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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)
Verse 4-31
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寝室の固いソファーで眠っていたルプレヒトは、突然肩を揺すられて目を覚ました。人の形を取った番犬が、ルプレヒトの素顔を覗いている。
「ご主人、来客です。」
「ブリッツ……だれだ。」
ブリッツと呼ばれたシルバーの髪の青年は、来客の名前を言わずに顔だけで後ろを振り返った。ルプレヒトは起き上がる。もう随分と長い事家の中で過ごしていた。
「……ソロモン。」
「ここに入ってよいか? それともリビングルームのほうが都合がいいか。」
今のルプレヒトの直属の上司は[冥王]であるソロモンだった。ルプレヒトは起き上がると、ブリッツに対してリビングへ案内するよう命じた。ソファーの背の上にある背の高い窓を振り返る。暗雲が立ち込め、今にも雪が降りそうな気温だった。心の憂鬱さが増していく。床に放り投げてあった眼帯をつけると、しわになってしまったワイシャツやスラックスのなにもかもを脱いで、ブリッツが用意してくれたのであろうベッドの上の洋服を着た。リビングルームへ降りる足取りさえ重い。零が行方不明になってから孤独感が膨れ上がっていた。
「お待たせ致しました。」
憎まれ口を叩く気力など枯渇を通り越して干上がっている。ルプレヒトのやつれようは、あまり言葉を交わす事のないソロモン王でさえよく分かった。
「あー……そのような姿のお前に鞭打つのは酷く心が痛むのだが——」
「要件を手短に言え。」
ブリッツが出してきたコーヒーカップを手に、ソロモンはその姿さえ視界に入れようとしないルプレヒトに仰々しいため息を吐いた。
「今日、至急の命が下った。リチャードの下に一通の手紙が。敵方が指定の地点に三日後の夜に来いとの旨を伝えてきた。」
漸く、ルプレヒトはソロモンの顔を見た。俯いたままだが、その飢えた狼のようなぎらついた眼光を確かにソロモンは見とめた。
「零が来るかは定かでない。だが、来る可能性が高いだろう。」
ジャケットから、ソロモンは紙を一枚取り出した。力強いサインで、リチャード一世の名前が施されている。
「指名だ。今すぐに準備を整え、大至急ROSEAに向かえ。」
* * *
リチャード一世は、雪景色の日本を車窓から眺めていた。前には、手袋をした史興が座って運転手を務めている。
「最近の日本は寒いのか?」
「そうですね、近頃雪が多くなった気がします。」
交通量の多い大通りを曲がって、住宅地の立ち並ぶ細めの道路に出た。車の速度が落ちる。暫く走れば、悠樹の表札が見えた。
「ここで降りますか? それとも車庫で?」
「いや、ここでいい。ありがとう。」
自動でドアが開くと、リチャードはダークブラウンの革靴で薄っすらと足跡の残る車道へ降りた。玄関へ続く道の門は開いていた。軋んだ音が寂しく響く。背後でクラウンが走り去っていくと、リチャード一世は悠樹邸の玄関のベルを鳴らした。
「はい。今出ます。」
軽やかな女性の声と共に、引き戸が開いた。リチャード一世の姿を見ると、薄桃色の着物を着た継子が頭を下げる。
「遠路はるばるご足労をおかけして……。」
「いえ、礼には及びません。私の大切な友人ですから。」
雪を払いのけて、リチャード一世は靴と同じ色のソフト帽を脱いで胸に当てた。継子はもう一度目を伏せて頭を下げると、どうぞこちらへ、と玄関に腕を差し伸べた。
「主人を呼んで参ります、こちらでお待ち下さい。」
革靴を脱いで、リチャード一世は示された客間へ向かった。そこに座って、開け放たれた障子から見える庭を見た。色がない、白黒の庭だ。リチャード一世の座る場所からでは椿さえ見えなかった。やがて春には花を咲かせ、桜の薄い桃色が一面を覆うのだろう。しかし、今のリチャード一世にはその来たる春へ思いを馳せる余裕も持ち合わせてはいなかった。
