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第十二話
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カンカンと照り付ける太陽がまぶしく、ブラインドを下げたオフィスで理は昼食を広げた。と言っても、コンビニで買ってきたゼリータイプの栄養補助食品だ。
お盆進行で仕事は立て込んでいたから、社食に行かずに済む。あれから電話は何度かかかってきたが、すべて無視した。
ガジガジとゼリーの吸い口を噛んでいると、女性の声が聞こえてきた。
「課長珍しいですね」
同じくオフィスに残っているのは派遣の佐伯だ。
「俺がいると佐伯さんが落ち着かないか」
いつもならひとりで気楽な休憩に、上司の理がいることで気を使わせてしまったかもしれない。
申し訳ないと眉を下げると、佐伯は片耳からイヤホンをはずして振って見せた。
「わたしは平気ですよ。お昼は動画見てるんで」
「動画?」
「スマホで、見ません? 猫の癒し動画とか個人が撮影したニュース動画とか」
「見ないな。個人が撮ったニュースで面白いものなんてあるのか?」
雑誌や本は読むが、どうにも動画が苦手で理はあまり詳しくない。ましてや個人が撮影したものは粗が多く、落ち着かないのだ。
流行のアンテナを張るには必要だと思いつつ遠ざけていた。
「これなんてすごいんですよ! 街中でのケンカなんですけど、一瞬で相手をのしちゃうんです」
「意外と物騒なもの見てるんだな。ボクシングでもやってたのか?」
落ち着きある佐伯だが、存外、俗っぽいものも見るのだなと驚いていると、佐伯は理のデスクまでやってきてスマホの画面を見せた。
「それが、殴りあいじゃないんですよ。ほらこれ! このスーツのイケメンDomが――」
そこには理が倒れた日の日付と、見覚えのある街並みが映っていた。
取引先のほとんどが国内の、特に小さな工場が多いこともあり、営業二課の夏休みはお盆真っただ中である。
いつもなら大掃除で終わる理の夏休みだが、今年は違った。昨日一昨日と出掛け、最終日の今日。日曜日の朝早くから身支度を整え、何度もシミュレーションしていた。
ようやく覚悟を決めたのは昼前。東向きの窓から太陽が隠れる時間だった。
ソファに座り、眼鏡をはずす。大きく息を吸い、スマホをタップするとすぐに相手に繋がった。
『中林さん?』
「外山さんだったんだな」
『なんの、ことですか?』
「俺を、助けてくれたのは」
『思い出しちゃいましたか?』
「いや、正確には」
ただ、かろうじて覚えているのはあの時感じたGlareと、伊織から与えられたGlareには圧倒的な違いがあった。
怖くないのだ。
『そうですよね。俺、忘れてってお願いしましたから』
そんなささいなお願いも、理は聞いてしまったのだろう。素直にもほどがある。
「なぜ? 気付かなかったら俺は外山さんがGlareを浴びせた犯人だと思いこんでしまうところだった」
『その説明は、会ってからでいいですか?』
「わかった。それならどこかで――」
インターホンが鳴った。
「くそっ! こんなときに誰だよ……」
理はいらだちながら電話を片手にインターホンの受話ボタンを押した。
「すいません、俺です。外山です」
電話とインターホン、両方から伊織の声が聞こえてきた。
「は? なんでうちが」
「言ったでしょう? 俺、用意周到な男なんで」
「それってストーカーって言うんじゃないのか?」
「まぁまぁ。とにかく話を聞いてください」
「……わかった」
この部屋に他人を招いたのははじめてだ。
あまり気に入っていない汚れが目立つベージュのカーペット。二人掛けの飴色の革のソファに小さなカフェテーブル。少しでも掃除がしやすいようにテレビは壁掛けにした。
空気清浄機の小さなモーター音が響く室内は、緊張感でピンと張り詰めていたが、色味を押えた部屋に、相変わらず目に鮮やかなアロハシャツは意外に心を落ち着かせてくれた。
コーヒーを用意しようとキッチンへ向かう理を、伊織が留めた。
二人掛けのソファは、男ふたりには少し狭い。
気温のせいか、緊張のせいか触れる伊織の膝が熱い。
「あの時は偶然だったんです。立ち飲み屋で若杉と飲んでたら外で騒ぎがあって、Domの男がケンカをしていたんですよ。相手はUsualでしたけど、自分のSubを守るために強いGlareを発してまして」
「Defenseって言うんだってな。動画で見た。それで俺が倒れたんだな」
