三鍵の奏者

春澄蒼

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第七章 孤独な鳶は月に抱かれて眠る

110 鍵の誕生

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「純血が親を必要としないといっても、何もないところからいきなり生まれる訳ではない。無から有は生まれない。例えるならアルケーは卵子らんし。我らの母なる存在」

 いつの間にか教える側と知る側が交代している。

「卵子……ならば父──精子にあたる物質も存在する、と?」
 ウィノの説明に質問を投げかけるのはカイト。他はまだついていくことに精一杯で、疑問を持つ余裕はない。

「父にあたるのは、陸・海・空」
「陸……大地ならばドワーフ、海ならば人魚、空ならば妖精……?」
「そう。つまり三種は異父兄弟。アルケーという卵子に、三種のどの精子が受精するかで種族が決まる。そしてそれぞれの自然の力を養分にして成長し、やがて生まれる」


 ユエもアスカも自分のことなのに「へぇ……」としか言えない。母なる海だと思っていたのに実は父親だったと言われても、だからといって何かが変わるとは思えなかった。


「鍵も、その……アルケーから創られた、というのは?」
 そのため、生命の起源よりもこちらの方が気になって、カイトの言葉を待っていたようにみんなの集中が高まる。


「アルケーとは本来、目には見えないほど小さな、小さな物質だ。そして数え切れないほど多く、世界のどこにでも──地下に、川の流れに、空に存在する。だがその全てが三種として生まれる訳ではない。『三鍵さんけん』の素となったのは、その三種にならなかったアルケーだ」


 ユエとアスカは自然と、自分の首にかけてあった鍵を取り出して触っていた。色は違えど、ツルツルとした表面は確かにあの水晶に近いのかもしれない。


「再生の水を『擬似的な鍵』と言ったな。それはどういう意味だ?」
「それを説明するにはまず、『三元素』の説明から始めなければならない」
「三、げんそ……?」 

「この世の全ては須く三つの元素から成る、という考えだ。三つとは即ち、風・土・水であり、それはそのまま、妖精・ドワーフ・人魚に対応する。その三つは混ざり合いひとつになることはない。しかしその不可能を可能にした時、全能なる新たな物質が生まれる──」


 怒涛の情報流入に、ほとんどは理解することを放棄してただ口をぽかんと開ける。
 何とかついて行こうとしているのはカイトとヘイレンとアイビスくらいで、しかしその三人をもってしても一回で理解することは無理だった。


「その……三元素というのはアルケーとはまた違うのか?万物の素、なんだろう?」
 カイトは確認を繰り返すことで、少しでも真理に近づこうともがく。

「三元素は物質の状態を表すもので、実際に現物があるものではない。アルケーは目に見えずとも、現物が存在する」
「状態?」
「例えば、気体・固体・液体。例えば陸海空、例えば天地人、例えば、過去・現在・未来。例えば、退化・維持・進化──」


 聞けば聞くほど分からなくなって、とうとうカイトも匙を投げた。
 それを見てウィノは、微かに口角を上げる。

「完全に理解する必要はない。なぜならこれは、真実かどうかなど我らにも判然としないこと」
「……は?」
「世界の真理など、正解を教えてくれる者はいない。あくまでこれは、我らが信じている思想だということ、そして二千年前の人々が信じ、それを基にして──神の真似事をしようとしたという、愚かな昔話だ」

 今度は自虐的に頬を歪めるウィノ。
 カイトはウィノのことをあまり表情が変わらない人物だと思っていたけれど、もしかしたら一人の時間が長かったことでそうなっていたのかもしれないと考え直す。

 人との関わりが増えたことで徐々に感情表現を取り戻しつつあるウィノを見て、カイトは以前持った不信感が薄くなっていくことを自覚していた。


 ウィノを全面的に信じてみることにして、カイトは素直に教えを請うことにする。

「神の真似事とは、人間を創ったこと、か?」
「そう。混ざり合うはずのない三種を混ぜて、新たな種を創った」
「三元素の思想からいくと、それじゃあ人間は『全能なる新たな物質』ってことになるが?」
「予想と結果は必ずしも一致しない。人間は新たな種ではあったが、三種の平均化でしかなかった。しかし思わぬ副産物が大きな結果を生むことになった。『三鍵さんけん』こそが全能──もどきの物質」

