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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 4-4
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ふかふかとしたベッドを感じながら、目だけで上を見上げる。大きなライトブロンドのクマが、刺繍されたつぶらな黒い瞳で零を見守っていた。
「うー。」
風呂に入った記憶まではあった。という事は、湯船に浸かりながら気疲れで眠ってしまったようだ。零はゆっくりと体を起こして目を擦る。扉を閉める音が聞こえて、零は膨らんで視界を遮る羽毛布団を軽く平手で叩いた。
「おはよう御座います、よく眠れましたか?」
まだどこか上の空でぽけぽけと屋敷を見回す零に近付き、フェリクスはそのベッドに腰を下ろした。
「もう、ろちあだ!」
「はい、ロシアですよ。」
見飽きた日本の風景から様変わりした自室に零は喜んで、わーい、と手を頭の上で振った。
「ろちあのあきだ!」
「今日はお散歩しましょうね。」
零の体力が戻ってロシアに慣れれば、共にしたい事は沢山ある。しかし、まだロシアに到着して一日しか経っていないのだ。
「まずは着替えましょうか。」
「おしゃんぽ、ぃゆく!」
ベッドから飛び降りて、服を脱がせと言わんばかりに再び両手を挙げた。はいはい、と呆れたような喜ばしいような微笑みを浮かべて、フェリクスは零の白レースのパジャマを上に脱がした。
一日目の零の洋服は白いレース丸襟ブラウスに亜麻色のボレロと半ズボン、濃紺色の厚手のハイソックスに、柔らかい牛革のショートブーツだった。気の逸る零と軽い朝食を済ませて、二人は秋のロシアへ散歩に出た。
「まっきぃおだ!」
「ロシアでは、秋は黄金の秋とも言うんですよ。」
ユスポフとロマノフの邸宅の裏庭の広大な敷地には、沢山の木々が石畳に立ち並んでいた。見渡す限り、上も下も黄色、黄色、黄色。黄金といっても差支えがないほどの明るい黄だった。ロシア正教会の建物にある玉ねぎ型の屋根、クーポルを彩る金箔さえ彷彿とした。
「ろちあは、あかいのないの?」
「言われてみれば、ヨーロッパでは赤に色を変える葉はあまり見かけませんね。」
芝生の上を覆う紅葉を腕いっぱいにかき集めて、零はそれを頭の上に放って被っていた。
「ゃあ、ろちあは、もみじがいはしぁいの?」
「紅葉狩りはしませんが、きのこ狩りはしますよ。」
より紅葉を高い位置から降らそうと仰け反った零は、そのまま後ろから倒れて尻餅をついた。ふてくされたように、ぶぅ、と言って、腕に抱えていた紅葉の山を目の前に放り出した。両脇に手を入れられて抱えられると、零は足をぶらぶらさせながら漸く立ち上がる。
「きのこ、かってどーしぅの?」
「瓶に詰めて酢漬けに。冬にはつぼ焼きやマリネや色々な料理に使うんですよ。」
手を繋いで、再び閑散とした並木を歩く。遠くで馬が走っている様子が見えた。
「きのこがり、したい!」
「きのこ狩りは難しいですよ?」
零が[シシャ]ならば話は別だが、彼は今[人間]と同じ体なのだ。毒きのこに当たりでもしたら大変な事になる。最悪、待っているのは死だ。
「らぃじょぶだよ! がんばって、じゅかんみう!」
「本当ですか~?」
ほんと、ほんと、と自分を必死に守る零の姿が可愛くて、フェリクスは少しだけ声を漏らして微笑んだ。ロマノフ邸では、毎年ニコライ二世が主催しているきのこ狩りが行われている筈だ。フェリクスの元にも参加伺いが届くが、その年の気分でしたりしなかったりと様々だ。
「では、今年は僕達もしましょうか。」
「きのこがぃ? ほんと?」
両手でフェリクスが繋いでいた手を引っ張り、零は目を輝かせて再び飛び跳ねた。
「その代わり、明日からみっちりきのこ学習ですからね。」
「じっちけんしぅも、ちゃんと、してね!」
勿論です、と頷くフェリクスに、零は目元を緩めて道を走り出した。
* * *
零を寝かしつけた二日目の夜。フェリクスは腕を目一杯に持ち上げて体をほぐしながら自身の書斎から出た。一日中零にかかりきりで、自身の仕事が疎かになりがちだった。仕事をしなくていい、というのは彼にとって実に魅力的だった。融通の効かぬ子供相手であれば尚更仕事は出来なくなる。かと言って、至急の仕事を終わらせないわけにはいかない。結果、零を寝かしつけた夜にごく最小限の仕事をこなすに至っている。
