神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

文字の大きさ
186 / 271
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 2-18

しおりを挟む
 後ろの林がざわめく。人もまばらになった午後二時半、理恵は散歩がてらに回っていた湖の近くで、ベンチにぐったりしている零を見つけた。

「あら、起きた?」

 ダークグレーのワンピースの裾を直していると、零が薄っすらと目を開いた。結果から言えば、零の体は正常そのもので、理恵はそこで昼寝をしているのだと取り敢えず決めつけた。

「いくら夏でもこんな所で寝てたら風邪をひくわよ。」

「別に寝たくて寝てたんじゃ……。」

 目をこする。言葉に反して体も頭も重かった。緊張を抜こうとため息を吐くと、理恵が突然首元に顔を近付けてきた。いや、彼女の目的を汲んでいうのならば、鼻を、だ。

「何だ……?」

 零も慌てて手首のあたりの香りをかいだ。甘い香辛料の香りが鼻に入る。

「どこかで嗅いだ事ある香水の香りだわ。なにかしら……。」

 少なくとも、理恵の周囲ではこのような甘ったるい香水をつける人物はいなかった。清張も継子も使うのは香木だし、久志はもっとさっぱりとした香水をつける。零に関していえば、そもそも香水をつけるような男ではなかった。

「……確か――」

 理恵が思い出そうとした言葉を遮って、零が慌てて立ち上がる。いたいた、と久志が片手を上げて歩いてくる。

「そろそろ帰ろうって。悠樹さん達待ってるよ。」

 腕時計を見ると、数時間は時計の針が巡っているのに気付いて零は頭を振った。

「気にしなくても大丈夫だよ。悠樹さんも話が終わったのついさっきだったし。」

「今まで永遠と話してたのか。」

 色んな人とね、と久志は背を向けた。



 史興が運転する車の中で、清張は継子に手を出した。

「招待状を貰った。」

「……また?」

 ポーチから出てきた手紙を追いながら、零は鬱陶しげにそう呟いた。

「明宏殿から。」

 零の身が強張り、理恵が前のめりになった。封筒から淡い金のカードが出てくる。

「それで、お受けなさるんですか? お父様。」

「まだ決まってはないが、久志と史興とに色々協力して貰った結果、一つ面白い噂が流れている事が分かった。」

 カードにはクレーターまで写実的に描かれた月が四角いエンボス枠を突き抜けて煌めいている。清張は言葉を続けた。

「明宏が銀承教の幹部であるという話だ。」

 カードを渡され、零はむすっとした顔で中を見た。なんの変哲も無い招待状である。日程はゴールデンウィークが終わった数ヶ月後だった。

「俺が受けるとしてもお前は来るなよ。」

 表と裏を返して、零は理恵に招待状を回した。

「足手纏いだから?」

 空が焼けるにはまだまだ時間がかかるようで、車窓の向こうには相変わらずの晴天が見える。

「……。少し休め。」

 その言葉を言う前に、清春は一度だけ深く空気を吸い込んだ。零と理恵が気にした香水の香りが鼻につく。朝の車では一切香らなかった香りだった。目を細めて、清春は小さくなった別荘の塀を見る。その香りは紛れもなく、帝國で嗅いだ覚えのある香りだった。

 * * *

 青白い壁と白いレース模様が描かれた家だった。少し青々とした屋根を見上げつつ、零は旧式のベルを鳴らす。

「どちら……あぁ、お前か。さ、入ってくれ。部屋を決めてもらわなくちゃな。」

 軽井沢での日程を終えて、零はジークフリートが悠樹家から借り受けた洋館に踏み込んだ。ここまで送ってくれた島田の車は当の前に走り去っており、そこには零一人しかいなかった。

「えっと……。久し振り、ジーク。」

「ん……そうだな、久し振りだ。」

 どうしたんだ急に、とジークフリートは微笑んだ。改まって挨拶した零が面白かったのか、ジークフリートは肩を震わせた。

「一番日当たりが良くて広いのはここだ。多分夏は暑いぞ?」

 階段を上がって一番最初の部屋を開けると、零がするりと間を縫って入ってくる。空っぽの本棚は少し焼けていて、ベッドにさんさんと日光が当たる。初夏にして、むっとした空気が顔に直撃した。