「鍵が……副産物?待て、鍵を使って三種を人間に変えるんだろう?それなら先に鍵ができていなければならないんじゃないか?副産物という言い方はまるで、人間を作る途中で鍵ができたような……」

 静かに見つめ返されて、カイトは尻窄みになった。

 ウィノは昔を思い出すような遠い目をしてから、「最初から……全ての始まりから話そう」
 一陣の風が夜の闇を通り抜ける。
 ウィノはほんのわずかな間その風を堪能するように目を閉じる。

「長くなってしまうが、君たちの理解を得るためならば時間をかける価値がある。始まりは、そう……ひとりの天才の発見から──」


 そして語られたのは、聖会の聖典にも教会の経典にも、ドワーフの遺跡にも載っていない、神話の時代の物語。



******




 その妖精の名はエィラと言った。
 エィラは異端だった。なぜなら、誰も疑問を持つことなく続けられてきた三種間戦争に疑問を抱いてしまったから。


 なぜ我らは戦っているのだろう。
 なぜいつまでも戦争は終わらないのだろう。
 どうすればこの不毛な戦いを終わらせられるのだろう。


 三種間戦争とはまるで、空と大地と海の代理戦争のようだ、とエィラは感じていた。
 風と土と水が争おうとも、勝ち負けなど決まるはずもない。実際、妖精が起こした大竜巻と人魚が起こした大波とドワーフが起こした大地震がぶつかっても、相殺されるばかりで何も変わらない。


 三種は人数が多くなればなるほど、大きな力が発揮される生物だ。妖精ひとりの羽ばたきではせいぜいそよ風しか起こせないが、何万人と集まれば大地を抉り海を巻き上げるほどの大竜巻を起こせるように。

 しかし三種は自分たちの意思で数を増やすことはできない。
 ひとりが命を落とせば、次の命が生まれるといった具合に、数の均衡が勝手に保たれていた。

 その反対に、敵の数を減らすこともできない。
 三種が生まれる場所はそれぞれ他の種には辿り着けない場所にあり、自然に守られていたから。


 それがまたエィラには、三種を永遠に戦わせ続けるために仕組まれたように思えてならなかった。


 エィラはこの均衡を崩そうと、研究を始めた。
 まず調べたのは、己のこと。妖精がどうやって生まれるのかを突き詰めた結果、まだ妖精として生まれる前の、言わば受精卵の状態を詳しく調べることで、アルケーの存在に辿り着く。


 空の力を受精したアルケー──つまり妖精の受精卵が孵るためには、栄養となる空の力が必要で、具体的に言えば、空気に触れ続けなければならない。同様に、人魚の受精卵なら海に、ドワーフの受精卵なら土の中になければ育たない。

 しかしエィラはあえてその養分を遮断してみた。すると受精卵は孵ることなく、エィラの手のひらほどの大きさの翠色の水晶のような物質に変わった。
 こうして本来は目に見えないアルケーを視認できる大きさで取り出すことに成功した。


 エィラはこの時点では、自分が犯した罪を自覚していなかった。ひとつの命を生まれる前に奪ってしまったことよりも、発見に夢中だった。


 結晶化したアルケーは不思議な物質だった。
 透き通った翠、完璧な正六角柱、耳を当てると内部から風の音がする──エィラはこれを、無機物の妖精なのではないかと予想した。

 空の力を宿した物質──しかし妖精とは違い、アルケーには意思というものがない。そのためいくら力を持っていてもそれを発揮させることができず、ただ溜め込むだけ。
 エィラはどうにかこの物質を使えないものかと思案していた。