(さて、明日はなんの本を――)
今日聞かせ終えた”Иван-дурак”を手に、自身の寝室に入りかけた。ドアノブに触れて、自分以外の衣擦れの音に気付く。
「……主よ?」
ぼんやりと暗い廊下の奥を見れば、可愛らしいお化けとも見える白く長いネグリジェ姿の子供が、テディベアを引きずりながらよたよたと歩み寄ってきていた。
「あぅ。」
見つかった、とばかりに目を擦っていた手を止めて、零ははた、と歩く事をやめた。
「どうしたのですか? このような時間に。」
零は少し、フェリクスが経験した中では、寝付きが悪かった。恐らく記憶を全て持ち越してきているからだろう。彼の中では、一日の過ごしかたは大人の感覚のままなのだ。しどろもどろで、あうあう、と零は頭を両手で抱えながらなにか言いあぐねていた。秋いえどロシアの夜は少し身を刺すような冷たさを内包していた。
「まずはこちらにどうぞ。冷えてしまいますから。」
寝室の扉を開けて入ると、そのローブの裾を追うように零も小走りで寝室に入ってきた。居心地悪そうな顔をしていた零を抱き上げて、フェリクスは自身のキングベッドに腰掛けた。
「さ、父親だと思ってなにを言ってもいいですからね。」
にこりと微笑むフェリクスに零は、きょとん、と丸い目で見上げていた。
「もしかして夕食が足りませんでしたか?」
「あーちがうの、ちがくて。」
手を前に突き出して、フェリクスの言葉を慌てて否定する。
「うー……、ひといでねうの、しゃびし。」
恐る恐るフェリクスの袖を握って、零は俯いた。フェリクスにはその頭にふと、垂れる黒い猫耳が見えたような気がして、その頭頂をゆっくりと何度も撫でてあげた。
「それは……成程。では、今日から私と寝ましょうか?」
申し出て、フェリクスは少し苦々しげに微笑んだ。これは仕事どころではなくなりそうだ。
「ほ、ほんとに? いーの?」
「勿論です。主が寂しい思いをして眠れないよりずっとよろしいですから。」
目を輝かせて、零は万歳のポーズをとった、小さい手が上に伸ばされる様は、本当に可愛らしい。
「さ、そうと決まれば着替えてきますから、良い子にして待っていてくださいね。」
「はぁい!」
寝室の隣にあるウォークインクローゼットへ消えたフェリクスの背中を、戻ってくるまで零は期待の視線で待っていた。
* * *
目の前に積み上げられた本を崩して、零とフェリクスはその日も繊細に描かれたきのこの図像とその短い説明書きに魅せられていた。フェリクスの屋敷にある蔵書には勿論写真付きのきのこ図鑑もあったのだが、やはり色鉛筆や水彩、油彩など、人の手によって描かれた植物というのはとても美しかった。
「わ~い、ぐろ~い。」
「カラフルですねぇ。」
所謂ボタニカルアートというものである。図鑑を一通り読んだ二人としては、もはや図鑑というより画集とか作品集とか、そんな類のものとして本を眺めていた。
「これはどうみても、たべちゃ! だめ! だね!!」
「きっと触ったら危ないですから、見つけても見るだけですよ。」
うんうんと頷きながら、零は楽しそうに色とりどりのきのこを、ページを捲って眺めていた。
「そうでした、きのこ狩りなのですが、今年も少し遅くて九月の十五日を予定しているようです。」
「じぅご? もー、しゅぐだ!」
大抵、ロシアは八月に入れば既に夏から秋の景観へ移り変わり始める。その時期にきのこ狩りをするのだが、近年は主催するニコライ二世が八月一杯まで傭兵業で海外に出ている事が多く、帰国してからの休みも含めて九月の中旬が開催日になっていた。
「みんなくゆの?」
「今年の参加リストはまだ頂いておりませんが、いつも通りピョートル大帝とエカチェリーナ女帝はいらっしゃるそうです。楽しみですね。」
エカチェリーナ二世の名前を聞いて、少し微妙な顔と声で、いえーい、と本に向けて呟いた。するとすぐに顔を上げて、零はいつの間にか右端にキープしていた厚いが小さい布張りの本をフェリクスに見せる。
「こえ! こぇもてっていーい?」
中身を見てみれば、そこには小さく描かれたきのこのボタニカルアートと、きめ細かい字で書かれた説明がずらりと載っていた。ハンディで持ち運びやすいので、きのこ狩りに持っていくつもりなのだろう。
「構いませんよ。ただし、あまり汚さないように。」
