトは、旧い友人だとうかがったのですが……っ」
終わりのあいさつには似つかわしくないその言葉を、大司教は少しの驚きも見せずにゆったりと受け止めた。
「……ええ、そうです。旧い──それこそ、幼い頃からの──」
大司教はなぜか哀しげに、三人を見つめた。そして言葉にはできない何かを伝えるように、ひとりひとりとしっかりと目を合わせる。
「私の最後の心残りは、カイト──どうか彼を、」
イスに乗せた小さく痩せた身体を、折りたたむようにして一礼したアディーン大司教は、それ以上を語ることはなかった。
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