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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 4-30
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いくどとなく聞いた激しいノックが玄関の扉を襲った。グリゴーリーは、その日のロシアの新聞を乱雑に畳んで暖炉の中に放り投げると、面倒臭そうに机から足を下ろした。
「何用だ。」
扉を開ければ、案の定アーサー王が立っていた。いつも連れている護衛のゴーレムはいなかった。
「これを渡しに来た。最後の誠意を見せてもらおうか。」
マントに隠れていた腕が持ち上がり、握り拳がグリゴーリーの前で開かれる。するり、とヴァーガンディ色のベルベットの包みが滑り落ちた。
「……誠意、というと?」
「とぼけるな。お前が零を攫って匿い、私の存ぜぬ所でなにかを仕掛けているのは知っているぞ。」
グリゴーリーの前に差し出されたのは黄金の指環だ。息を呑んでそれを見つめ続けるグリゴーリーに、アーサー王は続けた。
「チャンスをやろう。三日後、敵方を目的地におびき出し、零に暗示をかけて奴らと戦わせろ。彼らが暗示のかかっている間に奪い返す事が出来たなら、お前の今までの行動を全て不問に処す。だが、もし彼らが零を奪還出来なければ——」
そのアーサー王の呼吸がいかに長く聞こえたか、グリゴーリーには考えたくもなかった。
「お前が零を殺せ。」
* * *
討伐の次の日、零は急遽グリゴーリーの家へ帰る事となった。特に荷物もなく、急な事で見送りもなく、共に湖のほとりまで来てくれたのは逸叡と葵だけだった。
「狸の皮とか、色々ありがとう御座いました。」
「ええんやええんや、討伐の為にも色々必要やったしな。」
逸叡から借り受けたものは、全て妖界に置いてきた。今の零の手には、行きに使っていたランタン一つだけが吊り下げられている。
「一週間ほどでしたが、楽しかったでしょうか?」
「えぇまあ……そうですね、とても楽しかったです。」
この一週間、なにも子供達とばかり遊んでいたわけではなかった。吉宗が色々な人に零について話していたおかげで、だれもが知っているような日本の人物と茶を嗜み、刀を交え、花を見る事も多くあった。中には、零が顔も見た事がなかった親戚達についてよく知っている人物と話す事もあった。
「楽しかったですが……やはりここは夢幻の世界だ。」
「そうやろうな。だれにとっても、ここはそういう所や。」
短い夢でした、と零は微笑んだ。逸叡もまた微笑んで、零に手を差し出した。
「また苦しゅうてどうしょうもない時には訪れはって下さいな。出来る限り力になりますわ。」
「ありがとう御座います。では、またいずれ。」
二人は握手を交わした。今にも綻びそうな握手だった。しかし、それよりも言霊のほうが大切だった。逸叡の申し出が、今の零にとっては十分過ぎる程の好意の表れであった。零は背中を向けた。一歩を湖に歩き出そうとして、ふと思い出したように振り返った。
「逸叡さん、いいですか? ちょっとだけ。」
「どうしたんや? 忘れもんやろか。」
閉じた扇子でペチペチと自身の唇を軽く叩きながら、逸叡は首を傾げた。少し戸惑った後、零は体を横に向けた。
「バスカヴィルに……最近、会いましたか?」
細い瞳を更に細める。逸叡は扇子を動かす手を止めた。
「それを聞いて、なんになりますやろか。」
逸叡は分かっていた。零が言っているのは大川照子が死んだあの日、逸叡がバスカヴィルと言葉を交わした事だ。零は微動だにせずに逸叡の続く言葉を待った。湿った風が、すすきを揺らす。
「……あんさんのところでどういう扱いになってるんかはわいは知りまへんが……、あの男には気い付けやぁ零はん。わいらが知らん事を知っとるゆう事は、つまりあれも同じもんを見て、別ん所から情報をもろてるいう事や。」
「……例えば。」
唾を飲み込んで、零は逸叡の顔に視線を据えた。
