神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

文字の大きさ
266 / 271
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 4-30

しおりを挟む
いくどとなく聞いた激しいノックが玄関の扉を襲った。グリゴーリーは、その日のロシアの新聞を乱雑に畳んで暖炉の中に放り投げると、面倒臭そうに机から足を下ろした。

「何用だ。」

扉を開ければ、案の定アーサー王が立っていた。いつも連れている護衛のゴーレムはいなかった。

「これを渡しに来た。最後の誠意を見せてもらおうか。」

マントに隠れていた腕が持ち上がり、握り拳がグリゴーリーの前で開かれる。するり、とヴァーガンディ色のベルベットの包みが滑り落ちた。

「……誠意、というと?」

「とぼけるな。お前が零を攫って匿い、私の存ぜぬ所でなにかを仕掛けているのは知っているぞ。」

グリゴーリーの前に差し出されたのは黄金の指環だ。息を呑んでそれを見つめ続けるグリゴーリーに、アーサー王は続けた。

「チャンスをやろう。三日後、敵方を目的地におびき出し、零に暗示をかけて奴らと戦わせろ。彼らが暗示のかかっている間に奪い返す事が出来たなら、お前の今までの行動を全て不問に処す。だが、もし彼らが零を奪還出来なければ——」

そのアーサー王の呼吸がいかに長く聞こえたか、グリゴーリーには考えたくもなかった。

「お前が零を殺せ。」

* * *

討伐の次の日、零は急遽グリゴーリーの家へ帰る事となった。特に荷物もなく、急な事で見送りもなく、共に湖のほとりまで来てくれたのは逸叡と葵だけだった。

「狸の皮とか、色々ありがとう御座いました。」

「ええんやええんや、討伐の為にも色々必要やったしな。」

逸叡から借り受けたものは、全て妖界に置いてきた。今の零の手には、行きに使っていたランタン一つだけが吊り下げられている。

「一週間ほどでしたが、楽しかったでしょうか?」

「えぇまあ……そうですね、とても楽しかったです。」

この一週間、なにも子供達とばかり遊んでいたわけではなかった。吉宗が色々な人に零について話していたおかげで、だれもが知っているような日本の人物と茶を嗜み、刀を交え、花を見る事も多くあった。中には、零が顔も見た事がなかった親戚達についてよく知っている人物と話す事もあった。

「楽しかったですが……やはりここは夢幻の世界だ。」

「そうやろうな。だれにとっても、ここはそういう所や。」

短い夢でした、と零は微笑んだ。逸叡もまた微笑んで、零に手を差し出した。

「また苦しゅうてどうしょうもない時には訪れはって下さいな。出来る限り力になりますわ。」

「ありがとう御座います。では、またいずれ。」

二人は握手を交わした。今にも綻びそうな握手だった。しかし、それよりも言霊のほうが大切だった。逸叡の申し出が、今の零にとっては十分過ぎる程の好意の表れであった。零は背中を向けた。一歩を湖に歩き出そうとして、ふと思い出したように振り返った。

「逸叡さん、いいですか? ちょっとだけ。」

「どうしたんや? 忘れもんやろか。」

閉じた扇子でペチペチと自身の唇を軽く叩きながら、逸叡は首を傾げた。少し戸惑った後、零は体を横に向けた。

「バスカヴィルに……最近、会いましたか?」

細い瞳を更に細める。逸叡は扇子を動かす手を止めた。

「それを聞いて、なんになりますやろか。」

逸叡は分かっていた。零が言っているのは大川照子が死んだあの日、逸叡がバスカヴィルと言葉を交わした事だ。零は微動だにせずに逸叡の続く言葉を待った。湿った風が、すすきを揺らす。

「……あんさんのところでどういう扱いになってるんかはわいは知りまへんが……、あの男には気い付けやぁ零はん。わいらが知らん事を知っとるゆう事は、つまりあれも同じもんを見て、別ん所から情報をもろてるいう事や。」

