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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 4-6
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また酷い暑さの夏の昼だった。太陽の輝きを立派な金髪に受けながら、青年はサングラスの奥にある孔雀青の瞳をしかめながらその屋敷の玄関前に立った。
(冬が寒いと夏はこうなるか。)
生活必需品の類が入った荷物は既にユスポフの屋敷に収めていて、青年は片手に小さなバッグ一つという身軽な出で立ちだった。可愛らしいもぐらのキャラクターが描かれた半袖シャツの上には、夏にぴったりの涼やかな淡い青のジャケットを羽織っている。タクシーにお金を払って、青年は屋敷のベルを鳴らす。
『お待ちしておりました、ジークフリート様。』
僅かに開いた扉から、見慣れたゴーレムが顔を出す。ジークフリートは被っていたソフト帽を脱ぐと、それをゴーレムに預ける。
「今日は暑いな。」
『冷たい飲み物をご用意しております。』
こちらへ、とゴーレムが手を差し出したと同時に、上階から物が落ちる鈍い音が聞こえてきた。おまけに、甲高いとまではいかないが幼い少年の大声も聞こえていた。
(随分やんちゃしてるんだな……。)
先日、フェリクスから電話を受けたジークフリートは、リチャード一世への報告もそこそこにロシア連邦への飛行機の便を取った。大きかろうが幼かろうが、ジークフリートにとって零が零である事に変わりはない。願ってもない申し出であったし、なによりいち早く零に会いたかった。
『お電話でもお聞きかと思われますが、フェリクス様もご多忙でして。』
通された客間には、ロシア名物の飲み物クヴァスが二リットルは入るガラス瓶を満たしていた。
『寛いでお待ちください。』
素早く一礼して、ゴーレムは広い多角形の客間を去った。取り残されたジークフリートは、卵色の壁を撫でながら縦に長い窓へ目をやった。ロシアという国は、その地理的条件によって秋冬はよく取り沙汰されるが春夏はあまり注目されいない。
(凄い向日葵だな……。)
目の先には、満開の向日葵畑があった。ピョートル一世ほどの身丈がある向日葵が、さんさんと降り注ぐ日光を独り占めしようと顔を上に上にと向けている。真っ青な空と淡く輝く緑の芝生に、その黄金の花びらは輝いていた。また別の窓に首を回せば、屋敷の壁に垂れ下がるライラックの花が強い日差しを遮っていた。
「うっうー! あー!!」
色とりどりの自然に囲まれて、座る事もせずに暫く鑑賞に浸っていたジークフリートはそのくぐもった声で現実に引き戻された。扉の下半分あたりを、ばんばんと叩く音が耳に入る。夜であれば身構えていただろう。屋敷の事情を知らなければ怪奇現象と捉えられておかしくない。
(零か……。)
恐る恐る、しかし足早に扉に駆け寄って、驚かさないようにゆっくりとドアノブを回した。扉を叩いていた音がやむ。
「やっぱい~!」
扉を開けて後ずされば、小さい影がジークフリートにぴょんと飛びついてきた。
「じーくだ! いーう!」
「久し振りだなぁ、元気にしてたか?」
幼い零にどう接していいかタクシーの中で永遠と悩んでいたジークフリートだったが、実際会ってみればそんな悩みは吹き飛んだ。ジークフリートは客観的に自分を見て思った。この対応は、生前、数多くいた弟達への接し方と同じだ。
「げんき! ぃーくは?」
「元気だったぞ~。」
まだ膝丈にも届かない零の体をひょいと抱き上げて、ジークフリートは手近にあったダイニングチェアに身を埋めた。
「じーく、なにちにきたの?」
「ん、それはなぁ――」