 同時期──ドワーフと人魚の中にも異端者が現れる。
 エィラひとりの出現がきっかけなのか、それとも同時多発的なのかは不明だったが、確実に変化は連鎖していた。

 妖精の中にもエィラの考えに賛同する者は増えていて、密かに他種の反戦派と交流を持つようになっていく。


 エィラはドワーフと人魚の協力を得て、ドワーフの受精卵と人魚の受精卵からもアルケーを取り出すことに成功する。形と大きさは妖精とものと同じだったが、色はドワーフは紅く、人魚は蒼いという違いがあった。

 そして三つのアルケーをひとつにまとめることに執心する。その根底には三元素の思想があった。この何千年と続いてきた均衡を破壊するためには、不可能を可能にするくらいの無茶が必要だと思い込んでいたのかもしれない。


 アルケーの同化には三種が協力して様々な方法が試された。
 最終的に成功したのは鋼の鍛錬とほぼ同じ手順で、高温で溶かし、鍛錬し、水で冷やすを繰り返すというもの。ただしその全ての過程で厳しい基準があり、少し温度が違っても、少し力加減を間違えても、アルケーは壊れてしまった。

 そのため成功したのは一度きり。
 ほとんど運頼み、奇跡の成功だったが、エィラは後にこう分析している。

 ──アルケーの同化に必要だったのは、外から、同量の三元素を同時に与えることだった、と。
 大地の力の塊である石炭を燃やし、その熱を空の力である風で高め、水で冷やす──三つの工程を綺麗な正三角形を描くように繰り返すことで、物質の境目をなくすことに繋がったのではないか、と。


 ひとつになったアルケーはまるでひとつの生命体のようだった。
 真球しんきゅうに鍛え直されたその透明なうつわの中で、胎児のような形の翠と紅と蒼の光が動き回っていて、エィラには風と火と水が仲良く戯れているように見えていた。


 エィラはこの光を見た時にやっと自覚した。これは生まれてくるはずだった命を犠牲にした結果であることを。

 犠牲にした命はこの三つだけではない。同化の途中で失敗した数は数え切れない。いくつものアルケーを壊して、壊して、殺して、殺して、辿り着いたのだった。


 エィラを筆頭としたアルケーの研究に携わってきた者たちは、罪を認め、反省し、そして二度と繰り返してはならないと、アルケーについての知識を封印することに決めた。

 しかしもう生まれてしまったアルケーについては、このまま朽ちさせてしまう方が罪だとして、生み出してしまった責任をどうにか取ろうと考えた。



 同じ頃、エィラたち研究者たちとは別に、三種の同化を考えている者たちがいた。種族を超えて愛し合った、ドワーフのフェリックスと人魚のシィランだ。
 二人が共に生きていくためには、『愛』だけでは乗り越えらない壁があった。水がなければ生きられない人魚と、水を脅威にするドワーフでは簡単に抱き合うこともできない。


 二人の『共に生きていきたい』というささやかな願いと、三種間の戦争を終わらせたいという遠大な使命、そしてエィラの研究が出揃った時、目指す方向が定まった。

 三種族をひとつに──受精卵から取り出したアルケーをひとつに同化させたように、アルケーを素にして生まれた三種を同化させ、新たな種として生まれ変わらせる。


 しかし結晶化した受精卵とは違い、人の肉体を高温で溶かし叩いて鍛えて冷やすことはできない。

 そこでエィラが提案したのは、血液を同化させることだった。
 三種の血液にはそれぞれ三元素の力が流れていることを突き止め、まず血液を同化し、それを流すことで肉体の同化を促す。


 もちろん、血液を同化させるためにも一手加えなければならない。
 境目をなくすためには外から三元素の力を同量、同時に加える──そのためにあのアルケーの力を借りられないか、とエィラは考えた。

 元は三種の受精卵から成る真球のアルケーはすでに三元素全ての力を有している。濾過装置のように血液を透過できれば、自然と同化した血液が作られるのではないか、と。


 この時、二種ではなく必ず三種の血を混ぜなければならない、とエィラは主張した。なぜなら以前の実験において、三元素のうちの二つだけを同化させることは不可能だと証明されていたからだ。

