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第八話
しおりを挟むガラス工房はただでさえ熱い真夏の気温から、さらに灼熱となっていた。
「中林さん! わりぃね、こんな暑いときに熱いところへ」
理が顔を見せると、内川は首にかけたタオルで汗を拭って向かってきた。
「ご無沙汰してます。これ、手土産なんですけど良かったらみなさんで」
コンビニの袋のまま手渡すと、内川は一瞬面食らった顔をして中身を見て喜んだ。
「こいつはいいや。おーい! 中林さんからシャーベットもらったから休むぞ! 溶ける前に食っちまおう」
工房からは内川と同じように汗だくの職人たちが飛び出してきた。
「俺、ソーダ!」
「カフェオレにしようかねぇ」
若い男から熟練まで、次々に集まった職人たちが手に取っていき、残ったのは内川が最初に手に持っていたぶどう味だ。
「うわ、社長ずりぃ! オレもぶどう食いたかったのに」
「早いもの勝ちだ、ばかやろう。中林さんもぶどうでよかった?」
「え? わたしですか? でも確か六人では」
見渡すと前社長である内川の父が見当たらない。前社長は職は退いたが今でも工房でガラスを吹いている根っからの職人である。
「親父は今日、母ちゃんと旅行に行ってんだよ。ほら、溶けちまうよ」
「ありがとうございます」
昨日教わった通りにリングに指を掛け引き上げている横で、若い職人は歯で引きちぎっていた。あれは、真似できそうにない。伊織が指で開ける人でよかった。
「しかし、珍しいねぇ。いつもはなんだか知らん、高級そうな菓子なのにねぇ」
「おっちゃん、なんだか知らんは失礼だろ」
「ふぇらんしぇ、っつたかねぇ。ありゃ、美味いけど名前が覚えらんねぇ」
フィナンシェのことだろう。年輩の人には横文字は難しいようだ。
「俺は毎回こっちでもいいぜー! くぅ生き返るっ!」
「すいませんね、口の悪い連中で」
「いえ、私も昨日はじめて食べたんですが、おいしいですよね。安上りだし、これからは毎回これにしますよ」
「いやいや、冗談だから!」
「こっちも冗談ですよ」
理が屈託なく笑うと、内川は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「なんか、少し変わった?」
「そうですか?」
なんのことだろうかと理がきょとんとすると、内川はうんうんとひとり納得したようにうなずいた。
「うん。明るくなったっつうか、肩の力が抜けたっつうのかな? ここんとこ疲れ気味だったから、課長ってのは大変なんだろうなとは思ってたけどさ」
「それを言うなら内川さんだって社長業、大変じゃないですか?」
「まぁな。でも俺はほら、ちっちぇころからやりたかった仕事だからな」
「いいですよね。そういうのちょっと憧れます」
内川親子はケンカもするが、それは仲が良いからこそ。親の背中を見て育ち、後を継ぐ。理には考えられないことだが、もし自分も親の仕事を少しでも垣間見ることがあれば、違う道もあったのかもしれない。
「親父の作った工房だから潰しちゃなんねぇっていうプレッシャーはあるけどな」
兄の卓も感じることがあるのだろうか? いつか、そういう話をする機会があるだろうか……。
「でも中林さんのおかげでどうにか潰さずに済みそうだ。ありがとうな」
「何言ってるんですか? まだまだですよ。今日はその打ち合わせに来たんですから」
この工房にも、内川にもまだまだ伸びしろはある。それを正当な価値をつけて売るのが理の仕事だ。
理はカバンに詰め込んだ、内川工房のさらなる販路拡大についての立案書を取り出した。
打ち合わせは思いの外長引いた。
「遅くなっちまったな。終電、間に合いそう?」
「途中までは帰れそうですが、家までとなるとぎりぎりってところですね」
「そうだ。どうせならうちに泊まっていかないか? 親父も母ちゃんもいないしさ」
「それはさすがに……。以前、泊まる予定だった旅館があるんでそこに連絡してみようかと」
「高瀬のとこだろ? じゃあそこまで送るよ。それくらいはさせてくれ」
新たな販路を開くため、新製品の提案をしたのがよくなかった。そこから職人総出でどんなデザインにするか話は盛り上がり、試作品まで作りはじめた。
おかげで良いものができた。女性向けの小ぶりかつ、滑らないようにフロスト加工を施したガラスペンだ。持ち手からグラデーションになるよう引き延ばされたガラスの美しさは、きっと人気の出る商品になるだろう。
内川の軽トラで送ってもらったのは、以前彼女と宿泊する予定だった小さな旅館だ。そのうえ、予約をいれてくれたのも内川だ。
「なにからなにまでありがとうございます」
「いいって。な、高瀬」
「すいません、内川が迷惑かけて……」
「お前は俺の母ちゃんか?」
旅館たかせの主人である高瀬は内川のおさななじみだそうだ。
気心知れたふたりのじゃれあいに、少し羨ましさを感じながらも理は明日も早いからと、部屋へと案内してもらった。
客室数が十五部屋ほどの小さな旅館だが、その分手入れも清掃も行き届いていて居心地がいい。しかも、部屋に小さな露天風呂がついている。
ちょうどよかったかもしれない。
昨日は帰りが遅く、疲れていた。温泉で癒されるのも悪くない。
昼間の蒸し暑さとは違って、露天には山の涼しい風が吹いていた。頭を冷やすのにも最適だった。
昨日、はじめてCommandを受けた。
自分がSubだなんて信じられなかったが、あの状態になってようやく理解した。
――俺、Subだったんだな……。
この先どうすればいいのだろう? 両親のパートナーたちのようにDomの犬にされるのだろうか? すべてをDomのために捧げるような……。
それは絶対に嫌だ。
でも、昨日はじめて受けたCommandは、理の想像していたものとは違った。
伊織は理に無理をさせようとはしなかった。いつでも断っていいと言ってくれた。セーフワードを言うようにと何度も伝えてくれたが、理は言いたいとは思わなかった。無理をしたわけではない。
伊織は、両親とは違う。そんな気がした。
今朝の出来事だって、伊織のおかげだ。
仕事を頼んだ若杉に喜ばれるとは思ってもみなかった。あんな風に理に認められることを誇らしげに語るなんて。
工房でだって、伊織に食べさせてもらってなかったら、コンビニでいかにもありきたりな贈答用の菓子折りにしただろう。
安いシャーベットだが、職人たちには好評で効果はその何倍にもなった。費用対効果を気にするのは、営業の悪い癖だ。
外したまま机に置かれた眼鏡を見つめていたら、無性に伊織の声が聞きたくなった。
湯上りに浴衣だけを羽織った理は、名刺入れから一枚、自社の名刺を取り出した。
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