神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 2-27

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 もう夕方だ。すっかり日差しは傾いて、日が短くなった事を感じさせる。零は目をこすると、自分の体がソファーとそのクッションに埋もれているのが分かった。

(うー……、いい香り。)

 鼻をひくつかせて、零はうつ伏せになってクッションを抱きながらダイニングルームがあるだろう方向を見る。扉が少し空いている。そこから香るのはスペイン料理のアヒージョの香りだった。

「にん……にく。」

「起きたか~? ご飯だぞ。」

 ジークフリートの声とキッチンからの香りに誘われて、零はソファーの上でごろんと容赦無く寝返りを打った。床に敷かれた絨毯に思い切り左腕から落ちる。

「いてっ。」

 寝ぼけなまこを顔に浮かべながら、零は液体のようにどろりと上体を浮かせた。どうやら長らく深い眠りに落ちていたらしい。季節の変わり目で温度差の激しいこの頃、少し体が重い。

「大丈夫か?」

「うん。今日はアヒージョ?」

 鍋敷きがセンターに置かれたダイニングテーブルを椅子の背もたれから覗き込んで、零はその周囲に置かれたサラダやオードブルを見る。

「そうだ。これはアボカドドレッシングのBLTサラダ、フランスパンは少しだけガーリックバターを塗ってるから、アヒージョのオリーブオイルにつけて食べて後は……。あぁ、小さめのリブステーキとアヒージョ持ってくるな。」

 指を鳴らしたジークフリートはデニム生地のエプロンの紐を解きながらすたすたとキッチンへと戻っていった。どうやら零が手伝うことはもうなさそうだ。渋々と椅子に座って、ランチョンマットの上に置かれた木製の食器を撫でた。

「よし、これで全部だ。」

 アヒージョの入った深底のフライパンを置いて、ジークフリートはキッチンミトンを机に放り出した。

「いただきます。」

「いただきま~す。」

 ジークフリートが座ったのを確認して、零が先に手を合わせる。倣ってジークフリートも手を合わせて、二人は取り皿へ思い思いの料理をよそい始めた。

「うまぁ~。」

「サラダにはこないだの余り物チーズ使ったんだ。」

 和食が多めの悠樹邸宅に比べて、ジークフリートの家では欧風料理が多い。食事バランスを考えるジークフリートらしく、夕食はとにかく炭水化物、野菜、肉が一通り揃っていた。特にサラダはいつもてんこ盛りに作ってきた。

「このタコ足食べていい?」

 返事を待たずして、零はオリーブオイルの香りとにんにくがしっかりと染みた巨大なタコゲソをフォークに突き刺した。ぐるぐるととぐろを巻いたげそを一口に頬張って、零は幸せそうに口を動かした。

「一口!?」

 美味しいよ、と呂律の回らない零の口元を見ながら、ジークフリートは少しだけ眉を寄せた。一瞬だけ卑猥な事を考えた自分に小さくため息を吐く。

「このタココリコリしてて美味しいよ。」

「そ、そうか。割と新鮮そうなのを買ったからな。」

 タコばかり頬張る零の皿にブロッコリーやマッシュルームを突っ込んで、ジークフリートもタコの足を頬張った。

「あ、あのな、零。」

 リブステーキに齧り付いていた零の動きが止まる。

「ROZENの頃の事、覚えてるん……だよな?」

「うん。どうかした?」

 キョトンとした顔で見つめられて、ジークフリートは内心で、うぬぬ、と唸った。

「……いや、なんでもない。」

「そういえば今日帝國行ったのは何の用事?」

 空き皿に骨を捨てて、零はウェットティッシュで肉汁と胡椒だらけの手を拭った。

「え、あー……。その、僕の物が見つかったから、処分するか引き取るか決めてほしいって。」

 孔雀青の視線が宙を漂ったが、零はそれに気付かずにフランスパンをアヒージョの皿に押し付けていた。

「別に、ただのカメラだったから処分してもらった。」

「たまぁに見つかるんだよね、崩壊前の物品。」

 カリカリに焼けたフランスパンの表面がバリバリと音を立てて零の口に入っていく。ジークフリートはぱっと視線をサラダの方へ逸らせた。



 夕食後すぐに風呂に入ってシャワーを済ませた零は、休日という事もあってソファーに座ってだらだらとテレビを眺めていた。別段興味のあるバラエティーもなく、為になるドキュメンタリーもなく、適当にやっていたラブロマンス映画をつけていた。

