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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 2-30
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ファーストヴァイオリンのメンバーと共に、がやがやと学院の建物の中にある一番広い稽古場へ移動する。廊下には、体にピッタリとあったチュチュを着る女子達がわらわらと集まっていた。
「ジークフリートさん、パンフレットって読みました?」
「いや。何でだ? 誤植でもあったか。」
団員の一人がそう話しかけると、仲の良い楽団員も耳を傾けた。
「いや、ただの話のネタなんですけど。白鳥の湖ってフィナーレがいくつかあるじゃないですか。今回のエンディング、オデットが死ぬタイプみたいで。」
「はぁ~嘘ぉ!? 原典沿いとはいえ中学生に死の演目をやらせるって鬼畜だなぁ!」
でしょー、と話を切りだした楽団員は少し哀れみを込めた瞳で相槌を打つ。
「プリマの事といえば、噂では今回のオディールのグランフェッテは三十二回って聞いたんだけどマジ?」
「三十二回転ってほぼ最大ですよね? 中学生の概念が……。」
レジェンドだ、と楽団員達が肩を震わせる中で、ジークフリートはそんな持ち切りの話題から離れて上の空であった。そんな女子相手に白鳥のソロを一人で担い切れるのだろうか、と焦燥感に駆られる。
「まあまあ。そう落ち込まずに胸を張りたまえ。まだまだ期間はたっぷりある、今日は様子見という事で。」
いつの間にか猫背になって小さくなっていた肩を突然広げられ、ジークフリートは慌てて後ろを振り返る、コンダクターがにっこりと微笑んだ。
「すいません、コンマスの僕が気弱になって。」
「初めては気弱になるさ! 問題はその後どう持ち直すかだ。」
おどけてみせる指揮者に苦笑気味に微笑み、ジークフリートは大稽古場に入って行く女性達の列を眺めた。
「そうだ、何か私に出来る事はあるかね? 少し振付師に話をしてみよう。」
きっちりと稽古場の扉が閉まると、ジークフリートは幾分背の高いコンダクターの顔を見上げる。
「もし出来れば、最初にプリマの白鳥を見せてもらってもいいですか? まだソロで弾くにはいまいち像が定まらないんです。彼女の踊りから思い付ければいいと思って。」
「成程、ダンスもまた君の演奏の材料だ。いいだろう、それくらいなら向こう方も首を縦に振ってくれる筈だ。」
指揮者が考える構えを解くと、先程ぴったりと閉められた稽古場の思いドアが向こう側へ開かれた。その向こう側では、学院に所属する出演者がずらりと並んでいる。
「さ、最初は握手からだ。皆、出演者と全員ちゃんと握手するんだ!」
不揃いな肯定の返事と共に、指揮者を先頭にしてわらわらと楽団員が入っていく。どうやらダンサー達はメイクもきっちりしているらしく、化粧品の香りが降りかかかる。スパンコールの煌めくチュチュの裾をこすりながら、ジークフリートは握手を交わして前へ前へと進む。
「おっと、主役は紹介した方がいいかな?」
ふと指揮者がのけぞって、振付師の女性と向かい合わせにになる。お互いが微笑むと、ジークフリートは最後尾に並んでいた少女の顔に視線を送る。
「近衛くぐい。我が校の今年度プリンシパルです。」
「こちらはジークフリート・フォン・ヴェーラー、今回の為に特別に来てもらったコンマ……、コンサートマスターだ。」
よろしく、と手を差し出すと、近衛くぐいもまた俯きながらその手に応えた。中学生らしい細い腕と手だった。
「さて、少し相談をしてくるので皆のチューニングを終わらせておいてもらってもいいかね?」
「分かりました。」
恐らく先程ジークフリートが申し出た踊りの話だろう。ジークフリートは団員に呼びかけながら稽古場に設置されている階段席へ誘導した。
「まだ二次性徴前でオディールって、凄く難しそうですよね。」
「下世話な話するけど、そういうのを知らないだろうによく抜擢したなあって。」
ジークフリートの隣席を務める女性に肘鉄をくらい、同パートのメンバーが慌てて謝る。
「まあどつきはしましたけど確かに分かります。オデットのピュアに対して、オディールはエロティックがメインですから。いくら我々オケがエロく弾いても、ダンスがエロくないなら駄目ですよ。」
椅子に座って譜面の準備をし、冒頭の指の動きを確認する。荷が勝ち過ぎているのか、少し背が重い。そんなジークフリートを見かねて、女性は親指を上に挙げた。
「ジークフリートさんなら出来ますよ。ソロの完成、楽しみにしてますから。応援してます。」
「まだ十月末だぞ。そういうのは本番直前の台詞だろ。」
はにかむジークフリートに、女性も微笑む。彼女は前にこの楽団で世話になってからの仲だった。ストイックだが決してきついだけではない、思いやりのある人格者。コンマスの隣席を務める事の出来るレベルの実力者だ。
