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演奏会
しおりを挟む亜麻色の髪を肩まで伸ばした長身の男は濃紺の瞳を、美しく波打つ赤毛の女性に向けた。
男は宮廷のサロンで演奏するため正装した姿で紳士淑女の前に立った。
王妃から拝領したバイオリンを演奏するため開かれた演奏会だ。
王妃と親しい貴族達だけとはいえ五十人近くいる観客を前に動じる素振りもなく楽器を構える。
多くの観客にまじりエメリとジョアキンは並んで座っていた。
演奏者の紹介がされると一瞬、驚いた表情になったエメリの僅かな変化をジョアキンは見逃さなかった。
「どうした?」
「え?…ああ、ちょっと…ううん…なんでもないわ」
そう言うと演奏に集中し始めたエメリを見てジョアキンはそれ以上言わず正面を向いた。
エメリは演奏者の名前を聞いてから、その懐かしい名前に浮き上がる気持ちを抑えられなかった。
じっと演奏者を見つめ聞き覚えのある旋律に瞳を閉じた。
間違いない、この曲…幼い日に夕陽に染まる音楽室で聞いた優しい響き。
恥ずかしがり屋だった濃紺の瞳の少年を思い浮かべ、もう一度目の前で演奏する男を見つめた。
エメリの住む町は王都から遠く離れた田舎で貴族のみが通う王立学院の様な学校は存在しない。地方の貴族の子息や息女は王都に移り王立学院の寮に入るか邸宅で専属の家庭教師により教育が施されるのが一般的だ。
エメリの兄二人は王立学院で寮生活を送り、姉は邸宅で家庭教師による教育を受けていた。
エメリもその慣習に倣ったが、お淑やかで従順で貴族の令嬢らしい姉と逐一比べられ厳しく叱咤されることに我慢ならなくなったエメリは、あの手この手で両親を説得し遂に地元の学校への転入を勝ち取った。
市民が通う学校は授業料も無料だ。正直、子爵家は経済的にもそれ程裕福とは言えない為、家庭教師に支払う娘二人分の授業料が一人分で済むのは幾何か金銭的にも助かったに違いない。
エメリが転入してきた最初の頃こそ皆、遠巻きに見るだけで近寄ることさえしなかったが、持ち前の明るさと人懐っこさ、要領の良さを発揮したエメリがクラスの皆と仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
引っ込み思案で大人しい一人の少年を除いては。
裕福な商家の次男だった少年は小さい頃から同い年の男の子達と遊ぶことは少なく、母の強い希望によりバイオリンを習わされ、毎日その練習に明け暮れていた。
正直、友達も少ない地味で目立たない子供だった。
家に帰ると強制的に練習させられるバイオリンに嫌気がさしていた少年、はせめてもの抵抗で時間稼ぎしようと日が暮れるまで音楽室で練習していた。
決してバイオリンを弾くこと自体が嫌いだった訳ではない。
もっと自由に、自分の感じるままに演奏したかったのだ。
そう言うと講師には基礎の大切さがわかっていないと厳しく叱られた。
感情のないまま、ただバイオリンを弾く人形だ。何度も何度も繰り返えされる練習の日々から逃れたかった。
いつものように少年が音楽室で過ごしていると、そぉっと中を覗き込む黒い瞳があった。
四つん這いになりコソコソと音楽室に入ると、机の下まで移動しようとしたが壁際に置いてあった楽譜立てに足を引っかけてしまった。一列に並んでいた楽譜立ては夕暮れの静かな音楽室に盛大な音を響かせながら将棋倒しになった。
少年は心臓が止まるかと思う程驚きバイオリン抱えて縮こまった。
少年の視線の先には机の間からゆっくりと立ち上がる人影。
そこには、バツが悪そうに苦笑いするエメリがいた。
「びっくりさせてごめんなさい…いつも綺麗な音色が聞こえて…ずっと気になっていて…もっと近くで聞けたらって…ちょっとだけ聴かせてもらってもいい?…邪魔はしないから…お願い!」
ぎゅっと目を瞑ると顔の前で手を組み懇願する。
少年は困惑し、おろおろと視線を漂わせた。
いつも明るくクラスで人気者のエメリとは挨拶を交わしたことがある程度だった。
チラリと片目を開けマルセルの様子を窺うエメリに、真っ赤な顔の少年はコクコクと頷く。
「…い、いいよ…」
「本当?!やったぁ!」
キラキラ瞳を輝かせるエメリから赤い顔を隠すように背を向けて弾き始めた。
しかし、エメリからは音楽室の窓ガラスに彼の姿が写り、その繊細な指使いや滑らかな弓の動きをつぶさに見ることが出来た。
