神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

Verse 5-15

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 なんの音もしなくなって、レイは顔を上げた。地上階から吹いてきた風を受けて、鉄格子の扉が僅かに開いている。ジークフリートが去り際に鍵を外していたのだ。

(……ジーク!)

 牢屋から足を踏み出して、レイは手探りの状態で地下牢の道を道なりに行く。気絶して起きた時は既に牢の中だった。この建物に関して、彼は全くの無知である。歩みを進め、やがて彼は液体を踏んだ。下を見ると、沢山の死体が転がっている。死者達の顔を見ながら、やがてレイは一人の青年に辿り着いた。

「ジ……。」

 血に塗れて変わり果てた美貌が視界に飛び込んでくる。美しかった金髪も赤に染まり、青年はそこに横たわっていた。

「そんな……ジーク。」

 最早動かない体を掻き抱いて、レイはその血が服に染み込んでいくのも構わずに僅かな温もりを感じようとした。しかし、その体は既に氷のように冷たい。にこりとも笑わず、無表情を保つだけの、ただの器である。



 建物に入ったヨハンの背中を追って、エドワードは控えめに彼を呼び止めた。

「よ、ヨハン……。こんな所で、なにしてんだよ……。」

 撃鉄を起こす音を聞き、エドワードの体に緊張が走った。ヨハンの目に光はない。

「任務をしてる、だけだ。ジャンこそ、こんな所でなにを。」

 ゆっくりと後退するエドワードに、銃口を突きつける。

「ヨハン、戻ってきてよ。またみんなで一緒にパブで飲んだりしよう? ロベルト兄さんも待ってるよ。」

 返事はなかった。ヨハンは一歩前に踏み出して、震える指を引き金にかける。頰に一筋だけ涙が流れた。

「ヨハン、俺と一緒に、またお昼ご飯食べよ……!」

「五月蝿い!」

 発砲された銃弾は、エドワードの鎧で弾かれた。曇っていた空がゆっくりと晴れると、ジャンの背後に太陽が現れる。

「僕は、僕はお前に見合う人間なんかじゃ……お前みたいな人間に救われるに値する人間なんかじゃ!」

 その姿はヨハンにはあまりに眩しく、彼の目には聖女としか映らなかった。

「この世の人間はみんな救われなきゃいけないんだよ! ヨハン、お前だって、どんなに堕落した人間も救われなきゃいけないんだよ!!」

「そんな救済論は聞き飽きた!!」

 次の銃弾はジャンの頰を掠める。しかし、ジャンはその弾を恐れない。

「ヒムラー閣下の言う通りだ。キリスト教なんて……神様なんて嘘っぱちだ!!」

 もう一度引き金に指をかけた時、ヨハンの背後から発砲音が聞こえた。どこからともなく飛んできた弾は、ヨハンの腕を掠める。

「ヨハン、俺は射撃が苦手だ。これだけはジークに勝てなかった。」

 静かな靴音が室内に響く。撃鉄を起こして、ゆっくりとレイはそこに立っていた。引き金に指をかけて、レイはヨハンの脚を狙う。しかし、銃弾を放つ事は、レイにとっては酷く吐き気の覚える事であった。ジークフリートを殺した武器であれば、いつもよりも殊更に。

「ヨハン、俺はお前の過去を、ジークフリートから聞いて受け止めた。けどお前は、お前の過去を受け止めた俺を受け入れようとしてくれなかった。ヨハン、もう一度言うぞ。俺は射撃が大の苦手だ。お前の命の保証は……出来ない。」

 引き金に指をかけて引こうとした瞬間、大きな揺れが三人に膝をつかせる。

「レイ、また地震だ!」

 ジャンの声とともに、一層強い揺れと凄まじい轟音が三人を襲った。

 * * *

 しんと静まった謁見の間の中で、フランシスは玉座の背もたれに腕をつきながらその奥の白銀の塊を眺めていた。

「そんなに眺めていて楽しいか? [ベルゼブブ]。」

「別に、他に見るものもありませんからね。」

 背後に立つ真っ黒な姿を一瞥して、ベルゼブブはまた銀に目を戻す。バスカヴィルにも似たその男は、禍々しい雰囲気を放っていた。もはや内面に関しては見る目もない程変貌している。