「ジークの部屋は?」

 これは駄目だとばかりに零は頭を振って廊下に出た。よく見れば、扉も廊下側と部屋側ですっかり色が変わっている。

「僕の部屋は一番奥だ。」

 廊下に面した窓の方向を指を差す。ジークフリートは零を自室へ案内した。

「そんなに綺麗にしてないんだが……。」

 真鍮のドアノブを回して、ジークフリートは自室への扉を開ける。ベッドのタオルケットは剥がされたままだが、柄の揃った白い家具達が零を迎えた。

「ここにするか? ……なーんてな。」

 零の顔のすぐ横で悪戯っぽく囁くと、ジークフリートは零の視線を逃れるようにして部屋を出た。

「あそこが嫌なら後は真ん中の部屋しかないんだ。」

 廊下に面した扉は三つで、そのうち中央の扉をジークフリートは開けた。ジークフリートの部屋とさして殆ど大きさは変わらないが、家具の置き方は左右反対であった。

「シャワーは僕の部屋の向かいの扉だ。普通の日本のお風呂だぞ。」

「ありがとう。えーっと……このダンボールは俺の?」

 廊下の扉を避けて置いてある二つのダンボールを見て、零は屈んでダンボールを開けた。

「あぁ、それが本で、右にあるのが洋服だ。制服と教科書もそれぞれのところに入ってる。」

 扉を挟んで置いてあるもう一つのダンボール箱を開けて、ジークフリートは洋服であると分かりやすいように少しだけ布地を出した。

「まだ話す事が……そうだ。学校はどうするんだ? 車で送ったほうがいいのか?」

「え、自転車で行くよ……。」

 本のダンボールを引きずりながら部屋に引き込むと、零はジークフリートの前に置いてあった洋服のダンボールも持ち上げて向かい合った。

「遠慮しなくていいんだぞ。って言ってもまあ、目立つのは嫌か……。」

「それもあるけど、佐藤達と一緒に登校してるから。」

 そうか、と少し残念そうな顔をして、ジークフリートは零のものになった部屋をもう一度覗いた。

「夕食は何がいい? 今から買ってこようと思ってたんだ。」

 ズボンポケットからVWのロゴが入ったカーキーを出して、投げたり受け止めたりするのを繰り返す。

「んーと……。トマト煮込んだ料理。」

「トマト? 分かった。考える。じゃあ行ってくるから……キッチンの紅茶とかジュース、勝手に飲んでいいからな。水分補給するんだぞー。」

 階段を降りて、玄関扉の閉まる音が聞こえた。やがて車のエンジンがかかって、家の前を走り去る音が遠ざかっていく。

「……はあ。」

 部屋に入って、零はベッドに仰向けになる。時刻は夕方の四時を少し過ぎた頃だ。ぐるりと顔を巡らせて、どんな家具があるのか確かめる。衣装箪笥の引き出しと、縦に細長いクローゼット、ライティングデスクだ。ジークフリートの部屋の方が少し広いようだが、彼の部屋のクローゼットは部屋に埋め込まれているタイプのものだった筈だ。

(取り敢えずは制服をハンガーにかけよう。)

 零は脚を振ってベッドから立ち上がると、洋服が飛び出たダンボールを開ける。紺色と薄い水色のジャケットを取り出して、クローゼットの木製ハンガーにかける。続いて細かいチェックのグレースラックスを取り出してこれもまたハンガーにかけた。

(後は教科書と……。)

 いい紙を使っているだけあって、零は腕に力を入れて教科書の束を持ち上げた。蓋をされたライティングデスクの上に置くと、一息つく。

(他になに持ってきたっけ。)

 本のダンボール覗き込むと、箔押しの表紙がきらりと陽の光に輝いた。

(これ持ってきたっけ?)

 今までに受け取った、バスカヴィルの著書二冊である。零は首を傾げながら、二つの重い本をベッドの上に載せる。自分の部屋に置いてきたかと思っていたが、いつの間にか段ボールに入れていたらしい。結局、あの悪夢を見てから一度も開いていない。

「うーん……。」

 表紙を開いてすぐのページを抜かして目次へページを送る。なにを書いてあるかさっぱりで、零はしかめ面をしながらベッドに寝転ぶ。

(操作、学? 占学……占いかな。催眠学……夢学……?)

 目次を辿るだけでも、うつらうつらと船を漕ぎ始める。他にもずらずらと、魔術の分類が書かれていたが、零の脳は既に限界に達していた。眠い、と思う間もなく、すとんと意識が落ちて行く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

断罪後のモブ令息、誰にも気づかれずに出奔する

まる
ファンタジー
断罪後のモブ令息が誰にも気づかれないよう出奔して幸せを探す話

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。 不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。 14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。

処理中です...