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第四話
しおりを挟む巨大台風が関東に上陸した木曜日の昼。ごうごうと降りつける雨と風が社食のガラス窓を叩く。こういう時は、内勤の増えた課長職で良かったなと理は思った。
いつものようにざるそばを受け取ると、ふと隣にある小鉢に目がついた。
ランチメニューを一品注文すれば、ひとつ、自由に取っていいことになっている。
その中にぶどうのゼリーがあった。小さな一口サイズのゼリーだ。
理はなんとなくそれを手に取りトレイに乗せた。
「あら、珍しいこともあるもんね」
理の行動に社食の店員である年輩女性から声を掛けられる。取引先ではないが、社内の人間とも違う。こういう人には愛想よく振舞うほうが賢明だということを、理は知っている。
「少し、疲れてるんで甘いものでもと思いまして」
「あんたいつも、顔色よくないからねぇ。倒れないように気をつけなさいよ」
疲れてるというのは言い訳に過ぎなかったのだが、女性の言葉に理は苦笑で返した。体調に変化はない。指摘される顔色だって、もともとのものだ。なんせ能面、人形と呼ばれる理だ。顔色がいい日なんてめったにない。
伊織に言われる前に小鉢を取ったというのに、その日伊織は現れなかった。
ぬるくなったぶどうゼリーは、特別美味しいとも思わなかった。
その夜、定時を過ぎても、理はオフィスに残っていた。月曜日の営業会議で使うデータをまとめるためだ。理の前の課長は、資料作りが大の苦手だった。一度、理が手伝ったのがきっかけで、以来、この資料はずっと理が作っていた。
いつもなら就業時間内に終わらせる予定の仕事だが、今日は台風による気圧のせいか、頭が働かない。もやもやとした状態が続いて、作業ははかどらず時間だけを浪費していた。
あと少しというところで営業部の扉が開く音がした。
時刻は二十三時を過ぎたところだ。守衛の見回りか、誰かが忘れ物をしたのだろう。そちらを見ることなくパソコンに向かっていた理の首筋に冷たいものが触れた。
「ひゃっ! 冷たいっ!」
「こんばんはー。残業ですか?」
声の主は昼に現れなかった伊織だった。首筋を抑えながら振り向くと、その手にあったのはコンビニの袋。
「脅かすなっ! 外山さんがなんでここに?」
「雨も上がったし帰ろうかなぁと思ったら営業部、電気ついてるじゃないですか。中林さんがいるかなぁっと思って」
「俺がいたからってなんで……」
理の質問には答えずに、伊織は袋の中からふたつ入りのシャーベットアイスを取り出した。色は、伊織のシャツと同じ紫。ぶどう味だ。
「よかったら一緒に食べません?」
「時間がない」
「でもこれ溶けちゃいますから、ね?」
ぱきっと割った片方を差し出され、理は戸惑いながらも受け取った。
しかし、ふたの開け方が分からない。
伊織が食べたら開け方が分かるだろうと待ったが、その伊織は理が食べるのを待っているのか、一向に開けようとしない。
理はもごもごと口を開いた。
「……これ、どうやって食べるんだ?」
「知らないんですか? こうするんです」
伊織はリングになっている部分に指をかけ勢いよく引き上げた。ぷつりと切れた先端に口をつける。
「なるほど、上手くできているな」
「小さいころ、食べませんでした?」
「見たことはあるが、食べたことはなかったな」
シャーベットはふたつ入り。それを誰かと分け合うような友人もいない。兄弟でもしたことはなかった。第一、理の家に駄菓子のようなものはなかったのである。
ただ、帰宅途中に食べているカップルを見たことはあった。コンビニで見かけて、これはひとりで食べるものではないなと思ったことがある。
「溶ける前に食べましょ?」
「あぁ。うん、美味いな」
昼のゼリーとは違い、冷えたぶどうのシャーベットは喉を冷やし、頭をすっきりとさせてくれた。
「で、なんで残業なんて?」
「月例会議の資料作りだ」
データ抽出は終わたので、あとは重役が一目で見てわかるよう体裁を整えれば完成するところだ。
理がようやくふたくち目を食べ始めたところで、さっさと食べ終えた伊織が理のパソコンを覗いた。
手に持っている分と、伊織、双方からぶどうの甘酸っぱい香りがした。
「これって、課長の中林さんがやる必要あるんですか? 後は俺でも出来そうですし、明日誰かにやらせたらどうです?」
「しかし……」
言いよどむ理に伊織が言葉をかぶせた。
「中林さんは、人を頼ることを覚えたほうがいい」
頼ってその先は? 常に頭にある不安が口をついた。
「……もし頼った部下がミスをしたら? それで彼らが傷ついたら? 自分だけのミスならどうにでもなる。だが、頼った結果、間違いがあったら? その責任をどうとればいい?」
理が他人に任せられないのは、彼らを信頼していないわけではない。
営業目標を達成するだけあって、理の部下はのんびりしているが優秀なものが多い。任せてしまえばこんな作業は難なくこなすだろう。
過去に理から引き継いだ同僚が取引先の情報を取り違えたことがあった。理がきちんと伝えていれば、間違えやすい社名であることをもっと伝えておけばと何度も後悔した。幸い、理が謝罪に行くと取引先の社長は、笑って許してくれたが、同僚は理に責任を押し付けて逃げ、退職した。
理が本当の意味で人を頼れないのは、頼ったことで相手が傷つくのが怖いのだ。
このことを誰かに話したことは、今まで一度もない。これからも誰かに話すつもりはなかった。なのに……。
おそらく……、理由は分かっている。けれど、まだ信じられない。
「傷ついて成長することだってあるでしょ? そうやって中林さんがなんでも手助けしていたら、むしろ成長の妨げになりませんか?」
「それは……」
うすうすは気付いていた。もし、理が倒れでもしたら? 二課はどうなってしまうのだろうか。もちろん、倒れる気はないが、人間いつ何時どんなことが起きるかはわからない。
そう、突然Subだと発覚したように……。
「俺が教えてあげます。人を頼る方法を」
――不要だ。
そう答えようとした途端、腰が砕けるようにして椅子から転げ落ちた。
おぼろげながらも、感じたことのある感覚だった。
Glareだ。
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