三鍵の奏者

春澄蒼

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第一章 人魚の鱗は海へ還る

9 人魚とは

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「思ったんだけどさー……」
 行儀悪く寝転がったまま、マンギスを頬張っているのはヘロンだ。この領地の特産だというその果物は、一行のおやつになっていた。

「どうしたの?」
 同じくマンギスの赤い皮を剥きながら、ラークが促す。こちらはちょこんと座っている。

「カイトはさー、人間は人魚に直接触れない、みたいなこと、言ってなかった?」
「うん、体温が低いから、火傷させちゃうって」
「でもさ、おっさんは普通にメイに触ってたよな?」
「……そういえば、そうだね」

 二人はメイを見る。メイはジャムを作るための大量のマンギスを前に、
「確かに、人魚の体温は人間より低いみたいね」
 果汁で濡れた自分の手をさする。

「でも例えば、濡らしたり冷やしたりしてくれれば、大丈夫よ」
「そうなの?!」
 今さらな事実に二人は声を上げる。

「へー!じゃあ、カイト、間違ってんじゃん」
「……カイトが間違える訳ないでしょう……」
 自分も人魚に触れるんだとはしゃぐヘロンに、ラークは少し不満げだ。

「……あいつ、あんまり人魚について知らないんじゃないか。だって、『人魚は下半身が水から出たら死ぬ』なんて言ってた」
 赤い皮と白い果肉を、気持ち悪そうに見ていたユエが、競売の時のことを思い出す。
「確かにずっと水から出ていたら死ぬけど、でも水から出られない訳じゃないのに」

「えぇーー?!そうなのか?!」
 ヘロンの大声に顔をしかめて、
「乾かないように体に水をかければ」
 しれっと言う。

「なんだよ!カイト、知ったかぶりかよ!!」
 ヘロンが楽しそうに笑うのを、ラークは自分が笑われたように憮然となる。

「あら、カイトはそのくらい知っているはずよ」
 メイは微笑ましく、子どもたちを諭す。

「メイが教えたの?」
「私が教えたこともあるけど……カイトは元から、人魚について人魚より詳しいくらいだったわ」
「……そんな訳……」

「じゃあさ、カイトは俺たちに嘘ついたのか?」
「……違うんじゃない?」
 今まで黙っていたクレインが、どうでもいいように口を挟む。

 今日はこのヘロン、ラーク、クレインが、人魚二人と共にクウェイルの家の仕事を手伝っている。他の四人は、外でなにやら次の旅支度を進めている。

「カイトは『触れない』なんて言ってない。『体温が低い』とは言ったけど。嘘ついたっていうか、他の人間に人魚の情報を漏らさないように、言葉を選んだんじゃない?」
「……それってカイトは僕たちのこと、信用してないってこと?」
「それも違うでしょう。信用云々じゃなくって……だって人のそういう、弱点とかって吹聴するものじゃないでしょ」

 ユエにはクレインのこの冷静な対応は、意外に映った。
 未だにクレインは、ユエにとってよく分からない存在だった。


 ユエの身に変化が起きて、カイトがユエに付きっきりになってから、船の雰囲気が険悪になったことは、ユエも気づいていた。

 特にラークとアイビスは顕著だった。
 アイビスは元々、ユエにはあまり友好的ではなかったから、そこまで堪えなかったが、それまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたラークの変化は、ユエを少し動揺させた。

 今でもその空気は引きずっていて、ラークはあまりユエと目を合わさない。

 しかしクレインは、船を降りてクウェイルの家に落ち着いてから、反対に態度を軟化させている。
 露骨に馴れ馴れしくなったりはしないが、気がつくと先回りして、ユエの障害を取り除いてくれているのだ。
 しかしそれについてなにも言わないから、ユエもどういう態度を取っていいのか計りかねていた。

「どうかしらね、そこまで考えていたのかしら?カイトって案外いい加減よ」
 この場で一番付き合いの長いメイが、さらっとカイトをけなす。

「でも、カイトがみんなを信用していないってことはないわ。だって……カイトがこの家に人を連れて来たのは、あなたたちが初めてなのよ。この八年で」
 けなしておいて、でも取りなすことも忘れない。

