神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 4-29

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玄関ホールで踏ん反り返っている三つの影を見て、零は思わず口をついた。

「やっぱヤクザじゃないですか!」

「おー来た来た、待ちくたびれたぞ悠樹の。」

完全にソファーに埋もれている三人に、零は半眼になった。あろう事か全員スーツを誂えてやってきた。

「これから行くのはクラブでもなんでもないんですよ上様!」

「別に構わんではないか~。中々外に出る事もないので気張って選んでしまってな、ははは!」

じろり、と零は矢桐の顔に視線を移したが、矢桐は苦笑いをするだけでなにも言わなかった。彼の出世スキルの一つだろう。面倒な事は言わぬが花である。

「……で、人間界にはここからどうやって?」

「こっちだ。」

紺色のダブルスーツの上から黒いウールのロングコートを着込んでいた歳三は、その裾を翻しながら三人の先頭を歩いた。玄関ホールの左の扉に大股で歩み寄り、手に持っていた小さな鍵を、ドアノブに手をかけながら回した。

「この先からはもう境界が曖昧な場所です。[妖界]でもあり、人間界でもある。ですが、この先の屋敷を抜ければ——」

「そこはもう人間界だ。故に悠樹の、一つ忠告しておく。」

吉宗は零を見下ろした。しかしそれは睨むでもなく威嚇でもなく、厳格な瞳の奥には労わりの眼差しがあった。

「くれぐれも我々から離れようと思うなよ。今、お前はあちら方に狙われており、それに対抗する術など持たぬことをゆめ忘れるな。」

吉宗はするりと零から視線を移した。四人は既に、鍵のかかっていた扉の向こうの、廃屋のような小さな家にいた。玄関に向かう吉宗の広い背中を見つめていると、後ろから矢桐の声がした。

「我々は貴方の味方です。吉宗公はそれを伝えたかったのかと。」

にこり、と微笑む矢桐に、零は少し意外な印象を受けた。が、彼の本性はそれなのだろう。清張は時々彼の事を意地悪だと称していたようだが、その姿は微塵もない。

「えぇ分かっています。上様はいつもそういうお方でしたから。」

零は矢桐と肩を揃えて二人の後を追った。ガラスの割れた玄関扉を開ければ、目の前は小高い丘を囲む森だった。

「失礼ですが矢桐さんの生前は?」

「自分ですか。明治期、日露戦争で陸軍の指揮していました。で、死にました。ははは。」

やるせないなあ、と矢桐はうなじを揉みながら笑った。少し引きつった笑みを浮かべる零に矢桐は弁解する。

「いやあすみません。正直自分は、あそこで死んで良かったなんて思ってますから。妻と子供を残した事だけは後悔しています。ですが、それ以上に大戦を体験しなかった事に心から安堵しているんですよ……結局の所、この世界で見る羽目にはなったのですが。」

視点が違いますしね、と付け加えて、矢桐は森の中へ入った。棒立ちになっていた零も慌ててそれに続く。

「暗い話はやめましょうか。そろそろ来そうだ。」

人間界は夜だった。きっと友人達も同じ空を見ているのだろう、と零は思った。しかしその空に想いを馳せる間もなく、ぱきっと木の枝を踏みしめる音が聞こえた。

「狼の遠吠えが聞こえるな。」

「いや御上、遠吠えではないでしょう。」

全員が刀に手をかけていたが、鯉口を最初に切ったのは歳三だった。凄まじい速さで前衛にいた吉宗と歳三の目の前を黒い影が横切った。

「っ図体ばかりでかいかと思っていたのだが……!」

次に三人が同時に抜刀した。四人の間を鹿のように抜けていき、森の闇に紛れる。

「本当にあいつなのか!?  俺の時はもっとのろまだったぞ!」

「だからおかしくなってんですよ、来ます!」

まるで暴れ馬だった。四人にはその表現が実にしっくりきた。矢桐が声を上げた途端に、まさに零と彼の背後にその黒い影は現れた。大きさはレイが会った時から既に巨大だったが、今はその三倍は大きくなっていた。もう森に生えっぱなしの木と同じくらいだった。

(言葉も喋れない、か。)

狼の遠吠えに聞こえたものは、この物の怪の鳴き声だった。その鳴き声はジェット機のエンジン音かと思うほどの轟音だった。

「歳!」

「先手必勝!!」

軽々と、歳三は根だらけの地面を蹴って物の怪のてっぺんに飛び上がった。やすやすとその背中のような場所に刀を突き立てれば、大仰に物の怪は暴れた。

「振り落とされるなよ、土方君!」

「それは無理な相談で……っ!」

暴れる物の怪を御しきれず、歳三は太刀を突き刺したまま地面に膝をついて着地した。

「取り敢えず動きを封じましょう、話はそれからだ。」

零と柏葉は漸く刀を構えた。先陣を切ってくれた歳三のおかげで、物の怪の動きが分かるようになったのだ。歳三も、腰に差した脇差に手をかける。

「上様は計画通り、結界の維持をお願い致します!」

「あい分かった、気を付けて行けよ。」

根と根の間に吉宗が刀を突き刺すと、ヴン、という音と共に森の全域に結界が作動した。

「いざ!!」

掛け声と共に、零は根を蹴った。力技なら歳三が上、狡猾さなら矢桐の刀に任せるべきだと零は彼らの太刀筋で感じ取った。ならば、自分は敏腕性を活かして囮となるのが最善策である。

(っ速い!)

