三鍵の奏者

春澄蒼

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第六章 追憶の海に花束を浮かべて

92 解放

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「……死ぬ、つもりなの……?」

 蒼白になるユエと、薄く微笑むカイト。


 カイトが言う『別れ』は、ユエだけじゃない。他の仲間との、この世界との、そして──生との決別。


 やっと近づけたと思ったら、もっと遠ざかる。


「カイト……!」
「そう、すぐにってことじゃない。まだやらなければならないことが残っている」
「……なにを、するの?」
「……ベレン領の事件の黒幕が、本当に聖会で、奴らがまだ不老不死の研究を諦めていないのなら、俺がそれをくじかなければ。きっかけを作った責任は、取らなければな」


 八十年前、中途半端に終わらせてしまった後始末を、カイトは今度こそ果たすつもりなのだ。


「そんなの!カイトの責任じゃないよ……!」
 カイトがこの後に及んで、自分のことより他人の心配ばかりするから、ユエはもどかしくてたまらない。
「カイトも被害者だ!聖会なんか放っておけばいいんだよ!」

 最期の仕事だとカイトが考えているならば、決して行かせてはならないと、ユエは必死に引き止める。
 ベレン領の事件の被害者も、他にいるかもしれない苦しんでいる人も、頭の中からは消えていた。

 他の何を犠牲にしても、カイトが守れればいい──自分の手の大きさを知っているユエは、それ以上を求めようとは思わない。


 一番大切なもの以外、全てを手放す覚悟はできていた。


 そんなユエの覚悟も、今のカイトには届かない。

「幻想を打ち砕くのは、俺にしかできないことだ。『ノクス』が実状より美化され、万能な存在などという幻想を抱いているから、いつまで経っても諦めない。それなら……奴らの目の前ででも死んでやれば、ようやく目が覚めるだろうさ。──俺の死も、役に立つ」


 晴れ晴れとしているようにすら見える表情で、カイトは自分の死を語る。


「……ひとりで行くつもりなの?」
「ああ」
「みんなも、置いて……?」
「ヘイレンが面倒を見てくれる。後のことは頼んでおいた」
「ヘイレン?それじゃあ、ヘイレンは知ってるの?カイトがこれからどうするつもりなのか」
「いや、ヘイレンもただの離反だと思ってるはず。だから詳しい説明は、ユエ、お前がしてくれ」

 カイトのお願いを、ユエはゆるゆると首を振って拒否する。


***


 そしてこの土俵では勝負できないと悟ったユエは、他の説得材料を探して考えを巡らせる。

「っ……『鍵』は?」
 無理やりひねり出したにしてはなかなかいい材料だと、自分で思ったユエは、「『妖精の鍵』を見つけなくて、いいの?!」声に力を入れた。

 カイトは一瞬迷ったかに思われたが、それはほんの一瞬のこと。

「そうだな。できれば三つそろえてみたかったが……全部をすっきりさせて、というのはムシが良すぎる。心残りや未練はあって当然だ」
 全てを赦したような、全てを諦めたような、そんな微笑みは崩れてくれない。


「だって、でも……!まだ答えは出てないんでしょう?」
 何かひとつでもカイトの心に引っかかるモノを見つけようと、ユエは話し続ける。

「見つけないでいいの?!ずっと探し求めていた、『自分は何者か』っていう問いの答え!」


 カイトはすっと手を伸ばして、ユエの頰に優しく触れる。

「俺が欲しかったのは、その問いの先にあったものだ。それは俺だけじゃなく、誰しもが探し続けるもの。『どうして自分は生まれたのか』、『なんのために生きているのか』──つまりは、存在意義を求めていた」

 涙で頰に張りついていたひと房の髪が、カイトの指によって耳へかけられる。硬くかさついた感触が耳の裏をくすぐっていく。
 二人が体を重ねてから、カイトはこの仕草を、癖のように無意識にするようになった。