「そう……なの?」
 ラークの不安を晴らすように、メイは笑顔を返す。
「それに、確かに知り合ったのは私たちが先だけど、あなたたちの方が、過ごした時間は長いはずよ。三年、一緒に旅をしてきたのでしょう?私たちのところへなんて、八年で数えるほどしか来てくれないわ」

 メイの大人の対応に、カイトの仲間だという自信が揺らいでいたラークは、「そうかな……」と少し持ち直した。



******
「少し、いいか?」
 そうカイトに声をかけられ、その日の夜、ユエとメイがそろった。

 甘い果実酒を木のコップに注ぎ、メイにも「飲むか?」と差し出す。
「そうね、少しだけ」

 ユエにもほんの少し注いだコップを渡す。
 ユエにはこれがどういうものか分かっていなかったが、メイが飲むなら大丈夫だろうと、さほど深く考えもせず、口をつけた。

「ぅぐっ……ごほっ……っ」
 喉を通る時に焼けるように感じ、むせる。胃に落ちていく流れが感じられるほど、熱さが焦がした。

「なっ……!なにこれ……」
 喉を押さえながら、涙目でカイトを睨む。
「酒だ」
「さけ……?」

 人魚はわざわざ水を『飲む』といった習慣がない。海の中にいれば、自然と水分は吸収されていくからだ。
 だがユエは体が変化してからは、カイトに言われ、水を飲んでいた。しかし酒を飲んだのは、生まれて初めての経験だった。

「なに……?さけって……?」
 その言葉に驚いたのは、メイも同様だった。
「あら?!ユエあなた、お酒を知らないの?」
「……しらない……」
 また無知を披露し、しかし羞恥だけでなく、顔が熱くなる。

「……やはり、人魚の中でも知識の偏りがあるな。中央の一族は東に比べて、ずいぶんと色々忘れている」
「そう……みたいね」
 メイにもそれは心当たりがあった。

「お酒は元々、人間が作り出したものだから……人魚は作り方を知らなかったし、道具や場所もなかったから、昔はお酒を巡って、人間と戦をしたことがあるらしいわ。人間の船にあるお酒を奪うために、船を沈めて、ね」
 その歴史も、ユエには知らないものだった。

「だがメイ、お前はここに来る前に、飲んだことがあるような口ぶりだったぞ」
 過去の、クウェイルを交えての酒盛りの時の会話を思い出す。

「ええ、東の一族は、今は自分たちで作るようになっているわ。色々と方法を考えてね」
 人魚は食に対する執着が薄いと言われているが、アルコールの中毒性は、それを凌駕するものだったのだろう。

 未知の感覚に戸惑うユエだったが、メイという先達のおかげで、とりあえず身体に害はないと分かっていることが、混乱を鎮めた。
 しかし今や顔だけでなく、身体中がポカポカと火照っていた。

「……メイとユエに、これまでに分かったことを、話しておこうと思ってな」
「分かったことって?」
「ユエの身体の変化について」
 カイトの声が少し遠くに聞こえるユエだったが、聞いておかなければいけない、と頭の霞を振り払う。

「まずは人魚についての確認だ。メイ、人魚の食事は、海藻・甲殻類が主だったな?」
「ええ」
「だがメイはここに来てから、野菜や果物も食べるようになったな?」
「ええ」
「……そう、なの?」
 ユエがはっきりしない頭で驚く。
「野菜、果物、それから……穀物も問題なかったわ」

「肉や魚は?」
「どちらも試したことはないわ。そもそも食欲をそそられないし……でも魚は、食べる人魚も昔はいたらしいって、聞いたことあるわ」
「そうなのか?」
「ええ……人魚は非力でしょう?昔、人間と争っていた時代に、筋力をつけるために、魚を食べたって。でも魚を食べると、凶暴性が増すってことで、禁止されたわ。人魚は同族をとても大切にするのだけど、その時代には、人魚同士でも血を見る争いがあったって……」
 ユエには青天の霹靂と言っていいほどの衝撃だったが、初めて『酔った』頭は、あまり深刻に受け止めてくれない。

「なるほど……俺は昔、人間と人魚の解剖図を見たことがあるんだが……」
 カイトの言葉に眉をひそめるメイを受けて、
「別に興味本位のものじゃない。治療や医学のための、真面目な書物だ」
 苦笑と共に続ける。