「あの銀の首飾り、あれはあらゆる概念を継ぐ事の出来る力を持つ。あの男はわいにおうた時そう教えてくれたんや。つまり——」
風が止んだ。先まで聞こえていた虫の音も、今はもうない。
「それが。大川照子が、あの大川周明の血族であるちゅう証拠や。」
零は背中を向けて歩き出した。今度は後ろを振り向かない。逸叡がその背中をじっと見届けていると、葵が狩衣の裾を握ってくる。
「ご覧下さい逸叡様、この湖に蛍が。」
「おぉ、久しゅう見とらんかったなあ。」
気付けばすだち色の明かりが、湖面を流れていく。零の背中は、その明かりに紛れて消えていった。
* * *
机に拳を叩きつける音が執務室に響いた。ROSEAの円卓の間で、その場にいた全員の顔が硬直した。
「リチャード、取り敢えず落ち着いて——」
「落ち着けると思うのか!?」
零が誘拐されて以降、足取りが掴めずに苦戦していた彼らは、今一通の手紙を睨んでいた。
「確実に相手方の……グリゴーリー・ラスプーチンの筆跡だな。」
リチャード一世の斜め後ろから手をついて、フィリップ二世は手紙を取り上げた。
『この手紙を受けて三日後の夜、以下の地点に来られたし。』
鼻を鳴らして、フィリップ二世は円卓に手紙を放り投げた。指定された地点を調べれば、シベリアにあるツンドラの一角だった。
「行くに越したはねぇが全員で行くにはぁってお前手紙をぐしゃぐしゃにすんじゃねぇ!」
「五月蝿い!そもそも貴様が仮面舞踏会になんぞ行かせなければこんな事にはならなかったんだぞ!!」
握り潰された手紙をジャンへ放って、リチャード一世の怒声をまともに受けないようにフィリップ二世は両耳を塞いだ。
「うーるっせぇのはそっちだろーが!あのなぁ!あいつを一人で帰らせたのはルプレヒトのおっさんだろ!? 責めるならあっちを責めろよ!!」
そうは言ったものの、責任を取るべきだと言われた当の本人の姿はそこにはない。まだ彼の耳に手紙の話は入れていないからだ。
「兎にも角にも、我が君がいらっしゃる可能性が高い今、最優先にするべきは編成を練る事です。」
「そうだリチャード、それの最終決定をするのはお前の仕事だぞ。」
円卓の上に置かれたもう一枚の紙、ツンドラに向かわせる人員のメモを、フィリップ二世は人差し指でとんとんと叩いた。
「零は本気でかかってくると怖いぞ。一番怖い。」
「ならお前も行け。ジャン、お前の意見も聞きたい。」
空中投影ディスプレイを眺めていたジャンは、編成の詳細を渡されて我に返った。
「そうだなあ……俺はジークフリートも必要だと思う。あとニッキー。……それと、くどいようだけど、ルプレヒトさんも。」
名前の羅列に、ジャンはボールペンで丸をつけた。
「ジークフリートは正々堂々、他は騙し討ち。後は?」
フィリップ二世のコメントが終わると、ジャンは手を組んだまま難しい顔でディスプレイを見つめているリチャード一世に視線を送った。
「無論私も行く。」
「それでいいと思う。他は後ろで待機させておこう。ROSEAにはすぐに帰れるようにヘリか……転送でもいいけど。」
返答はどこからもなかった。極力音を鳴らさないように紙とボールペンを置くと、ジャンはリチャード一世の肩に手を置いた。
「ずっと考え事してるけど、何を考えてるの?」
「……果たしてこれがグリゴーリーの本意であるのか否か、だ。」
難しそうに眉を寄せて、ジャンはフィリップ二世に視線を逸らした。リチャード一世が見ているのは、グリゴーリーの行動パターンを記したデータだ。
「あの男には何名かが鉢合わせている。だが、決定的に危害を与えに来た形跡は一切ない。あるとすれば、帝國だけだ。」
「成程、戦馬鹿にしては随分といい推測だ。俺もそう思う。」
フィリップ二世はディスプレイをスクロールさせて、そのデータを流し見た。
「背後でだれかが指揮してるとして、俺の見立てでそれに該当するのはアーサー王ただ一人だ。」
「ごめん、農民出身の俺でもよく分かるように簡潔に言ってほしい。」
ディスプレイから指を離して、フィリップ二世は姿勢を正した。