丸い目で不思議そうにジークフリートの顔を伺う幼い零を見て、ジークフリートはにっこり微笑んだ。ゆっくりと扉が開く。
「申し訳ありません、少しお話してから主に会ってもらうつもりだったのですが。」
眉を下げて苦笑するフェリクスに、ジークフリートは笑って息を溢した。既に話の通じているような二人を見て、仲間外れのように感じたのか零は両方の口端を下げた。
「ひみち? ひみちじゅりゅいよ、おせてよ!」
ぐいぐいとジークフリートのジャケットの合わせを引っ張り、眉を寄せる。それがなんとも可愛くて、ジークフリートは零の頭を撫でた。
「今日から、ジークフリートさんにはこちらに住んで主のお世話を助けて頂こうと思いまして。」
「う?」
隣の席に座って、フェリクスはクヴァスを注いだグラスをジークフリートに渡した。氷に入ったそれは、まるで風鈴のような軽やかで高い音色を発する。
「じーく、こえかやいっょ?」
「ずっと一緒にいるからな。沢山遊ぼうな。」
不思議そうにじろじろとジークフリートの顔を色んな角度で眺め回すと、零の顔は次第に明るくなって大きく頷いた。
「あしょぶ!」
手を上げて、零はジークフリートの膝の上でジャンプして見せた。
「喜んで頂けたようで嬉しいです。」
フェリクスに頭を撫でられて、零は気持ち良さそうに目を瞑った。その様子がどうも子猫のようで、ジークフリートは微笑む。
「ふぇいくしゅも、ちゃんといっしょにあしょべう?」
「勿論です。僕が仕事を終わらせたら午後は三人で遊びましょうね。」
やった、と手を上げて零はジークフリートの長い脚を伝ってずるずると床に降り立った。
「さあジークフリートさん。長旅でお疲れでしょうからまずはお風呂へ――」
「おふりょ! いっちょに、はいう!」
立ち上がったジークフリートのスラックスを両手で握りしめて、零は飛び上がる。きらきらと目を輝かせて返事を待っていた。
「いけませんよ、今はお一人でゆっくり浸かっていただかないと。」
「えーっ!」
がっかりしたように声を上げて、零は肩を落とすと共にスラックスからも手を離した。しょぼくれて口を尖らす零に二人は目を合わせた。甘えん坊だなあ、とジークフリートは零の前に膝をついて目線を同じ高さにする。
「……夜は一緒に入ろうか、な?」
「ほんと?」
首は項垂れたまま、上目遣いの零にジークフリートは優しい兄のように微笑む。
「ほんとだ。」
「えへへ、やくしょくだよ。」
差し出された零の小さな小指に、ジークフリートは一瞬戸惑いながら自分の長い小指を出した。そういえば、生前零から一番最初に習った約束の呪文だった。指と指を絡めて、零は無邪気に、そして満足げに笑った。
「じーくはやさしーから、はりしぇんぼんものまなくていーよっ。」
指切りを終えると、零はとたとたと部屋を出ていった。
「つい先程まで積み木で遊んでおりまして。片付けもそこそこに来てしまったので。」
「あの音はじゃあ、それが崩れた音か。」
悲惨でした、とフェリクスはハンカチで目元を拭ってみせた。どうやら、零は椅子から飛び降りたようで、その衝動で積み木のタワーが崩れたらしい。
「零はやんちゃなのか?」
「そうですね、やんちゃですそれはもう。汚したり色々口に入れたりはしないのですが……なんと言いましょうか、実に活発で。」
全面に出た好奇心、子供にのみ許される行動だ。ジークフリートは部屋に案内されると、一度会釈をしてそこに入った。生活に必要なものは一通り揃っていた。それなりに容量のある箪笥、広めの三面鏡、ダブルのベッドと、その隣には大きな姿見が壁にかけてあった。
「綺麗な部屋だな。」
「えぇ、暫く使っていなかったので少し掃除させて頂きました。」
紺碧のベットシート、家具全てに施された大輪の牡丹と尾羽の美しい孔雀の象眼細工。
(少し掃除……?)
