神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第二巻『[人間]の業は 人の傲慢で 贖われる。』(RoGD Ch.3)

Verse 1-1

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 地面に深く積もった白い雪。天空に薄くかかった薄灰色の雲。僅かな雑踏とざわめき。青年の五感に届いたものは、まずそれだった。白銀の鎧をまとった上体を起こし、瞳と同じ紺碧のロングチュニックを翻しながら立ち上がる。開いた視界の遠くに広がるのは丘に続く石畳の坂道と、そこを行く人々だった。足を一歩踏み出すと、雪を踏みしめる音がする。

(……俺は、さっきまでヨハンを。)

 手には一つの重みもなく、青年は戸惑いがちに歩みを進めた。やがて坂道に近付くと、行き交う人々の服は総じて白や金、パステルカラーで構成されている事に気付いた。そうして坂道に踏み込んだ時、彼らのうち一人が歩みを止めて青年を指差して何事か隣の一人に囁いた。

「あ、あの。」

 青年がそう言葉を発すると、そこにいた多くの人が彼を振り返る。だれしもがなにかを囁き始めた。そのざわめきの意味は青年の耳に届く事なく、青年は恐れを感じて後ずさる。その光景を目にしていると、やがていくつかの蹄の音が青年の顔を動かした。横を向けば、白馬に乗る一人の男。その後ろには一様に白銀の甲冑を身にまとった兵士らしきものを従えている。

「お待ちしておりました、聖女。」

 男は馬から軽やかに降り立つと、青年の前に立った。青年はその見覚えのある顔に瞠目する。なぜ彼が、ここにいるのか、と。

「ロビン……神官長?」

「我が父がお待ちしております。ご案内致します。」

 男は一礼したまま、そう仏頂面で言った。



 用意された白馬に乗って、青年は丘を登った。頂上にあるのは、ギリシアの神殿を思わせる巨大な建築物である。全て真っ白い大理石で作られたその建築に、青年は圧倒された。

「で、でかい……。」

 見上げながら男について行き、青年は長い階段を上る。神殿の中にいる人までも、先程の石畳の坂道にいたような淡い色の服を纏った人ばかりである。階段を登り、やがて見えてきた巨大な門の前に立つ。

「[ミカエル]です。聖女を連れて参りました。」

 中から男の声がすると、扉はひとりでに向こう側へ開いていった。大理石造りの大きな執務机を前に、白っぽい漢服を着た男が座っている。切れ長の瞳で青年の方を向くと、彼は衣擦れの音とともに立ち上がった。

「彼がジャンか?」

「はい。」

 ロビンが一歩身を引くと、ジャンは戸惑いがちに部屋に入っていく。男の後ろには広いバルコニーがある。

「は、初めまして。」

 まるで面接のような気分で、ジャンは背後で閉まった扉の前に立ったままでいた。

「私の名前は司馬懿という。」

 骨ばった長い手を差し出され、ジャンはゆっくりとその手に触れて答える。

「し、ばい、さん。」

 辿々しく名前を確認すると、司馬懿は手を離してだだっ広いバルコニーへ向かった。引きずられる裾を追って、ジャンもバルコニーに立つ。

「あの、俺に用事があるんですよね?」

「その前に貴方の質問に答えよう。何を教えてほしい?」

 司馬懿はその切れ長の瞳をジャンにやった。固く結んだ唇から発せられる言葉は少なく、ジャンは彼がなにを考えているのか分からずに戸惑う。

「ここは、ここはどこですか?」

 バルコニーから見える風景は、一様にして白とそれに近い灰色で構成されていた。美しくも、しかしどこか寂しい雰囲気を漂わせるその場所に、ジャンはどこか無性に懐かしさを抱く。

「ここは天界と言う。」

「え、じゃあ俺は死んだんですか?」

 すかさずにジャンは聞いた。天界すなわち、ジャンの頭の中で言い換えるならそこは天国だ。死者の魂が行く死後の世界に、自分が実体を持っている事になる。

「死んだといえば死んでいる。……貴方が元々いた世界は、既に崩壊した。」

 息を呑んで目を見開く。ジャンには、司馬懿がなにを言っているのか理解出来なかった。それでは、起きた時にあの灰にまみれた大地はなんだったというのか。

「貴方がいた帝國は既に滅んだ。あらゆる植物、あらゆる生物……あの世界に存在したあらゆる自然は消滅した。」

 淡々と紡がれる帝國の現状を、ジャンは受け止めきれなかった。

「それじゃあ、それじゃあ……誰があの世界を壊したんですか!?」

 暫く黙ったまま、司馬懿はバルコニーから離れた。目に痛いほどに白い大理石で埋められた執務室の中を歩く様を、ジャンはただ見つめている。

「……お話ししたい事は山々だ。しかし、貴方の今のその精神状態で、全ての事を話すのは危険だと分かっている。」

 静かにそう告げて、司馬懿は執務机から一枚の羊皮紙を取り出した。

「この世界は、かねてから長く戦争が続いている。キリスト教徒たる貴方なら知っているでしょうが。」

 バルコニーに向けて再び歩き出した司馬懿の言葉に、ジャンは頭の中の長たらしい記憶を掘り出した。

「キリスト教、って事は……神様と悪魔の?」

「そう。片や、[創造主]率いる天の軍、片や[サタン]率いる地獄の軍。その戦争が勃発した理由は、聖書に描かれている通り。しかし……その戦争が水面下で行われている最中に、この世界から三人の人物が姿を消した。」

