三鍵の奏者

春澄蒼

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第七章 孤独な鳶は月に抱かれて眠る

109 万物の素

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 翌日、メーディセイン内の人々は三班に分かれて動き出した。

 ウィノの依頼通りに、そしてカイトの進言通りに唯一残っていた建物を壊しにかかる、妖精救出班。
 湖からの先行脱出班は、壊れた船着場の簡易的な補修と船の状態を確認することから始めている。
 そして大山脈側から西へ抜けるための迂回班は、ウィノの助言を受けながらまず崖を登れるか試してみるようだ。


 本当ならば余震が落ち着くまでこの場から動かないほうがいいのかもしれないが、崖と湖に囲まれたメーディセインではそうもいかない。安全だけでなく食糧の問題もあるため、少しずつでも人数を減らしていくほうがいいということは、共通認識としてあった。

 しかし最低限の安全確認は怠らない。
 それには三人の純血の能力が大いに役立つことになる。

 もともとここに連れてきていたのは、ベレン卿の腹心の部下たちに、ギルドの傭兵の中でも特に信用のおける者たちだけ。そのため捕虜の目さえ気にしておけば、秘密を明かすことに躊躇は少なかった。

 本来の姿に戻ったアスカなら、大地のちょっとした変化を悟って余震のタイミングを読むことができるだろう。
 ウィノの耳は土砂崩れの前兆を聞き逃さないし、空から道なき道を案内することもできる。
 湖からの脱出にはユエが付き添うことになっている。人魚が付いていればいざという時でも船がひっくり返ることは避けられるはずだ。



 最初に目処を立てられたのは、湖からの脱出班だった。
 壊れた船を退けて、無事な船の点検が終わると、先遣隊を乗せた第一陣が出発する。まずは無事に往復すること。そして向こう岸の状況を直接確かめてもらい、それを持ち帰ること。

 定石通りならば最初に重傷人を運び出すところだが、壊滅状態の近隣の村にさらに世話を増やすことはできないことと、実験場だったメーディセインのほうが薬品や器具がそろっていて、その上医者もいるということで、むしろ残したほうがいいと判断された。

 そのため優先するのは、捕虜を外へ出してしまうこと。
 上層部にはまだ聞きたいこともあるが、下っ端の特に非戦闘員はさっさと運び出すことになっている。ほとんどは実験のために集まった科学者や医学者のため、村人たちの治療に少しは役に立つからと、見張りをつけながら働かせるつもりだ。


 順調に最初の捕虜を乗せた船が出るころに、迂回班の身軽な何人かが崖を登ることに成功する。
 上からロープを張って道筋をつけた後は、傭兵の中から選抜された特に山歩きに慣れている五人が出発する予定になっていた。

 彼らの役目は二つ。
 ひとつは道を作ること。このあたりには人が均した道は存在しないため、ウィノの案内で獣道を分け入っていくことになるが、道々に印を残すことで次回からは妖精の案内を不要にできる。

 上手く被害地域を迂回できたら、何を置いてもまずヴァンダイン商会へ連絡を取ることになっている。状況を伝え、支援を頼むのだ。それが二つ目の役割。


 崖上りの準備が整う前に、解体が終了した。
 無くなった屋根の代わりに天幕を張り、目隠しをする。
 再び、あの地獄のような光景が眠る床の扉と向き合ったのは、カイトとクレインとジェイの三人。
 今度は心の準備ができていたが、それでもやはり暗がりを覗き込むには勇気が入った。


 赤子を抱くような手つきでカイトが取り上げた瓶を、クレインが受け取って木箱に並べる。
 その隣でジェイは鉱物らしきものを取り出すと、広げた布の上に大事に置いていく。昨日はよく見えなかった内包物も、今は鮮明だ。ウィノから事前に予想を聞かされていた通り、それはやはり妖精の身体の一部だった。

 水晶の中に閉じ込められた妖精たちは、再生の水の中と同じようにただ眠っているだけに見える。
 しかし薄赤い再生の水とは違い、透き通った水晶は生々しい傷跡をくっきり見せつけてきて、痛々しさが見ているだけで伝わってくる。

 三人は最大限の丁寧を尽くして、全ての妖精たちを地下の暗がりから救出した。



 ウィノが昨夜のうちに指示を出しておいてくれたため、もう少し妖精不在の下準備が続く。


「おう、運んできたぞ」
 天幕の外から呼びかけたのはフェザント。ラークに布をまくってもらって、小型のボートを中に運び入れる。
「壊れてねぇのは確かめてきたが、大きさはこれでいけるか?」

