神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 2-18

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 ジークフリートの屋敷は別荘から然程離れていなかった。馬車を全速力で走らせて半日。レイも流石に慣れたのか今回は酔わなかったようである。入り口より少々手前で馬車が止まった。ジークフリートは窓から顔を出して御者に言う。

「おい、どうした。」

 御者は降り、扉を開けて階段を出した。

「申し訳ありませんジークフリート様。入り口ど真ん中に車が停まっておりまして……運転手がいないようなので。」

 御者の手を借りて馬車を降り、ジークフリートは車の中を確認する。レイもそれに続いた。まじまじと黒い車を見つめるジークフリートは、指を差す。

「この車、見覚えがある。」

 屋敷と車を何度か見て、ジークフリートは弾かれたように顔を上げた。レイが声をかけた時は既に彼の姿は隣にない。御者は驚いたように主人の名前を叫んだが、彼は戻る気配を見せなかった。レイは我に返ったように親友の背中を追った。



 いつものように庭の見える部屋でジークフリートの母は亡き夫を待っていた。まるで戦争に出た息子を待つように。目が見えなくなったせいで、彼女の耳は非常に敏感になっていた。見知らぬ男達の複数の足音も、しっかり聞き分けられる。

「どなたですか?」

 いつもの可憐な雰囲気は影を潜め、軍門の妻らしい刺すような声が露わになった。前に立ちはだかる男達は下卑た笑い声を上げる。母は身を硬くした。

「奥さんよぉ、借金の支払いはまだですかねぇ。」

「ついでに、仲間を独房送りにした責任も払ってもらいましょうか。」

 車椅子の肘掛に乗せていた細い手首を掴み上げて、男達はそのレースの縫い付けられた襟元に触れた。庭から何者かが駆けてくる音が聞こえて、一人の男が振り向く。

「母さん!」

「ジークフリート!」

 母の叫ぶような声を聞いて、ジークフリートは男と男の間に割って入った。薄笑いを浮かべる黒づくめの男達に、ジークフリートは唇を噛み締める。今の彼の腰には拳銃も剣もない。

「おうおう坊ちゃんは立派に成長したな。」

 胸倉を掴まれてジークフリートは唾を飲み込んだ。

「なんなら奥さんだけでなく、ご当主にも身体で払って貰おうか。」

 にたりと笑った髭面の男の言葉で、ジークフリートはフラッシュバックを起こした。目の前がぐらりと揺れる。男の腕を掴んだ手に力が入らなくなった。好機とばかりに男がテーブルの上にジークフリートを転がした瞬間、一つの銃声がその場にいた全員の耳をつんざく。

「離れろ下衆共。その汚い手で俺の友人に触るな。」

 煙を上げた銃口は、間を置かずに四発を更に撃ち込んだ。二人の男の脚に、微塵のずれもなく。レイの瞳は珍しく道脇に転がるゴミを見るような視線を浮かべていた。

 軍の警察が男達の身柄を確保して、詳しく事情を聞いて去っていく。男達は最後に最低な捨て台詞をジークフリートの母に吐いた。お前のご主人はもうとうの昔に死んだんだよ、と。凄惨たる光景に迎え入れられたレイは文句の一つもつけなかった。親友を助けるのは当たり前である、と使用人に対して水を持ってくるように言った。



 ジークフリートと母が二人きりで個室に移動されて、早十数分が経つ。瓜二つの孔雀色の瞳が今はすっかり開かれて、目の前の弱々しげに俯く息子に据えられていた。

「ジークフリート、もういいのよ。」

 永遠に嘘を吐き続ける、その重荷がジークフリートの肩から降ろされた。母はそっとジークフリートの白い頬に触れて微笑む。

「昔と顔が全く変わらないのねジークフリート。なんだか安心してしまったわ。そして……貴方にずっと重い物を持たせ続けていた私を、許してくれるかしら。」

 懺悔するように、母は目を伏せた。ジークフリートの瞳から涙が溢れ出る。震える手で母の細い手首を取って、身を投げ出すようにしてその膝に顔を埋めた。

「母さんも父さんも悪くない。悪いのは皆あの下衆な男共のせいなんだ。許してなんて言わないでくれ……許して欲しいのは、僕のほうだ。」

 母を真実から遠ざけて、その目に更に目隠ししていたのは他でもない自らである。不可抗力とはいえ、ジークフリートはそのような状況を作り出した自分を責めた。ジークフリートの金髪をゆっくりと撫でて、母は言う。

「よしよし、いいのよもう。貴方がそう言うのなら……きっとお互い様なのよね。」



 近くの市場で買ってきた葡萄をつついていたレイは、降りてきたジークフリートとその母を見とめて立ち上がった。汁に濡れた指を湿ったタオルで拭き、彼は二人に近付く。未亡人の小さな手を取って、レイは微笑んだ。

「初めまして。元帥バスカヴィルの息子、レイです。お見知り置きを。」

「初めまして。貴方のお父様の事、貴方の事、亡き夫や息子から聞き及んでおります。この度は、私達を救って下さった事に感謝致しますわ。」

 非常にしっかりとした口調で、親友の母はそう言った。決して社交辞令ではなく、厚く感情のこもった声である。

「ありがとうレイ。僕からも……お礼を言わせてくれ。」

「言ったろう。親友を助けるのは当たり前だ。」

 夜も遅いから泊まっていって下さい、と告げて、親友水入らずの場所にいるのはいけない、と母は遅めの夕食が作られている調理室へ移動する。誘うようにジークフリートの背に手をやって、月明かりの照らし出す庭へ二人は出た。

「レイ……お前は僕の命の恩人だ。」

 照れ隠しにジークフリートから顔を背けて、レイは笑う。

「お前覚えてるか? 初めて会った時、俺の事殴ったの。」

「もう忘れてくれ……。まさかお前とこんな関係になるなんて、あの頃は思ってもみなかった。」

 芝生を踏みしめる音が虫の鳴き声に混ざっていく。やがて食堂の蝋燭に火が灯されるのを見て、二人は足早に屋敷の中へ入っていった。

 * * *
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