埃一つどころか、そこには一切の傷も解れもない。どう考えても、ジークが来る事を考えて誂えられた物だ。
「本当にえらく綺麗だな。」
箪笥の隣には、ジークフリートが先に送っていた生活必需品の類を入れた箱が置いてあった。箪笥はきちんと全て空っぽだ。
「バスタブはお隣にあります。終わったら玄関ホールにいらして下さいね。ごゆっくり。」
頭を下げて部屋を退出したフェリクスを見て、ジークフリートはトランクケースを開けた。
(入るか。)
隣に続く扉を開けると、湯気が湿気をまといながらジークフリートの顔に襲いかかってきた。素早くジャケットやスラックスをベッドに放って、泡がふんだんに浮かぶバスタブに脚を入れる。座って、そのカーブに合わせて背中を落ち着けた。こうして普通の生活をする人間のようにバスタブに浸かるなどいつぶりだろう。少なくとも、数年はシャワーだけで済ませていた。
「はあ。」
大きなため息を一つ放てば、バスルームに響き渡った。タイルも全て変えたばかりなのか、美しい青藍が、青みがかったホワイトの艶やかなタイルの一帯を落ち着かせていた。ぼんやりと空中に立ち込める湯気を見上げた。試験にかける為に、ジークフリートは他の[聖騎士]達と共に、目的地までの指環の運搬をずっと行なっていた。時には、それを取り返す為にアーサー王側からゴーレムが送られ、それを破壊して回る事も仕事だった。仲間達とはすぐに打ち解けられた。しかし、その殺伐とした任務のせいで、どこかに疲労が蓄積していたのは明らかだった。今日、幼い零に会うまで心の奥底が氷で凍てついた気分であった。目を瞑って暫く頭からシャワーヘッドが降らす雨を浴びていると、遠くからなにかを叩く音がした。平たいもので扉を叩く音だ。ジークフリートにあてがわれた寝室の扉が叩かれていた。ジークフリートはシャワーを止めてバスタブから体を引き上げた。鏡面の前に置いてあったふわふわのバスタオルを巻いて外に出ると、扉の音がやむ。
(さては零だな?)
フェリクスが部屋の前からいなくなったのを見計らって来たのだろう。呆れた笑いを浮かべながら扉に近付く。
「あ~。」
「一緒に入りたいのか?」
こくこく、と零はまだ大きな頭を二度縦に振った。
「はいって、いいの?」
「別にいいぞ。でもちゃんと服は脱げよ?」
と言ってみたが、零は自分の服装を眺めてジークフリートを見上げた。女の子のような、白いレースのワンピース、下にはドロワーズを履いて、スカートを膨らませる為に何層も布が重なっていた。
(いつの時代だ!?)
ジークフリートは零の脇に手を入れて持ち上げると、まだ一度も使っていないベッドに下ろした。
「これはフェリクスが選んだのか?」
「うん! ふいふい、かわいい!」
そうか、とジークフリートは笑った。男がレースを纏う事に関しては、ジークフリートも他の人間より寛容であった。というのも、彼らが生きていたロココ時代では男性が女性化したとも言われる時代だった。襟も袖も、様々なところがレースで縁取られ、服の色も女性を彩るドレスとそう大差なかった。
「でも、どーちて、すかーとなのかな。」
「それはな、ヨーロッパの風習だ。」
零は首を傾げた。ペチコートを脱がされる前に、白い柔らかな屋内用のバレエシューズを放った。
「強い男の子が魔物に襲われないように弱い女の子に見せるっていうのがあってだな。」
「ふぅん。」
下着一枚になった零は足に引っかかったペチコートを床に放り投げて、僅かに空いたバスルームへの扉へ走っていった。
「走るなよ、危ないぞ。」
「あうぅ。」
危うく床の大理石で足を滑らせそうになった零を支えて、ジークフリートはほっと一息ついた。
「だから言っただろ。ほら、入るぞ。」
「あわあわ、だ!」
先程のように脇から持ち上げて、脚をぶらぶらさせる零を泡だらけのバスタブに突っ込んだ。
「こないだはね! ここなつぅの、かおりがするあわだっ、た!」
「ココナッツか、いい香りだったろ。」
