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~二章 献身の聖女編~
二十二話 裁きの門『桃源の夢魔ゼルメイダ』
しおりを挟む──深い、深い眠りであった。何も見えぬ闇に私は囚われている。その暗闇から這い出るような生暖かい空気が吹いたと思うと、自分の肌にまとわりついた。瞬く間に私の全身は動かなくなる。それは自分が自分でなくなっていくような感覚に近いのかもしれない。そして、そんなことを考えている頭さえも、もう────。
────暖かい。それに、どこか懐かしい匂いがした。それは心休まる安寧のように、私の全てを癒してくれる何かだ。頭の中がじんわりと熱くなってくるのがわかった。意識が徐々にはっきりとしてくると、外からの音も聞こえてきた。
「……おき……て。──おねえ……ちゃん……おきて──」
──聞いたことのある音、それは私が望んでいた──声。視界に一縷の光明が差す。私は静かに目を開くと──ベッドの上にいた。そのベッドは自宅の私の部屋の物だ。窓からは暖かい日差し、少し歪んだベッド、木の匂いがする自宅に私は居たのだ。
「おねえちゃん。おはよう!」
そして傍らにいる、私に朝の挨拶をするこの少女は──。
「────コネ……ホ。──コネホ!」
私は目を疑った。探し求めていた妹が突然に目の前に現れたのだ。
「これは、夢……?」
自分の頬を引っ張る。そこには確かな痛みがあった。
「どうしたの? おねえちゃん?」
「……コネホ!」
私は妹に抱きついた。その温かさ、石鹸の匂い、小さな身体から伝わる柔らかな感触と命の鼓動は夢などでは無い。間違いなく私の妹、コネホであることの証明だ。
「おねえちゃんぎゅーってしてどうしたの? こわいゆめみたの?」
「うん……うん……。とっても怖い夢を見てたの……。コネホがいなくなっちゃう夢……。もう……離さない……」
「コネホならここにいるよ。だいじょうぶだよおねえちゃん」
「そうだね……そうだね──」
涙が止まらない。こんなに、こんなに心が震えたのはいつ以来だろうか。私の妹はここにいる。ただそれだけの事なのに、感情の波が波濤の様に押し寄せた。
「おねえちゃん。ごはんができてるよ。はやくたべよ?」
「……うん。そうだったね……。一緒にご飯を食べよっか……!」
私は妹の手をつないで部屋を出る。キッチンにはいつもの美味しそうな匂いが漂っており、テーブルにはパンとサラダと色とりどりのお惣菜が並んでいた。
「おお! 愛しの娘達よ! 今日もパパとママが美味しい朝ご飯をつくったから、冷めないうちに食べてくれ」
「おはようサビオラ。さあ席について食べましょう」
お父さんがとびきりの笑顔で嬉しそうに言った。その隣にはお父さんと不釣り合いなスレンダーな体形をした美人がいる。そう、それは私と同じ長い金髪をなびかせた、お母さんがいたのだ。
「おかあ……さん……」
「どうしたの? サビオラったらまだ寝ぼけているのかしら」
「おねえちゃん、こわいゆめをみたんだって!」
「あらあらそうなの。よしよし。サビオラもまだ子供ね」
お母さんは私を優しく抱きしめると、頭をなでてくれた。
「お母さん──お母さん……!」
「もうサビオラは甘えんぼうね……」
私は母の胸のぬくもりを感じながら涙を流す。──そうだ、私は悪い夢を見ていたのだ──。こんなにも幸せな日常がここにあるんだ。もう、怖い夢を見る必要なんてないのだ──。
「サビオラ! パパも抱きしめてあげようか?」
「パパはダメ。サビオラはかよわい女の子なんだから」
「なぜだーーッ!?」
お母さんとお父さんのやり取りを見て、私は笑う。私が笑うとコネホも笑った。家族みんなで笑うと、席について家族団欒に朝食を食べる。
「美味しい……! お母さんすごく美味しいよ!」
「うふふ。それはよかった」
「ままのごはんおいしいね! おとうさんがつくったのもおいしいよ!」
「ほんとかい!? 嬉しい……! 嬉しすぎる……! なあ……カンナ。俺、ほんとに生きててよかったよ──。可愛い娘達がいて、綺麗な嫁のお前がいて……ほんとに、本当に嬉しい。ありがとう、愛しているよ、みんな」
「いやねえパパったら。大袈裟なんだから……。でも嬉しいわ……ありがとう」