「人間と人魚、比べて見たが、大きな違いはなかった」
「……つまり……?」
「まあ、見た目だけでは全て同じかは分からないが……上半身に関しては、内臓は人間も人魚も同じものが納まっていた。つまり上半身の機能はほぼ同じだと、俺は考えている」
「……それは……」

「それでは、下半身はどうだったか?」
 言葉を見つけられないメイを置いて、カイトは一人で進める。
「人間で言えばへそから下、腸、生殖器官、排泄器官、そして足がある。だが人魚の下半身には、人間とは違った腸、そしていくつか人間にはない器官があった」
「……私にはよく分からないのだけど……」
「つまり人魚を人魚たらしめているのは、下半身だってことだ」

 カイトのその結論に、メイは「当然だ」という思いと、「そうなのか」という発見を持ち合わせた。
 確かに言われるまでもなく、見た通りに考えれば、それは当たり前に思える。だがそれはつまり、人魚の半分は間違いなく『人間』なのだと、認めるようなものなのだ。それはきっと、人間嫌いの人魚にとっては、認めたくない事実だろう。

「人間と人魚の違い……例えば、、人魚の肌や髪からは、少しぬめりを帯びた体液がにじみ出ているだろう?」
「……ええ、多少、海から出ても乾かないように」
「それは乾燥を防ぐだけじゃない、と俺は思っている。人間が耐えられない冷たい水や水圧に、人魚が順応できるのは、その体液のおかげじゃないかってな。その体液を作る器官はおそらく、下半身にある。そういう、人魚特有の機能は、下半身に集まっているということだ。つまりユエは……」

 今までの話は、全くと言っていいほど理解できていなかったユエだが、やっと自分に関係ありそうで、閉じそうになっていた瞼を無理やりこじ開けた。

「今のユエは、機能的にはほぼ人間だ、というのが、俺の結論だ」

 そうなのか、今の俺は人間なのか……ユエの眠気に誘われる頭には、とにかくそれだけを叩き込んだ。

 今にも閉じそうな眼でうとうとと頭が動くユエを、カイトがやさしく、自分の膝に横たえた。



******
 夢うつつに、カイトとメイの会話は、ユエの耳にも届く。

「だから、食事も人間と同じものを食べないといけない、と忠告したかったんだがな……」
「お肉も食べなきゃいけないってこと?」
「いや、肉や魚を食べない者は、人間の中にもいる。……だがもしかしたらメイ、お前も肉や魚を『食べられない』訳ではないのかもしれない……」────


******
「人魚は暑さに弱いと言っていたな?」
「ええ、日光は長く当たりすぎなければ大丈夫だけど、特に苦手なのは、火、ね。でもここに来てから、少しは慣れたみたい。少しくらいなら、暖かい飲み物も大丈夫よ」
「気候はどうだ?」
「うーん……ここは少し蒸し暑くって、最初は体調を崩したりもしたけれど、やっぱり時間が経てば徐々に慣れるわ。雨も多いから、もしかしたら人魚にとってこの国は、陸上としてはかなり過ごしやすい方なのかも……」───


******
「……もしかしたら本当に、私とクウェイルの子ども、望めるかもしれないわね……」
「かなり可能性は高いと思う。だが……方法を見つけることが、いいことなのかは分からないな……」
「そうね……ふふっ」
「なんだ?」
「……クウェイルがね、私が人間になるより、自分が人魚になる方法はないのか?って……!」
「ふっ……だがそれもあり得ない話ではないだろうな。人魚が人間になることもあり得たんだ。なんだか、なんでもありな気がしてきた」────


******
「……やさしいのね、カイト」
「……子どもは、好きなんだ」
「そうなの?ちょっと意外」
「……自分に、子どもができないからな……」
「……っ」
「別に、メイがそんな顔することじゃない。もう……ずっと前に受け入れた」
「そう……でもユエは、もう十八歳だと言っていたわ。人魚の基準で言えば、大人よ」
「まだ十八年しか生きていないなら、子どもだ」
「あら、それって私に対する嫌味かしら?」
「……メイはいくつになった?」
「あなたに初めて会ったのは、二十四の時よ」
「変わらないな……」
「それはあなたの方ね」


******
 やさしい温もりが、髪を撫でる。
「んんっ」とユエは身体を丸めて、意識を完全に手放した。


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