頷いて、零は泡の下のお湯を跳ねさせた。ジークフリートの入っている泡風呂は大して香りはしなかった。ただ、若干垂らされただろう香油の香りだけは僅かに感じられる。
「じーく、いそがちくないの?」
暫く遊んでいた零は、その手をぱたりと止めて、膝に乗せてくれているジークフリートを見上げた。
「忙しいぞ。毎日な。」
「……どーちて?」
どうして忙しいのか、ではなく、忙しいのにどうして来たのか、であった。ジークフリートは、濡れないように零の髪の毛に乾いたタオルを巻いた。
「フェリクスに指名されたんだ。彼も忙しいから、僕に零の世話の助けをしてほしいって。」
「えー! おせわ、いらないよ!」
ぶんぶん腕を回す零は、心配そうにジークフリートを見上げた。体は子供とはいえ、頭も記憶もそのままだった。ジークフリートがメンバーに穴を空けることは大きな損失となる事が、零には分かっているのだ。
「でもやってみないと分からないだろ?」
零に世話がいるのか、ジークフリートがいなくても任務続行は可能なのか。全て、行ってみなければ分からない。ご最もな意見に、零は口を尖らせて俯いた。
「僕と生活するのは嫌か?」
「やじゃない!」
両手の拳を振って力説する零に、ジークフリートは、よしよし、と笑った。零の体温が上がってきたところで、ジークフリートは彼をまた、入れた時のようにバスタブから上げた。水はけのよい場所で泡を落とし、バスマットにつれていく。
「う……あのにぇあのね。」
バスタオルで腰の辺りを拭っていると、零がなにかを気にしたようにその辺りに視線を持っていった。
「どうした? 痛かったか?」
「ちがうの。」
下腹の少し下をぱしぱしと二度叩いて、零はしゃがんでいるジークフリートを見上げた。
「おちんちんないの。」
驚いて、しかししげしげ見るのも気恥ずかしくて、ジークフリートの行動は視線を落とすにとどまった。真に受けかけて、零に限ってそのようなわけがない、とジークフリートは我に返った。
「きっとそのうち大きくなるさ。」
不安げな零は、もう一度自分の股間に視線を落として、立ち上がったジークフリートの整った顎を見上げた。
「ほんと?」
「ほんとだ。」
にっこりと微笑んだジークフリートが手を素早く握ったり開いたりすると、零はその手を繋いで共にバスルームを出た。
(冬が寒いと夏はこうなるか。)
生活必需品の類が入った荷物は既にユスポフの屋敷に収めていて、青年は片手に小さなバッグ一つという身軽な出で立ちだった。可愛らしいもぐらのキャラクターが描かれた半袖シャツの上には、夏にぴったりの涼やかな淡い青のジャケットを羽織っている。タクシーにお金を払って、青年は屋敷のベルを鳴らす。
『お待ちしておりました、ジークフリート様。』
僅かに開いた扉から、見慣れたゴーレムが顔を出す。ジークフリートは被っていたソフト帽を脱ぐと、それをゴーレムに預ける。
「今日は暑いな。」
『冷たい飲み物をご用意しております。』
こちらへ、とゴーレムが手を差し出したと同時に、上階から物が落ちる鈍い音が聞こえてきた。おまけに、甲高いとまではいかないが幼い少年の大声も聞こえていた。
(随分やんちゃしてるんだな……。)
先日、フェリクスから電話を受けたジークフリートは、リチャード一世への報告もそこそこにロシア連邦への飛行機の便を取った。大きかろうが幼かろうが、ジークフリートにとって零が零である事に変わりはない。願ってもない申し出であったし、なによりいち早く零に会いたかった。
『お電話でもお聞きかと思われますが、フェリクス様もご多忙でして。』
通された客間には、ロシア名物の飲み物クヴァスが二リットルは入るガラス瓶を満たしていた。
『寛いでお待ちください。』
素早く一礼して、ゴーレムは広い多角形の客間を去った。取り残されたジークフリートは、卵色の壁を撫でながら縦に長い窓へ目をやった。ロシアという国は、その地理的条件によって秋冬はよく取り沙汰されるが春夏はあまり注目されいない。