 ガラス瓶と水晶が全部収まることを確認してから、ボートが動かないよう固定するため、船底を地面に埋め込む作業に入る。

 途中で顔を出したヘロンが、地面に半分埋まったボートを見て「……ほかになかったの?」と微妙な顔をしたが、「なかったんだよっ!ガラス製は全部割れちまってるし、鍋やタライじゃあ小せぇし!」とちょうどいい入れ物を求めて探し回ったフェザントに怒鳴られることになった。


 固定したボートの中に水晶を移して、いよいよウィノを呼ぶ。
 陸に埋まった舟に乗せられた仲間の姿に、妖精が戸惑いを感じたのが伝わってきて、フェザントは思わず「いや、こんなもんしか見つけられなくて悪いな……」とこちらには素直に謝ってしまう。

 ウィノは最初、何を謝られたのか分からなかったようで、「浅くて広くてちょうどいいと思う」とフォローしてから「……妖精が舟に乗るというは不思議な感じだ」とつぶやいた。
 さっきの戸惑いはそれで、古びたボートを容れ物にすることに対しては特に思うところはないらしい。


 水晶の真上に陣取ったウィノは、五十個ほどある中から何も含まれていない真透明のひとつを選んで手を当てる。
「それでは、始める」
 その合図を皮切りに、背中の羽の羽ばたきがにわかに激しくなった。

 見守っているうちのクレイン、ジェイ、フェザントが感じ取れる変化は目で見えるものだけだったのだが、カイトと、天幕の外で待っているラークには、耳にも変化が伝わってきた。

「音が……」
「へっ?!音?」
「すごい、きれいな音……シャリシャリ?キラキラ?シャンシャン?みたいな」
「はっ?なにそれ、なんにも聞こえねー」

 天幕の外から聞こえたラークとヘロンの会話を受けて、クレインが「つまり、妖精の笛の音みたいな?」とカイトに確認を取る。「俺たちには聴こえない音が、二人には聴こえてるのか?」

 カイトは小さくあごを引いた。「おそらく、羽をすり合わせて音を出しているんだろう」

 目にも留まらぬその動きをよく見ようとクレインはウィノに近づいたが、「あ……」違うものに目を奪われて目的が変わってしまう。


 ウィノの手に触れている水晶が、ゆっくりと融解していた。
 熱など加えていないのに、固体から液体へと変貌していくその様は、まるで魔法のよう。

「……不思議だな。金属を溶かしてるみてぇだ」
 フェザントもまじまじと覗き込んで、感動を隠さずつぶやいた。

 力づくで無理やり割られたガタガタの表面が、丸みを帯びて柔らかい印象になっていき、最後はほろっと崩れてとろっと流れる。
 ウィノはすでに次の水晶に手を移していて、それもまた同じ過程をたどって原形を失っていく。

 知らず知らずのうちに、四人はその不思議な光景に魅入っていた。


 溶けた水晶が五センチほどの厚みに溜まるまで、話すことも忘れて見守り続けていたが、ふとフェザントが「なんか……とろっとしてるな」と疑問を呈した。

「ん?それがなんかおかしい?」クレインが訊くと、「だってよ、こっちの再生の水はもっとさらっとしてるように見えるぞ」フェザントが例に挙げたのはガラス瓶。

「昨日のウィノの話では、この水晶を溶かしたのが再生の水っつぅ予想なんだろ?同じものにしちゃあ、粘度が違うんじゃねぇか?」

 フェザントは集中しているウィノをはばかって小声だったが、それはあまり意味のない配慮だったよう。
「おそらくそれは、溶かし方の違いによるものだろう」
 羽を動かしながらの会話は全く問題なかったらしく、ウィノは作業を続けながら解説もしてくれる。

「これはとても特殊な物質で、こうして羽ばたきが起こす振動と共鳴することで形態を変化させることができる。しかしやつらは、これを熱によって溶かしたのだろう」

「振動と共鳴……?」
 カイトがその点について補足を求めたが、ウィノは説明は難しいと放棄して「とにかく溶かし方の違いだ」少し強引に納得させる。


「順番を整理すると……」カイトも説明されても理解できないだろうと受け入れて、理解できるところを詰めていく。

「仮死状態で延命することを選んだ妖精たちは──どういう理屈かは置いておいて──水晶の中に入ることで無防備な身体を守ることにした、と」
「少し違う。外敵から身を守る殻になったのは、あくまで副産物。この物質は仮死状態を維持するために必要不可欠だから」

