神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 5-2

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 すっかり寂れた玄関ホールの中にベルが響き渡る。階段を駆け下りて、ジークフリート少将はだれもいない屋敷の入り口に手をかけた。

「どちら様ですか?」

 軋みながら空いた扉の向こう側には見覚えのある顔があった。その青い双眸は、ジークフリートの顔を見るや否やにこりと笑いかける。前世の古き同僚の顔に、ジークフリートも思わず顔を輝かせた。

「シェレンベルクじゃないか!」

「久し振りだなジークフリート。」

 扉を全開して握手を交わすと、ジークフリートはすぐに涼しげなホールにヴァルター・シェレンベルクを通す。扉を閉めると、シェレンベルクはジャケットを脱いだ。

「使用人は?」

 ジャケットを渡そうとして、シェレンベルクは辺りを見渡す。指先に掛かっていた上着を受け取り、ジークフリートは苦笑いしながらハンガーにそれを掛けた。

「この屋敷の有様を見て分からないか?」

「全員辞めたのか辞めさせたのか、だな。」

 ギシギシと音の鳴る椅子に座り、シェレンベルクは小綺麗な廃墟と言ってもおかしくない屋敷の中を見渡す。キッチンからアイスコーヒーを持ってきたジークフリートに礼を言って、彼は喉を潤した。

「ところでシェレンベルク。僕に用事が?」

 机に座ってコーヒーを飲み干したジークフリートに、思い出したようにシェレンベルクは顔を上げる。

「あぁ……いや。こっちに来る用事があったから、折角だし顔でも出そうかと思っただけだ。」

 空になったグラスを机に置いて、ジークフリートは雑然とした庭を見た。そうか、と呟いて、彼は机から降りる。

「これからの予定は? なんなら何処か案内するぞ?」

 シェレンベルクもまたコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「いや、特に予定もない。そうだな、折角だから案内してもらおうか。」



 旧友をホテルに送り届け、ジークフリートは夕方頃に屋敷へ戻った。夕食は用意されている筈もなく、彼はビールを一杯注いで、シェレンベルクが去ってそのままの玄関ホールに立つ。レイとのイタリア旅行から既に数ヶ月が経とうとしていた。常に二人でいるか、帰ればレイがいる環境は未だに尾を引いている。

(だれか——。いるわけないな。)

 シェレンベルクが座っていた椅子に座り込むと、靴の踵になにか小さく硬いものが当たった。ジョッキを置いて立ち上がり、ジークフリートは椅子の下を覗き込む。

「……これは。」

 丸いバッヂが落ちていた。見慣れた大きさのバッヂである。

(ナチスの……党員バッヂ。)

 目を見開いて、ジークフリートは手のひらにある鉤十字を見つめる。確かにそれは彼の思った通りの物で、そして極め付けに、最近作られた真新しいものであった。

 * * *

 元帥執務室に入ると、バスカヴィルは相変わらず書類と向かい合っていた。アルフレッド中将が入室した事に気付かなかったようで、彼はひたすら書類を読んでいる。猛暑の空気とクーラーのない執務室はかなり堪えるようで、バスカヴィルは窓も扉も全開で、更に襟元のバッヂもチャックも外してシャツを寛げていた。

「えー……閣下。」

 呼びかけるとともにもう一度ノックをすると、バスカヴィルは汗だくの額に張り付いだ髪をかき上げながら書類から顔を上げた。

「おや中将。その……暑そうだね、白衣は。」

 いつ空になったのか分からない、水滴が一滴たりともついていないグラスを持ち上げて、バスカヴィルはその中身にため息をつく。汗一つないアルフレッドは、暑さで頭の回らない元帥の言葉に肩を竦めた。

「えぇまぁ、それなりには。」

 ハンカチで汗を拭い、バスカヴィルは軍服を整える。アルフレッドはぐるりと後を見渡した。

「一応、熱中症や日射病の対策月間という事で見に来たのですが。特に問題はなさそうですね、水以外は。」

 氷のすっかり溶けた水差しを持ち上げると、バスカヴィルは苦笑する。

「多くの軍人の見本にはならないといけないからね。ところで——」

 グラスになみなみ注がれた水を口にすると、バスカヴィルはテーブルの上に広げられた書類から一枚の紙を取り出した。表をペラリとアルフレッドの方に向け、バスカヴィルは仕事の顔に戻る。

「中将はこの男を知ってるかな。」

 つかつかと歩み寄り、アルフレッドは書類を受け取った。顔写真と基本情報の書かれた紙を見て、アルフレッドは頷く。

「えぇ。かつては諜報要員同士、顔見知りでした。彼が何か?」

 しわの多い、四十代とはおおよそ思えない真っ白な髪は、アルフレッドにとっては記憶に新しい人物だった。返された書類を見て、バスカヴィルは机に寄りかかる。

「今度の合同訓練の、日本軍の最高責任者は彼らしくてね。」

 少し情報を集めておこうと思って、とバスカヴィルはアルフレッドに笑いかけた。

 * * *

 青々と茂る風景が車窓の外を流れていく。帝國中央駅に直通で向かう汽車の中で、緑に近いカーキ色の軍服をぴっちりと着こなした青年達はその情景を傍目に一等車両の中で悠々と過ごしていた。

「大佐。今から車内売店に行ってくるんですけど、何か買ってきましょうか?」

 そう言って車両の先頭に来た薄茶色の青年は、扉から顔を出す。その声に男は顔を上げた。厳しい視線が青年を捉えたが、青年はさして恐縮もせずに自らの革財布を上げて見せる。

「島田とお茶でも買ってこようかと思いまして、良かったら大佐の分も。」

 大佐と呼ばれた男は膝に広げてあった本を閉じて、車窓の向こうに広がる森を眺めた。絵に描いた軍人のような厳格さを持つ男こそ、合同訓練の日本軍最高責任者、悠樹清張大佐であった。

「玄米茶。」

 言葉少なに伝えられると、青年は頷く。清張に一度敬礼して、部屋を後にした。彼の背後に立っていた男は、青年が振り返るとともにメモを渡す。

「咲口、一応他の隊員の分も聞いてきた。」

 桜色のメモを受け取り、咲口久志中尉はその文字列を眺める。これといっておかしなリクエストはなかったが、どうやら日本から離れたお陰でだれもが和の味を恋しがっているようだ。メモの中にはカタカナよりも漢字や平仮名の品が溢れている。

「ありがと島田。この量だと二人で一回はきつそうだね。あと、和菓子はあるかどうか分かんないけど……。」

 返された紙切れを眺め、島田史興大尉もまた肩を竦めた。

「取り敢えずなかったら全員お茶でいいようだ。」

 ぬばたま色の髪を整えて、島田は足音が聞こえた方へ目を向ける。カーキの上着を着ずに白いワイシャツ一枚の青年が、二人に向かって早足でやってきた。

「大佐にはもう聞いたんですか?」

 少しばかり息の上がっている佐藤博人少尉は、二人の覗き込んでいたメモを見てそう問いかける。島田が頷く一方で、咲口は彼の身体状態に半眼で眉を寄せた。

「佐藤、部屋で何してたの?」

 きょとんとした顔で佐藤はほんの高い位置にある薄茶色の瞳に視線を向ける。

「なにって、汽車の中だと体が鈍るんでトレーニングしてたんですよ。」

 さも当たり前のように答える佐藤に、車内でくらい大人しくしてなよ、と咲口は重々しくため息を吐いた。

 * * *
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