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第33話 卒業式の後に
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鳴り止まない拍手の、優しい雨。
その、温かい光景を、僕の心の一番深い場所に焼き付けて、僕たちは、潮見ヶ丘小学校を卒業した。
全ての、喧騒が過ぎ去った後。
体育館の熱気も、保護者たちのざわめきも、今はもう、遠い夢の中の出来事のようだった。
がらんとした、誰もいない校舎。
僕と柚希は、何かに導かれるように、自然と五年一組の教室の前に立っていた。七海が転校してきて、七海と共に過ごした、この五年一組の教室に。
僕の手の中には、この半年間、魂の全てを注ぎ込んで書き上げた、『空を泳ぐ金魚』のノートの束があった。
柚希の手の中には、七海を喪ってからの一年半、僕たちの道しるべとなった、七海のお楽しみノートが、大切そうに握られている。
僕たちは、どちらからともなく頷き合うと、そっと、教室のドアを開けた。
教室の中は、静まり返っていた。
当然だが、もう、僕たちの机も椅子もない。
後輩たちが使っているのだろうが、卒業式を控えていたため、綺麗に片付けられて、がらんとした空間が広がっているだけ。
黒板もチョークの跡一つなく、ぴかぴかに磨き上げられていた。
そこはもう、僕たちの知っている五年一組の教室ではなかった。
でも確かに、この場所に僕たちはいたのだ。
三人で笑い、悩み、そして泣いた。かけがえのない時間が、この空間の光の粒子、一つ一つに染み込んでいるような気がした。
僕たちは、敢えて言葉を交わすことをしなかった。
ただ、ゆっくりと教室の中を歩いた。
ここが、僕の席だった場所。
ここが、柚希の席だった場所。
そして、ここが……七海の、席が、あった場所。
僕たちは、七海の席だった場所に、並んで立った。
目を閉じれば、今も聞こえてくるようだった。
彼女の、鈴の鳴るような笑い声が。
その時だった。
「……二人とも、やっぱり、ここにいたのね」
優しい声がして、僕たちは振り返った。
そこに、村井先生が静かに立っていた。
その目は、卒業式で泣いた後なのか、少しだけ赤かったけれど、とても穏やかな笑みを浮かべていた。
「先生……」
僕は、一歩前に進み出た。
そして、僕がずっと胸の中に抱えていたノートの束を、先生の前に差し出した。
「これ……僕が書きました。僕たちの、夏の物語です」
僕は言った。
かつて、自分の言葉を見せることを、あれほどまでに恐れていた僕が、今、一番読んでほしい人に、自らの物語を手渡そうとしていた。
「先生に、読んでほしくて。……ううん、先生に読んで もらわなきゃ、ダメなんです。先生が僕に、言葉の力を教えてくれたから。七海の物語を最後まで書き切る、きっかけをくれた人だから」
村井先生は何も言わずに、僕の目をじっと見つめていた。
そして、その瞳に、みるみるうちに涙が溢れていく。
彼女はその原稿の束を、宝物でも受け取るかのように、そっと両手で受け取ってくれた。
「……ありがとう、神谷くん。……先生の、一生の宝物にするわ」
震える声が、僕の心の、最後の鍵を開けてくれた。
そして今度は、柚希が一歩前に出た。
彼女は、七海の席があった何もない机に、持っていたお楽しみノートをそっと置いた。
あまりにも唐突な行動に、僕も先生も息をのんだ。
柚希は、僕たちの方を振り返って、太陽のような笑顔で言った。
「これは、ここに置いていきます」
彼女は続けた。
「このノートにはね、七海の、たくさんの素敵なお楽しみが詰まってるから。あたしたちが持っていくんじゃなくて、この教室に残してあげるのが、一番いいと思うんだ。これはね、七海の願いそのものだから」
彼女は、静まり返った教室を、愛おしそうに見渡した。今までの、僕たち三人の想いでを振り返っているのだろう。
