神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 4-17

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 皇太子の馬車の後に馬を走らせていたバスカヴィルは、演説台が見えると一行とともに馬を止めた。皇帝の前で、レイがランスロットの手をとって降りていく姿を見て、彼は一度目を伏せる。

「閣下。」

 ロベルトの声に誘われて、バスカヴィルは馬から降りた。大衆がレイの歩く先にリコリス・オーレアの花を投げ込んでいく。黄金色のその花をまたぎながら、レイは民衆が差し出す手を握っていた。立ち止まってその姿を見ていたバスカヴィルを、ロベルトはただただ遠巻きに、ニコライについて見守っている。観衆はだれもがレイに注視していた。かつての皇太子の見事に育ったその姿を一目見ようと躍起である。

「閣下。」

 そろそろ、とロベルトが足を一歩踏み出した時。彼の視界の端にアメジスト色の小さな影がよぎった。ロベルトは硬直する。ゆっくりと影が映ったほうを見れば、もうその軽やかな走りはそこにはなかった。

「死ねぇ! バスカヴィル!!」

 元帥の体がくの字に折れて崩れ落ちる。怒声を聞いて、観衆もレイも、皇帝も、その視線を元帥に送っていた。

「ヴィル!」

 補佐官が駆け出す前にニコライが駆け出した。思春期近くの女子の、ナイフを持つ腕を掴み上げ、彼はその体を地面に組み敷く。ロベルトは確かに瞠目していた。紫色のフードの中が見えてから、彼はその場から一歩たりとも動いていない。

「早く中将を呼べ! 早く!」

 指示を飛ばすと、ガウェインはすぐにバスカヴィルを部下が持ってきた担架に乗せた。大衆の叫び声で我に返ったロベルトは、すぐに駆けてきたレイを止める。

「殿下、ここから先は危険です。」

 背後を追ってきたランスロットに声を張り上げるレイを預けて、ロベルトは踵を返した。ニコライはアルフレッドを呼びに行って、既にその場にはいない。

「さっきの女子は?」

「はっ、逮捕しました。」

 そうか、とロベルトは呟いた。レッドカーペットの上の血溜まりを見て、彼は瞳を閉じた。



 騒乱の下に終わった戴冠式は、夕刊の一面を飾っている。アーサーは、本部内の売店で売っていたその新聞を読みながら、バーで一服していた。

「はい。」

 置かれたワイングラスを一瞥して、アーサーは向かいの席を見る。エドワードはまた別の新聞の一面を読んでいた。

「犯人は分家か?」

 まぁね、とエドワードは肩を竦める。と言っても、近頃分家について調べまくっていたエドワードの心境は複雑であった。ジェームズに話を聞きに行ったところ、彼女は外来分家ではないらしい。新聞を放り投げながら、ため息をつく。

「なぁ、エド。あのよ。」

 歯切れ悪く言葉を紡いだアーサーに視線をやると、アーサーは新聞から瞳だけを出して続けた。

「来週くらいに、ちょっと禁書庫に集まろうぜ。」

 そのアーサーの声は至極真面目である。定例会みたいなもんだ、とアーサーは呟く。肘をついていくらか考えた後、エドワードは頷いた。

「いいよ。」

 * * *

 冷たく暗い禁書室に、いくらかの光が灯った。まるで彼らを歓迎するかのように、真実を明かす事を受け入れるように、禁書室はゆっくりと彼らの手元を照らし出す。アーサーが柏手を打った。

「さて、大事件の後には解決話ってのが付き物だ。」

 彼の言葉を聞くのは、私服姿のレイ、ジークフリート、エドワードの三人である。アーサーは各々の顔をじっと見て、そして続けた。

「俺達が今回取り組んだのは……ってもジャンが調べてたのは予想外だったが……バスカヴィルの前世と分家の成立についてだ。」

 エドワードが一瞬顔をしかめたのには見向きもせずに、アーサーは自らの目の前にあるファイルや分厚い書物に手のひらを向けた。

「まず最初に、俺らの問題から。つまりバスカヴィルの前世についてだ。あの人はおおよそ十九世紀の人間だという事が予想されてる。これはジークフリートが聞いた優生学って言葉から想像出来る。それで、その予想を確証付けたのがこれだ。」

 アーサーは二冊の本を示す。分厚く、酷く古い大判の古書と、革のファイルだ。

「こっちの古書は、ヴァチカンの奇跡調査文書だ。奇跡に認知された事象を、起こった日付、認められた日付、どのような事象か全て主観を交えずに事細かに書いてある。それで、こっちが……バスカヴィルが前世に書いたと思われる、奇跡調査文書の写しだ。」

 ファイルを開き、ジークフリートはそれを手元に引き寄せた。

「十九世紀の途中で事象の写しが止まってる。」

 向かい側から渡され、レイとエドワードはそのファイルを覗き込む。二人には既に見慣れた、バスカヴィルの筆跡であった。

「個人までは特定してないが、その時代の人間である事は確かだ。」

 アーサーとジークフリートの結論とその理由を聞いて、レイとエドワードは思わず目を合わせる。脳裏に蘇ったレイモンドの言葉が、特にそれを直接聞いたレイの頭の中では、バラバラであった推論や想像がかみ合っていくのが分かった。満を持して、レイはゆっくりと話し始める。