お父さんとお母さんは見つめ合い、この尊き空間に感謝するように軽くキスをした。私とコネホはその光景を見てると、それに気づいたお父さんは急に恥ずかしくなったのか鼻をぽりぽりと掻いてごまかした。
「おとうさんとおかあさんらぶらぶだね!」
「ふふふ。そうだね。うらやましいね」
──笑顔の絶えない朝食が続く。これは、これが、私の求めた未来。そして父が憧れた情景。もう、この私達の幸せに水を差す者はいない。これは現実。これは夢ではない。仮に夢だとしても、それが、それこそが"現実"に取って代わる"リアル"なのだ。その境目が問題ではない。今ある現状こそがもっとも大事なことなのだ。
だからどうか──この幸せが覚めないであってほしい──。願わくば未来永劫──どこまでも、どこまでもこの桃源なる視界を閉ざすことがありませぬよう──私は祈るのである……。
────────────────────────────────
「ここは……」
よく見知った光景──ここは、……僕の故郷だ。『王都ウベンスト』は今日も朝から賑わいを見せている。メモを片手に買い物に行く女性、木剣を持って剣術道場に通学する子供達、大きな荷物を運ぶ屈強な男性……。いつも通りの景色だ。何も変わりない、平和な日常風景だ。
「こんなとこにいたのか、マルセロ。今日は田舎町から何人か試合に来るんだから遠くに行くなよ? ま、今やこの王都で無敵のお前なら楽に勝てる相手だろうよ。今日もお前の剣を見に各方面のお偉いさんが来るから、あんまり手を抜きすぎないようにな。頼んだぜ」
「あ……ああ……」
道場の仲間が僕にそう声をかける。それに僕は生返事で返すと、今日が何の日で自分が何をするのかを段々と思い出してきた。
「そうだ……今日は試合があるんだ……」
ふらふらと大通りを歩いて、道場に向かう。僕の道場はこの王都で一番大きくて、強くて、東大陸を代表する『雷光流剣術』を教える道場だ。
そして僕は、道場で一番強い。それはこの東大陸において、最強と言っても過言ではないだろう。──それなのに……僕の気持ちは毎日晴れずにいた。それは自分よりも強い男を知っているからだ。……僕には僕以上に天才だと言われた腹違いの兄がいた。僕はこれまでの人生で兄に勝ったことは一度たりともなかった。
兄の剣は速く、強く、そして雷光流の名に恥じぬ技の腕前であった。幼き頃から兄の背を見て、ひたすらに僕は剣を切磋琢磨したが二十歳を越えてもその技量の差は埋まらなかった。
そんな尊敬し憧れた兄が他の大陸に武者修行に出たのが一年前の事。目標が目の前からいなくなってしまった僕は、心に隙間風が吹くような思いをしていた。周囲からは兄の弟だともてはやされて、兄の居ぬ間に偽りの最強の称号を得た僕はすべてに飽き飽きとしていた。今日だって他の大陸の貴族や他流派に雷光流の強さを誇示させるような試合が組まれている。つまらない勝負──歯ごたえのない試合をするのかと僕はため息をついた。
道場に着くと、師範が僕の帰りを待っていたように手招いた。どうやら相手はもうすぐ来るらしい。僕は試合着に着替えて道場奥の中庭に出る。周囲には観客が椅子に座って試合を待ち望んでいた。軽く木剣を振って準備運動をこなしていると、慌てた様子で対戦相手が駆けつけてきた。
「お待たせして申し訳ない。あのバ……弟子の一人がどこかにはぐれてしまって、遅れてしまいました。この場を詫びて謝罪いたします──」
他流派の老人は深々と頭を下げた。
「別に気にしてないですよ。それで、僕の相手はあなたですか?」
僕は老人を見て軽く言う。
「いえ、我が流派を代表して戦うのはこの男です」
老人の後ろからまだ成人もしていない青髪の少年が出てきた。僕は目を疑った。田舎道場が相手とは言え、こんな子供を相手にしなくてはならないのかと。それは周りのギャラリーもそう思ったようで、嘲笑するような笑いさえ聞こえてきた。
「まだ未熟な腕にありますが、どうぞよろしくお願い致します」
少年はそのまっすぐな瞳で言う。
「──そうですか。彼が相手なんですね。君……いくつだい?」
「今年十四になりました」
「……そうか。だがこれは試合である以上、それを覚悟で闘ってもらうよ。手心を期待しないでくれ」
「無論です。雷光流を勉強させて頂きます──!」
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