風花の契り~落葉舞う、君の肩越しに~

空-kuu-

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第24話 楓の決意

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 木花咲耶神社は、重苦しい空気に支配されていた。天災はひとまずの小康状態を見せたものの、人々の心に刻まれた傷跡は深く、藩の先行きも不透明なままであった。そして、その中心にいるのは、追い詰められた小夜であった。松平義明との縁談の儀は、あと数日に迫っていた。彼女は、連日の祈祷と逃れられぬ運命への絶望から、その心身を著しく疲弊させていた。食事も喉を通らず、夜は義明に追いかけられる悪夢にうなされ、浅い眠りから飛び起きる日々が続いていた。かつて神々しささえ漂わせていた神楽舞も、今では見る者の胸を締め付けるような、悲壮感に満ちたものに変わっていた。白磁のようだった肌は色を失い、その大きな瞳の奥の光も、今にも消え入りそうに弱々しい。

 楓はそんな小夜の姿を、もはや黙って見ていることなどできなかった。ただ案じ、慰めるだけではこの運命は変えられない。あの子を、あの汚れた権力の手に渡すわけにはいかない。そして、橘環という誠実な男の想いを、無駄にさせてはならない。楓の心の中で、小夜への深い愛情と、義明への燃えるような怒りが一つの固い決意へと変わった。
「もう待ってはいられない。私が、動く」

 楓は、再び神社の禁書庫へと足を運んだ。以前見つけた禁断の儀式、天水の儀が記された古文書。あれは、小夜を追い詰めるだけの呪いの知識だと思っていた。だが、もしその中に、今の状況を打破する別の手掛かりが隠されているとしたら。楓は、灯火の揺れる薄暗い書庫で、複数の古文書を照らし合わせ、その矛盾点や隠された意味を解き明かし始めた。
 読み解きを進めるうち、楓は儀式の危険性について、さらに恐ろしい記述を発見した。天啓の巫女の生命力を著しく消耗させるというだけでなく、その儀式が過去に、藩の権力争いに悪用された可能性が示唆されていたのだ。ある時代の権力者が、天災に乗じて政敵を失脚させるため、意図的にこの儀式を巫女に強要した。そして、その成功を自らの手柄として民衆の支持を得た、という記録が記されていた。
「まさか……今の状況と、あまりにも似すぎている……」
 義明は、この古文書の存在を知っているのだろうか。そして、小夜の力を天災を鎮めるためではなく、藩を完全に掌握するための道具として利用しようとしているのでは……楓の背筋を、冷たい汗が伝った。

 彼女はさらに深く、神社の公式な歴史書の裏側を探っていく。歴代の巫女や神官が個人的に書き残したと思われる、より古い羊皮紙の巻物。その一つに、楓は衝撃的な記述を見つけた。それは、彩凪藩の建国神話の裏に隠された、もう一つの歴史であった。初代藩主がこの地を平定した際、その力となったのは武力だけではなかった。『天の声を聴き、森の精霊と語らう、雪深き山の民』の助けがあったと、そこには記されていたのだ。その一族は、太古の自然神との契約により、人知を超えた特別な霊力をその血に宿していると。
「雪深き山の民……忘れ雪の里のことか? そして、特別な力を持つ一族……それは、小夜様のご血筋!?」
 さらに、巻物の最後には『……この秘密、あまりに深き故、探る者は神の怒りに触れん。かつて、その真実に近づきすぎた若き神官あり。彼は、山崩れにて不慮の死を遂げたりと、記録さる……』と、楓の心を凍りつかせる一文があった。
 楓の全身が、激しく震えた。数年前、将来を誓い合った恋人がいた。彼もまた、この神社の神官見習いで、探求心の強い人だった。彼の遺品の中に、書き残した手記の断片に『神社の影……天城家の始まり……』とあった。その言葉の意味が、今、恐ろしい真実となって繋がった。
「あの人が言っていた神社の影とは、このことだったのか……」
 彼の死は事故などではなく、藩の闇を知る何者かによって、口封じのために仕組まれたものではなかったのか。楓の中で、長年燻り続けていた疑念と古文書の記述が、一つの燃え盛る確信へと変わった。

 楓は、解読した古文書の写しと、恋人が遺した手記の断片を握りしめ、月白神官長の居室へと向かった。彼女の瞳には、もはや涙はなく、ただ燃えるような強い決意が宿っていた。
「神官長様、お話を伺いたく存じます。この古文書に記されていることは、全て真実にございますか」
 楓が突きつけた証拠を前に、月白神官長は、最初は「過ぎた詮索は身を滅ぼすぞ、楓」と、厳しい表情で彼女を退けようとした。
「お止めください! 私の恋人は、事故で死んだのではありませんね? 彼は、この神社の、そして彩凪藩の秘密を知りすぎたために、消されたのではありませんか! そして、小夜様は今、その血筋の故に、再び政の道具にされようとしている! このまま、また見て見ぬふりをお続けになるのですか!」
 楓の魂からの叫びであった。彼女の揺るぎない覚悟と、彼女が掴んだ真実を前に、月白神官長はついにその重い口を開いた。彼の顔には、深い後悔と苦悩が刻まれていた。
「……楓、お主の言う通りじゃ。わしは、怖かったのじゃ。真実を明らかにすることで、この神社が、そして小夜様が、さらに大きな渦に巻き込まれることが……。わしは、彼が藩の闇に近づきすぎていることに気づいていた。彼に警告したが、彼の正義感はそれを許さなかった。そして、彼は事故に遭った……。わしは、何もできんかった。ただ、彼の遺したものを守ることしか……」
 神官長は、一部の事実――小夜の一族の秘密、そして楓の恋人の死にまつわる不審な点――を認め、自らの無力さを深く嘆いた。そして、彼は、皺だらけの手で楓の手を握りしめた。
「楓よ、すまなんだ。そして、頼む。もはや、この老いぼれには、松平家と渡り合う力は残っておらぬ。じゃが、お主には、知性と、そして何より愛する者を守ろうとする強い意志がある。わしは、表向き松平家に従うふりをし、儀式の準備を遅らせることで時間を稼ごう。お主はその間に、義明の陰謀の証拠を掴むのじゃ。小夜様を、そしてこの神社の真の歴史を守るため……どうか、お主の力を貸してはくれまいか」

 楓の心は、決まった。義明は、小夜の特別な力を、藩を支配するためだけでなく、その先にある墨染藩との裏取引という、さらに大きな陰謀のために利用しようとしているに違いない。彼女の目標は、もはや小夜を守るということだけではなかった。
「この藩に巣食う、古くからの闇そのものを断ち切る。二度と、小夜様や、あの人のような犠牲者を出さないために」
 そのために、彼女は巫女としての知識だけでなく、必要であれば非情な策略家にでもなる覚悟を決めた。楓は静かに、しかし熱く、思考を巡らせ始めた。
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