短い曲の演奏が終わるとエメリは頬を上気させ嬉々として拍手した。
「凄い!凄いねっ。こんな素敵な演奏ができるなんて尊敬する!」
「そ、そんなことないよ……僕くらいの子は都会に行けば沢山いるって先生が言っていたもの…」
「そうかなぁ?私もバイオリンのレッスンは受けたけれど…こんなに上手に弾けなかったよ。王都の演奏会に行ったことがあるけれど…マルセルの音の方がずっと綺麗音だよ?…やっぱりマルセルは凄いよ!」
目尻がキュッと上がった大きな黒い瞳は一層大きく開かれ、更にキラキラと輝く。
エメリが自分の名を覚えていて呼んでくれたことにびっくりしたマルセルだったが、自分の演奏を純粋に凄いと褒めてくれたエメリの言葉が嬉しくてならなかった。
それから数ヶ月、マルセルが卒業を待たずして王都の音楽学校に編入するまで放課後の小さな演奏会は続いた。
豪華絢爛な王宮のサロンに歓声と拍手が響き渡った。
紳士淑女は彼の演奏を褒め称えた。
歓談か始まりティータイムになると見事な演奏をしたマルセルの周りには人が絶えない。
「凄い人気ね…少し時間を空けてから話しかけようかしら」
チラチラとマルセルの様子を窺うが近づくことを諦めたエメリは、大人しくジョアキンの傍に寄り添い終始愛想笑いを浮かべていた。
愛想笑いを長時間続けていた所為か頬と目の下がピクピクし始める。
目の前の紳士と話し終えたジョアキンはエメリを壁際の椅子へと座らせた。
「ここで待っていろ」
そう言い残すとジョアキンは身を翻して颯爽といなくなる。
後ろ姿を見送るとマルセルに目を向けた。
話し掛けたいが相変わらずマルセルの周囲には人が絶えない。
間違いなくマルセルだ。
あの曲を知っているのは自分とマルセルだけなのだから。
エメリは確信をもって見つめた。
こちらを振り向いてさえくれれば、自分に気付いてもらえるかもしれない…念を送るようにマルセルに熱い視線を送る。
「どうした。眉間に皺なんか寄せて…そんなに腹が空いたか?」
この美しい男がこんなにも口が悪いなんて知った女性はがっかりするだろう。
長い足の所為か戻ってくるのが早い。
もうちょっとでこちらを見てくれたかもしれないのにと殘念な思いでジョアキンを見上げる。
「眉間に皺なんか寄せていません……お腹は多少空きがあるように思いますが…」
言いながらジョアキンが手に持った皿をみてパッと顔を輝かせた。
エメリの大好きなクレープが三枚ものっていたからだ。
クレープの上には艶やかな輝きと共に爽やかで甘い香りが鼻を擽るマーマレードソース、ご丁寧に生クリームまで添えられていた。
「ほら食っとけ…甘いもので疲れが取れるんだろ?…顔を引きつらせて隣に立たれるのは御免だからな」
つっけんどんに差し出された皿を受け取る。
もしかして気遣ってくれているのだろうか。いや…酷い顔で隣に立たれるのが迷惑だって言葉そのままの意味なのかもしれない。真意が読めず、皿を受け取ったまま美味しそうなクレープとジョアキンを交互に見る。
「早く食え。おまえのがっついている様子が見られないように前に立ってやっているうちにな」
そう言うとエメリの前に立ったまま手に持ったティーカップを口元に運んだ。
いちいち憎たらしいことしか言えないのか。
そもそも侯爵家に嫁いでからというもの、がっついて食べたことなんてないし、卑しいみたいに言わないでもらいたい。
それに、前に立たれては肝心のマルセルの様子が見えないではないか。
もしかして気を使ってくれたなんて思ったのは、やっぱり思い過ごしか。
イラっとしながらお行儀悪くフォークを刺すと早く食えと言われたので、遠慮なく大きく口を開けて頬張る。
ジョアキンはエメリの様子を見て口元を歪ませた。
なによ、その小馬鹿にした笑い。
早く食べろと言うから頑張っているのに。
頬張ったクレープを一生懸命咀嚼しながらジョアキンの顔を睨みつける。
「ミュラー侯爵、先日はお世話になりました…」
一人の老紳士が声をかけてきた。
ああ、とジョアキンは紳士らしい柔和な笑顔で応える。
「ここに居ろよ」
エメリだけに聞こえるように呟くと老紳士と共に離れていった。
目の前の障害物がなくなり視界が開けるとマルセルが部屋を出ていくのが見えた。エメリは慌てて立ち上がると皿を椅子に置いて後を追った。
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