 さらっと重要なことを言われた気がするが、その点についてもウィノは今説明する気はないらしい。質問の時間が限られていることもあって、カイトも押し問答にはしない。

「……仮死状態の妖精たちが自力で起きられないという意味は、これか」
「そう。だから見張り役は重要だった」
「つまり、水晶の中に入った状態は妖精自身の意思によるもので、聖会の仕業ではない、ということでいいな?」
「そう」
「この状態の妖精を見つけて……聖会は熱して溶かすことで取り出そうと、した?」
「そうだろう。その前に、もうひと仕事必要だったろうが」
「もうひと仕事……そうか、力任せに砕かれていたのはそういう……」


「っ、まさか、中の妖精ごと切り出したってのか?!」
 カイトは痛ましいという目で、そしてフェザントは信じられないと言う目で、水晶に眠る妖精たちを改めて見つめる。

「待って、それってつまり……」クレインの声に滲んだ嫌悪感は、この場にいない人間たちへ向けられたもの。「水晶はもともとはもっと大きくて、それを小さく切り分けるときに、中の妖精たちまで……?」


「っ普通に気をつけてりゃ、傷つけずに切り出すことなんて当たり前にできるっ!こんなもん、わざとやったか、でなきゃ……よっぽど何にも考えてなかったか、どっちかだっ……!」

 宝石の採掘や加工の現場をよく知るフェザントからすると、今からでも犯人たちを殴りに行きたい衝動に駆られるほどの、鬼畜の所業だった。


 それをしなかったのは、ウィノから冷静な分析がもたらされたから。

「わざとではなく、ただ知識と技術が足りなかっただけだろう。兄弟たちのからだはこの物質と同化して結晶化していた。おそらく兵士たちがキリやノミで割ったのだろうが、石工でもない彼らでは繊細な切り出しはできなかった──つまり、兄弟たちを傷つけないことよりも、効率的に水晶を分けることを優先したということだが」

 分析も口調も表情も、冷静だ。
 しかしもちろん、ウィノは怒っている。

 フェザントにも覚えがあるが、燃え上がり、煮えたぎった怒りが頂点に達すると、その後すっと冷え切って妙に頭が冴えてくることがある。
 ウィノはまさにその状態なのだが、煮えたぎったのが一瞬過ぎて周囲には分からなかったために、いつも通りの無表情に今まで見えていたのだ。


 フェザントはウィノの深く深く沈んでいくような怒りに影響されて、自身もすっと頭が冷える。
 殴ってもスッキリなんてしないし、過去のことは何も変わらない。そんな無駄なことに時間と思考を費やすよりも、もっとやることがあるだろう、と。


「……ちょっくら、本人たちに訊いてくるわ」
 フェザントはわざと軽い調子で背を向ける。
「そろそろ捕虜も、自分の身の振り方を考えるころだろ。親玉も死んじまったし、今ならペラペラしゃべってくれるんじゃねぇか?」

「……尋問?」
 クレインの語尾には心配が漂った。
 いつものフェザントになら抱かなかったが、先ほどの激昂を見た直後では、暴力を振るっても情報を聞き出そうとするのではないか──ボコボコにされる捕虜を心配している訳ではなく、そんならしくないことをしてフェザントが自己嫌悪に陥ることを心配したのだ。

 それを読み取って「丁重にお願いするさ」とフェザントが苦笑いになった時、「俺がついてってやってもいいぜ」と天幕の外からヘロンの偉そうな声がかかった。

「なんだよ、ついてってやるって」
「尋問だろ?フェザントみたいな口下手じゃ無理無理、聞き出せないって!」
「あぁ?!なんだと?」
「俺に任せろよ!こーゆーのは脅すよりも丸め込んだほうがいいんだって。見た目からして脳筋のフェザントじゃあ相手をビビらすだけだから、ここはひとつ子どもの俺が油断させる作戦でいこうぜ!」