「うん!」
きのこの淡い色使いも大層気に入ったのか、フェリクスから返された本を抱きかかえて、零は大きく首を振った。
* * *
「うー。」
風呂に入った記憶まではあった。という事は、湯船に浸かりながら気疲れで眠ってしまったようだ。零はゆっくりと体を起こして目を擦る。扉を閉める音が聞こえて、零は膨らんで視界を遮る羽毛布団を軽く平手で叩いた。
「おはよう御座います、よく眠れましたか?」
まだどこか上の空でぽけぽけと屋敷を見回す零に近付き、フェリクスはそのベッドに腰を下ろした。
「もう、ろちあだ!」
「はい、ロシアですよ。」
見飽きた日本の風景から様変わりした自室に零は喜んで、わーい、と手を頭の上で振った。
「ろちあのあきだ!」
「今日はお散歩しましょうね。」
零の体力が戻ってロシアに慣れれば、共にしたい事は沢山ある。しかし、まだロシアに到着して一日しか経っていないのだ。
「まずは着替えましょうか。」
「おしゃんぽ、ぃゆく!」
ベッドから飛び降りて、服を脱がせと言わんばかりに再び両手を挙げた。はいはい、と呆れたような喜ばしいような微笑みを浮かべて、フェリクスは零の白レースのパジャマを上に脱がした。
一日目の零の洋服は白いレース丸襟ブラウスに亜麻色のボレロと半ズボン、濃紺色の厚手のハイソックスに、柔らかい牛革のショートブーツだった。気の逸る零と軽い朝食を済ませて、二人は秋のロシアへ散歩に出た。
「まっきぃおだ!」
「ロシアでは、秋は黄金の秋とも言うんですよ。」
ユスポフとロマノフの邸宅の裏庭の広大な敷地には、沢山の木々が石畳に立ち並んでいた。見渡す限り、上も下も黄色、黄色、黄色。黄金といっても差支えがないほどの明るい黄だった。ロシア正教会の建物にある玉ねぎ型の屋根、クーポルを彩る金箔さえ彷彿とした。
「ろちあは、あかいのないの?」
「言われてみれば、ヨーロッパでは赤に色を変える葉はあまり見かけませんね。」
芝生の上を覆う紅葉を腕いっぱいにかき集めて、零はそれを頭の上に放って被っていた。
「ゃあ、ろちあは、もみじがいはしぁいの?」
「紅葉狩りはしませんが、きのこ狩りはしますよ。」
より紅葉を高い位置から降らそうと仰け反った零は、そのまま後ろから倒れて尻餅をついた。ふてくされたように、ぶぅ、と言って、腕に抱えていた紅葉の山を目の前に放り出した。両脇に手を入れられて抱えられると、零は足をぶらぶらさせながら漸く立ち上がる。
「きのこ、かってどーしぅの?」
「瓶に詰めて酢漬けに。冬にはつぼ焼きやマリネや色々な料理に使うんですよ。」
手を繋いで、再び閑散とした並木を歩く。遠くで馬が走っている様子が見えた。
「きのこがり、したい!」
「きのこ狩りは難しいですよ?」
零が[シシャ]ならば話は別だが、彼は今[人間]と同じ体なのだ。毒きのこに当たりでもしたら大変な事になる。最悪、待っているのは死だ。
「らぃじょぶだよ! がんばって、じゅかんみう!」
「本当ですか~?」
ほんと、ほんと、と自分を必死に守る零の姿が可愛くて、フェリクスは少しだけ声を漏らして微笑んだ。ロマノフ邸では、毎年ニコライ二世が主催しているきのこ狩りが行われている筈だ。フェリクスの元にも参加伺いが届くが、その年の気分でしたりしなかったりと様々だ。
「では、今年は僕達もしましょうか。」
「きのこがぃ? ほんと?」
両手でフェリクスが繋いでいた手を引っ張り、零は目を輝かせて再び飛び跳ねた。
「その代わり、明日からみっちりきのこ学習ですからね。」
「じっちけんしぅも、ちゃんと、してね!」
勿論です、と頷くフェリクスに、零は目元を緩めて道を走り出した。
* * *
零を寝かしつけた二日目の夜。フェリクスは腕を目一杯に持ち上げて体をほぐしながら自身の書斎から出た。一日中零にかかりきりで、自身の仕事が疎かになりがちだった。仕事をしなくていい、というのは彼にとって実に魅力的だった。融通の効かぬ子供相手であれば尚更仕事は出来なくなる。かと言って、至急の仕事を終わらせないわけにはいかない。結果、零を寝かしつけた夜にごく最小限の仕事をこなすに至っている。
(さて、明日はなんの本を――)
今日聞かせ終えた”Иван-дурак”を手に、自身の寝室に入りかけた。ドアノブに触れて、自分以外の衣擦れの音に気付く。
「……主よ?」