(凄い向日葵だな……。)
目の先には、満開の向日葵畑があった。ピョートル一世ほどの身丈がある向日葵が、さんさんと降り注ぐ日光を独り占めしようと顔を上に上にと向けている。真っ青な空と淡く輝く緑の芝生に、その黄金の花びらは輝いていた。また別の窓に首を回せば、屋敷の壁に垂れ下がるライラックの花が強い日差しを遮っていた。
「うっうー! あー!!」
色とりどりの自然に囲まれて、座る事もせずに暫く鑑賞に浸っていたジークフリートはそのくぐもった声で現実に引き戻された。扉の下半分あたりを、ばんばんと叩く音が耳に入る。夜であれば身構えていただろう。屋敷の事情を知らなければ怪奇現象と捉えられておかしくない。
(零か……。)
恐る恐る、しかし足早に扉に駆け寄って、驚かさないようにゆっくりとドアノブを回した。扉を叩いていた音がやむ。
「やっぱい~!」
扉を開けて後ずされば、小さい影がジークフリートにぴょんと飛びついてきた。
「じーくだ! いーう!」
「久し振りだなぁ、元気にしてたか?」
幼い零にどう接していいかタクシーの中で永遠と悩んでいたジークフリートだったが、実際会ってみればそんな悩みは吹き飛んだ。ジークフリートは客観的に自分を見て思った。この対応は、生前、数多くいた弟達への接し方と同じだ。
「げんき! ぃーくは?」
「元気だったぞ~。」
まだ膝丈にも届かない零の体をひょいと抱き上げて、ジークフリートは手近にあったダイニングチェアに身を埋めた。
「じーく、なにちにきたの?」
「ん、それはなぁ――」
丸い目で不思議そうにジークフリートの顔を伺う幼い零を見て、ジークフリートはにっこり微笑んだ。ゆっくりと扉が開く。
「申し訳ありません、少しお話してから主に会ってもらうつもりだったのですが。」
眉を下げて苦笑するフェリクスに、ジークフリートは笑って息を溢した。既に話の通じているような二人を見て、仲間外れのように感じたのか零は両方の口端を下げた。
「ひみち? ひみちじゅりゅいよ、おせてよ!」
ぐいぐいとジークフリートのジャケットの合わせを引っ張り、眉を寄せる。それがなんとも可愛くて、ジークフリートは零の頭を撫でた。
「今日から、ジークフリートさんにはこちらに住んで主のお世話を助けて頂こうと思いまして。」
「う?」
隣の席に座って、フェリクスはクヴァスを注いだグラスをジークフリートに渡した。氷に入ったそれは、まるで風鈴のような軽やかで高い音色を発する。
「じーく、こえかやいっょ?」
「ずっと一緒にいるからな。沢山遊ぼうな。」
不思議そうにじろじろとジークフリートの顔を色んな角度で眺め回すと、零の顔は次第に明るくなって大きく頷いた。
「あしょぶ!」
手を上げて、零はジークフリートの膝の上でジャンプして見せた。
「喜んで頂けたようで嬉しいです。」
フェリクスに頭を撫でられて、零は気持ち良さそうに目を瞑った。その様子がどうも子猫のようで、ジークフリートは微笑む。
「ふぇいくしゅも、ちゃんといっしょにあしょべう?」
「勿論です。僕が仕事を終わらせたら午後は三人で遊びましょうね。」
やった、と手を上げて零はジークフリートの長い脚を伝ってずるずると床に降り立った。
「さあジークフリートさん。長旅でお疲れでしょうからまずはお風呂へ――」
「おふりょ! いっちょに、はいう!」
立ち上がったジークフリートのスラックスを両手で握りしめて、零は飛び上がる。きらきらと目を輝かせて返事を待っていた。
「いけませんよ、今はお一人でゆっくり浸かっていただかないと。」
「えーっ!」
がっかりしたように声を上げて、零は肩を落とすと共にスラックスからも手を離した。しょぼくれて口を尖らす零に二人は目を合わせた。甘えん坊だなあ、とジークフリートは零の前に膝をついて目線を同じ高さにする。
「……夜は一緒に入ろうか、な?」
「ほんと?」
首は項垂れたまま、上目遣いの零にジークフリートは優しい兄のように微笑む。