 思いがけず筋の通ったことを言われて、『脳筋』という単語はフェザントの耳をすり抜けていった。
「ああ、まあ、そうだな、頼むぞ、ヘロン」
「おう!任せろ!!」

 意気揚々と請け負ったヘロンと、力が抜けたフェザント。
 カイトはこのやり取りから二人に任せると決めたようで、溶ける水晶から目を離さずに指示だけ飛ばす。

「長々と聞き出す必要はない。要件は一点。捕虜にはこう訊け。『実験の記録はどこにある?』と」
「っ!!そうか、記録……!たぶんどっかの建物の下敷きになって……」


「埋まってる場所が分かったら、呼びに来てよ。掘り出すの、手伝うから」
 クレインの申し出に手を挙げて、フェザントは天幕を出る。

 その時にはもう、捕虜を前にしても怒りで我を忘れることはないと自信を持てるほど、フェザントはいつも通りを取り戻していた。



******



 実験記録が見つかったのは、ウィノが道案内に発った後のこと。

 ウィノは水晶を全て溶かし終えてから、「ひとまずこのまま様子を見て」と言い置いて出発した。ひとつの大きな塊になった粘液の中で、バラバラにされた妖精のからだは自然と元の形に戻ろうと集まっていて、ウィノ曰く「もしかしたら治るかもしれない」と。

 もちろんそれが希望的観測であることは、誰もが分かっている。


 ウィノが知る限り、水晶を溶かした物質に傷を治すような効力はなかったらしい。と、いうよりも、そんなことを考えたことも試したこともなかったため、『わからない』というのが正解だ。

 妖精すら知らなかっただけで元からあった性質なのか、はたまた熱で溶かしたことで性質が変化したのか、それとも『再生の水』を作るにはさらに何か手間を加える必要があるのか──それを記録から読み解くまでは、瓶の中の妖精のからだはそのままにしておくことになった。


 少しだけ人口密度が減ったメーディセインで、二度目の夜を迎える。
 昨夜と同じように焚き火を囲んで、もうほとんどは眠りについている。今日の疲れを癒やし、明日に備えて回復するために。

 その中で実験記録を回し読みしているのが、カイト、アイビス、ヘイレン、ガレノス医師の四人だ。
 記録は約二十年分、研究者たちはマメな性格がそろっていたらしく、メーディセインに到着した日から毎日、そして一から十まで全ての実験を事細かに記録してくれていた。

 その膨大な記録となると読むだけでも大変で、最初の一枚でヘロンが根を上げ、五枚でアスカとフェザントとユエ、十枚でクレインとジェイとラークにフローラも諦め、読破できた誰かにまとめて簡単に説明してもらうという他力本願に流れたのだ。


 責任重大の四人は、夜を徹して文字と数字を目に映し続けることとなった。


***


 夜が明けて、いざ説明を、といきたいところだったが、実験記録はあくまで記録であり、読み手に対して分かりやすくまとめてあるようなものではなかったため、まず四人の間で認識のすり合わせから始めることになった。

 人体実験の記録は文字だけでも犠牲者の痛みが伝わってきて、読むだけで気分が悪くなるような連続だったため、四人の顔には徹夜が理由だけではない疲れがにじんでいる。

 そんな辛い仕事を丸投げしてしまったことを反省した四人以外は、肉体労働に励んで待ち時間を有効に使うことにした。




 ユエが途中様子を見に天幕へ戻った時も、まだ四人は難しい顔を突き合わせていて、これは思ったより時間がかかりそうだとそっと退散する。

 アスカの見立てでは、余震も収まり、新しく崩れそうな箇所もないとのことで、ユエは船の付き添いを卒業することにして、何か他に手伝えることはないかとキョロキョロしていた。
 すると、崩れた建物のがれきを片付けていたフェザントたちからお呼びがかかる。

「ユエ、これ見てみろよ」
 ヘロンが見せてくれたのは、立派な額縁に入った肖像画。
「これ……カイト──ううん、『ノクス』」

 アスクレア・ガレノスの子孫、ルイス・バルボアの家に飾ってあったものと酷似していたが、ユエはこれを『カイト』とは呼びたくなかった。


 全体の印象からして、汚れだけでなくどんよりと暗い。黒い瞳はどこか焦点が合っていないし、黒い髪は伸ばしっぱなしで清潔感がない。そして何より──「痩せてる……違う、鍛える前、なんだ」

 聖会に囚われていた時に、おそらく研究資料の一部として描かれた絵、それを肖像画に直したもの。つまりこれは、ガレノスに助けられる以前、剣を取って戦う前のカイト。


「それだけじゃないんだ。ここ、すげぇぜ。まるで『ノクス』の資料館だ」
 呆れ声のヘロンの手には大量の紙の束。その全てが違う構図の絵で、中には裸体の全身を描いたものから、拘束されている状態のもの、拷問の経過観察かと思われるものまである。

