神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 4-2

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 ジークフリートの屋敷に最後に来たのはニューイヤーコンサートの時である。それから随分経っているとはいうものの、屋敷はすっかりがらんとしていた。美しかった庭は見る影も失っている。草は伸び放題、木々は形を失い歪な雰囲気を醸し出していた。屋敷の内部は所々壁紙が剥がれ、埃っぽく、綺麗に整理整頓されていた思い出の中のイメージを破壊するには十分なほどぼろぼろであった。物音一つしない屋敷で、レイは階段を上るジークフリートの背中に呼びかけた。

「待てジーク。お前、お母上は?」

 足音が止まり、ジークフリートは瞳だけをレイにやる。

「……母上は死んだ。僕達が入軍した年に。」

 目を見開いたレイに、ジークフリートは彼を労わるように早口で捲し立てた。

「お前に手紙と葬式の知らせは出したんだ。でも……お前からはいつも通り音沙汰がなくて。あの日以来……ニューイヤーコンサート以来、お前とは音信不通だっただろ? 僕に愛想を尽かしたのか、それとも——」

 レイに思い当たるのはたった一つの事柄であった。永遠と暖炉を見続けるバスカヴィルの背中を思い出して、レイは信じられないと首を振る。

「親父だ、親父が……。」

 今にも泣き出しそうな顔に、ジークフリートは階段を下りてレイに駆け寄った。肩にそっと手をやると、レイは堰を切ったように涙をこぼしながらジークフリートの胸に顔を埋める。

「すまない、すまないジーク。」

「謝らないでくれレイ、お前が悪いんじゃない。」

 抱き締めたレイの震えが止まると、レイは顔を上げて涙を拭った。

「墓地は何処の教会にあるんだ? 今度、行かせてくれ。」

 頷いたジークフリートへレイは嬉しそうに微笑む。

「レイ。母さんは……天使みたいな笑顔であっちに逝ったんだ。『レイ君と仲良くするのよ』って、最後まで僕の心配ばかりして。……ありがとう、レイ。」

 もう一度軽く抱き締めて、ジークフリートはレイとともに階段を上がった。二人でシャワーを浴びて、軍服から楽な服装に着替えて、二人は空白の十三年間を埋めるように談笑に励む。

「それじゃあ、ジークは一人であの借金の額を返したのか!? まさか、この屋敷がこんなになってるのも——」

「使用人は全員、母さんが死んでから辞めさせた。少しでも早くあの多額の借金を返したかったんだ。母さんがいる間でも良かったんだが、もしあの時使用人を辞めさせてたら、こんな屋敷の有様に母さんががっかりするだろうと思って……。」

 肩を落とすジークフリートをレイは揺さぶった。

「お前……お前、弟達は助けてくれなかったのかよ! お前の家なんて弟の五人や六人いただろう!」

 ジークフリートは頭を振る。腕を広げて、苦笑しながら暗い瞳でレイを見た。

「弟達には全員見限られたさ……随分前に、母さんが死んだ時にな。母さんが持ってた分の財産は莫大だったんだ。それをその人数で分けたらそれは少なくなるし……持ち逃げするだろうさ。僕に分けられた財産は、長男だからそりゃ一番多かったけど。それでも返済に充てる額にしては雀の涙だ。全部使って生活必需品以外は無一文になったけどな。」

 ただただジークフリートを見つめる事しかできなかったレイは、漸く口を開いた。

「ジーク、もういいよ。俺達一緒に、家も地位もなにもかも捨てて、あの夏の別荘で暮らそう?」

 甘えるように言ったレイはジークフリートの嗜めるような視線で眉を下げる。ゆっくりと頭を撫でて、ジークフリートは再び頭を振った。

「駄目だレイ。お前は、あの男の息子だ。世界の最果てに逃げたとしても、絶対に見つかる。」

 レイを抱き締めたままベッドに寝転んで、ジークフリートは髪の毛に鼻を埋める。もがいてその腕の中から出ると、レイは再び肌が粟立つような微笑みを浮かべた。

「レイ。」

 弓なりに曲がった赤い唇と誘うような視線に、ジークフリートはゆっくりと手を伸ばす。

「いいよジーク。十三年も我慢してたんだろ?」

 意識の奥底で、なにかが切れる音がした。

 * * *

 翌日、アルフレッド中将は驚いたものである。本当に珍しく、その日のジークフリートはいつものような陰鬱な雰囲気を背負っていなかったのだ。

「へぇ、機嫌いいね。」

 驚いたままそうとしか言えないアルフレッドに、ジークフリートは向かい側の椅子に座る。書類を書き終えて看護師に預けると、アルフレッドもジークフリートに向き直った。

「それで、どこも怪我してないようだけど今日はどんなご用件?」

 万年筆を机に置いたのを見て、ジークフリートは足を組む。

「アルフレッド。分かる範囲でいいから答えてほしい。この間耳にした情報だから、合ってるか確認したい。」

 眉をひそめて、アルフレッドは先を促すように首を傾げた。

「どうぞ?」

 一度唾を飲み込んで、ジークフリートは息を吐くとともに言葉を発する。

「……幼い頃に性的虐待を、特に身内にされた人間は、成長した時にぞっとするほど人を魅了する笑い方をたまにする。これは本当か?」

 再び万年筆を机の上に立てて、アルフレッドは真面目な顔で返答した。

「あぁ、モンロースマイルの事? 本当だよ。別に性的虐待受けてなくたって、家族になんらかの欠陥が……例えば母子家庭とか、そういう子によく見られる笑い方らしいよ。精神疾患とかは僕の範囲外だからなぜそうなるかは知らないけど。ところで、どうしてそんな事を?」

 理由は話さずに、ジークフリートは深く考えるように肘をついて手を鼻の下に当てた。一向に話す気配がない彼に、アルフレッドは肩を竦める。

「君分かってる? 自分で気付いてないのかもしれないけど、君もたまにそういう笑い方するよ。」

 弾かれたように顔を上げたジークフリートの前には、既にアルフレッドの姿はなかった。

 * * *
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