「明日は何が食べたい?」

「う~ん……。」

 零としては、久し振りに鉄板ものが食べたかった。が、ジークフリートの住んでいる洋館にはプレートもないし、なにより零もジークフリートも大きいものをひっくり返せる技術を持ち得ていなかった。

「久し振りに外で食べてもいいな。」

 シトラスの香りが漂う零の黒髪に吸い寄せられそうになって、ジークフリートはすぐに姿勢を正した。肩に回しかけた腕を下ろす。零が掌を合わせて擦り始めた。

「……寒いのか?」

「冷え性でさ……指先がすぐ冷えるんだよね。」

 寝巻きの衿から出ている首に手を当てると、確かに零の体温は少し低いように思えた。末端は特に冷えるようだ。

「ヒーターを出すか――」

「大丈夫だよ。まだ早いって。」

 立ち上がろうとしたジークフリートの薄手のセーターを引っ張り、零はすぐに座らせた。

「でも寒いだろ?」

「こうすればあったかい。」

 ソファーに踏ん反り返っていたジークフリートの前に立って、零はその膝の上に腰を下ろした。ジークフリートの上に零が縮こまっている状態になり、ジークフリートは思わず顔を赤らめる。

(待て待て待て……。)

 脳内に響く焦りの声とは裏腹に、ジークフリートは零の腹に両腕を回して体がソファーから落ちていかないように固定した。

「あ、あったかいか?」

「ジーク子供体温だなぁ。」

 暖かいのが気持ちいいのか、零は背中をすりすりとジークフリートの上半身に寄せてきた。テレビではモノクロの男女が二人で歩いていた。

「……零は、僕の事どう思ってるんだ?」

「ど、どうって?」

 膝を抱えて振り返る零の瞳はどこかあどけない。

「帝國の事とか、含めて……。」

 集団強姦や行為を強制した事や、その後々の隠れるような恋も全て含めて。ジークフリートは零の腹に巻いていた腕を少しだけ緩めた。

「ジークは、気にしてるのか?」

 視線を下にやると、ぽけっとした零の顔がすぐそこにあった。レイよりも肌は日焼けしていて、少し丸みを帯びた輪郭だ。

「僕は……ちょっとだけ。」

 少し邪魔そうな零の前髪を左に避けて、ジークフリートは一つため息を吐いた。胸中の傷をえぐり出しているような感覚に見舞われる。

「今の俺は……ジークがまた付き合いたいって言うなら付き合ってもいいかなって思ってる。」

「……本当に?」

 テレビ画面をじっと見つめる零の頬は少し濡れているように見えた。

「ルプレヒトとずっと一緒にいられると思ってたから……大戦が終わってからずっと虚無感が酷くて。どうやっても、埋められないんだ。」

 零の体が更に縮こまっていく。ついには顔も腕に埋めて、そのまま微動だにしなくなった。雨の中に打ち捨てられた子猫のような零を見つめていたジークフリートの脳裏に、大戦中のルプレヒトの言葉が蘇った。

『そんなに心配ならお前が寝たらどうだ?』

 唾を飲み込む。ジークフリートは零の丸まった背中を眺める。滑らかなうなじが黒髪の隙間から見えた。

(いいのか、ルプレヒト。)

 零の細い肩に手をかけて、ゆっくりとその上体をこちら側に向けさせた。

(本当に抱くぞ。)

 * * *
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