「ほんとだ。」
「えへへ、やくしょくだよ。」
差し出された零の小さな小指に、ジークフリートは一瞬戸惑いながら自分の長い小指を出した。そういえば、生前零から一番最初に習った約束の呪文だった。指と指を絡めて、零は無邪気に、そして満足げに笑った。
「じーくはやさしーから、はりしぇんぼんものまなくていーよっ。」
指切りを終えると、零はとたとたと部屋を出ていった。
「つい先程まで積み木で遊んでおりまして。片付けもそこそこに来てしまったので。」
「あの音はじゃあ、それが崩れた音か。」
悲惨でした、とフェリクスはハンカチで目元を拭ってみせた。どうやら、零は椅子から飛び降りたようで、その衝動で積み木のタワーが崩れたらしい。
「零はやんちゃなのか?」
「そうですね、やんちゃですそれはもう。汚したり色々口に入れたりはしないのですが……なんと言いましょうか、実に活発で。」
全面に出た好奇心、子供にのみ許される行動だ。ジークフリートは部屋に案内されると、一度会釈をしてそこに入った。生活に必要なものは一通り揃っていた。それなりに容量のある箪笥、広めの三面鏡、ダブルのベッドと、その隣には大きな姿見が壁にかけてあった。
「綺麗な部屋だな。」
「えぇ、暫く使っていなかったので少し掃除させて頂きました。」
紺碧のベットシート、家具全てに施された大輪の牡丹と尾羽の美しい孔雀の象眼細工。
(少し掃除……?)
埃一つどころか、そこには一切の傷も解れもない。どう考えても、ジークが来る事を考えて誂えられた物だ。
「本当にえらく綺麗だな。」
箪笥の隣には、ジークフリートが先に送っていた生活必需品の類を入れた箱が置いてあった。箪笥はきちんと全て空っぽだ。
「バスタブはお隣にあります。終わったら玄関ホールにいらして下さいね。ごゆっくり。」
頭を下げて部屋を退出したフェリクスを見て、ジークフリートはトランクケースを開けた。
(入るか。)
隣に続く扉を開けると、湯気が湿気をまといながらジークフリートの顔に襲いかかってきた。素早くジャケットやスラックスをベッドに放って、泡がふんだんに浮かぶバスタブに脚を入れる。座って、そのカーブに合わせて背中を落ち着けた。こうして普通の生活をする人間のようにバスタブに浸かるなどいつぶりだろう。少なくとも、数年はシャワーだけで済ませていた。
「はあ。」
大きなため息を一つ放てば、バスルームに響き渡った。タイルも全て変えたばかりなのか、美しい青藍が、青みがかったホワイトの艶やかなタイルの一帯を落ち着かせていた。ぼんやりと空中に立ち込める湯気を見上げた。試験にかける為に、ジークフリートは他の[聖騎士]達と共に、目的地までの指環の運搬をずっと行なっていた。時には、それを取り返す為にアーサー王側からゴーレムが送られ、それを破壊して回る事も仕事だった。仲間達とはすぐに打ち解けられた。しかし、その殺伐とした任務のせいで、どこかに疲労が蓄積していたのは明らかだった。今日、幼い零に会うまで心の奥底が氷で凍てついた気分であった。目を瞑って暫く頭からシャワーヘッドが降らす雨を浴びていると、遠くからなにかを叩く音がした。平たいもので扉を叩く音だ。ジークフリートにあてがわれた寝室の扉が叩かれていた。ジークフリートはシャワーを止めてバスタブから体を引き上げた。鏡面の前に置いてあったふわふわのバスタオルを巻いて外に出ると、扉の音がやむ。
(さては零だな?)
フェリクスが部屋の前からいなくなったのを見計らって来たのだろう。呆れた笑いを浮かべながら扉に近付く。
「あ~。」
「一緒に入りたいのか?」
こくこく、と零はまだ大きな頭を二度縦に振った。
「はいって、いいの?」
「別にいいぞ。でもちゃんと服は脱げよ?」
と言ってみたが、零は自分の服装を眺めてジークフリートを見上げた。女の子のような、白いレースのワンピース、下にはドロワーズを履いて、スカートを膨らませる為に何層も布が重なっていた。
(いつの時代だ!?)