図体のわりに、零の脚を物の怪は確かに捉えていた。骨ばった鳥のような四つ足をばたつかせながら、必死に零の体を地面に叩き付けようとする。急ブレーキを足でかけて、零は物の怪の方向を振り返った。刀を振り上げる。派手に玉鋼が音を鳴らした。

「そういう、パワー型には、対応して……ねぇんだわ!」

鋼のように硬い脚を振り切って、零は後退する。物の怪の動きが鈍くなった。

「土方さん!」

「分ぁってる!」

再び、歳三は見事に跳躍して背中に刺さったままの刀を抜いた。物の怪が再び叫び声を上げる。しかし、それは確かに、言葉を発していた。矢桐と零の手元が鈍る。

(今痛いって……?)

「悠樹の、横だ!」

先程弾き返した脚が、痛みに悶えて振り上げられた。刀で防御を施したものの、思い切り近くの大木に打ち付けられる。

「っ……げほ。」

若干血混じりの唾液が口端に飛んだ。

『い、タい……いタい、ヨ。』

四人は脚に力が入らずに地面にのたうちまわる物の怪を見上げた。

「吉宗公、物の怪が言葉を喋れるという話は?」

「いや、聞いた事がない。我々が心に触れて感情を読み取ろうとしなければ話し合いは出来ない筈だ。」

ならばなぜ、と矢桐は吉宗から視線を逸らした。

「何が……何があったんだ?」

そもそも物の怪とは概念の集合体でしかない。それがこれほどまでに確固たる統一された意思を持ち、かつ言語か出来るという知的行動を取れた事が驚きであった。

『い、ジ、ラレタ……。』

「いじられた……?」

痛みが和らいで、零は地面に突き刺した刀を抜いた。

「なににいじられたんだ、どういう風に。」

『お、トコノヒト。コワカッタ。』

零は物の怪の体越しに吉宗に視線を送った。そのまま会話を続けろ、と吉宗は頷く。

「……俺の事は覚えてるか?」

「おニいチャン。おボえテル。』

ついに零は刀を仕舞った。錯乱状態と同じような状況にあったのだろう。今の物の怪は酷く落ち着いていた。

「男の人はお前達になにをしたんだ。」

『カラダ、いジッテキタ。キモチワルカッタ。』

矢桐もまた、会話を聞きながら刀を納めた。

「どうして喋れるようになったんだ。」

『ワカラナい。おトコノヒト、ガ、いジッテ、カラ。」

物の怪が力なく脚を上げた。絶えず話しかけてくる零に少しでも近付こうとして、体を引きずる。

「男の人は何か言ってたか?」

『ジッケンダカラッテいッテタ。』

実験、と吉宗は口を動かした。物の怪の黒い体の破片が、風ではらはらと空へ舞った。

「名前は? 男の人の名前だ。」

『ワカラナい。デモ、トッテモ——』

一層強い冬の風が木々に残っていた葉を舞い上げた。その続きは零にしか聞こえなかったが、零が瞬間に瞠目した事だけは、矢桐には見えていた。零は唾を飲み込んだ。そして、鞘を握っていた手で、物の怪の体を撫でた。

「お前達をお空に送らなきゃいけないんだ。」

『おソラ、ハ、コワクナい?』

それは、零にさえ分からない次元だった。

「……仲間が沢山いるよ。」

ずしん、と地震とも取れる地響きが丘に響いた。ついぞ物の怪の脚に力が入らなくなって、体を地面に横たえたのである。

『ナラ、あンシン。』

寂しげに笑う零を見届けて、物の怪は動かなくなった。零はその体が完全に塵となって空へ飛び立っていくまで、ただただそれを見送っていた。



零を先に自室に返して、吉宗は一人で旅館の最上階を目指していた。矢桐と歳三は共に人間界の居酒屋へ飲みに行った。

「吉宗です。」

「どうぞ。」

西訛りの許可が下りると、吉宗は襖を開けて一礼した。

「どうやったん?」

「確かにこれを。既に使い物には……ならんでしょうが。」

内ポケットから丁寧に畳まれた風呂敷を取り出すと、吉宗はそれを逸叡の前に広げてみせた。

「他になにかあったかいな。」

粉々になった白銀の環を、逸叡は真っ白な布越しに摘んで蝋燭の明かりに照らした。

「はい、物の怪は男に実験と称して体をいじられたと言っておりました。あそこまで言語が達者なのは前代未聞、恐らくは——」

「実験のせい、か……。ほんで、その男の仔細は?」

座したまま、吉宗は逸叡ににじりよった。

「風の音で確かには聞けませんでしたが、悠樹の倅の口元を読んだばかりでは、とても長い黒髪の男だと思われます。心当たりは……御座いますか?」

首飾りの端切れを放り投げて、逸叡は肩を落とした。またしてもあの男か、それとも、全くの別人なのか。逸叡はお化けのように手を上げて、吉宗に払った。

「もう休んだらええ。ご苦労。」

「失礼致しました。」

吉宗の姿を見送る気力はなかった。逸叡は、風呂敷越しに首飾りを撫でながらいつぞやの記憶の中のバスカヴィルを思い出す他なかった。
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