 三元素は三つ揃ってこそ均衡を保つことができる。──三種の三つ巴の戦いのように。


 エィラは自ら進んで血の提供を申し出た。提案者として未知の実験の責任を共に負う覚悟で。



 血液の同化は何度も繰り返された実験の末、実用化まで漕ぎ着けた。
 そしてついに、最後の検証を迎える。


 フェリックス、シィラン、エィラは真球のアルケーを中心に置き、輪になってそれを囲んだ。三人の腕から抽出された血液はいったん球体の中に吸収され、そしてひとつに混ぜ合わされた血液がまた、三人の体に戻っていく。

 血液が入れ替わる度に、三人の肉体は少しずつ変化していった。まるで、中身に合わせてうつわを作り替えるように。


 一昼夜かけて三人は生まれ変わった。
 ところが、エィラにも読めなかった誤算がひとつ。

 三人の肉体は三種の血を分け合って、言うならば平均化されただけでなく、生殖機能という新たな能力をすでに獲得していた。
 フェリックスには雄性生殖器が、シィランには雌性生殖器が、そしてエィラにはそのどちらもが。

 これは本来なら、平均化できた後に考えるべき課題だったのだが、労せず一石二鳥と転がり込んだ朗報だ。


 エィラ以外は、この贈り物を『愛』の為せる奇跡だと感動しきりだった。

 しかしエィラはこう考えた。──三種のからだにはもともと、生殖器を得るという進化の余地があったのではないか。
 そしてその進化を一気に促したのが、真球のアルケー。これは元来、受精卵だった。本来生まれてくるはずだった三つの魂が、同化した血液を通して三人のからだに宿り、その魂を生み出せるように肉体も変化したのではないか。


 それを証明するように、性を獲得した三人はからだの変化をとても自然に受け入れていたし、動物の生殖行為を知っていたとはいえ、どうすれば子どもができるかをとても自然に理解していた。
 それはまるで、からだにその情報がもともと刻まれていたように。


 この考えを後押ししたのは、エィラの罪悪感。
 犠牲にしてしまったと思っていた受精卵の魂が、もしかしたら新たに生まれてくるのかもしれない、と思いたかった。


 そして二度目の歴史的な日。
 フェリックスとシィランの間に生まれた子は『アスカ』と名付けられ、新たな種族を『人間』と定めることになった。


 アスカが生まれるまでの間にも、多くの三種が人間へと姿を変えていた。そして順調に子どもも増えていく。

 ただ、真球のアルケーを媒介した方法にはひとつ問題があった。
 それは必ず三種が一人ずつ三人揃わなければならないということ。そのため中には、人間になりたいとか子どもが欲しいとは思っていないけれど、エィラのように他の二人の協力者として姿を変える場合も多かった。


 その問題が解消されたのは、人間の数が三桁に乗った頃のこと。
 しかしこの解決にエィラは一切関与していない。いつの間にか生みの親の手を離れ、アルケーは勝手に進化を始めていた。


 真球のアルケーは三種の血液を濾過する度に、少しずつ大きく成長していた。
 そして妖精の手のひらに乗る大きさから、ドワーフの手のひらからはみ出るほどまで成長すると、自然と三つに分かれて、風を閉じ込めたような翠の球体と、炎が揺らめいているような紅の球体と、小さな海のような蒼い球体になった。

 戸惑う人々の中でひとりのドワーフが紅の球体を手に取ると、眩い光が発せられ、光が収まった時には人間への変化は終わっていた。


 それを機に、爆発的に人間は数を増やしていくこととなる。
 種族と対応した球体に触れるだけという簡素さと、三種を三人揃えずとも単独でできるという手軽さが要因だ。

 さらにこの球体は、人間になった三種を元に戻すという新たな能力も手に入れていた。
 その気軽さがまた種族を変えることへの垣根を低くして、進化は加速していく。


 四桁、五桁と順調に人間が増えていくにつれ、三つの球体がさらに大きくなるかと思いきや、今度は次第に色を濃くしていった。
 エィラが最期に見た時は、透明な部分はなくなり、煮詰めたような深い、濃い色になっていた。