「まず最初に目にはいったのが、いまにも倒れそうな中林さんだったんです。あのまま倒れたら頭打ちそうでしたし、SubDropなんて下手したら一生精神的な傷を負いますからね」
「それで?」
「……応急処置をしたんです。大丈夫、あなたは悪くないって。SubDropに効果があるのはDomのCareですから」
一昨日、理は再度医師に話を聞きに行った。
SubDropを起し錯乱状態の理を助けたのは誰か。その人は救急車にも一緒に乗って理が落ち着くまで傍にいたらしい。
確認したが相手は名乗らずに立ち去ったらしい。
背が高く派手なシャツに長い髪。
「知り合った後に言ってくれればよかったのに」
「子どものように泣きわめく中林さんを見て、俺がこの人を守らなきゃって思ったんです。でもいきなり現れたDomなんて警戒されると思って。もっと自然な形で知り合って親しくなれればと」
倒れたときはまだ自分がSubだとも知らなかった。伊織に出会うまでは、Domなんて必要ないと思っていた。信じられないって。
でも、伊織にお願いをされるたび、従うのが自然に思えた。それに慣らされたからはじめて受けたCommandの高揚感は格別で、自分がSubだと確信できた。
理のために、伊織は時間を掛けてくれた。
それでもまだ、伊織を受け入れるには足りない。
「自然、ねぇ。ここの住所はどこで調べた?」
「それは基本中の基本ですからね。社内のデータにアクセスすればすぐわかりますよ」
「犯罪だな。基本ってことは他にも勝手に調べてるってことか?」
へらりと笑ってかわそうとする伊織を追及すると、諦めたように天を見上げた。
「すいません。初日にGPS仕込みました」
「くそっ! だから温泉にいることも知ってたんだなっ!」
「はい。あと一昨日病院に行ったことも。病院でなにを聞いてきたんですか? だから昨日は遠出をしたんですか? 中林さんが休日に出掛けるなんてめったにないから、もしかしてあのケンカをしていたDomに逢ってきたとかじゃないですよね? 俺、中林さんがほかのDomに奪われるかもと思ったら、もう昨夜からいてもたってもいられなくって――」
出るわ出るわ。伊織のストーキング行為を追及しているはずが、伊織がヒートアップしはじめた。
伊織の大きな両手が理の肩を掴む。
その力強さとは裏腹に、そこには怯えが見えた。
――Domも正しいパートナーとともにいなければ、生きてはいけないんだ。
卓の言葉が聞こえてくるようだ。
「昨日は……兄に逢ってきたんだ」
「お兄さん?」
「昔、兄に言われたことを思い出したんだ。悪いDomには従わなくていいと」
お盆進行で仕事は立て込んでいたから、社食に行かずに済む。あれから電話は何度かかかってきたが、すべて無視した。
ガジガジとゼリーの吸い口を噛んでいると、女性の声が聞こえてきた。
「課長珍しいですね」
同じくオフィスに残っているのは派遣の佐伯だ。
「俺がいると佐伯さんが落ち着かないか」
いつもならひとりで気楽な休憩に、上司の理がいることで気を使わせてしまったかもしれない。
申し訳ないと眉を下げると、佐伯は片耳からイヤホンをはずして振って見せた。
「わたしは平気ですよ。お昼は動画見てるんで」
「動画?」
「スマホで、見ません? 猫の癒し動画とか個人が撮影したニュース動画とか」
「見ないな。個人が撮ったニュースで面白いものなんてあるのか?」
雑誌や本は読むが、どうにも動画が苦手で理はあまり詳しくない。ましてや個人が撮影したものは粗が多く、落ち着かないのだ。
流行のアンテナを張るには必要だと思いつつ遠ざけていた。
「これなんてすごいんですよ! 街中でのケンカなんですけど、一瞬で相手をのしちゃうんです」
「意外と物騒なもの見てるんだな。ボクシングでもやってたのか?」
落ち着きある佐伯だが、存外、俗っぽいものも見るのだなと驚いていると、佐伯は理のデスクまでやってきてスマホの画面を見せた。
「それが、殴りあいじゃないんですよ。ほらこれ! このスーツのイケメンDomが――」
そこには理が倒れた日の日付と、見覚えのある街並みが映っていた。
取引先のほとんどが国内の、特に小さな工場が多いこともあり、営業二課の夏休みはお盆真っただ中である。
いつもなら大掃除で終わる理の夏休みだが、今年は違った。昨日一昨日と出掛け、最終日の今日。日曜日の朝早くから身支度を整え、何度もシミュレーションしていた。
ようやく覚悟を決めたのは昼前。東向きの窓から太陽が隠れる時間だった。
ソファに座り、眼鏡をはずす。大きく息を吸い、スマホをタップするとすぐに相手に繋がった。
『中林さん?』
「外山さんだったんだな」
『なんの、ことですか?』