「それを俺は、手に入れた。だからもういい」

 全く伝わっていないユエにカイトはくすりと笑って、手に入れたものをふわっと抱き締める。

「ユエ、お前だ」
「え……おれ?俺が、なに」
「お前が俺の、存在意義になってくれた」


 それは『好き』や『愛してる』よりもずっと深く、そして重い愛の言葉。
 しかしこれが別れの言葉だと思えば、ユエの心を温めてはくれない。


「秘密を明かす時、俺は少しも疑わなかった。お前は信じてくれる、と……俺を受け入れてくれると、そのことを信じていた──いや、知っていた」

 アディーンの時でさえ、一抹の不安は拭い去れなかったのに、ユエの時には話す前から、受け入れた後の反応まで具体的に想像できるくらい、ユエはカイトを信じさせた。


「ち、がうよ」
 圧倒的な信頼に、ユエは喜ぶでなく謙遜する。
「それは俺だけの力じゃない。アディーン様がいて……ユラン姫やローランド王、ローサ姫、ガレノスさんたちがいて──」

 その人たちが少しずつ薄くしていったカイトの心の壁を、最後にユエが崩しただけ。
 それともうひとつ重要な要素は──「カイトが諦めなかったから、だよ」


 ヒトを信じられなくなっていたと言いながら、カイトはヒトと関わることをやめなかった。裏切られ傷つきながらも、多くの人を助けもした。

 カイトがどこかの時点で、独りを、拒絶を選んでいたら、ユエが信頼を得ることはできなかっただろうし、そもそもの前提として、二人が出会うこともなかったはず。


「だから、俺がすごいんじゃなくて……えらいのは、カイトだ」

 小さな子に対するような褒め言葉に、カイトは満たされたように目を閉じる。

「……そうやって、誰かに肯定してほしかったんだ。俺の存在を……俺の生きた三百五十年を、そのまま丸ごと愛してくれて、弱さも狡さも汚れも受け入れてくれるヒト──」

 閉じた目が開いた時、(だめ……)ユエは焦燥に一気に追い立てられる。
 カイトの瞳は、一切の揺らぎがない。静かに凪いだ湖面のように、泣き顔のユエを映している。


「──俺がほしかったのはそれだけだったのだと、ユエ、お前を手に入れてやっとわかった。たったひとりでも俺を愛してくれる人がいて、そして俺も……その愛を信じられる──それだけで、俺は生まれてきてよかったと思うことができた」


『自分は何者か』という問いは、存在意義を世界に対して求めるもの。しかし、自分の立ち位置、役割、意味を、世界という壮大で言葉を持たないものに問うても、はっきりとした答えを返してくれることは決してない。

 それに対して、カイトが最終的に答えとしたのは、ヒトに対して求めた存在意義──たったひとり、ユエが存在を認めてくれたことで、カイトは自分の生を肯定できた。


 世界が答えをくれないからと妥協したのではない。
 カイトにとって世界よりも、ユエの方が大切になったのだ。


「俺は、満足してしまったんだ。ここで終わってもいい──いや、終わりたいと思うほどに」


***



(だめ……だめ、待って……!)
 遠ざかるばかりの背中に、ユエは心の中で手を伸ばす。

(カイトはもう、全部決めてから話してる。これは相談じゃない。だから……それを覆すには、もっと……!カイトが思いもつかないことをぶつけないと)

 カイトが考えて、考えて、考えて……下手をしたら何十年どころか百年単位で考え続けて、そうして出した結論なのだ。
 それにユエが対抗するには、正攻法だけでは足りない。


「どうして……?どうしてそんなに、急ぐの……?!」
 ユエはシャツにすがりついてカイトを揺さぶる。泣き落としでも何でもする気持ちで、恥も外聞もかなぐり捨てるつもりで、すがりつく。


「三日後に東の一族のところへ行って、それから『妖精の鍵』を探しに行って……おれ、カイトの故郷にも行ってみたいし、ガレノスさんたちと過ごした場所も見てみたい!カイトに故郷の海を見せたいし……ひとりじゃ怖いけど、カイトが一緒にいてくれたら父とも話ができると思うし……!──それからじゃあ、だめなの……?」

 ユエが語る未来を、カイトは遠い目をして聞く。まるで、幸福ハッピーエンドな物語を、外側から見守るように。


「一緒に、恋人の時間を過ごしてよ……!待って、くれないの?!俺が……」上手い言い回しが見つからなかったユエは、言葉を飾ることを諦めて、「俺が……死ぬまで、死ぬのを待ってよ……!」

「ユエ……」
「死ぬ覚悟なんて、もっとギリギリになってからでいいでしょう?!どうしてそんなに、死に急ぐの……?」


 ユエの口から、我慢していたカイトを責める言葉が溢れ出る。
「ずるいよ……!勝手にひとりで決めないで!ひどい……俺だけ置いていくなんて……!……いかないで、置いていかないで……!!」