「皆、チューニングするぞ! オーボエは準備が出来たらよろしく!」
「了解しました!」
ジークフリートが立って声をあげると、オーボエの首席奏者が手を挙げる。慌てて譜面を出す人の動きが止まると、オーボエの音が聞こえた。ジークフリートが弓でA線を撫でると、他のメンバーもこぞってチューニングを始める。暫くして指揮者が戻ってきた頃には、既に稽古場はしんとしていた。
「取り敢えず見せてくれるそうだ。」
にっこり笑って、指揮者は譜面を熱心に覗いていた団員達の注意を、指揮棒で譜面台を叩く事で自らに集中させた。
「皆、最初はジークフリート君の依頼でオデットの踊りを見せてもらう事になった。君達はまた声をかけるまでは各々の練習に励んでいてくれ。」
ジークフリートは譜面台を少し前にずらしてダンサーの稽古場を見下ろす。指揮者もまた壇上の上で腰掛けた。
ピアノの上に置かれたラジカセの再生ボタンと早送りボタンが幾度となく押される。場面はオデット姫とジークフリート王子が初めて二人で踊る場所。オーケストラでもハープのソロからジークフリートがソロを務める第四楽章であった。
(そこのソロは余裕で弾けるんだがな。)
まさに白鳥の羽のようにすり抜けるくぐいの、脚に重なった腕を取り上げて、二人は踊り始める。王子から差し出された手に応えるようにして手を重ねて、白鳥の美姫オデットは踊りだす。擦り切れたテープから流される美しく、しかし果てしなく物悲しい白鳥の訴えの音色以上に、くぐいの踊りは物悲しかった。その腕も脚も確かにまさに鳥だ。しかしそれ以上に、恐る恐る宙に跳ね上がる腕が、恐る恐る湖の水面につこうとする脚が白鳥の恐怖を表してやまない。伴奏がピッチカートに移り変わると、オデットはより思い切りの良い、上品な踊りを始める。その羽は先よりも伸びやかに虚空へ上り、脚は雲の上を踊るように柔らかく地を滑る。やがてオデットは王子の腕を受け入れ、一人ではなく二人で踊るようになる。その腕の中に救いを乞うように、王子がオデットに合わせるのではなく、オデットが王子に支えられるのだ。カセットテープが止まると、オーケストラから、おぉ、と声が上がった。
「中学生なのにあそこまで人を魅入らせる踊りをするなんて……。」
「おったまげたなこりゃ。」
隣と後ろからそんな声がして、ジークフリートは膝についていた肘を浮かせて口元の手をどけた。指揮者が拍手を送ると、団員達もまたささやかな拍手を送る。くぐいは彼らに白鳥らしい礼をした。
「どうだね、良い参考になるかね?」
「……そう、ですね。色々家で練ってみます。」
満足げに頷いた指揮者とは裏腹に、ジークフリートは少し神妙な顔を残したままだった。
「ジークフリートさん、パンフレットって読みました?」
「いや。何でだ? 誤植でもあったか。」
団員の一人がそう話しかけると、仲の良い楽団員も耳を傾けた。
「いや、ただの話のネタなんですけど。白鳥の湖ってフィナーレがいくつかあるじゃないですか。今回のエンディング、オデットが死ぬタイプみたいで。」
「はぁ~嘘ぉ!? 原典沿いとはいえ中学生に死の演目をやらせるって鬼畜だなぁ!」
でしょー、と話を切りだした楽団員は少し哀れみを込めた瞳で相槌を打つ。
「プリマの事といえば、噂では今回のオディールのグランフェッテは三十二回って聞いたんだけどマジ?」
「三十二回転ってほぼ最大ですよね? 中学生の概念が……。」
レジェンドだ、と楽団員達が肩を震わせる中で、ジークフリートはそんな持ち切りの話題から離れて上の空であった。そんな女子相手に白鳥のソロを一人で担い切れるのだろうか、と焦燥感に駆られる。
「まあまあ。そう落ち込まずに胸を張りたまえ。まだまだ期間はたっぷりある、今日は様子見という事で。」
いつの間にか猫背になって小さくなっていた肩を突然広げられ、ジークフリートは慌てて後ろを振り返る、コンダクターがにっこりと微笑んだ。
「すいません、コンマスの僕が気弱になって。」
「初めては気弱になるさ! 問題はその後どう持ち直すかだ。」
おどけてみせる指揮者に苦笑気味に微笑み、ジークフリートは大稽古場に入って行く女性達の列を眺めた。
「そうだ、何か私に出来る事はあるかね? 少し振付師に話をしてみよう。」
きっちりと稽古場の扉が閉まると、ジークフリートは幾分背の高いコンダクターの顔を見上げる。
「もし出来れば、最初にプリマの白鳥を見せてもらってもいいですか? まだソロで弾くにはいまいち像が定まらないんです。彼女の踊りから思い付ければいいと思って。」
「成程、ダンスもまた君の演奏の材料だ。いいだろう、それくらいなら向こう方も首を縦に振ってくれる筈だ。」
指揮者が考える構えを解くと、先程ぴったりと閉められた稽古場の思いドアが向こう側へ開かれた。その向こう側では、学院に所属する出演者がずらりと並んでいる。