「また、この教室に来る、誰かのために。……もしかしたら、昔のハルみたいに、一人ぼっちで、本ばっかり読んでるような、泣き虫な男の子が、この机を使っているかもしれない。もしかしたら、昔のあたしみたいに、元気なだけが取り柄のおてんばな女の子が、ここに来るのかもしれない。……もしかしたら、七海みたいに、大きな、大きな悩みを一人で抱えた子が、この窓際の席に座るかもしれない」
彼女の言葉は、とても優しかった。
「その時にね、その子がふと、このノートを見つけるの。そして、ページをめくったら、そこにはたくさんのきらきらした、宝物みたいなお楽しみが書いてある。……それって、すっごく素敵じゃない? 七海の魔法が、また、誰かを笑顔にするの」
そうだ。
なんて素敵なアイデアなんだろう。
七海の物語は、僕が書いた。
でも、七海の生き様そのもの。その、魂のバトンは、こうやって繋いでいくのが、一番正しいのかもしれない。
僕たちは、彼女の思い出を独り占めしたりなんかしたくない。
彼女が僕たちにくれた光を、僕たちは、次の誰かへと繋いでいくんだ。
村井先生は、涙を拭おうともしなかった。
きれいな顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕たちの頭を一度ずつ、優しく撫でてくれた。
「……立派になったわね。二人とも。……ううん、あなたたちはもう、先生が知る中で一番賢くて、そして、一番強い子たちよ。……天野さんも、きっとそう思ってるわ」
先生はそれだけを言うと、静かに頷いた。
その頷き一つに、全ての賞賛と、愛情と、そして、感謝がこもっていた。
僕たちは、最後にもう一度、教室を見渡した。
がらんとした、誰もいない教室。
そして、ぽつんと置かれた、黄色いお楽しみノート。
それは、これから始まる、新しい誰かの物語のために蒔かれた、一粒の小さな、小さな光の種のようだった。
僕と柚希は、顔を見合わせて笑った。
僕たちは一緒に、教室のドアへと向かう。
その扉を開けて、光の中へと歩き出した。
僕たちの、新しい物語が始まる、その未来へと。
その、温かい光景を、僕の心の一番深い場所に焼き付けて、僕たちは、潮見ヶ丘小学校を卒業した。
全ての、喧騒が過ぎ去った後。
体育館の熱気も、保護者たちのざわめきも、今はもう、遠い夢の中の出来事のようだった。
がらんとした、誰もいない校舎。
僕と柚希は、何かに導かれるように、自然と五年一組の教室の前に立っていた。七海が転校してきて、七海と共に過ごした、この五年一組の教室に。
僕の手の中には、この半年間、魂の全てを注ぎ込んで書き上げた、『空を泳ぐ金魚』のノートの束があった。
柚希の手の中には、七海を喪ってからの一年半、僕たちの道しるべとなった、七海のお楽しみノートが、大切そうに握られている。
僕たちは、どちらからともなく頷き合うと、そっと、教室のドアを開けた。
教室の中は、静まり返っていた。
当然だが、もう、僕たちの机も椅子もない。
後輩たちが使っているのだろうが、卒業式を控えていたため、綺麗に片付けられて、がらんとした空間が広がっているだけ。
黒板もチョークの跡一つなく、ぴかぴかに磨き上げられていた。
そこはもう、僕たちの知っている五年一組の教室ではなかった。
でも確かに、この場所に僕たちはいたのだ。
三人で笑い、悩み、そして泣いた。かけがえのない時間が、この空間の光の粒子、一つ一つに染み込んでいるような気がした。
僕たちは、敢えて言葉を交わすことをしなかった。
ただ、ゆっくりと教室の中を歩いた。
ここが、僕の席だった場所。
ここが、柚希の席だった場所。
そして、ここが……七海の、席が、あった場所。
僕たちは、七海の席だった場所に、並んで立った。
目を閉じれば、今も聞こえてくるようだった。
彼女の、鈴の鳴るような笑い声が。
その時だった。
「……二人とも、やっぱり、ここにいたのね」
優しい声がして、僕たちは振り返った。
そこに、村井先生が静かに立っていた。