「俺を、助けてくれたのは」
『思い出しちゃいましたか?』
「いや、正確には」
ただ、かろうじて覚えているのはあの時感じたGlareと、伊織から与えられたGlareには圧倒的な違いがあった。
怖くないのだ。
『そうですよね。俺、忘れてってお願いしましたから』
そんなささいなお願いも、理は聞いてしまったのだろう。素直にもほどがある。
「なぜ? 気付かなかったら俺は外山さんがGlareを浴びせた犯人だと思いこんでしまうところだった」
『その説明は、会ってからでいいですか?』
「わかった。それならどこかで――」
インターホンが鳴った。
「くそっ! こんなときに誰だよ……」
理はいらだちながら電話を片手にインターホンの受話ボタンを押した。
「すいません、俺です。外山です」
電話とインターホン、両方から伊織の声が聞こえてきた。
「は? なんでうちが」
「言ったでしょう? 俺、用意周到な男なんで」
「それってストーカーって言うんじゃないのか?」
「まぁまぁ。とにかく話を聞いてください」
「……わかった」
この部屋に他人を招いたのははじめてだ。
あまり気に入っていない汚れが目立つベージュのカーペット。二人掛けの飴色の革のソファに小さなカフェテーブル。少しでも掃除がしやすいようにテレビは壁掛けにした。
空気清浄機の小さなモーター音が響く室内は、緊張感でピンと張り詰めていたが、色味を押えた部屋に、相変わらず目に鮮やかなアロハシャツは意外に心を落ち着かせてくれた。
コーヒーを用意しようとキッチンへ向かう理を、伊織が留めた。
二人掛けのソファは、男ふたりには少し狭い。
気温のせいか、緊張のせいか触れる伊織の膝が熱い。
「あの時は偶然だったんです。立ち飲み屋で若杉と飲んでたら外で騒ぎがあって、Domの男がケンカをしていたんですよ。相手はUsualでしたけど、自分のSubを守るために強いGlareを発してまして」
「Defenseって言うんだってな。動画で見た。それで俺が倒れたんだな」
「まず最初に目にはいったのが、いまにも倒れそうな中林さんだったんです。あのまま倒れたら頭打ちそうでしたし、SubDropなんて下手したら一生精神的な傷を負いますからね」
「それで?」
「……応急処置をしたんです。大丈夫、あなたは悪くないって。SubDropに効果があるのはDomのCareですから」
一昨日、理は再度医師に話を聞きに行った。
SubDropを起し錯乱状態の理を助けたのは誰か。その人は救急車にも一緒に乗って理が落ち着くまで傍にいたらしい。
確認したが相手は名乗らずに立ち去ったらしい。
背が高く派手なシャツに長い髪。
「知り合った後に言ってくれればよかったのに」
「子どものように泣きわめく中林さんを見て、俺がこの人を守らなきゃって思ったんです。でもいきなり現れたDomなんて警戒されると思って。もっと自然な形で知り合って親しくなれればと」
倒れたときはまだ自分がSubだとも知らなかった。伊織に出会うまでは、Domなんて必要ないと思っていた。信じられないって。
でも、伊織にお願いをされるたび、従うのが自然に思えた。それに慣らされたからはじめて受けたCommandの高揚感は格別で、自分がSubだと確信できた。
理のために、伊織は時間を掛けてくれた。
それでもまだ、伊織を受け入れるには足りない。
「自然、ねぇ。ここの住所はどこで調べた?」
「それは基本中の基本ですからね。社内のデータにアクセスすればすぐわかりますよ」
「犯罪だな。基本ってことは他にも勝手に調べてるってことか?」
へらりと笑ってかわそうとする伊織を追及すると、諦めたように天を見上げた。
「すいません。初日にGPS仕込みました」
「くそっ! だから温泉にいることも知ってたんだなっ!」
「はい。あと一昨日病院に行ったことも。病院でなにを聞いてきたんですか? だから昨日は遠出をしたんですか? 中林さんが休日に出掛けるなんてめったにないから、もしかしてあのケンカをしていたDomに逢ってきたとかじゃないですよね? 俺、中林さんがほかのDomに奪われるかもと思ったら、もう昨夜からいてもたってもいられなくって――」
出るわ出るわ。伊織のストーキング行為を追及しているはずが、伊織がヒートアップしはじめた。
伊織の大きな両手が理の肩を掴む。
その力強さとは裏腹に、そこには怯えが見えた。
――Domも正しいパートナーとともにいなければ、生きてはいけないんだ。
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