 エィラは結局、誰かと番うことも子を持つこともなく、最期は妖精の姿に戻って生涯を終えた。

 三つに分かれた真球のアルケーが、今の『鍵』の形になったのはその後の出来事──。



******



 いきなり二千年前の話へ飛んで戸惑いは大きかったが、フェリックスとシィラン、アスカと知った名前が出てきたことで聴衆の集中力は途切れなかった。

 それと、ひとりの妖精『エィラ』を通して語られたために、神話時代の遠い物語というよりもずっと身近な過去に感じられていた。



「なんだか……見てきたように語るんだな」
 そのためカイトの第一声は、内容よりも語り口に対する感想になる。

 ウィノの話し方はまるで自分の目で見たよう、またはエィラのことをよく知っているようだったのだ。
 カイトがユラン姫のことを語った時のように。

 以前に本人から生まれは千年前だと聞かされていなかったなら、ウィノとエィラが同一人物だとでも邪推するところだった。


 そういう語りになった理由についてウィノは、妖精独自の歴史の伝え方による、と説明する。
「ドワーフが文字や絵によって、人魚が歌によって歴史を後世に伝えてきたように、妖精には妖精ならではの伝え方がある。我らは死の間際に──記憶を引き継ぐことができる」

「記憶を?」
「私はエィラの記憶を受け継いだ。もちろん直接ではなく、間に何人かを介して、だが」
「そんなことができるのか?どう、やって?」
「……後で実際に見せることができるだろう」

 ウィノは仲間の死をすでに受け入れ、犠牲を無駄にはしないという境地まで達していた。

「それでは……今の話はエィラの本当の記憶によるものと思っても?」
「ほとんどは」
「では、アルケーが三つに分かれる過程が曖昧なのは、晩年のエィラの記憶が曖昧だということか?」
「いや、そうではない。エィラにも理解できなかっただけ。言ったろう、『勝手に進化を始めていた』と」


 ウィノはユエとアスカに鍵を見せるよう要求し、皆の輪の中心に蒼と紅の二本が出揃う。三つの円が重なり合う持ち手、すらっと細い円柱の先に凸凹の板──誰もが『鍵』と言われて思い浮かべる、鍵らしい鍵。

「これは人が加工したものではない」
 ウィノはつるりとした表面をなぞりながら、そんなことを言う。
「三つに分かれたこともそうだが、アルケー自身がこの形になることを選んだ──誰が何をするともなく、勝手に、自然とこの形になった」


 まるで鍵自身に意思があるような言い方だ──そう思ったカイトは、はっと思い出す。これまでにも同じような経験があったことを。


 アスカの出生にまつわる不思議な出来事──クリストバル・トリエンテの棺に共に埋葬されたはずのドワーフの鍵を、なぜかアスカが持って生まれたと聞いて、まるで鍵がひとりでに移動したようだと感じた時。

 東の海、ジャン・ノーとの闘いにおいて、ユエが人魚の鍵と意思疎通をしたと語った時。


 この二つの経験があったおかげで、カイトは常識が言う『ありえない』という声を無視できた。
「鍵には意思がある、ということか……?」

 答えは紛れもない肯定。
「そう。ただし──」ざわめく聴衆が鎮まるのを待って、ウィノは付け加える。
「ただし、鍵に宿っている意思はヒトとは少し違う。単一ではなく、複数の意思の集合体と言えば分かりやすいだろう」


「ぜんっぜん分かりやすくねぇよ!」というヘロンの叫びに応えて、ウィノはより噛み砕いて説明するため頭をひねる。

「そうだな、もっと分かりやすく……まず、鍵を使う時に三種のからだに何が起きているのかから説明しよう。例えば、ユエが人魚の鍵を使うとする」

 ウィノに指名されて、ユエは実演のために鍵を用意した。

「ユエが鍵を自身のからだに挿し込むと──」
 ユエは鍵を胸に突き立てる。いつものように触れた箇所から光が広がったが、ウィノの説明に合わせて回すのをひと呼吸遅らせたところ、いつもと何か違う感覚があった。しかしそれを掴む前に、ウィノは先へと進んでしまう。

