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捕らわれの身
しおりを挟む「ビル…何をするつもり?」
怯えた表情の女とは対照的にビルと呼ばれた男は薄ら笑いを浮かべている。
怯えた表情でビルを見つめる女に見覚えがあった。
ジョアキンは他者に無関心であるように思われているが、実は人を観察するのが得意な方だ。
しかも無関心を装い何も知らない振り、見てない振りをしながら観察するのが特技であり趣味といってもいいくらいだ。
邸宅で働く者達の顔と名前は当たり前に覚えている。
ジョアキンは魔力を帯びた鈍く光る手枷と足枷を嵌められ、冷たい床の上に転がされていた。
周囲を冷静に見渡し状況を確認する。
大理石の祭壇の上には人の型をした人形らしきものが置かれていた。
人形の胸にはジョアキン・ミュラーの名が記され黒い髪が括りつけられている。
人形の局部には赤黒いシミが滲む。
「悪趣味な……」
小声で呟く。
ミュラー侯爵家で下女として働くサラは地味で目立たない女だった。
掃除洗濯、雑用など下働きを担っていた彼女なら自分のバスルーム、寝室、書斎の掃除もジョアキンが着た衣類の洗濯も行っていた筈だ。
衣類やシーツ等に付着したり、バスルームに落ちている髪を入手するのも簡単だろう。
大理石の祭壇の上に置かれた気味の悪い人形を目にし苦笑する。
「黒魔術とはな。しかも随分と古い手を使ってくれたものだ」
「なんだ、こんな状況でも生意気な口が利けるんだな」
男の口元が弧を描く。
ジョアキンはたじろぎもせず冷静な視線を向けた。
「逃げ切れると思っているのか?妻はパークシャー伯爵家が関係していることに気づいた筈だ」
「例え、あんたの妻が騒ごうが証拠は?そんなもの残すほど馬鹿じゃねえよ」
ジョアキンの顔を睨みつける。
「お嬢様が愛している男だからな、本当なら少しばかり弱らせてお嬢様に差し出す約束になっていたが…予定が変わっちまった」
首に手を当て参ったというような素振りを見せてはいるものの、その顔はどこか楽し気だ。
「あんたのことは伯爵様には秘密裏に動いていたが…とうとうバレちまった。お嬢様はあんたに治療を受けさせたいと泣いていたが…まぁ無理だな。伯爵様は足がつく前に処分せよと仰せだ」
フッ、ハハハハハハハハ。
「残酷なお方だ。愛娘の愛する男さえ消せってさ」
先程まで楽し気だった男の瞳には影が落ちる。
「ビル!…もう、こんなことやめて!」
「どうしたんだよ。怖気づいたのか?それとも侯爵家で働くうちに情でも移ったのか…この男…ホント綺麗な顔してるもんなぁ。まったく腹の立つ男だぜ……お嬢様と同じで惚れちまったか?勘弁してくれよ…」
「違う!…ただ…」
言い淀みジョアキンをチラリと見たサラは唇を噛んだ。
「この人が死んだら…お嬢様は…」
怯えていた筈の瞳に力がこもりグッとビルを睨んだ。
「なんだよ…お嬢様がこの男の後を追って命を絶つとでも言いたいのか?そんなことは俺がさせねぇ…」
ギリリッと奥歯を噛み締めた。
「魔法を使ってお嬢様の意識を操るつもり?やめて…これ以上お嬢様の心を踏み躙らないで…」
「うるせぇ!俺がどうにかする…黙って見ていろ」
怒りに任せ乱暴にドアを閉めると部屋を出て行った。
サラは男の足音が遠のいたのを確認すると、食事用のパンや水の入ったボトルを入れた籠から隠していた包帯と薬を取り出した。
ジョアキンの太腿の怪我に薬を染み込ませた布をそっとあて血が止まったのを確認すると上から包帯を巻いた。
ジョアキンはその様子を黙って見つめていたが、彼女の手が離れたところで漸く口を開いた。
「君は令嬢の命令で侯爵家に潜入していたのか?六年以上も…」
サラは自分が六年以上侯爵邸に仕えていたことをジョアキンが覚えていたことに驚きながらも黙って頷いた。
「魔力を持つ君の弟が、なぜパークシャー伯爵家に飼われているんだ?魔力を持つ者は魔法魔術研究所に所属することになっている筈だ。そのほうが身分も保証され安定した生活も遅れるだろう。それとも伯爵が多額の報酬をチラつかせたのか?」
サラは力なく首を振った。
「私達が幼い頃、魔力を持ち工房を営んでいた父が亡くなり後を追うように病気に臥せった母も亡くなりました。移民だった両親にはこの国に親しい親類もなく幼い姉弟二人行く当てもなく路頭に迷いそうになっていたところを伯爵様に助けられたのです」
サラは落ちそうな涙を袖口で拭う。
「魔法道具を納めていたご縁で下働きとして私達を引き取ってくださりました……生活する場を手に入れ裕福ではないにせよ私達姉弟は平和な日々を送っていました…弟に…魔力があるとわかるまでは……」
サラの顔色はどんどん蒼くなっていく。
「伯爵家があんなにお金持ちなのは鉱山を持っていて商会の経営が成功しているから…でも、ただそれだけでは…成功するためには多くのライバルを押さえ込まなくてはならない…幸運が味方したかのような偶然が…度々起きなくてはならない」
「…なるほど…伯爵家の幸運は作られたものだったということか…」
「いつしか弟は伯爵家の裏の仕事を請け負うようになり…私は、弟が血生臭い仕事をさせられることに恐怖を覚えました。それに染まっていく弟自身にも…」
ジョアキンはそれ以上何も言わず、サラも黙ったままだ。
「次の食事をお持ちする際に包帯を交換しますね…」
それだけ言いサラが部屋を出ていくとジョアキンはジャケットに止められたシトリンの飾りボタンに目をやった。
「これだけ裏が取れれば証拠として充分だろう」
溜息をつくと周囲を見渡した。
ここは窓もなく光も一切入らない部屋だ。
恐らく地下室に入れられているのだろう。
小さな蝋燭のほのかな灯りが、その周辺をぼんやりと浮き上がらせているだけだ。
シンと静まりかえった空間で思うことはエメリのことだ。
エメリは無事に逃げられただろうか。
無事逃げられたのであれば彼女のことだ、今頃スープラ医師に報告するくらいは出来ているだろう。
「ちゃんと、無事でいるんだろうな…怪我なんてしていなければいいが…」
一緒にいる時間が長くなるにつれエメリに対して無関心ではいられなくなっていた。
エメリの様子を観察するのは思った以上に楽しく、いつしか彼女を目で追うのが癖になっていった。
エメリの記憶力の良さと機転の速さ。
山のような書類を見てどん底に落とされたような顔をしながらも決して手を止めない忍耐力と負けん気の強さ。
感情的で思い立ったら体が先に動き出してしまう鉄砲玉のような幼さを伴う行動力。
どれもジョアキンに戸惑いという新鮮な感情を呼び起こした。
そんな彼女のあんなに怯えた顔を見たのは初めてだった。
最後に見たエメリの怯えた表情が頭から離れない。
静まりかえった室内に微かに何か聞こえたような気がした。
空耳だろうか…耳を澄まし音のする方に注意を注ぐ。
給気口からだと気付き芋虫の様に身を捩りながら壁際に辿り着くと金属の筒に耳を当てる。
チチチと小さな音は金属が擦り合わされた音のようにも聞こえたが…高くなり低くなる音程…一定でない音が鳥の囀りだと気が付くと僅かに気持ちが落ちついた。
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