「アーサーの最終目的は一つ。世界を滅ぼす事だ。そんで、その障壁になるのは実質零ただ一人と見える。要するに、この作戦であいつは零を殺させようとするだろう。」
アイスブルーの瞳がきらりと光った。
「向こう側は持久戦で戦いを持ち込んでくる。なら、こちらは出来る限り短い時間で零を奪還しなければならない。」
「何用だ。」
扉を開ければ、案の定アーサー王が立っていた。いつも連れている護衛のゴーレムはいなかった。
「これを渡しに来た。最後の誠意を見せてもらおうか。」
マントに隠れていた腕が持ち上がり、握り拳がグリゴーリーの前で開かれる。するり、とヴァーガンディ色のベルベットの包みが滑り落ちた。
「……誠意、というと?」
「とぼけるな。お前が零を攫って匿い、私の存ぜぬ所でなにかを仕掛けているのは知っているぞ。」
グリゴーリーの前に差し出されたのは黄金の指環だ。息を呑んでそれを見つめ続けるグリゴーリーに、アーサー王は続けた。
「チャンスをやろう。三日後、敵方を目的地におびき出し、零に暗示をかけて奴らと戦わせろ。彼らが暗示のかかっている間に奪い返す事が出来たなら、お前の今までの行動を全て不問に処す。だが、もし彼らが零を奪還出来なければ——」
そのアーサー王の呼吸がいかに長く聞こえたか、グリゴーリーには考えたくもなかった。
「お前が零を殺せ。」
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「狸の皮とか、色々ありがとう御座いました。」
「ええんやええんや、討伐の為にも色々必要やったしな。」
逸叡から借り受けたものは、全て妖界に置いてきた。今の零の手には、行きに使っていたランタン一つだけが吊り下げられている。
「一週間ほどでしたが、楽しかったでしょうか?」
「えぇまあ……そうですね、とても楽しかったです。」
この一週間、なにも子供達とばかり遊んでいたわけではなかった。吉宗が色々な人に零について話していたおかげで、だれもが知っているような日本の人物と茶を嗜み、刀を交え、花を見る事も多くあった。中には、零が顔も見た事がなかった親戚達についてよく知っている人物と話す事もあった。
「楽しかったですが……やはりここは夢幻の世界だ。」
「そうやろうな。だれにとっても、ここはそういう所や。」
短い夢でした、と零は微笑んだ。逸叡もまた微笑んで、零に手を差し出した。
「また苦しゅうてどうしょうもない時には訪れはって下さいな。出来る限り力になりますわ。」
「ありがとう御座います。では、またいずれ。」
二人は握手を交わした。今にも綻びそうな握手だった。しかし、それよりも言霊のほうが大切だった。逸叡の申し出が、今の零にとっては十分過ぎる程の好意の表れであった。零は背中を向けた。一歩を湖に歩き出そうとして、ふと思い出したように振り返った。
「逸叡さん、いいですか? ちょっとだけ。」
「どうしたんや? 忘れもんやろか。」
閉じた扇子でペチペチと自身の唇を軽く叩きながら、逸叡は首を傾げた。少し戸惑った後、零は体を横に向けた。
「バスカヴィルに……最近、会いましたか?」
細い瞳を更に細める。逸叡は扇子を動かす手を止めた。
「それを聞いて、なんになりますやろか。」
逸叡は分かっていた。零が言っているのは大川照子が死んだあの日、逸叡がバスカヴィルと言葉を交わした事だ。零は微動だにせずに逸叡の続く言葉を待った。湿った風が、すすきを揺らす。
「……あんさんのところでどういう扱いになってるんかはわいは知りまへんが……、あの男には気い付けやぁ零はん。わいらが知らん事を知っとるゆう事は、つまりあれも同じもんを見て、別ん所から情報をもろてるいう事や。」
「……例えば。」
唾を飲み込んで、零は逸叡の顔に視線を据えた。
「あの銀の首飾り、あれはあらゆる概念を継ぐ事の出来る力を持つ。あの男はわいにおうた時そう教えてくれたんや。つまり——」
風が止んだ。先まで聞こえていた虫の音も、今はもうない。
「それが。大川照子が、あの大川周明の血族であるちゅう証拠や。」
