お料理好きな福留くん

八木愛里

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16 福留くんと甘いものを食べる、の巻①

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「昨日は大丈夫だったか?」

 その次の日の朝、事務所に着くと上司の秋山課長から声をかけられた。朝の早い時間は、着席している人がまばらだ。
 仲川魚屋で税務署員を追い払ったのは昨日の出来事だった。
 電話で簡単に報告はしていたけれど、詳しく話した方が良いだろう。

「大丈夫だったのですけれど……どう説明したら良いのかなぁ……」

 歯切れ悪く答えた私に「どうした?」と尋ねてくる。長年のカンで人の見る目があるようで、私が何か隠していると見透かされているような気がする。

(昨日あったことを正直に話そう)

「仲川魚屋に抜き打ちで来ていた税務署員に……。つい、税務調査は任意だろうが、と怒鳴りつけてしまいました」

 小さい声で言ったはずなのに、私の声が事務所の空間をすり抜けていく。
 同僚たちがギョッとした顔つきになった。福留くんはデスクから立ち上がり、私の元へ駆け寄って来る。

「真島さんは税務署員に挑発されていたんです。お客様を守ろうと必死で……」

 福留くんのフォローを半分聞いて、秋山課長は静かに首を振った。

「たとえ、挑発されていたとしても感情的になることは良くないな。信頼関係で成り立つ仕事だ。感情的になったら負けだと思いなさい。いいね」

 福留くんと私は二人してシュンとなる。

「……そうですね」
「すみませんでした。以後気を付けます」

 謝罪をして、その場を離れようとする。福留くんが何か言いたげな顔だったけれど、「気にしないで」という合図を目で送って一直線に自分のデスクまで戻った。



 案の定、噂話はすぐに広まった。
 昼休みの時間、廊下で向かい側から歩いてくる社員が小声で話している。私が数メートル先から近づいていることに気づかないまま。

「聞いた? 真島が税務署の人に怒鳴ったって」
「聞いた! 女じゃねぇよ。あいつ」
「さすが税理士様だよな。資格があれば強気に出られると勘違いしているんだろうな。……っ」

 私が歩いてくるのを見て、噂話がピタリと止まる。口火を切った社員が「ヤバッ」と小さく漏らした。

(自分がまいた種だけどさ。税理士様って言われるのは良い気分じゃないなぁ……)

 ──感情的になることは良くないな。

 頼りになる上司の言葉がズシンと落ちてくる。喉まで出かかった反論の言葉が腹の底へ引っ込んだ。
 私は意識して口の端を持ち上げた。

「私は女で税理士ですけれど、資格を持っているからと強気だったかもしれないわね。……でも、それ以上言うとセクハラで訴えようかなぁ」

 にこーっと笑う。イメージは杉原さんの営業スマイルだ。彼女の笑顔を見て、何も言えなくなったのを思い出して再現してみせた。
 セクハラという言葉が効いたのか、笑顔の圧力が大きかったのか。
 二人はたじろいで一歩下がる

「うっ、軽い気持ちで言ってしまっただけだ!」
「……すまん!」

 言うことだけ言って、回れ右をして走り去っていく。

(まったく。軽い気持ちで言った言葉に傷つく人はいっぱいいるのよ!)

 青木会計事務所の監査担当は大きく二つに分かれる。税理士の資格を持っている者と持っていない者だ。資格取得はそう簡単ではなく、僻(ひが)みが出てしまうのかもしれない。

(女じゃない、か……。本音を聞いちゃったなぁ。でも、可愛げがあって、守ってあげたくなるような女性じゃないといけないのかな?)

 給湯室でコーヒーの粉を多めに入れて、ポットからお湯を注ぐ。昼の眠気覚ましには濃いブラックコーヒーがいい。

(きっとそうだ。世の中の男性は可愛げがある女性がいいんだ。私には遠いなぁ)

 心を落ち着かせるように、コーヒーの香りの湯気を吸う。
 息を吐き出すと、大きなため息が漏れた。

「あ、真島さん」
「……あぁ。福留くん」

 ドアの隙間から頭を覗かせた福留くんを見て、現実に引き戻された。大きなため息を聞かれてしまったようだ。

「あの……」
「どうしたの?」

 私が話を振ると、おずおずといった雰囲気で話し始めた。

「真島さんがよかったらなんですけれど。今度、酒粕さけかすのケーキがあるカフェに行きませんか?」
「酒粕のケーキ?」

 聞き慣れない反応を見せた私に説明をしてくれる。

「日本酒の酒粕で作られているそうですよ。日本酒の酒造メーカーとコラボしたお店が新しくできたので、行ってみたいなぁと」

 仕事モードの呪縛が一瞬にして解かれる。
 お酒なら全般が好きだ。飲み会ではビールをちまちま飲むことが多いけれど、日本酒、ワイン、焼酎は守備範囲である。好きなものの話になれば自然と笑顔になる。

「面白そうだね、酒粕のケーキって。行ってみたい!」

 私の表情を伺っていた福留くんは、返答を聞いてホッとしたように微笑む。

「ありがとうございます。それでは土日の二時か三時ごろにしましょうか」
「どちらでも大丈夫だよ。楽しみだなぁ」

 仕事で頭がいっぱいだったのが、休日のことを考えると午後の仕事も張り切っていけそうだ。
 福留くんセレクトならお店も外れはないだろう。

(どんな雰囲気のお店なんだろう。ケーキのおいしさも大事だけど、また行きたいと思えるお店かな?)

 期待は高まっていく。二人で出かけるのは合羽橋散策以来だ。福留くんとカフェに行くことは、料理講座の延長でしか考えていなかった。
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