野良猫Subは餌付けされてることに気付かない

三谷玲

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第三話

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 翌日、社食でランチを取っている理の目の前に現れたのは、昨日会ったばかりの伊織だった。
 今日もまた目に鮮やかなブルーのアロハシャツは、ヤシの木柄だ。

「こんにちは、中林さん。ここ、いいですか?」
「……勝手に座ったらいいだろう?」

 ここは社食のテーブルで、理の許可など必要ない。
 なのにいつも理が座るテーブルには理ひとりだった。避けられているのだろう。
 学生時代から、嫌われているわけではないが特に親しい友人もいなかった理には、ランチというのはひとりで食べるものだった。
 別に、寂しいとも思わない。
 子どもの頃ですら、家族で食卓を囲むことはなかった。

 理は少しズレ落ちた眼鏡を直して、姿勢を正した。

「じゃあ遠慮なく。あれ? 昼飯それだけですか? 足りるんですか?」

 理の前にはざるそばが一枚。天ぷらもミニ丼もない、ただのざるそばだ。
 もともと、食に興味はない。食べ過ぎて午後に眠くなるのも理にとっては好ましくない。夏はざるそば、冬はかけそばがルーティーンとなっている。最近ではチケットを見せる前から、店員がそばをゆで始めることも知っている。時間短縮になって、むしろ助かっている。

「せめて野菜も摂らないと」
「ネギがあるだろ」
「そんなの野菜のうちに入んないですよ。じゃあこれだけ飲んで・・・ください」

 渡されたのは紙パックの野菜ジュースだ。紫色のパッケージで一食分の野菜が摂れると書いてある。あまり野菜は好きではないが、理はそれを受け取るとストローを挿して一口飲んだ。

「おいしい」
「でしょ? ぶどう味なんで野菜嫌いの十歳の弟でも飲んでくれるんですよ」

 そう言う伊織の前には湯気の立つカツ丼が置かれていた。豪快な一口に、昼からよくそんなものが食べられるものだ。そう思いながら理は野菜ジュースを飲み切った。

「よく飲みましたね、えらいえらい」
「……外山さん、おそらく俺のほうが年上なので子ども扱いはやめてもらいたい」
「いやですか?」
「いやというか……」

 いやかと問われると、違う気もする。ただ、恥ずかしい気がするのだ。三十二歳にもなって野菜が苦手なことも、年下であろう伊織に世話をかけることも。

「いやじゃなければ、また一緒にお昼たべましょうね」

 そういうと、伊織はぺろりと食べ終わったカツ丼と、理のざるそばを一緒に片付けてしまった。

「ありがとう」
「ついでですよ。じゃあまた明日・・・・
「あぁ、また」

 ってなんで俺は次の約束をしてる? 理は自分の言動に驚いた。



 それから毎日ランチのたびに伊織が同席することになった。
 初日の野菜ジュースからはじまり、デザートのプリン、ミニサラダ、小鉢の煮物。必ずなにかざるそば以外を渡される。

「こんなに食べられない」
「そう? 残してもいいから一口は食べて・・・ください。そばだけじゃ栄養偏り過ぎですよ。それじゃあせっかくのきれいな顔が台無しだ。忙しいんですか? それとも職場に問題でも?」

 容姿を言及されるのには慣れている。
 女顔というわけではないが、整った顔立ちは、営業職では大いに役立った。にこりと笑えば垂れる目元は相手に警戒心を無くす。理はそれを分かっていたから、取引先ではよく笑った。三十二歳になった今はそこに小さなシワができていた。

 ただし笑うのは、取引先でだけだ。社内では能面だとか、人形だと噂されているのを知っている。

 営業成績トップだったということは、それだけやっかみも多い。足の引っ張り合いばかりで辟易していた理が仕事に専念すればするほど、社内での口数も笑顔も減っていった。
 あまりに無表情なせいで、理が枕営業でもしているんじゃないかと、下品な噂話までたてられた。

 おかげでここでも友人はできなかったが、反面、理を蹴落とすことばかりに必死だった同僚は成績も悪く、その全員が退職している。
 部下からは遠巻きに見られていることも知っている。それでいいとも思っている。会社は学生時代のような仲良しグループでしているわけではない。
 その部下たちは大きなミスをすることもないし、成績も好調。
 問題はない。
 理は首を横に振って答えた。

「そうですか? なにかあったら言って・・・くださいね? 何でも屋ですから」
「……パソコン以外、関係ないだろ?」
「それでもです」

 腑抜けた顔が一瞬、真顔になった。
 びくりとして、何かに似ていると思った。

 そうだ。取引先で金額交渉に入った時の客の顔だ。
 それまで笑顔で応対してた職人が商売人になるときの、そんな表情だった。

「あぁ。なんかあったら、な」

 こういう時はごねても無意味だ。理はしぶしぶうなずいた。



 理が倒れてから三週間はあっという間に過ぎた。
 医師の言う後遺症も体調不良もない。理は少し安堵していた。突然誰かに無理矢理支配されるのではないか、という怯えがあった。

 父の秘書は父の無理難題をこなすことに怯えながらも、歓びを覚える男だった。ある時は深夜に呼び出され、翌朝までに卓の誕生日会の招待状を準備するよう命じられたり、高校に上がるまでは卓の送り迎えも彼の仕事だった。卓が言うには理が知らないだけで、もっとひどいこともさせられていたらしい。

 母の再婚相手であるSubの男は、結婚前から恋人同士だったらしい。子どもが成人し離婚するまで、プレイはしても清い関係を続けていたそうだ。すでに卓も大きくなり生まれる予定のなかった理が生まれたのは、母がその彼に「待て・・」をさせたかったからだと、兄の卓に聞いたときは心底驚いた。

 その卓は、おそらくUsualだ。六歳差の兄はあの両親から生まれたとは思えないほど温厚で、面倒みのいい兄だった。理は卓に育てられたと言っても過言ではない。
 理を叱りつけることも、子分のように扱うこともない。両親のように他人を従わせようとはしない。いつも理の好きなようにさせてくれた。

――理はいい子だから父さんや母さんの言いなりになったらダメだよ。あれは悪い大人Domだからね――いいね?
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