 三枚の羊皮紙をジャンに渡すと、ジャンはバルコニーの柵から手を離してその羊皮紙を受け取った。

「一人は[創造主]たるレイ、もう一人は[無限光]たるリチャード一世、最後の一人は­­——」

「俺だ……。」

 "Jeanne D’Arc"と自らの名前が書かれた書類に、紛う事なきジャンの顔写真がクリップで止めてあった。そして、先の二枚を捲って、ジャンは唇を震わせる。

「それに、その[創造主]は俺の知ってるあのレイだし、[無限光]はヨハン……。何で?」

 司馬懿はジャンの手から書類を取り上げた。

「それに、ここまで連れてきてくれたのは、どうみたって王宮にいたミカエル神官長だった! ここが天国だなんて、俺は信じられない!!」

「貴方が信じようが信じまいが、ここが天界である事に変わりはない。……貴方を私のところに呼んだのは、とある人物を天界に連れ戻して頂きたいからだ。」

 書類を鳥のように机まで飛ばすと、司馬懿は空いた両手で二度柏手を打った。しんと静まる執務室に、澄んだ破裂音が届く。暫くして、重厚な扉が内側に開き、見覚えのある二つの人影が現れた。一人は痩躯のシャンパンゴールドの髪を持った男、もう一人は、落ち着いた赤毛と眼鏡が特徴的である。

「アルフレッド!? ……とロシア支部元帥も。」

 ニコライとアルフレッド・オードリーが執務室に入ってくると、またゆっくりと扉が閉まった。二人が執務机まで辿り着くと、司馬懿もまた執務机に向かう。

「お勤めご苦労。」

「復興の方は思うように進んでいませんが、微弱ながらに兆しは見えていました。それで、新しい任務は……。」

 少し苦しそうに、アルフレッドはジャンの方を向いた。深緑色の瞳がかすかに揺れる。ニコライは瞼を伏せたまま少し俯いていたが、いつもの冷静さを保った表情であった。

「二人を[無限光]の探索人員に命ずる。ジャンとともに、彼の居場所を探り当てろ。」

 また別の羊皮紙を紙束の下から取り出して、司馬懿はアルフレッドに渡す。ざっとその文字に目を通して、アルフレッドは再びジャンに視線を向けた。

「それじゃあ、行こうか。」

 彼の優しい声に、ジャンはしぶしぶ頷いた。



 巨大な建築物から出て、丘を下って西へ進み、アルフレッドが所属していると言う病院へ向かった。暫くすると、先程までいた巨大な建造物が、やっと視界全体に入るくらいの小ささになっている。

「あそこは、全智全能たる神々の神殿だよ。」

 白亜の荘厳なギリシア風の柱と、屋根に所狭しと掘られたレリーフの実態はよく見えないが、その白一色の大理石による重厚さはさる事ながら、威圧感は大したものであった。

「お、大きいね。名前もすごい、強そう……。」

「この天界が出来て、一番最後に完成した建物だからね。あ、あれが僕がいる病院だよ。」

 アルフレッドが指差したのは、神殿とは全く反対側にある近代的なブロック型の建物である。いかにも病院と言える清潔感のある場所だ。

「アルはここでも医者を?」

「そうだよ。任務の話を始める前に、ちょっと診なきゃいけない患者がいて。だから休憩室でニッキーと一緒にいてもらっていいかな?」

 二度ほど激しく首を縦に振ったジャンに病院の休憩室の場所を教えると、アルフレッドは病院の正面玄関の方へ駆けていった。気不味い雰囲気の中黙々と歩いて、二人は漸く休憩室の椅子に座る。

「あの……元帥。」

「ニッキーでいい。」

 なんの変哲もなく置かれる自動販売機を操作するニコライは、そう言葉少なに告げた。出てきた缶をジャンに放ると、彼は次に出てきた缶のタブを起こす。

「じゃ、じゃあニッキー……。っていうか、何でニッキー?」

「かつてはそう呼ばれていた。今も、私を知る親しい人はそう呼んでいる。」

 かつて、とはいつなのか、ジャンは首を傾げた。隣の席に座って、ニコライは窓の外にある灰色模様の空を見つめている。

「……話す事、ないんですけど。」

「聞きたい事を聞けばいい。」

 手に持った暖かいカフェ・オ・レを見つめながら、ジャンは珍しく深々とため息をついた。聞きたい事は山ほどある、しかしどの質問も思うように頭の中でまとまってはくれない。そうして長い時間が過ぎて、アルフレッドがやってきた頃にはジャンはすっかり眠ってしまっていた。

「あれ、寝ちゃった? また移動するつもりだったんだけど……。」

「突然天界に来て一日目。」

 握っていたカフェ・オ・レの缶をゴミ箱に放り入れると、ニコライは俵抱えでジャンを担いだ。

「取り敢えず、私かカペーの屋敷で一晩休ませる。任務は明日から。」

「分かった、よろしく頼むよ。」

 持っていた紙コップのコーヒーを飲み干しながら、アルフレッドはニコライの後ろ姿を見送った。

 * * *
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