 ユエは途中でもう直視できなくなって、紙の束を胸にぎゅっと抱え込んだ。
 そうすることで、せめて過去のカイトを抱き締めてあげたかった。


「……絵だけじゃねぇ。あいつら、ありとあらゆる『ノクス』に関するものをここに集めてたみてぇだぞ」
「でも確か、聖会の資料はカイト自身がつぶしたんじゃなかったっけ?」
「外に流出してたもんがこんだけあったってこったろ。よくもまあ、コツコツ集めたもんだ」
「なんか……すげぇ執着心だな。こわっ!」

 フェザントとヘロンはマスティマ元法王の異常な妄執に震え上がる。
 それから二人はユエに「どうする……?」と、ほとんど呪いの品を扱うような口ぶりで訊く。

「……燃やそう」
 ユエはきっぱり言う。

「えっ、燃やしちゃうの?」
「だってこんなの、カイトに見せたくないよ」

 その意見に二人も同意だったが、悪趣味な絵はともかく、研究資料の方は何か役に立つかもしれないということで、カイトに見せるものと見せないものとを分けることになった。


 土にまみれる前はさぞ豪華だったであろう額縁は、フェザントの手によって砕かれ今夜の薪となり、肖像画はユエの手で炎の中へ送られる。

 パチパチと爆ぜる火を眺めながら、ユエは誰にともなくぽつりと訊いた。
「……『カイトになりたかった』ってどういう意味だったんだろう」

「えっ、そのまんまじゃねぇの?『不老不死になりたかった』っつぅ」
 素直に答えたヘロンに対して、フェザントは「俺にゃ、こう聞こえたぞ。『カイトに成り代わりたかった』」


「成り、代わる……」
「身体を乗り換える技術が確立すれば、それも可能だろ?カイトの身体に自分の脳みそを入れて、成り代わる」

 それはユエの中になかった発想だった。

「はぁ?!そんなことしてどーすんだよ」
「俺が知るか!……でもよ、普通、不老不死を望むやつってのは、自己顕示欲とか自己愛が強いんじゃねぇかって気がするんだ。つまりよ、自分の体に執着があるっつーか……だからあいつみてぇに、自分の体を捨てて他の人間に乗り換えるっつぅのはなんか、違和感があったんだよな」

「……でも自分の体がもう老いてしまっていたなら、若さを求めるためにそういう方法になるんじゃないの?」
「んー……若さが最大の目的ならそうかもだけど、でもやっぱりまずは、自分の体を若返らせようっつぅ発想になりそうだがな」


 納得できそうでできないユエに、ヘロンがズバッとまとめてくれる。
「それってさ、でも、結局同じなんじゃねぇの?」

「同じって?」
「だってさ、カイトの体を乗っ取ったら、自分が不老不死になれるじゃん!」


 通常の肉体を不老不死に変えるのではなく、不老不死の肉体を乗っ取る方法を選んだ──そういうことなのだろうか。

 ユエがこんなことを考えているのは、別にマスティマ元法王たちを理解したいからではない。
 少しでもカイトが感じる責任を軽くしたくて、犯人たちの身勝手な理屈を集めたいだけだ。


 けれど集めれば集めただけ、マスティマ元法王の行動の根底には『ノクス』がいることが分かるばかりで、ユエの気持ちも重くなるばかり。


 妄執の塊のような絵がすべて灰になるまで、ユエはぐるぐると重苦しい考えに浸っていたが、
「つーか、変人の気持ちなんかわかんねぇし、考えるだけムダムダ!!」
 ヘロンのなんとも投げやりな態度にも影響されて、気持ちの切り替えは早い。


(うん……考えるのやめよう。変えられない過去を考えるより、今、できることをしよう)

 とりあえずユエは、資料を渡すついでにカイトを抱き締めようと決める。
 過去のカイトを抱き締めに行きたいけれど、それはできない。けれど今のカイトなら、どれだけでも抱き締めてあげられるから。