「失礼します。」
清張が客間に足を踏み入れた。リチャード一世は、斜め前に体ごと向けて会釈をした。
「急な要件で申し訳ない。」
「いえ、倅の事ですので。大したものも出せませんが。」
座布団に落ち着くと、清張は継子が置いていった湯呑みを握り締めた。
「それで、お聞きしたい事とはどのような事でしょうが。」
一度湯呑みの上澄みをすすって、リチャード一世は急な長旅の疲れを少しだけ癒した。
「ご子息の刀の技について、お聞きしたい。」
「……短所を申し上げろと、そういう事でしょうか。」
日本の冬を前にして、リチャード一世の赤混じりの金髪さえ褪せて見えた。イングランドの王が頷くと、清張は参ったとばかりにため息を吐いた。
「実の所を申しますと、自分は親からきちんと受け継ぐ前に死に別れました。故に自身の太刀筋さえ全く分析をかけられておりません。」
話には聞いていたが、リチャード一世はやはり空振りに終わったか、とばかりに肩を落とした。
「……ですが我が家代々伝わる刀技に共通しているのは一つ。必ず敵には三度刀を振る事です。」
「三度? それはなぜ。」
清張は湯呑みを口から離した。
「相手が誠に殺すに足りうる相手かを見極める為。一度目は敵の技量を知り、二度目は殺しに値するかを図る。そのどちらも、答えが否であれば我が家では刀を収めます。」
成程、とリチャード一世は唇だけを動かした。
「倅だけの短所を挙げるなら、あれは斬るより突くに主体を置いた振り方をします。喉か心臓を一突き。一撃必殺ですが、避けやすい太刀筋でもある。あの速ささえ見切る事が出来れば。もしくは……。」
その大きなため息で、清張は俯いた。
「捨て身で行くしかありますまい。」
零がもしただの[人間]であれば、それも可能であっただろう。いくら剣撃が素早くとも、体に突き刺して捉えてしまえば一瞬だけでも動きを封じる事が出来る。だが、彼の肉体が[人間]であっても、その本質が[神]である事に変わりはない。例えリチャード一世であったとしても、あの刀に急所を突かれれば忽ち骸と化してしまう。リチャード一世は目の前にある湯呑みを凝視した。何人たりとも死者など出したくないし、それは零もまた同じ事だ。最善は尽くさなくてはならない。
「リチャード殿。」
緑色の水面を見つめていたリチャード一世が顔を上げた時には、既に清張は腰を曲げて、額を床につけんばかりに頭を下げていた。
「倅を、どうかよろしくお願い致します。」
その言葉の重さがいかようなものか、リチャード一世は奥歯を噛み締めた。
* * *
帰ってから三日間、グリゴーリーの態度は以前より随分と素っ気なかった。零は何度か問い質したが、そんな事はない、とグリゴーリーは顔を背けるばかりだった。
「ラスプーチン、寝ないのか?」
四日目もそんな調子で一日が終わろうとしていた。グリゴーリーはその日は特に調子が悪そうだった。ただでさえ少なめの口数は更に減り、いつもの尊大な雰囲気もなりを潜めていた。
「ああ、少しやる事があってな。」
いつものように風呂に入ろうとして、零はタオルかけに干してあったバスタオルやフェイスタオルを腕に抱えてバスルームに持っていく。
「じゃあお風呂入るから。」
「あぁ。……待て、そこに座れ。」
バスルームへ向かおうとした零の背中に振り返ってグリゴーリーはベッドを指差した。服を脱ごうとしていた零は怪訝そうな顔で後ろ歩きで戻ってくる。
「なんだよ唐突に。」
「いいから座れ。」
たくし上げていた布を渋々と元に戻して、零はベッドカバーで整えられた布団の上に腰掛けた。
「零、いいか。今から私が言う事をよく聞いておけ。」
「ん? うん。」
疑いのない垂れ目がグリゴーリーの顔を写した。
「零、お前は今から私の言う事全てに従え。」
顔を上げさせ、じっとガーネット色の瞳を覗き込む。零の視界に今写っているのは、グリゴーリーの青白くぎらぎらとした瞳だけだ、その鮮烈さだけを脳に焼き付けられ、零は一瞬で思考を奪われた。