「いかがでしたか。記憶をなくして只人として過ごす生活は。」

「別にどうとも。あれは私ではない。」

 素っ気のない返事が返ってくると同時に、謁見の間に二人の男が入ってくる。レイモンドがロベルトを連れ立って、スタスタと二人の元へ歩いていく。レイモンドの姿はいつもとは様変わりしていた。カソックを着て、その瞳は青白くギラギラと輝いている。身長もいつもよりかなり高く、髪は硬かった。

「だれも守る者はいないようだな。まぁ手が回らないというところか。」

 ぐるりと謁見の間を見渡して、レイモンドはバスカヴィルに似た男の肩を叩く。

「随分と見違えたではないか[サタン]。まあ積もる思い出話は後で聞かせて貰おう。」

 男はなにも答えずに一礼すると、レイモンドから半歩下がる。話は終わりましたか、とフランシスは目の前にある銀の塊を指差した。

「壊すとは言いますが、これどうやって壊せるんですかね。」

「簡単だ。この指環があればな。」

 紫色のマントを脱ぎ捨てて、レイモンドはかつかつと階段を登る。玉座を通り過ぎ、彼は石のある間に踏み込んだ。冷気が彼の頬を撫でる。

「心臓の間とはよく言ったものだな。いや、一般人が聞いたらグロい事この上ない。実物はこれ程美しいがな。」

 躊躇いもなく銀に触れると、手と物体の間から火花が音を立てて生じた。

「地震ではなく、鼓動とすべきところか。」

 火花が上がるたびに、地面の揺れが一層と激しくなる。しかしレイモンドの様子を見守る三人の体は一ミリたりともよろめかなかった。火花が更に幾度となく散り始めると、レイモンドの手のひらから氷が発する。銀は次々と凍りつき、しかしその接合点は永遠と火花を発していた。途端、氷が音を立てて破裂するとともに大きな爆発がいたる所で起き始める。地面の揺れは一定のリズムに、まさに心臓の鼓動のようになっていた。そして、その揺れとともに世界の構築物は、つまり様々な建築物、山、海、湖、谷、ありとあらゆる生命体に至るまで、次々と全て焦土と化して行った。

 * * *

 倒れていくら経ったのか。自分がいた筈の別荘は失われ、目の前には灰が積もっているだけとなっていた。

「ヨ……ハン……。」

 地面に積もった灰を握り締めながら、ジャンはゆっくりと体を起こす。うつ伏せになっていたせいで、背中にはすっかり灰が積もっている。一寸先も最早見えない。

「なんだ……ここ。フランス、なのか?」

 周りにはなにもなかった。ただただ広い平野が続くだけで数歩歩いてもなににもぶつからない。記憶を掘り出して、彼は、ヨハンが立っていたであろう場所に進んだ。

「ヨハン。いないの?」

 手探りで歩いて、彼はなにかを蹴り上げた。足元を見ると、藍色の髪が見える。

「ヨハン?」

 膝をついて、慎重に彼を仰向けにする。青白い肌と血の気の失せた唇を見てジャンは愕然とした。

「ヨハン……起きて。」

 体を揺すっても彼は起きない。目立った外傷は見当たらない。骨折も、急所の打撲も見受けられなかった。

「なんで、なんで起きないの。」

 ヨハンを抱えて立ち上がろうとして、彼は空を見上げた。瞳に映ったのは見覚えのある形だった。白髪の髪が、男の顔を覆い隠している。頭には光輪を戴き、その翼は白く、持ち主の身長を優に越している。

「聖女よ。」

 男は白銀の鎧を纏う数多の兵を背に従えたまま、遥か高く天上を示した。

「貴方は行かなくてはならない。」

 ジャンの頭に暖かな両手がそっとかざされた。まるで聖者を祝福するように。

「行って、その役割を果たすのです。[神]の御心のままに。」

 暖かなベッドで自然と眠るように、ジャンの意識は落ちていった。
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