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七話 アウロラ王妃
しおりを挟む振り向くと部屋の主、アウロラが立っていた。
「どいて」
アウロラはイエリンを押し退けると勢いよく扉を開けた。
「……まぁ、パウロ様。私の部屋でどうなさったのですか? 何か用事でもおありですか?」
口元には微笑みを湛えながらも目は笑っていない。
「あ、あ、アウロラ……」
恍惚状態でうっとりとアウロラを見つめるパウロは驚くと言うより、アウロラに出会えた幸運に酔いしれているように見えた。彼女に縋るように跪くと、さっきまで陰茎を扱き己の先走りで汚れた手でドレスの裾を持ち上げるとキスをした。
その手には鏡台から取り出した白い布がしっかりと握られている。
アウロラはパウロの持つ布を見るや否や、カッと目を見開き自分の前に跪く男を蹴り上げた。
「この、クソが!」
パウロはもの凄い勢いで後ろに吹っ飛んだ。
アウロラは這いつくばっている男の手から白い布を奪い取ると襟元を掴み上げた。苦しそうに身悶えるパウロの瞳は虚ろになりながらも彼女に微笑む。
「変態薬中野郎! 薄汚ねぇ手で、これに触れるんじゃねぇ!」
そう言うと、見事な右ストレートが決まる。殴られ床に突っ伏したままの男の手をヒールで踏みつけた。
「ぐっう……」
パウロは呻き声をあげると、ひくひくと僅かに腰を揺らし絨毯にシミが広がる。
どうやら失禁し、そのまま気を失ったようだ。
更に男の髪を鷲掴みにしたアウロラにイエリンは必死にしがみついた。
「やめてください! そ、それ以上やったら死んでしまいます!」
王妃の腕っぷしの強さに呆気に取られていた。なんだか、もの凄い言葉を発していたような気もするのだけれど……いつもの王妃とは別人のような。まるで男の人のようだ。
アウロラが手に握る白い布の刺繍が目に入り、イエリンは腕の力を緩めた。
目に留まったのは五本の赤い薔薇とアーロンと綴られた刺繍。間違いない、この刺繍は自分が刺したものだ。何故、これが王妃の部屋の鏡台の中に仕舞われていたのか。アーロンが持っている筈の物がどうしてここに?
「あ、あの……そのハンカチ。なぜ王妃様が持っているのですか?」
アウロラはイエリンに向き直る。
「それは、こっちのセリフ。その真珠の髪飾り、どこで手に入れた?」
いつも美しい顔を崩さない王妃に鋭い眼光を向けられて身を固くする。
「これは大切な人から貰った……宝物です」
「大切な人?」
「……王妃様こそ、私の質問に答えてください!」
グッと眉間に皺を寄せ睨み返す。
「……リンに貰った」
アウロラは信じられないとばかりに一歩近づく。
「その、大切な人。名前は?」
「あ、アーロン」
目の前にいるのは王妃だ。
王妃は女だ。
アーロンは男だ。
でも、王弟を殴り倒す腕力……あの腕っぷしの強さと乱暴な話し方は、まるで男のようだった。
「アーロンは男で、王妃様は女で……でも、ハンカチはリンから貰って……」
アウロラは混乱して頭を抱えるイエリンの手を取った。
大勢の乱れた足音が近づいてくる。
トビアスと騎士達が部屋に入って来た。
「奴は床で寝ている。後は頼んだ」
「お、おお……」
驚き目を見開いたトビーを残し、アウロラはイエリンの手を掴みトビアスとすれ違うようにして部屋を出た。
そのまま花の館へ回廊を走り、アウロラは迷うことなくイエリンの私室の扉を開けた。
どうにか息を整えると、ジッとこちらを見下ろしているアウロラの視線に気がついた。
「アーロンから貰った髪飾りって言ったな」
「王妃様こそ、リンから貰ったって言いましたよね。そのハンカチは私がアーロンに贈った物ですよ?!」
「つまり……イエリン妃は、あのリン? 髪色も瞳の色も違うが……変装をしていたということか?」
イエリンを睨むとアウロラは胸の前で腕を組んだ。
「じゃ、じゃあ王妃様はアーロン? でも、王妃様は女性です。私の知るアーロンは男です!」
アウロラは一つ一つ確認を取るように納得しているが、自分は混乱するばかりで悔しくなり唇を噛んだ。
「もう一度、確認する。君はアーロンと酒場でよく会い飲んでいた、黒髪のリンで間違いないんだな?」
混乱と悔しさで泣きそうになりながら小さく頷くと王妃の腕が伸び強く抱き締められた。
驚き言葉を失うイエリンは力強い腕に抱かれて、やはり彼女は女ではないと実感した。