「──この瞬間、鍵はからだと同化している。そして鍵を回すと──」指示に合わせて、ユエは鍵を回す。「──鍵とからだの間で力の交換が行われる。最後に鍵を引き抜けば──」光は集束し消えていく。「──鍵はからだと分離される」

 人魚の姿に戻ったユエは、ヘロンと同じ『さっぱり分からない』という顔でウィノを見た。


 あまり意味がなかったとしか思えない実演を終えて、ユエはカイトに毛布で隠してもらいながらもう一度鍵を使い、今脱げてしまったズボンを履き直して、それをいいことにそのままカイトの膝に陣取った。


「力の交換について、もう少し補足すると」ウィノもユエのカイトべったりにはもう慣れたのか、仲間たちと同じく完全に黙認する。「この時、ユエの中から抜かれた人魚の力はいったん人魚の鍵に保管されることになる」

 ウィノはユエから人魚の鍵へ向けて矢印を描くように指を動かす。

「そして空いたところに、ドワーフの鍵からドワーフの力が、そして妖精の鍵からは妖精の力が注がれる」
 次はアスカからユエへ向けて矢印が伸びた。


「ということは」膝のユエを抱え直しながら、カイトが訊く。「鍵は三つに分かれてはいるが、根本的には繋がっているということか?」

「そう。そして人魚の鍵に保管された力は、ユエが人魚に戻れば返ってくるが、もしユエがこのまま人間でいることを選べば、例えば、アスカが人間になるために使われることになる」

「そう聞くと、鍵は力の貯蔵庫の役割もあるのか。貯めておいて、好きな時に使える──だから元に戻ることもできるし、鍵単体で事足りるようになった」


「えっ?じゃあさ、じゃあさ」慌ただしく口を挟んだのはヘロン。「保管してあるのがなくなったら、もう変身できないってこと?!」

「だよな。それに」フェザントが続ける。「偏りそうじゃねぇか?ドワーフは人間になりたい奴も多いかもしれねぇけど、人魚と妖精はそうでもなさそうっつーか……」

「確かに」さらにアイビスが続いた。「そうだとドワーフの力ばっかり余ることになる。結局、純血の三種の人数が揃わなきゃならないという条件は変わらないのでは?」


「いや、鍵に貯められた力が尽きることは、まずない」
 ウィノは即座に否定してくれたが、ユエとアスカは不安な顔を突き合わせた。
「……ほんとう?なくなったり、しない?」
「いきなり人間になれなくなったり……?」


 ユエは右手で鍵を握りしめ、左手でカイトの手をぎゅうっと掴む。
 いつの間にか鍵があることが当然で、人間と人魚を行ったり来たりすることに慣れてしまっていたのだと気づく。

 もし──ユエは考える。もし、今、人魚に戻るか、人間として生きていくか、どちらか選ばなければならなかったら──?

 左手が握り返される前に、ユエは選んでいた。

 鍵を手離して、右手でもカイトの手に触れる。みんなには見られないように毛布の中に隠して、選んだものを両手で包み込んだ。


 海を捨てても、おれはカイトを選ぶ──そう心が決まれば、話の続きを冷静に待つことができる。


 ウィノは寄り添う二人から目を逸らして、全体に向けてもう一度「まず、ない。なぜなら、鍵に貯められた力は少なくとも数万人を変化させるだけの余剰があるはずだから」

「余剰って、そんなもんどこから?」
 ヘイレンの質問に答える前に、ウィノは「その余剰分の力がどこから来たのか、ということこそ、鍵が意思を持つという話に繋がる」と、最初の議題を思い出させてくれた。