 最後は声を上げて泣き出したユエを、カイトは赤子にするように背中をポンポンと叩いてあやす。

 カイトに冷静さを捨てさせたいのに、自分が取り乱してどうするのかと、ユエは必死に声を殺そうとするが、無理に抑えようとすると余計にひっく、ひっくと苦しい息になってしまう。


***



 しばらく、カイトの手にゆったりと撫でられる時間が続く。
 思いっきりわめき散らしたことで、ユエの意識は一時ぼんやりとなっていた。

 そこへ──「……──、か?」

「…………ん、え?」
 質問の内容が頭まで届かずに、ユエは「なあに、カイト」と聞き返す。

 カイトは質問を繰り返すことなく、ユエの背中に置いていた手をゆっくりと首の裏まで持ってくると、親指でくんと筋を押した。親指はそれからさまようように動くと、喉にかかって止まる。

「……カイト?」
 大きな手が細い首を半分覆った状態で、二人は見つめ合う。

「んっ」カイトの指に力が入る。脈を確かめているようにも、首を絞めているようにも見える。
 少しの圧迫感に耐えて、ユエは待った。


「……ユエ、俺と一緒に──」
 カイトはそこまで言ってから、ふっと力を抜く。
 本能を理性で抑えるように、首から全ての指を引き剥がすと、力を失った手はユエの肩を滑り落ちる。

 パタリとシーツの上に落ちた手は白い布を手繰り、他のものが入る隙がないほどにぎゅっとそれを握り締めた。


「カイト、おれ──」
 今度はユエが、途中で言葉を切る。
 この道をこれ以上進めば、何か大切なものを踏みつけて壊してしまうことになると感じたから。



 ──しかしカイトは、あえて足を踏み出した。ユエが壊して傷つくくらいなら、自分が先に壊してしまおうとでもいうように。



***



「……ずっと確かめたかったことがある」
 カイトは何事もなかったかのように、話し始める。

「一度考えてしまったら、もう二度と忘れることはできなかった。確かめたくて、でも、試したらもうそこで終わりで。どちらに転んでもどうせ希望はないと分かっていたから、今まで試さずにきた。だが……もう、確かめずにはいられない」


 ユエが身構えたのは、この先はたぶん、カイトが言うつもりのなかったこと、言わずに済ませたかったことなのではないかと思ったから。
 ユエの狙い通り、カイトは揺らいだ。だが、揺らいだ後に待っていたのは、さっきよりももっと──怖いくらいに凪いだ暗闇。




「──『俺は、本当に死ねるのか』」




 ユエは最初、意味が分からず混乱した。
 何を言いだすんだろう、カイト、大丈夫かな、と心配になったほど。

 しかし、じわじわとその意味が浸透してくると、ぞわっと背筋に震えが駆け上がる。
 それは恐怖の感情からくるものというよりは、寒い時の震えに近い。身体の芯から沸き起こる寒気が、背筋を通って全身を凍らせる。


「ケガもすれば病気にもなったし、何度も死にかけたこともあった。でもそれは『死にかけた』であって、実際に死を経験した訳じゃない。証明されたことはないんだ。なぜなら俺は──一度も死んだことがないんだから」


 カイトの話の中で、『不老』を肯定する言葉はあったが、『不死』については肯定もなく、同時に否定もなかったことを思い出して、ユエは血の気が引いた。
『不死』の証明が成されていないことは、つまり、『死』の証明も成されていないことと同義なのだ。


 カイトには前例がない。
 誰もが漠然と信じている、『いつかは死が訪れる』という真理を、カイトだけは漠然と信じることができない。
 周囲の人が病気で、怪我で、寿命で死んでいっても、カイトは『ああ、自分も彼らと同じようにいつか──』とはならないのだ。


 もしかしたら──これまでの『死にかけた』もあからさまでなかっただけで、何か不思議な力が働いて自分を生かしたのかもしれない。

 もしかしたら──首をはねられたり、心臓に剣が刺さったり、そういう時にだけ発揮される隠された力があるのかもしれない。

 もしかしたら──自分は生物の常識から、かけ離れた存在なのかもしれない。



「その可能性に囚われたのは、たぶんユランの死の後だ。それまでは、ある意味健全に『死』を恐れていた」

 カイトの声の重さに相槌も打てず、ユエの喉はくんと鳴っただけ。

「ばかばかしい、杞憂だと笑い飛ばすこともできない。『もしかしたら』を一度考えると、もう止まらなかった。それから俺はずっと、生への渇望と死への渇望を、行ったり来たりしてる」