ぼんやりと暗い廊下の奥を見れば、可愛らしいお化けとも見える白く長いネグリジェ姿の子供が、テディベアを引きずりながらよたよたと歩み寄ってきていた。
「あぅ。」
見つかった、とばかりに目を擦っていた手を止めて、零ははた、と歩く事をやめた。
「どうしたのですか? このような時間に。」
零は少し、フェリクスが経験した中では、寝付きが悪かった。恐らく記憶を全て持ち越してきているからだろう。彼の中では、一日の過ごしかたは大人の感覚のままなのだ。しどろもどろで、あうあう、と零は頭を両手で抱えながらなにか言いあぐねていた。秋いえどロシアの夜は少し身を刺すような冷たさを内包していた。
「まずはこちらにどうぞ。冷えてしまいますから。」
寝室の扉を開けて入ると、そのローブの裾を追うように零も小走りで寝室に入ってきた。居心地悪そうな顔をしていた零を抱き上げて、フェリクスは自身のキングベッドに腰掛けた。
「さ、父親だと思ってなにを言ってもいいですからね。」
にこりと微笑むフェリクスに零は、きょとん、と丸い目で見上げていた。
「もしかして夕食が足りませんでしたか?」
「あーちがうの、ちがくて。」
手を前に突き出して、フェリクスの言葉を慌てて否定する。
「うー……、ひといでねうの、しゃびし。」
恐る恐るフェリクスの袖を握って、零は俯いた。フェリクスにはその頭にふと、垂れる黒い猫耳が見えたような気がして、その頭頂をゆっくりと何度も撫でてあげた。
「それは……成程。では、今日から私と寝ましょうか?」
申し出て、フェリクスは少し苦々しげに微笑んだ。これは仕事どころではなくなりそうだ。
「ほ、ほんとに? いーの?」
「勿論です。主が寂しい思いをして眠れないよりずっとよろしいですから。」
目を輝かせて、零は万歳のポーズをとった、小さい手が上に伸ばされる様は、本当に可愛らしい。
「さ、そうと決まれば着替えてきますから、良い子にして待っていてくださいね。」
「はぁい!」
寝室の隣にあるウォークインクローゼットへ消えたフェリクスの背中を、戻ってくるまで零は期待の視線で待っていた。
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目の前に積み上げられた本を崩して、零とフェリクスはその日も繊細に描かれたきのこの図像とその短い説明書きに魅せられていた。フェリクスの屋敷にある蔵書には勿論写真付きのきのこ図鑑もあったのだが、やはり色鉛筆や水彩、油彩など、人の手によって描かれた植物というのはとても美しかった。
「わ~い、ぐろ~い。」
「カラフルですねぇ。」
所謂ボタニカルアートというものである。図鑑を一通り読んだ二人としては、もはや図鑑というより画集とか作品集とか、そんな類のものとして本を眺めていた。
「これはどうみても、たべちゃ! だめ! だね!!」
「きっと触ったら危ないですから、見つけても見るだけですよ。」
うんうんと頷きながら、零は楽しそうに色とりどりのきのこを、ページを捲って眺めていた。
「そうでした、きのこ狩りなのですが、今年も少し遅くて九月の十五日を予定しているようです。」
「じぅご? もー、しゅぐだ!」
大抵、ロシアは八月に入れば既に夏から秋の景観へ移り変わり始める。その時期にきのこ狩りをするのだが、近年は主催するニコライ二世が八月一杯まで傭兵業で海外に出ている事が多く、帰国してからの休みも含めて九月の中旬が開催日になっていた。
「みんなくゆの?」
「今年の参加リストはまだ頂いておりませんが、いつも通りピョートル大帝とエカチェリーナ女帝はいらっしゃるそうです。楽しみですね。」
エカチェリーナ二世の名前を聞いて、少し微妙な顔と声で、いえーい、と本に向けて呟いた。するとすぐに顔を上げて、零はいつの間にか右端にキープしていた厚いが小さい布張りの本をフェリクスに見せる。
「こえ! こぇもてっていーい?」
中身を見てみれば、そこには小さく描かれたきのこのボタニカルアートと、きめ細かい字で書かれた説明がずらりと載っていた。ハンディで持ち運びやすいので、きのこ狩りに持っていくつもりなのだろう。
「構いませんよ。ただし、あまり汚さないように。」
「うん!」
きのこの淡い色使いも大層気に入ったのか、フェリクスから返された本を抱きかかえて、零は大きく首を振った。
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