「これはエィラの仮説を後世の人々が補強した上で出した結論だが──」

 ここから語り口はエィラの記憶を元にした過去語りとは少し変わっていて、もしかしたらその『後世の人々』の中にはウィノ本人も含まれているのではないかと思わせた。

「──真球のアルケーは三種を人間に変える度に、少しずつ力を奪って──いや、引き換えることで成長していったのではないか、と」
「引き換える?何と?」
「生殖機能と。与える分だけ奪ったのか、新たな機能が宿ったことでうつわから自然とこぼれ落ちた力をもらったのか、どちらかは分からないが、大きくなったり、色が濃くなったりしたのは成長の結果なのではないか、と」


「つまりこういうことか?」とヘイレンが例えのために持ち出したのは、奇跡的に無事だったガラスのコップ。そこになみなみ水を注いで、「これが人魚の力いっぱいのユエだとする」

 何だかどこかで見たことある光景だ、とアスカ救出に関わった面々は顔を合わせる。

 ヘイレンはこの例え方が気に入っていたのか、以前と同じようにまずコップから三分の一を残して水を抜き、ドワーフの力と称して赤ワインを、妖精の力と称して白ワインを注ぎ、またコップいっぱいに液体を満たすと、最後にパンのカケラをパラパラと浮かべる。

「っとっと!」水分を吸ったパンが沈んでいくのと引き換えに、コップの淵から三つの液体のブレンドがつつーっとこぼれ落ちるのを、ヘイレンは指の腹で受け止めた。


 濡れた指先を見せられたウィノは、「そういうこと」と感心したように大きく頷く。

「……そういうこと、なの?」
 首を傾げたアスカのために、カイトがもっと分かりやすい説明を探すことになった。


「そうだな……こう仮定すると数えやすいか」
 カイトはユエに十枚の魚の鱗を、アスカに十個の小石を、ウィノには十枚の葉っぱを持たせて(ウィノの小さな手では実際に持つことは難しいため、代理としてラークが持った)、「それぞれの種の力を具現化したものだと思ってくれ」

 それからユエとアスカには人魚の鍵とドワーフの鍵を地面に置いてもらい、妖精の鍵の代理には木の棒を置く。


「純血が人間に変わる時の力の交換を目に見える形でやってみよう。まず自身の力を抜く。三つだけ残して、後の七個はいったん鍵に保管される」

 言われた通りにし、三人の手から離れた七つは対応する鍵の側に置かれる。

「次に三つの力が平均化されるように分配する」
 カイトは鍵の側に置かれた中から、小石を三つ葉っぱを三枚選んでユエへと渡す。同様にアスカには鱗と葉っぱを、ウィノには鱗と小石を。

 これで三人の手の中には、鱗が三枚、小石が三つ、葉っぱが三枚、合わせて九個の同数になる。


「平均化されると同時に、鍵からは生殖機能が与えられる」
 カイトはそう言うと、懐から取り出した木の実をひとつずつ三人に渡す。
 これで三人の手には仲良く同じものが十個乗ったことになる。

 そして鍵の側に鱗と小石と葉っぱがひとつずつ残ることになった。
 それを指差して、「これが余剰分として鍵に貯められていく、ということでいいか?」最後の確認はウィノへ向けて。

「実際には一割とはいかずもっと少ないだろうが、概ねこれで合っている」

「十個以上は持てないってこと?」
 まだ持てるのにと手を広げているアスカに、ウィノはもう一度頷く。
「そう、容量は決まっている。だからこうして三種が人間に変わる度に少しずつ、あぶれた力が蓄積しているから、鍵から枯渇することはまずないと言える」


「……さっき余剰分は『少なくとも数万人』分はあると言っていたが」カイトはふと思いついた質問を投げかける。「これまで鍵はどれくらいの人数を人間に変えてきたんだ?」

「……正確な数はまず誰にも分からないが、おそらく、約数千万人」
「千万、単位……?」
 それはカイトの想像をはるかに超える数字だった。


 驚くのはここからだと言わんばかりに、ウィノは厳かに続ける。
「その数千万人がつまり、鍵に宿る複数の意思の集合体の正体だ」


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悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放

大の字だい
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王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。 嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。 だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。 嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。 混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。 琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う―― 「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」 知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。 耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。

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