「さ、最初は握手からだ。皆、出演者と全員ちゃんと握手するんだ!」
不揃いな肯定の返事と共に、指揮者を先頭にしてわらわらと楽団員が入っていく。どうやらダンサー達はメイクもきっちりしているらしく、化粧品の香りが降りかかかる。スパンコールの煌めくチュチュの裾をこすりながら、ジークフリートは握手を交わして前へ前へと進む。
「おっと、主役は紹介した方がいいかな?」
ふと指揮者がのけぞって、振付師の女性と向かい合わせにになる。お互いが微笑むと、ジークフリートは最後尾に並んでいた少女の顔に視線を送る。
「近衛くぐい。我が校の今年度プリンシパルです。」
「こちらはジークフリート・フォン・ヴェーラー、今回の為に特別に来てもらったコンマ……、コンサートマスターだ。」
よろしく、と手を差し出すと、近衛くぐいもまた俯きながらその手に応えた。中学生らしい細い腕と手だった。
「さて、少し相談をしてくるので皆のチューニングを終わらせておいてもらってもいいかね?」
「分かりました。」
恐らく先程ジークフリートが申し出た踊りの話だろう。ジークフリートは団員に呼びかけながら稽古場に設置されている階段席へ誘導した。
「まだ二次性徴前でオディールって、凄く難しそうですよね。」
「下世話な話するけど、そういうのを知らないだろうによく抜擢したなあって。」
ジークフリートの隣席を務める女性に肘鉄をくらい、同パートのメンバーが慌てて謝る。
「まあどつきはしましたけど確かに分かります。オデットのピュアに対して、オディールはエロティックがメインですから。いくら我々オケがエロく弾いても、ダンスがエロくないなら駄目ですよ。」
椅子に座って譜面の準備をし、冒頭の指の動きを確認する。荷が勝ち過ぎているのか、少し背が重い。そんなジークフリートを見かねて、女性は親指を上に挙げた。
「ジークフリートさんなら出来ますよ。ソロの完成、楽しみにしてますから。応援してます。」
「まだ十月末だぞ。そういうのは本番直前の台詞だろ。」
はにかむジークフリートに、女性も微笑む。彼女は前にこの楽団で世話になってからの仲だった。ストイックだが決してきついだけではない、思いやりのある人格者。コンマスの隣席を務める事の出来るレベルの実力者だ。
「皆、チューニングするぞ! オーボエは準備が出来たらよろしく!」
「了解しました!」
ジークフリートが立って声をあげると、オーボエの首席奏者が手を挙げる。慌てて譜面を出す人の動きが止まると、オーボエの音が聞こえた。ジークフリートが弓でA線を撫でると、他のメンバーもこぞってチューニングを始める。暫くして指揮者が戻ってきた頃には、既に稽古場はしんとしていた。
「取り敢えず見せてくれるそうだ。」
にっこり笑って、指揮者は譜面を熱心に覗いていた団員達の注意を、指揮棒で譜面台を叩く事で自らに集中させた。
「皆、最初はジークフリート君の依頼でオデットの踊りを見せてもらう事になった。君達はまた声をかけるまでは各々の練習に励んでいてくれ。」
ジークフリートは譜面台を少し前にずらしてダンサーの稽古場を見下ろす。指揮者もまた壇上の上で腰掛けた。
ピアノの上に置かれたラジカセの再生ボタンと早送りボタンが幾度となく押される。場面はオデット姫とジークフリート王子が初めて二人で踊る場所。オーケストラでもハープのソロからジークフリートがソロを務める第四楽章であった。
(そこのソロは余裕で弾けるんだがな。)
まさに白鳥の羽のようにすり抜けるくぐいの、脚に重なった腕を取り上げて、二人は踊り始める。王子から差し出された手に応えるようにして手を重ねて、白鳥の美姫オデットは踊りだす。擦り切れたテープから流される美しく、しかし果てしなく物悲しい白鳥の訴えの音色以上に、くぐいの踊りは物悲しかった。その腕も脚も確かにまさに鳥だ。しかしそれ以上に、恐る恐る宙に跳ね上がる腕が、恐る恐る湖の水面につこうとする脚が白鳥の恐怖を表してやまない。伴奏がピッチカートに移り変わると、オデットはより思い切りの良い、上品な踊りを始める。その羽は先よりも伸びやかに虚空へ上り、脚は雲の上を踊るように柔らかく地を滑る。やがてオデットは王子の腕を受け入れ、一人ではなく二人で踊るようになる。その腕の中に救いを乞うように、王子がオデットに合わせるのではなく、オデットが王子に支えられるのだ。カセットテープが止まると、オーケストラから、おぉ、と声が上がった。
「中学生なのにあそこまで人を魅入らせる踊りをするなんて……。」
「おったまげたなこりゃ。」
隣と後ろからそんな声がして、ジークフリートは膝についていた肘を浮かせて口元の手をどけた。指揮者が拍手を送ると、団員達もまたささやかな拍手を送る。くぐいは彼らに白鳥らしい礼をした。
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