「私が殺せと言ったら、目の前にいる者を、全て……殺しに行け。」
既に零の目には、一切の感情もなかった。
* * *
「ご主人、来客です。」
「ブリッツ……だれだ。」
ブリッツと呼ばれたシルバーの髪の青年は、来客の名前を言わずに顔だけで後ろを振り返った。ルプレヒトは起き上がる。もう随分と長い事家の中で過ごしていた。
「……ソロモン。」
「ここに入ってよいか? それともリビングルームのほうが都合がいいか。」
今のルプレヒトの直属の上司は[冥王]であるソロモンだった。ルプレヒトは起き上がると、ブリッツに対してリビングへ案内するよう命じた。ソファーの背の上にある背の高い窓を振り返る。暗雲が立ち込め、今にも雪が降りそうな気温だった。心の憂鬱さが増していく。床に放り投げてあった眼帯をつけると、しわになってしまったワイシャツやスラックスのなにもかもを脱いで、ブリッツが用意してくれたのであろうベッドの上の洋服を着た。リビングルームへ降りる足取りさえ重い。零が行方不明になってから孤独感が膨れ上がっていた。
「お待たせ致しました。」
憎まれ口を叩く気力など枯渇を通り越して干上がっている。ルプレヒトのやつれようは、あまり言葉を交わす事のないソロモン王でさえよく分かった。
「あー……そのような姿のお前に鞭打つのは酷く心が痛むのだが——」
「要件を手短に言え。」
ブリッツが出してきたコーヒーカップを手に、ソロモンはその姿さえ視界に入れようとしないルプレヒトに仰々しいため息を吐いた。
「今日、至急の命が下った。リチャードの下に一通の手紙が。敵方が指定の地点に三日後の夜に来いとの旨を伝えてきた。」
漸く、ルプレヒトはソロモンの顔を見た。俯いたままだが、その飢えた狼のようなぎらついた眼光を確かにソロモンは見とめた。
「零が来るかは定かでない。だが、来る可能性が高いだろう。」
ジャケットから、ソロモンは紙を一枚取り出した。力強いサインで、リチャード一世の名前が施されている。
「指名だ。今すぐに準備を整え、大至急ROSEAに向かえ。」
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リチャード一世は、雪景色の日本を車窓から眺めていた。前には、手袋をした史興が座って運転手を務めている。
「最近の日本は寒いのか?」
「そうですね、近頃雪が多くなった気がします。」
交通量の多い大通りを曲がって、住宅地の立ち並ぶ細めの道路に出た。車の速度が落ちる。暫く走れば、悠樹の表札が見えた。
「ここで降りますか? それとも車庫で?」
「いや、ここでいい。ありがとう。」
自動でドアが開くと、リチャードはダークブラウンの革靴で薄っすらと足跡の残る車道へ降りた。玄関へ続く道の門は開いていた。軋んだ音が寂しく響く。背後でクラウンが走り去っていくと、リチャード一世は悠樹邸の玄関のベルを鳴らした。
「はい。今出ます。」
軽やかな女性の声と共に、引き戸が開いた。リチャード一世の姿を見ると、薄桃色の着物を着た継子が頭を下げる。
「遠路はるばるご足労をおかけして……。」
「いえ、礼には及びません。私の大切な友人ですから。」
雪を払いのけて、リチャード一世は靴と同じ色のソフト帽を脱いで胸に当てた。継子はもう一度目を伏せて頭を下げると、どうぞこちらへ、と玄関に腕を差し伸べた。
「主人を呼んで参ります、こちらでお待ち下さい。」
革靴を脱いで、リチャード一世は示された客間へ向かった。そこに座って、開け放たれた障子から見える庭を見た。色がない、白黒の庭だ。リチャード一世の座る場所からでは椿さえ見えなかった。やがて春には花を咲かせ、桜の薄い桃色が一面を覆うのだろう。しかし、今のリチャード一世にはその来たる春へ思いを馳せる余裕も持ち合わせてはいなかった。
「失礼します。」
清張が客間に足を踏み入れた。リチャード一世は、斜め前に体ごと向けて会釈をした。
「急な要件で申し訳ない。」