「王妃様は、女ではなく男……そして、あなたは私の知っているアーロン?」
抱き締める腕に更に力がこもる。そしてイエリンの髪に顔を埋め消え入りそうな小さな声が聞こえる。
「ああ……そうだ」
状況が上手く呑み込めないものの、二度と会うことはないと思っていたアーロンとの再会にキュウッと胸が締めつけられる。思わずアーロンの背中に腕をまわし抱きしめ返した。
漸く、落ち着くと二人はソファに座った。王妃の姿のままのアーロンにイエリンは聞きたいことが溢れて困惑の表情を浮かべる。
「男であるアーロンが王妃になっているのは何故なのか……もっと言えば、公爵家の令嬢になれたのか? あなたが一体何者なのか。私には、わからない事ばかり……」
「混乱しているよな……すまない」
王妃姿のアーロンを、まだ信じられない思いで見つめるイエリンに向き合い、アーロンはゆっくりと話し始めた。
「……俺は正真正銘公爵家の生まれだ。ヴェルレ公爵家に女子としてではなく男子として生まれた。公爵家には俺の前にも二人の男子が生まれていたが、どちらも生まれて間もなく亡くなった。母である公爵夫人は俺が生まれた時、また子を失うのではないかと恐怖に慄いた。今思えば、もうその時には母は精神に異常をきたしていたのかもしれない。町で評判の占い師に俺を占わせて、女の子として育てるよう言われたそうだ。さもなくば俺も二人の兄のように亡くなるとね」
静かに息を吐きイエリンの手を握った。
「俺の人生は母によって全てが決められた。幼い頃の俺には自分が男である認識なんて全くなかった。男女の違いなんて、その時の自分はわかっていなかったから。ただ、着せられるままに女の子の服を着て、教えられたとおりの言葉を喋り生活していた。子供の頃、トビアスが我家に遊びに来た時だったな……俺が男だって教えてくれたんだ。その時は上手く理解が出来なかったが、日常的に癇癪を起す母を見ていると、それが自分の性別に関係しているとわかった。成長するにつれ、身体は男のものに変化していく……俺は男として女と偽らずにいたいと思うようになった。それからが地獄のような日々だった」
アーロンは甘えるようにイエリンの肩に頭を乗せ、目を瞑ると言葉を続けた。
「日常生活で最低限動く以外、身体を動かすことを禁じられた。狭い部屋に入れられ鎖で繋がれた。男のような筋肉がついてしまうのを嫌い母がまた癇癪を起したんだ。もう、母は善悪の区別がつく人間ではなくなっていた。俺を生かすために始めたことなのに。目的はいつの間にか男にさせないことに、すり替っていった。ある日、母は医者を連れてきた……男のように声が低くならないように声帯を削る手術をすると言ってね。抵抗し暴れる俺を拘束した。恐怖に慄き、どんなに叫んでも藻掻いても誰も助けてくれない。麻酔を打たれ気がついた時には喉に包帯を巻かれベッドに寝ていた。全ては終わった後だった……」
話してくれるアーロンの声は掠れ微かに震えていた。イエリンは血の気が引き感覚の鈍くなった手で堪らず彼の頭を掻き抱いた。アーロンは途端にポロポロと涙を流した。
「ご、ごめん……俺、泣いて……情けない姿見せて」
「なにが?! 何が情けないの? あなたが情けないことなんて微塵も思わないから。それだけのことをされて平気でいる人間なんていないわ! 泣いていいの、泣いていいのよ」
鼻の奥がツンと痛くなり目の前が涙で歪む。声を詰まらせて泣くアーロンの髪をゆっくりと撫で落ち着かせた。
「狂った母に次は何をされるのか怯える毎日だった。遂に男性器を切除すると言い出した時には死を覚悟した。医師には男性器の切除は命の危険があると止められていたから。そんな俺を救ってくれたのがトビアスだった。俺を王太子妃にしたんだ。あの恐怖と支配に満ちた家から救い出すために」
トビーは王妃が男であることを知りながら、アーロンを助ける手段として婚約し結婚した。実直で正義感の強いトビーなら、きっとアウロラとして生きるアーロンを放ってはおけなかったのだろう。
トビーがアウロラを王太子妃にしてくれたことに心から感謝した。
自分は王太子妃に選ばれず、嫁にも行けず荒んだ日々を送っていたが、それでもアーロンを劣悪な環境から救えたのなら、これで良かったのだと思えた。
そして、更に強くアーロンを抱きしめた。
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