「実は、ついこの間俺が分家について調べていた時に、レイモンドが来た。」

 じっと見つめる三人の視線を感じながら、レイは唾を飲み込んだ。

「この世の中にある奇跡は、超自然的な事象というのは、決して神から賜った御業によるものだけではなく、人間によって作り出されたものがあるって。そして、そういう人達が、分家の発端であると。」

 目配せを受けて、エドワードが話し始める。

「分家の発祥は、現在の最新の歴史学から見ると、中世の人間がこの世界に大量に来た時らしい。ていうか、俺とフィリップはこっちに来るのが遅いからかなりイレギュラーな部類なんだ。……そういう意味では、十九世紀の人であるバスカヴィル元帥が今ここにいるのもおかしくないし、むしろ辻褄が合う。」

 レイとエドワードの話が終わると、禁書室に静寂が訪れた。核心的な答えには辿り着けなかったな、とアーサーは肩を竦める。そうしてジークフリートに視線をやると、彼はゆっくりとショルダーバッグの中から一冊の本を取り出した。

「なんだそれ。」

 比較的綺麗だが、明らかに使われた形跡のある本にアーサーは目を細める。少々居心地悪そうに本を机の上に置いて、ジークフリートは一度息を吸った。

「正直、今になってこんな物に触れるとは思わなかったが……。」

 金の箔押しがされた黒の革表紙には、いかにも秘密結社のような紋章が描かれて居る。

「かつての僕の、オカルトにどっぷり浸かってた上司に寄贈された本だ。」

 硬い表紙を開けば、見返しの部分にはジークフリートには馴染み深い名前が書かれていた。本を回されて、レイはその筆跡をじっくりと観察する。しかし、それはどう見てもバスカヴィルのものではない。

「ヒムラーは一九〇〇年に生まれた。だから、会ってる可能性は低いし、一度だれかの手に渡った物が渡されたんだろう。でも——」

 一枚ページを捲れば、そこにはその場にいるだれもが見知った名前があった。"Baskerville"と。

 * * *

 王宮で仕入れた真っ赤なバラの花束を置いて、レイは鎮魂の為にその墓石にじっと視線を注いだ。墓石には、彼が士官学校を卒業した年の数が彫られている。

「レイ。」

 少し風の強い日であった。まだ寒気の名残りのある空気を受けて、ジークフリートはレイの手に指を絡めた。ただただ立ち尽くすレイに対して、ジークフリートは続ける。

「もう、母さんは報われたさ。」

 諭すような言葉に、レイは暫くして一度頷いた。

 * * *

 ランスロットとロビンに礼を言って、皇帝への礼の品と手紙を預け、レイとジークフリートはともに王宮を出た。

「よっ。まぁそんな急がなくても時間はあるぜ。」

 王宮から暫く歩くと、アーサーが運転席から顔を出して手を挙げている。持っていたトランクを助手席に詰め込んで、二人は後部座席に落ち着いた。

「すまないな。」

「いいってこった。結局何処に行く事にしたんだ?」

 皇族であったうちにバスカヴィルに休暇願を叩きつけ、レイとジークフリートは二週間の休暇を取ったのである。

「イタリア地域だ。本当は、前世の時にきちんと観光したかったけどな。」

 あの時は亡命で立ち寄っただけだ、とジークフリートは苦笑する。車を帝國の中央駅へ発進させ、アーサーはケラケラと笑った。

「イタリアはいいぜ。ヴェネツィアには立ち寄るのか? ってもまぁ、二週間もありゃどっかで立ち寄るんだろうさ。」

 渋滞のない道を、車は流れるように走る。やがて中央駅に着くと、待ちくたびれたようにアルフレッドがベンチから立ち上がる姿が見えた。助手席のトランクを持ち出して、アーサーは二人を伴いアルフレッドの元に行く。

「まぁ、病気とか怪我しないように。しないと思うけど。身体的になんかあったら執務室に電話してね。」

 ジークフリートに電話番号を渡して、アルフレッドは疲れたようなため息をついた。

「ま、二週間楽しんでこいよ。あ、土産のワイン頼んだぜ。」

 トランクを持ち上げて二人に渡すと、アーサーは間髪入れずにそう言う。

「お前には世話になったからな。何年ものがいい?」

「あー? ……じゃ一七八六で。」

 よろしく、と片手を上げるアーサーを傍目に、アルフレッドはレイの肩を叩いた。

「君のお父さんはニッ……コライ元帥と補佐官がどうにかしてくれるから、心配しないで。」

 その言葉に、レイはどこか悲しげな笑みを浮かべる。時間を忘れて言葉を交わしていると、やがて汽笛の音が四人を現実の世界へ引き戻した。

「お、そろそろだな。一等車両だろ?」

 既にトランクは預けていたようで、アーサーの手に提がっていた二つのトランクは駅員によって運ばれて行っている。二人が急いで汽車に乗り込むと、程なくしてもう一度汽笛が鳴った。やがてスピードを上げ始めた汽車に、アーサーとアルフレッドは手を振る。

「Bon voyage !!」

 加速する車輪の音を聞きながら、アーサーとアルフレッドは汽車の姿が遠くに消えていくを見守った。
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