「……例えば。」

唾を飲み込んで、零は逸叡の顔に視線を据えた。

「あの銀の首飾り、あれはあらゆる概念を継ぐ事の出来る力を持つ。あの男はわいにおうた時そう教えてくれたんや。つまり——」

風が止んだ。先まで聞こえていた虫の音も、今はもうない。

「それが。大川照子が、あの大川周明の血族であるちゅう証拠や。」

零は背中を向けて歩き出した。今度は後ろを振り向かない。逸叡がその背中をじっと見届けていると、葵が狩衣の裾を握ってくる。

「ご覧下さい逸叡様、この湖に蛍が。」

「おぉ、久しゅう見とらんかったなあ。」

気付けばすだち色の明かりが、湖面を流れていく。零の背中は、その明かりに紛れて消えていった。

* * *

机に拳を叩きつける音が執務室に響いた。ROSEAの円卓の間で、その場にいた全員の顔が硬直した。

「リチャード、取り敢えず落ち着いて——」

「落ち着けると思うのか!?」

零が誘拐されて以降、足取りが掴めずに苦戦していた彼らは、今一通の手紙を睨んでいた。

「確実に相手方の……グリゴーリー・ラスプーチンの筆跡だな。」

リチャード一世の斜め後ろから手をついて、フィリップ二世は手紙を取り上げた。

『この手紙を受けて三日後の夜、以下の地点に来られたし。』

鼻を鳴らして、フィリップ二世は円卓に手紙を放り投げた。指定された地点を調べれば、シベリアにあるツンドラの一角だった。

「行くに越したはねぇが全員で行くにはぁってお前手紙をぐしゃぐしゃにすんじゃねぇ!」

「五月蝿い!そもそも貴様が仮面舞踏会になんぞ行かせなければこんな事にはならなかったんだぞ!!」

握り潰された手紙をジャンへ放って、リチャード一世の怒声をまともに受けないようにフィリップ二世は両耳を塞いだ。

「うーるっせぇのはそっちだろーが!あのなぁ!あいつを一人で帰らせたのはルプレヒトのおっさんだろ!? 責めるならあっちを責めろよ!!」

そうは言ったものの、責任を取るべきだと言われた当の本人の姿はそこにはない。まだ彼の耳に手紙の話は入れていないからだ。

「兎にも角にも、我が君がいらっしゃる可能性が高い今、最優先にするべきは編成を練る事です。」

「そうだリチャード、それの最終決定をするのはお前の仕事だぞ。」

円卓の上に置かれたもう一枚の紙、ツンドラに向かわせる人員のメモを、フィリップ二世は人差し指でとんとんと叩いた。

「零は本気でかかってくると怖いぞ。一番怖い。」

「ならお前も行け。ジャン、お前の意見も聞きたい。」

空中投影ディスプレイを眺めていたジャンは、編成の詳細を渡されて我に返った。

「そうだなあ……俺はジークフリートも必要だと思う。あとニッキー。……それと、くどいようだけど、ルプレヒトさんも。」

名前の羅列に、ジャンはボールペンで丸をつけた。

「ジークフリートは正々堂々、他は騙し討ち。後は?」

フィリップ二世のコメントが終わると、ジャンは手を組んだまま難しい顔でディスプレイを見つめているリチャード一世に視線を送った。

「無論私も行く。」

「それでいいと思う。他は後ろで待機させておこう。ROSEAにはすぐに帰れるようにヘリか……転送でもいいけど。」

返答はどこからもなかった。極力音を鳴らさないように紙とボールペンを置くと、ジャンはリチャード一世の肩に手を置いた。

「ずっと考え事してるけど、何を考えてるの?」

「……果たしてこれがグリゴーリーの本意であるのか否か、だ。」

難しそうに眉を寄せて、ジャンはフィリップ二世に視線を逸らした。リチャード一世が見ているのは、グリゴーリーの行動パターンを記したデータだ。

「あの男には何名かが鉢合わせている。だが、決定的に危害を与えに来た形跡は一切ない。あるとすれば、帝國だけだ。」

「成程、戦馬鹿にしては随分といい推測だ。俺もそう思う。」

フィリップ二世はディスプレイをスクロールさせて、そのデータを流し見た。

「背後でだれかが指揮してるとして、俺の見立てでそれに該当するのはアーサー王ただ一人だ。」

「ごめん、農民出身の俺でもよく分かるように簡潔に言ってほしい。」

ディスプレイから指を離して、フィリップ二世は姿勢を正した。

「アーサーの最終目的は一つ。世界を滅ぼす事だ。そんで、その障壁になるのは実質零ただ一人と見える。要するに、この作戦であいつは零を殺させようとするだろう。」

アイスブルーの瞳がきらりと光った。

「向こう側は持久戦で戦いを持ち込んでくる。なら、こちらは出来る限り短い時間で零を奪還しなければならない。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん
ファンタジー
ブラック企業で心をすり減らし過労死した俺が、異世界で手にしたのは『ポイント』を貯めてあらゆるものと交換できるスキルだった。 「今度こそ、誰にも搾取されないスローライフを送る!」 そう誓い、辺境の村で農業を始めたはずが、飢饉に苦しむ人々を見過ごせない。前世の知識とポイントで交換した現代の調味料で「奇跡のプリン」を生み出し、村を救った功績は、やがて王都の知るところとなる。 これは、ポイント稼ぎに執着する元社畜が、温かい食卓を夢見るうちに、うっかり世界の謎と巨大な悪意に立ち向かってしまう物語。最強農民の異世界改革、ここに開幕! 毎日二話更新できるよう頑張ります!

『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

断罪後のモブ令息、誰にも気づかれずに出奔する

まる
ファンタジー
断罪後のモブ令息が誰にも気づかれないよう出奔して幸せを探す話

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...