その目は、卒業式で泣いた後なのか、少しだけ赤かったけれど、とても穏やかな笑みを浮かべていた。
「先生……」
僕は、一歩前に進み出た。
そして、僕がずっと胸の中に抱えていたノートの束を、先生の前に差し出した。
「これ……僕が書きました。僕たちの、夏の物語です」
僕は言った。
かつて、自分の言葉を見せることを、あれほどまでに恐れていた僕が、今、一番読んでほしい人に、自らの物語を手渡そうとしていた。
「先生に、読んでほしくて。……ううん、先生に読んで もらわなきゃ、ダメなんです。先生が僕に、言葉の力を教えてくれたから。七海の物語を最後まで書き切る、きっかけをくれた人だから」
村井先生は何も言わずに、僕の目をじっと見つめていた。
そして、その瞳に、みるみるうちに涙が溢れていく。
彼女はその原稿の束を、宝物でも受け取るかのように、そっと両手で受け取ってくれた。
「……ありがとう、神谷くん。……先生の、一生の宝物にするわ」
震える声が、僕の心の、最後の鍵を開けてくれた。
そして今度は、柚希が一歩前に出た。
彼女は、七海の席があった何もない机に、持っていたお楽しみノートをそっと置いた。
あまりにも唐突な行動に、僕も先生も息をのんだ。
柚希は、僕たちの方を振り返って、太陽のような笑顔で言った。
「これは、ここに置いていきます」
彼女は続けた。
「このノートにはね、七海の、たくさんの素敵なお楽しみが詰まってるから。あたしたちが持っていくんじゃなくて、この教室に残してあげるのが、一番いいと思うんだ。これはね、七海の願いそのものだから」
彼女は、静まり返った教室を、愛おしそうに見渡した。今までの、僕たち三人の想いでを振り返っているのだろう。
「また、この教室に来る、誰かのために。……もしかしたら、昔のハルみたいに、一人ぼっちで、本ばっかり読んでるような、泣き虫な男の子が、この机を使っているかもしれない。もしかしたら、昔のあたしみたいに、元気なだけが取り柄のおてんばな女の子が、ここに来るのかもしれない。……もしかしたら、七海みたいに、大きな、大きな悩みを一人で抱えた子が、この窓際の席に座るかもしれない」
彼女の言葉は、とても優しかった。
「その時にね、その子がふと、このノートを見つけるの。そして、ページをめくったら、そこにはたくさんのきらきらした、宝物みたいなお楽しみが書いてある。……それって、すっごく素敵じゃない? 七海の魔法が、また、誰かを笑顔にするの」
そうだ。
なんて素敵なアイデアなんだろう。
七海の物語は、僕が書いた。
でも、七海の生き様そのもの。その、魂のバトンは、こうやって繋いでいくのが、一番正しいのかもしれない。
僕たちは、彼女の思い出を独り占めしたりなんかしたくない。
彼女が僕たちにくれた光を、僕たちは、次の誰かへと繋いでいくんだ。
村井先生は、涙を拭おうともしなかった。
きれいな顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕たちの頭を一度ずつ、優しく撫でてくれた。
「……立派になったわね。二人とも。……ううん、あなたたちはもう、先生が知る中で一番賢くて、そして、一番強い子たちよ。……天野さんも、きっとそう思ってるわ」
先生はそれだけを言うと、静かに頷いた。
その頷き一つに、全ての賞賛と、愛情と、そして、感謝がこもっていた。
僕たちは、最後にもう一度、教室を見渡した。
がらんとした、誰もいない教室。
そして、ぽつんと置かれた、黄色いお楽しみノート。
それは、これから始まる、新しい誰かの物語のために蒔かれた、一粒の小さな、小さな光の種のようだった。
僕と柚希は、顔を見合わせて笑った。
僕たちは一緒に、教室のドアへと向かう。
その扉を開けて、光の中へと歩き出した。
僕たちの、新しい物語が始まる、その未来へと。
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