『死にたい』という台詞を、カイトがどんな思いで放ったのか──それを考えると、ユエの心も身体も押しつぶされそうに重くなる。


「確かめてみたい。だがそれは、どっちに転んでも怖い。試してみて、本当に死んでしまったら……?──本当に死ぬことができなかったら……?知りたいけど、知りたくない──その狭間で均衡を保っていた。だが……」


 狂気の淵に足をかけて、混沌の闇を覗き込むような、そんな瞳をカイトはしている。


「今は、死への渇望が生を大きく上回ってしまった。矛盾していると分かっていても、『死』を確かめなければ、生きていられない。ユエ、お前が死んだ後で、俺も必ず後を追えるのだという確証がなければ……一緒には生きていけない。俺の狂気が、いつか──お前を飲み込むことになる」


「っカイト……!!」
 侵食する闇から守るように、ユエはがばっと覆いかぶさるようにして抱き締めたが、カイトはそれを、苦悩の末に引き離した。
 まるで、触れたところからユエに狂気が移ることを、恐れるように。


「もし……もし、お前が死んでも、俺は死ねなかったら?お前がいない世界を俺はひとりで生きていくのか?永遠に、終わりの見えない闇を?──想像するだけで、狂いそうになる。いや──狂ってしまえば楽になると、そっちの考えに流される。……この狂気を抱えて生きられるほど、俺は強くない」



 さっきユエの首にかかった方の手を、カイトは反対の手の中に隠す。それは拳を覆い隠すようでもあり、手を組みそこなったようでもあった。
 どちらにしても、ユエには戒めているように見える。

 欲しいものをその手につかむことを、救いを求めて祈ることを、してはならないと戒めているように。


***



(だめ……)
 ユエは何とか自分を鼓舞しようと、爪が食い込むほどに拳を握る。傾く自分の心を繋ぎ止めるためだけに、言葉を発する。

「まだ、分からないよ……もしかしたら……もう少ししたら普通に年を取るようになるかもしれないし、もっと探せば、なにかいい方法が見つかるかもしれないし……」

 ユエ自身、何の答えにも慰めにもなっていないと分かっているから、声にも張りがない。


「世界のどこかに魔法使いが待っていて、呪いを解いてくれる、とでも?呪いが解ければ、普通に年を取れるようになって、めでたしめでたし──そんな都合のいい展開が、本当にあるとでも?」

 叩き落とすような言い方に、ユエが怯んだのが分かったのか、カイトはそこで声音を柔らげる。

「問題は、方法があるかないかじゃない。あったとして──間に合うかどうか、だ」
「間に合うかって……なにに?」
「俺が壊れる前に、見つけられるかどうか──」

 カイトはそう言うと、後はユエ次第だとでもいうように、静かに顔を俯けた。


***



(だめだ……折れる……)
 ユエが想像したのは、大樹。何百年と深く根を張って、悠然と立っているかに思われた大樹が、内側に巣食った病魔に侵されて、メキメキと倒れていく──そんな光景が、カイトと重なった。

 これ以上ユエが何かを言っても、カイトの中の病魔を広げるだけ。本音を口に出して、音として耳から聴くことで、身の内に巣食う黒い陰を再認識するばかり。


 カイトだけではない。ユエ自身の心にも、みしみしとヒビが入る音が聴こえてくる。


 諦めが、ひたひたと忍び寄る。


 カイトを引き止めることこそカイトのためになると信じていたから、ユエは説得を試みていたのに、それはもしかすると、間違いなのではないかという疑念が生まれてしまったのだ。

 今のユエは、カイトにとって何が幸せなのか、断言できなくなっている。

(俺には、カイトに希望を与えることができない。むしろ──俺と一緒にいても、カイトは苦しいだけ、なのかも……)


 カイトはユエのために。
 ユエはカイトのために。


 互いを想い合った末に出した結論が、同じ場所へと着地しようとしていた。『別れ』が最善の策────




(だめ……!)
 それは最善であっても、最良ではないはずと、ユエは絶望に支配されそうな心を奮い立たせる。

 別れを選ぶことはつまり、それより辛いことが起こる前に諦めてしまおうという選択だ。それでいいのか、諦めていいのか、とユエは自分に問いかける。


『後悔のないように』──アディーンから贈られた最期の言葉が、淡い、淡い光となってユエの背中を押す。
(このまま別れたら、俺は絶対に後悔する……!)