「いえ、倅の事ですので。大したものも出せませんが。」
座布団に落ち着くと、清張は継子が置いていった湯呑みを握り締めた。
「それで、お聞きしたい事とはどのような事でしょうが。」
一度湯呑みの上澄みをすすって、リチャード一世は急な長旅の疲れを少しだけ癒した。
「ご子息の刀の技について、お聞きしたい。」
「……短所を申し上げろと、そういう事でしょうか。」
日本の冬を前にして、リチャード一世の赤混じりの金髪さえ褪せて見えた。イングランドの王が頷くと、清張は参ったとばかりにため息を吐いた。
「実の所を申しますと、自分は親からきちんと受け継ぐ前に死に別れました。故に自身の太刀筋さえ全く分析をかけられておりません。」
話には聞いていたが、リチャード一世はやはり空振りに終わったか、とばかりに肩を落とした。
「……ですが我が家代々伝わる刀技に共通しているのは一つ。必ず敵には三度刀を振る事です。」
「三度? それはなぜ。」
清張は湯呑みを口から離した。
「相手が誠に殺すに足りうる相手かを見極める為。一度目は敵の技量を知り、二度目は殺しに値するかを図る。そのどちらも、答えが否であれば我が家では刀を収めます。」
成程、とリチャード一世は唇だけを動かした。
「倅だけの短所を挙げるなら、あれは斬るより突くに主体を置いた振り方をします。喉か心臓を一突き。一撃必殺ですが、避けやすい太刀筋でもある。あの速ささえ見切る事が出来れば。もしくは……。」
その大きなため息で、清張は俯いた。
「捨て身で行くしかありますまい。」
零がもしただの[人間]であれば、それも可能であっただろう。いくら剣撃が素早くとも、体に突き刺して捉えてしまえば一瞬だけでも動きを封じる事が出来る。だが、彼の肉体が[人間]であっても、その本質が[神]である事に変わりはない。例えリチャード一世であったとしても、あの刀に急所を突かれれば忽ち骸と化してしまう。リチャード一世は目の前にある湯呑みを凝視した。何人たりとも死者など出したくないし、それは零もまた同じ事だ。最善は尽くさなくてはならない。
「リチャード殿。」
緑色の水面を見つめていたリチャード一世が顔を上げた時には、既に清張は腰を曲げて、額を床につけんばかりに頭を下げていた。
「倅を、どうかよろしくお願い致します。」
その言葉の重さがいかようなものか、リチャード一世は奥歯を噛み締めた。
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帰ってから三日間、グリゴーリーの態度は以前より随分と素っ気なかった。零は何度か問い質したが、そんな事はない、とグリゴーリーは顔を背けるばかりだった。
「ラスプーチン、寝ないのか?」
四日目もそんな調子で一日が終わろうとしていた。グリゴーリーはその日は特に調子が悪そうだった。ただでさえ少なめの口数は更に減り、いつもの尊大な雰囲気もなりを潜めていた。
「ああ、少しやる事があってな。」
いつものように風呂に入ろうとして、零はタオルかけに干してあったバスタオルやフェイスタオルを腕に抱えてバスルームに持っていく。
「じゃあお風呂入るから。」
「あぁ。……待て、そこに座れ。」
バスルームへ向かおうとした零の背中に振り返ってグリゴーリーはベッドを指差した。服を脱ごうとしていた零は怪訝そうな顔で後ろ歩きで戻ってくる。
「なんだよ唐突に。」
「いいから座れ。」
たくし上げていた布を渋々と元に戻して、零はベッドカバーで整えられた布団の上に腰掛けた。
「零、いいか。今から私が言う事をよく聞いておけ。」
「ん? うん。」
疑いのない垂れ目がグリゴーリーの顔を写した。
「零、お前は今から私の言う事全てに従え。」
顔を上げさせ、じっとガーネット色の瞳を覗き込む。零の視界に今写っているのは、グリゴーリーの青白くぎらぎらとした瞳だけだ、その鮮烈さだけを脳に焼き付けられ、零は一瞬で思考を奪われた。
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