******



「結論から言うと」
 四人の間の話し合いが長引いたことで、説明会には道案内から帰ったウィノも間に合い、全員がそろって妖精たちの眠る天幕の前に並ぶことができた。

 篝火に照らされたカイトの顔は陰影が濃く、それと同じくらい声も陰っている。そのため聴衆はこの時点で、先に続くのはあまり良くない報告であることを覚悟した。


「蘇生の可能性があるのは、水晶の方の妖精だけだ」


「……助かる、のか」
 ウィノが吐いたのは安堵の息。
 最悪の事態を想定していたため、一人でも助かるのならまだ朗報だと自分を納得させるようにうなずいている。


「しかし、それでは……」
「再生の水に浸かっている方の妖精のからだは、水から出すとボロボロと崩れて灰のようになってしまう──という実験の結果があった」

「なんつーか……再生の水っていうからにはそっちに入ってた方が助かりそうなのに、反対なんだな」
 フェザントは予想と違った結論に少し首をひねる。


「説明……あー、難しいな、説明。俺たちが実際にやったワケでも見たワケでもねぇからなー」
 ヘイレンが頭をかきつつ、数枚の紙を地面に並べて置く。これは膨大な資料の中から、重要な部分だけを抜き出してまとめたものだ。

「まず……あー、どこから話すべきか……」
 悩むヘイレンの横から、カイトの手がひょいと一枚の紙を取り上げる。

「聖会の連中の思考回路から説明するのが、一番手っ取り早いだろう。まず大前提として、やつらは俺の──『ノクス』の故郷という理由でメーディセインへやってきた」

 カイトは意図的に、自分と『ノクス』を別物として扱うことに決めたようだ。

「そこで偶然、妖精を発見する。『ノクス』の不老不死に興味津々だったやつらにとって、長寿の種である妖精も興味の範囲内。水晶に眠る彼らをどうにかして──最初は起こして話を聞こうとしたのだろうが、水晶の扱い方が分からない。短絡的に、割ってみることにした──と」


 ウィノの予想とは順番が違っていたということだ。
 熱しやすくするために砕いたというよりは、砕いた後に火にかけることを思いついた。

 カイトは紙に書いた矢印を指でなぞりながら、聖会が辿った道筋を考察していく。

「『水晶に眠る妖精を発見→取り出すため砕く→妖精も一緒に砕けてしまう→水晶のかけらを熱してみると溶けた』──ここで一旦、聖会の興味は水晶に移る。妖精の長寿の秘密が水晶にあるのではないか、と考えた訳だ」


「このへんの実験の説明はばっさり省くぞー。胸糞悪いからな」ヘイレンが口を出す。「んで、手段を選ばない実験の結果、偶然の産物としてできたのが『再生の水』だ」


 いきなり結論に飛んでしまって聴衆は戸惑う。しかし省略することがヘイレンの温情だということは嫌と言うほど伝わってきたので、誰も詳細を求めることはない。


「『再生の水』とは」カイトが重々しく口を開いた。これを伝えるのは自分の役目だとばかりに。
「水晶を熱で溶かし、水とそして──妖精の血を混ぜて作られる」


「……血?」「やはり、か」

 正反対の反応が上がったが、後者はウィノのみ。
 ざわつく他を置き去りに、カイトとウィノはまるで対決の空気で向かい合う。

「……予想通り、か?」
「薄赤い色をしていると聞いて、もしかして、とは思っていた」
「それはつまり、妖精の血液にはもともとそういう不思議な力があったと?」
「それは違う。血はあくまで血でしかない。不思議な力があるとすれば……君たちが水晶と呼ぶあの物質の方」
「……あれは、何なんだ?」
「我らはあれを『アルケー』と名付けた。万物の素という意味」
「万物の素?」
「妖精・人魚・ドワーフ、三種の素となる物質」


 何でもないことのように生命の起源を知らされて、カイトすらも一瞬頭が真っ白になる。
 しかし立ち直る隙を与えず、ウィノは「そうか……」とひとりでさらに先へ進んでしまう。


「再生の水とは、擬似的な『三鍵さんけん』という訳か」
「擬似的な……なんだって?」
 カイトは言葉の意味を理解する前に、反射的に聞き返していた。

「三つの鍵。妖精の鍵・人魚の鍵・ドワーフの鍵の総称。鍵もまた、アルケーを素にして造られた」


 カイトの胸あたりに合わせていた視点を、ウィノはゆっくりと上げていく。驚愕に見開く黒の瞳を、翠の瞳が捉える。
 そこに浮かんでいたのは、責任。

 全てを知る者としての責任を背負って、ウィノは全てを打ち明ける決意を固めていた。



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