 報われなくても、生涯カイトを愛し続けたアディーン大司教──その献身的な愛情でも、カイトの闇を払うことはできなかった。

 アディーンだけではない。これまでカイトと関わって彼に影響を与えてきた多くの人たちでも、彼を救うまでに至らなかったのだ。

 愛の深さでも、時間の長さでも、立派な志や立派な人柄でも、カイトを思いとどまらせる光は生まれなかった。



(考えを、変えないと……)
 ごちゃごちゃにこんがらがった頭を一度真っさらにするために、ユエは大きく息を吐いて、そして大きく吸う。


 まずは分かっていることの確認から。

 カイトが恐れているのは、死に囚われることで自分の心が壊れること。そしてその時に、自分の手でユエを傷つけてしまうこと。

 だからその未来が現実になる前に、ユエと離れてしまおうとしている。


(そう、カイトは優しいから……自分のせいで俺が傷つくことになったら、きっと自分を許せない)
 それはいくらユエが「それでもいい」と許しても、意味のないこと。

 自分にはどうにもできない問題だと、ユエは頭を切り替える。


(それじゃあ……根本的な原因を取り払う……?)

 カイトが死に囚われたのは、不死という可能性に思い至ってしまったから。
 カイト自身も杞憂であることは承知している。承知していても、一度芽生えた疑いはなかったことにはできない。

 そして疑いを晴らすには、確かめてみる他ない。
 不死を否定するにはつまり──死んでみるしかないのだ。


(うん、これも俺にはどうにもできないことだ)


 早くも手詰まりになってしまったが、ユエはさっきまでのような絶望は感じていなかった。


 カイトのため、という大義名分を捨てて、自分が後悔しないため、という自分本位の考え方に変えたことで、少しだけ俯瞰で状況を見られるようになっていたからだ。

 気持ちを理解しようと共感し過ぎて、カイトの絶望を自分のことのように感じてしまっていた危うさに、ユエは気づいた。

(カイトはちょっと、思い詰めてるし、自暴自棄になってる。でも、俺までそれに引っ張られちゃだめだ)


 カイトだって逃げたくなることもある。逃げ出して、全部放り出して、見たくないものは見ないふりをして、自分ひとりだけ楽になりたい──そんな弱さを、カイトだって持っている。

(今まで誰にも言えなかった弱音を、カイトはようやく言えたんだ。一歩前進したってことで、うん、いいことだ)


 悲観するなと、ユエは無理やりにでも前を向く。

 カイトと一緒に沈んでは、自分の存在が重りになるだけ。
 ユエが成るべきは重りではなく、浮き。沈みゆくカイトの心を軽くして、光の世界へ浮かび上がらせるもの。


 そのためにはまず自分の心を軽くすることだと、ユエは深呼吸を繰り返す。

(できないことまでしようと思うから、重荷に感じるんだ)

 カイトも分からないことが、自分に分かるはずがない。『死』や『不死』について、明確な答えを提示できるはずがない。


 分からないことは、分からない。
 無理なものは、無理。
 ──そう割り切ってしまえばいい。


(できることを探そう。どこかにきっと、俺にしかできないことがある。俺だから、できることがあるはず)



 自分にしかできないこと。
 自分にしか思いつかないこと。


 他の誰かでは意味のないこと。
 カイトが思いつかなかったこと。



 希望は、小さくてもいい。
 でも、根拠のない奇跡を望んでいてはだめだ。
 奇跡でも、ちゃんと根拠があって、カイトが納得するような、事実があって……根拠、納得、事実……前例、経験……──。


 ふと、指に冷たい感触があって、ユエは胸元に目を落とした。
 無意識のうちに心臓あたりをさすっていた手に、かつんと触れるもの──首にかかった『人魚の鍵』が、蒼く輝く。