ジークフリートは零の脇に手を入れて持ち上げると、まだ一度も使っていないベッドに下ろした。
「これはフェリクスが選んだのか?」
「うん! ふいふい、かわいい!」
そうか、とジークフリートは笑った。男がレースを纏う事に関しては、ジークフリートも他の人間より寛容であった。というのも、彼らが生きていたロココ時代では男性が女性化したとも言われる時代だった。襟も袖も、様々なところがレースで縁取られ、服の色も女性を彩るドレスとそう大差なかった。
「でも、どーちて、すかーとなのかな。」
「それはな、ヨーロッパの風習だ。」
零は首を傾げた。ペチコートを脱がされる前に、白い柔らかな屋内用のバレエシューズを放った。
「強い男の子が魔物に襲われないように弱い女の子に見せるっていうのがあってだな。」
「ふぅん。」
下着一枚になった零は足に引っかかったペチコートを床に放り投げて、僅かに空いたバスルームへの扉へ走っていった。
「走るなよ、危ないぞ。」
「あうぅ。」
危うく床の大理石で足を滑らせそうになった零を支えて、ジークフリートはほっと一息ついた。
「だから言っただろ。ほら、入るぞ。」
「あわあわ、だ!」
先程のように脇から持ち上げて、脚をぶらぶらさせる零を泡だらけのバスタブに突っ込んだ。
「こないだはね! ここなつぅの、かおりがするあわだっ、た!」
「ココナッツか、いい香りだったろ。」
頷いて、零は泡の下のお湯を跳ねさせた。ジークフリートの入っている泡風呂は大して香りはしなかった。ただ、若干垂らされただろう香油の香りだけは僅かに感じられる。
「じーく、いそがちくないの?」
暫く遊んでいた零は、その手をぱたりと止めて、膝に乗せてくれているジークフリートを見上げた。
「忙しいぞ。毎日な。」
「……どーちて?」
どうして忙しいのか、ではなく、忙しいのにどうして来たのか、であった。ジークフリートは、濡れないように零の髪の毛に乾いたタオルを巻いた。
「フェリクスに指名されたんだ。彼も忙しいから、僕に零の世話の助けをしてほしいって。」
「えー! おせわ、いらないよ!」
ぶんぶん腕を回す零は、心配そうにジークフリートを見上げた。体は子供とはいえ、頭も記憶もそのままだった。ジークフリートがメンバーに穴を空けることは大きな損失となる事が、零には分かっているのだ。
「でもやってみないと分からないだろ?」
零に世話がいるのか、ジークフリートがいなくても任務続行は可能なのか。全て、行ってみなければ分からない。ご最もな意見に、零は口を尖らせて俯いた。
「僕と生活するのは嫌か?」
「やじゃない!」
両手の拳を振って力説する零に、ジークフリートは、よしよし、と笑った。零の体温が上がってきたところで、ジークフリートは彼をまた、入れた時のようにバスタブから上げた。水はけのよい場所で泡を落とし、バスマットにつれていく。
「う……あのにぇあのね。」
バスタオルで腰の辺りを拭っていると、零がなにかを気にしたようにその辺りに視線を持っていった。
「どうした? 痛かったか?」
「ちがうの。」
下腹の少し下をぱしぱしと二度叩いて、零はしゃがんでいるジークフリートを見上げた。
「おちんちんないの。」
驚いて、しかししげしげ見るのも気恥ずかしくて、ジークフリートの行動は視線を落とすにとどまった。真に受けかけて、零に限ってそのようなわけがない、とジークフリートは我に返った。
「きっとそのうち大きくなるさ。」
不安げな零は、もう一度自分の股間に視線を落として、立ち上がったジークフリートの整った顎を見上げた。
「ほんと?」
「ほんとだ。」
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彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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