神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 2-16

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 別荘の近くには広大な森が広がっている。中で銃声が響くと、鹿の倒れる音と鳥の羽ばたきが聞こえた。馬の近くにいた猟犬達が、こぞって獲物の元へ走っていく。銃口から上がる煙を消しながら、レイは鹿に近付いた。一撃必殺、鹿は既に息絶えている。

「上手いな。」

 早足でやってきたジークフリートは、鹿の様子を見て満足げに笑う。朝早くから狩りに明け暮れて、二人合わせて、雉五羽、鹿三頭、小さめの猪一頭を狩っていた。血の匂いで少し気の立っている馬を宥めながらジークフリートは聞く。

「まだ続けるか? もう十分獲ったと思うけどな。」

 猟犬達が必死に獲物を屋敷へ持ち帰ろうとしているところに、使用人達がやってきて獲物を運び始めた。

「いや、今日はもう疲れた。」

 狩猟をやったのは何年ぶりだろう、とレイは頭を振る。ジークフリートは一つ口笛を吹くと、駆け足で屋敷へ戻っていった。



 すっかり汗の染み込んだ服を着替えて、レイは貰った地図を眺めながら別荘の中を巡っていた。広い図書館、小さな温室。屋敷の裏手には先程狩猟をした森が続いており、その森の手前には透き通った湖が輝いている。城下町にあるバスカヴィルの屋敷と違って、馬車の音や車のエンジン、人々の行き交う声、雑踏は全くない。使用人以外二人きりの別荘にレイの靴音が響く。風に押されて、扉が音を立てて少し開いた。そっと中を覗くと、磨き上げられた革靴が目に入る。

「ジークフリート……?」

 手で軽く扉を押して、広い部屋に踏み込んだ。ジークフリートはすっかり眠っていた。赤いソファーに深く座り、肘掛に肘をついて、すらりと長い足を組み、その太腿の上には本が一冊広げられている。そよ風が吹く度に、本のページが捲られていった。長い金の睫毛が上頬に影を落としている。レイの目の前に広がるその風景は、まるで一つの絵画のようであった。ゆっくりとジークフリートに近付いていく中で、レイはふと触れたテーブルに何通かの封筒が置いてあるのに気付く。

(……借金通知?)

 封筒を手に取って、何度も裏を返しながらレイは訝しげに眉を寄せる。好奇心ゆえに、彼は封筒の中を取り出した。莫大な金額に、レイは更に眉を寄せる。借金の発生した年を見れば、まだレイ達は小学生の時代であった。ジークフリートが発生させた借金だとはとても思えない。レイは首を傾げる。ジークフリートの膝から本が滑り落ちた。彼は起きる様子を見せなかったが、レイは慌てて封筒に通知を仕舞い込んでその場を後にした。



 一眠りして庭を歩いていると、レイは家畜小屋で鉈を振り上げているジークフリートを目にした。一度ギョッとしたレイは、ジークフリートの下へ駆け寄る。手に鶏を鷲掴みして、その首を切り落としていた。端的に言えば、鶏を捌いていたのである。ジークフリートが再び鉈を振り下ろした時に、レイは思わず引きつった声を上げた。振り下ろそうとした手が、驚いたように鶏のとさかすれすれへ振り落とされる。

「なんだ、驚かすなよ……。」

「そんなつもりはなかった……。それ、自分でやってるのか?」

 少し血の気の失せた顔で鶏を指差して、レイは尋ねた。

「大きな動物は全部召使いにやらせてるさ。僕だけじゃ夕食までに全部捌き切れないからな。」

「鶏も召使いにやらせればいいだろ……?」

 言葉に構わずジークフリートは最後の鶏の首を切り落とした。素早く羽をを毟りながら、ジークフリートは肩を竦める。

「小さい動物は僕がやる。分担だ。」



 すぐに調理室へ連れていかれて、ジークフリートは別荘にいる間は常に自ら料理を作るのだが、レイも包丁を握らされた。初めて見たわけではないものの、産まれてこの方一度も料理を教わる事のなかったレイは、しげしげとその刃物を見つめている。

「もしかして……料理もした事ないのか?」

 辿々しく、以前見た料理をしている父の記憶を掘り起こしながら、レイは野菜を切っていた。ジークフリートの問いかけにレイはそっと包丁をまな板に上に置いて、同意するように頭を振る。鍋の中に鶏肉を放り入れて、ジークフリートは苦戦するレイの後ろに立つ。

「僕が教えてやろうか?」

 悪戯っぽく耳元で囁いて、ジークフリートはレイの手の上に手を重ねた。

「手は中に卵を入れてる感じだ。」

「あっはい。」

「包丁は奥に押し込む感じで。……先ばっかり使うな、もう少し手前で切るんだ。……待てよそれじゃ手元すぎる。」

 にんじん、たまねぎ、じゃがいも、ズッキーニを切り終えてレイは一息ついた。近くにあった小さな椅子に座って、ジークフリートが鍋に水を満たすのを黙って見ている。

「今日は無難にコンソメだな。」

 コンソメキューブをナイフで細かく切って中に入れ、ローズマリーの葉を散らす。火をかけて鍋に蓋をして、次にフライパンを取り出した。

「ドイツ人の飯がソーセージとじゃがいもと肉ってのは本当なんだな。」

「土地が痩せてるからそれくらいしか美味しく作れないだけだ。」

 包丁でソーセージに切り込みを入れて、フライパンにたっぷりオリーブオイルを敷く。肉の焼ける音と油の弾ける音が、レイの空腹を促進した。思い出したように立ち上がって手を洗い、レイは辺りを見回す。

「テーブルセッティングでもしようか?」

「あぁ、そこに一式全部入ってる。」

 示された引き出しを開けると、ピカピカに磨き上げられた銀食器が並べてあった。一通り手にとって、隣のダイニングルームへ移動する。銀食器をテーブルに乗せていると、使用人の一人が一輪のヤグルマギクを活けた花瓶を持ってきた。

「随分季節外れだな。遅くても六月頃に咲くだろ?」

「温室育ちなので、少々遅いんですよ。今年の夏は寒いですしね。」

 成る程な、とレイはヤグルマギクをまじまじと見つめた。席に着いてゆっくりとしていると、やがてジークフリートが熱々のスープの入った皿を運んでくる。後ろから召使いがソーセージとマスタードの乗った皿を持ってやってきた。グラスにシャンパンが注がれて、二人の静かな夕食が始まる。



 涼しい夜だった。召使いが言った通り、今年の夏は例年に比べて少し気温が低いようである。月光を受けた広い一つのベッドの上で、レイとジークフリートはお互い少し距離を置きながら就寝前の落ち着いた時間を過ごしていた。

「ジークフリート……もし、言いたくなかったら答えなくていい。」

 背を向けていたレイは、ゆっくりと夜の闇の中に浮かび上がる孔雀色の瞳へ寝返りを打った。

「……お前の、幼少期の事。まだ一回も聞いた事がない。」

 気不味い顔をしてジークフリートはレイに背を向けた。うなじにかかる切り揃えられた金髪が僅かに動く。拒否されたものだと思って、レイは目を閉じた。おやすみ、と呟こうとした彼をジークフリートが遮る。

「僕の父上と母上は立派な人だった。僕は幸せだった。ずっとそれが続いて、僕は幸せのうちに死ぬものだと勝手に思っていたんだ。」

 * * *
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