「カイト……!!」


 その時ユエの頭の中に、鍵と同じ蒼い光が閃いた。
 淡い光をつかみ取るために、ユエはもう一度「カイト!」悲鳴混じりで名前を呼ぶ。

 ユエの勢いに押されて、カイトの顔が上がる。眠っていたところを叩き起こされたような、ぼんやりとした虚ろな瞳に向けて、ユエは力強く頷いた。


「大丈夫だよ」


 その一言を口に出した時、ユエが思い描いたものはまだ、具体的な形にはなっていなかった。
 しかし先に「大丈夫」と言ってしまったことで、自分に暗示をかけるような効果になったのか、ユエの中に自信がむくむくとみなぎってくる。


「カイトがほしい答えをあげることは、俺にはできないと思う。『死』も『不死』も証明してあげられないし、カイトの恐怖を全部消すことはできない。でもね……未来にちょっとだけ希望を灯すことは、できるみたい」


 ユエが希望に辿り着くことができたのは、完璧な答えを用意しようとは考えなかったから。


「もし……もしもだよ。もしカイトが不死だったとしても、大丈夫。──俺も一緒に、永遠を生きるから」

「なに、言って……」
 まだ、カイトの目の焦点は合っていない。

「カイトの呪いが解けないなら、俺も一緒にんだよ!カイトが不死なら──俺も不死になっちゃえばいい」


 カイトを変えるではなく、自分を変えるという、発想の転換。


「ば、かなことを……」くらっとめまいを起こしたように、カイトの瞳が揺れる。「そんなこと、できるはずが」


『そんなこと』に続いたのが『意味がない』ではなかったことに、ユエはさらに自信を深める。

 できるかできないかの論議になるなら、ユエは『できる』と証明する材料を持っていた。



「ジャン・ノーだよ!」
「ジャン……?」
「ジャン・ノーは死んだ後も、百年、この世に魂を残していたでしょう?俺たちが解放してあげなかったら、きっと永遠にあのままだったよね?つまりそれって──まあ、正確には『生きていた』んじゃないかもだけど、百年、『死んではいなかった』ってことでしょう?」


 ぱちぱちと、瞬きした後、カイトは呆然と「……あ?」と呟く。
 いまいち反応の悪いカイトに、「だーかーら!」とユエの口調はますます熱を帯びていく。


「俺がジャン・ノーみたいになればいいんだよ!どうやったかは分からないけど、絶対に『人魚の鍵』の力だよね!それなら、ジャン・ノーにできて俺にできないはずないと思うんだよね!うん、そうだよ、できるはず……!」


 ひとりで納得するユエは、焦点の合っていなかったカイトの瞳に、次第に力が戻っていくのにも気づかない。


「いつか俺が死んじゃっても、そこで終わりじゃないよ!もしカイトが不死でも、俺は魂だけになってもこの世に残るから!カイトをひとりで置いていったりしない……!ずっとそばにいるよ……!!」


 興奮に身を任せて言い切ったユエは、その後いきなり「あ、でも……」と勢いをなくして、カイトの様子を伺うように眉を下げる。

 そして言い出したことはというと──
「……俺が骸骨の姿になっちゃっても、カイトは……平気?」

「は、あ……?」
「俺が骸骨になっても、カイト、嫌わないでくれる……?」


 上目遣いで訊くユエに、カイトは「ふっ……」思わず漏れてしまった息を皮切りに──「ふ、はは……っ」

「か、カイト……?」
「は、はは……っ、あははは……っ!」


 こんなに声を出して笑うカイトを、ユエは初めて見た。
 だからしばらく、ぽかんと見守ってしまって、カイトの変化に気づくのに一歩遅れた。

「っとに、お前は……」
 自分でも笑うのを止められないのか、カイトは息継ぎの合間にやっとのことでひと言、ひと言を差し込み、「よりにもよって、気にするのは、そこなのか」


 それから笑いをこらえるように、片手で口許を覆うと、顔を伏せて肩を震わせる。


「カイト……?」
 名前を呼んだユエが、震える肩に触れた瞬間──「ユエ……っ」がばっと力任せに、カイトはユエの胸に飛び込んできた。


 ユエのシャツに顔を押しつけたカイトから、痛いくらいの抱擁が贈られる。


 その痛みに慣れる頃、シャツの胸元が濡れていることに、ユエは気づく。二人分の涙が、そこへ吸い込まれていた。


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