零は背中を向けて歩き出した。今度は後ろを振り向かない。逸叡がその背中をじっと見届けていると、葵が狩衣の裾を握ってくる。
「ご覧下さい逸叡様、この湖に蛍が。」
「おぉ、久しゅう見とらんかったなあ。」
気付けばすだち色の明かりが、湖面を流れていく。零の背中は、その明かりに紛れて消えていった。
* * *
机に拳を叩きつける音が執務室に響いた。ROSEAの円卓の間で、その場にいた全員の顔が硬直した。
「リチャード、取り敢えず落ち着いて——」
「落ち着けると思うのか!?」
零が誘拐されて以降、足取りが掴めずに苦戦していた彼らは、今一通の手紙を睨んでいた。
「確実に相手方の……グリゴーリー・ラスプーチンの筆跡だな。」
リチャード一世の斜め後ろから手をついて、フィリップ二世は手紙を取り上げた。
『この手紙を受けて三日後の夜、以下の地点に来られたし。』
鼻を鳴らして、フィリップ二世は円卓に手紙を放り投げた。指定された地点を調べれば、シベリアにあるツンドラの一角だった。
「行くに越したはねぇが全員で行くにはぁってお前手紙をぐしゃぐしゃにすんじゃねぇ!」
「五月蝿い!そもそも貴様が仮面舞踏会になんぞ行かせなければこんな事にはならなかったんだぞ!!」
握り潰された手紙をジャンへ放って、リチャード一世の怒声をまともに受けないようにフィリップ二世は両耳を塞いだ。
「うーるっせぇのはそっちだろーが!あのなぁ!あいつを一人で帰らせたのはルプレヒトのおっさんだろ!? 責めるならあっちを責めろよ!!」
そうは言ったものの、責任を取るべきだと言われた当の本人の姿はそこにはない。まだ彼の耳に手紙の話は入れていないからだ。
「兎にも角にも、我が君がいらっしゃる可能性が高い今、最優先にするべきは編成を練る事です。」
「そうだリチャード、それの最終決定をするのはお前の仕事だぞ。」
円卓の上に置かれたもう一枚の紙、ツンドラに向かわせる人員のメモを、フィリップ二世は人差し指でとんとんと叩いた。
「零は本気でかかってくると怖いぞ。一番怖い。」
「ならお前も行け。ジャン、お前の意見も聞きたい。」
空中投影ディスプレイを眺めていたジャンは、編成の詳細を渡されて我に返った。
「そうだなあ……俺はジークフリートも必要だと思う。あとニッキー。……それと、くどいようだけど、ルプレヒトさんも。」
名前の羅列に、ジャンはボールペンで丸をつけた。
「ジークフリートは正々堂々、他は騙し討ち。後は?」
フィリップ二世のコメントが終わると、ジャンは手を組んだまま難しい顔でディスプレイを見つめているリチャード一世に視線を送った。
「無論私も行く。」
「それでいいと思う。他は後ろで待機させておこう。ROSEAにはすぐに帰れるようにヘリか……転送でもいいけど。」
返答はどこからもなかった。極力音を鳴らさないように紙とボールペンを置くと、ジャンはリチャード一世の肩に手を置いた。
「ずっと考え事してるけど、何を考えてるの?」
「……果たしてこれがグリゴーリーの本意であるのか否か、だ。」
難しそうに眉を寄せて、ジャンはフィリップ二世に視線を逸らした。リチャード一世が見ているのは、グリゴーリーの行動パターンを記したデータだ。
「あの男には何名かが鉢合わせている。だが、決定的に危害を与えに来た形跡は一切ない。あるとすれば、帝國だけだ。」
「成程、戦馬鹿にしては随分といい推測だ。俺もそう思う。」
フィリップ二世はディスプレイをスクロールさせて、そのデータを流し見た。
「背後でだれかが指揮してるとして、俺の見立てでそれに該当するのはアーサー王ただ一人だ。」
「ごめん、農民出身の俺でもよく分かるように簡潔に言ってほしい。」
ディスプレイから指を離して、フィリップ二世は姿勢を正した。
「アーサーの最終目的は一つ。世界を滅ぼす事だ。そんで、その障壁になるのは実質零ただ一人と見える。要するに、この作戦であいつは零を殺させようとするだろう。」
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