神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第二巻『[人間]の業は 人の傲慢で 贖われる。』(RoGD Ch.3)

Verse 1-9

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 勢いよく倒れこんだにも関わらず、フィリップは全く痛みを感じずに済んだ。どうやら下は青い絨毯がひいてあったようで、フィリップは感謝した。

「おやこれは……。」

 頭の上から振ってきた声を仰ぐ。ダークブロンドの髪の毛をきっちり巻いてセットしている、しなやかな男性が彼を見下げている。

「どうやら任務は冠水されたようですね、ニコライ二世陛下。うちの子息がとんでもない面倒を。」

「まさかこんな事が……。」

 その男の隣には、見た事のあるシャンパンゴールドの髪が煌めいていた。ニコライだ。

「では、お三方も送迎致しましょうか?」

 お三方、とフィリップは体を起こすことも忘れて男の視線の先を見やった。アルフレッドとジャンが、ニコライと同様にとんでもないなにかを見たような顔でコーヒーテーブルの向こう側のフィリップを見つめていた。ジャンは特にひどい顔をしている。

「よろしければ電話をお借りしても?」

「どうぞ。持ってこさせますよ。」

 白いローブの召使い達になにやら指示をして、柔和な微笑みを浮かべるしなやかな男性はその場を後にした。唖然としてその様子を伺っていたジャンに、ニコライ二世は言う。

「本当に、フィリップがどうしてここに……。」

 逆にジャンは驚きすぎてだんだんと先ほどの会話を理解し始めた。そして、困惑の末に話題をそらし始める。

「いや、それもびっくりするけど……。ニコライ二世って、歴史の授業でやったんだけどロシアの最期の皇帝だよね、マジなの?」

 聞かれたか、とニコライ二世は口をへの字に曲げた。

「マジと言えばマジ。でも、ジャンが学んだニコライ二世は私とは別の人。」

 説明に、ジャンは思わず目を白黒させた。自分の理解が及ばない範囲に話が飛んでいる。その間に、持ってこられた豪勢なダイヤル式電話で、ニコライ二世は電話をかけ始めた。

「あ、アル、ニコライさんって電波?」

「いや、普通だよ。」

 目の前で繰り広げられる理解の範疇を超えた会話に、フィリップこそ目を白黒させながら立ち上がった。足にはうまく力が入らず、頭もよく回らない。

「どうなってんだこれ、なん……。」

「フィリップ!」

 漸く二本足で立ち上がった、と思った瞬間、フィリップは電池が切れたように絨毯に突っ伏した。

 ジャンとアルフレッドは思わず叫ぶ。今はニコライ二世の身の上の話をしている場合ではない。

「子息のことは我々にお任せください。お三方とも久方ぶりの彼の姿を見たらまたどっと疲れたでしょう。」

 しなやかな男性は、戻ってくるや否や倒れているフィリップを見て少しおかしそうに微笑んだ。

「それでは……お言葉に甘えてよろしいでしょうか。ユーグ陛下。」

 ユーグと呼ばれた男が一度頷くと、召使い達を呼んでフィリップを寝所に運ばせる。その姿を見届けると、三人はもう一度礼を言って、名残惜しそうに客間を後にした。



 ニコライ二世が用意した車で、ジャンとアルフレッドはニコライ二世の住居に向かった。ギリシアのサントリーニ島と見紛う白い建物達が、窓の外で流れていく。

「ニッキー、今日はまだ車は使うのか?」

「車庫に戻しておいて。あと、ドミトリー。ベッドを二つ用意して。」

 運転手が返事をすると、車は屋敷裏の車庫へと向かっていく。

「アルも今日はここで泊まって。仮眠室だと今後に支障が出るから。」

「まさか医者がそう言われようとはね……。」

 屋敷に入ってまず、ジャンはあてがわれた客間で呆けながら上着を脱ごうとした。力がうまく入らず滅茶苦茶無脱ぎ方をしていると、やがて一人の女子が近付いてきた。

「ジャン、手伝ったほうがいい?」

 澄んだ声が聞こえて後ろを振り向くと、アナスタシアが、ジャンの鎧を脱ぐ様を見てしどろもどろになっていた。複雑な気持ちでジャンが頷くと、アナスタシアは顔を明るくして上着を脱がせた。

「あのさ。」

「なぁに?」

 ジャンの気不味さとは打って変わって、アナスタシアの声は無邪気で明るかった。

「ニコライさんがニコライ二世だって聞いたから……アナスタシアはアナスタシアなのかなって。」

 開放的になった肩を動かししながら、ジャンは苦々しい顔になる。しかし、アナスタシアは過ぎたる事は特に気にしていないようで、語調は幾分とも変わらなかった。

「えぇ、ニコライ二世は私のお父様よ。」

 それきり、ジャンが衝立の向こうで外出着から着替えるまで彼女は黙っていた。。床に放り出された服は白いローブの使用人達によって片付けられ、アナスタシアは少し暗い顔のジャンの向かいに椅子を持ってきて座った。

「色々、聞いてもいいかな?」

「うん、私が答えられる限りでいいなら。」

 アナスタシアの前向きな声は、ジャンの心を少し軽くした。猫背だった背を伸ばし、椅子に座ったまま筋肉をほぐす為に体を動かし始める。

「それじゃあ。ニコライさんが言ってたんだけど、俺が帝國の歴史の授業で習ったニコライ二世とニコライさんは別人ってどういう事?」

 脇のテーブルに運ばれてきたティーセットにお茶を汲みながら、アナスタシアは答える。

「最初から難しい質問ね。お父様と、ジャンが習ってたニコライ二世は別の世界線の人なの。これだと難しいかしら?私はアナスタシアだけど、ジャンが授業で習ったアナスタシアとは別人なのよ。」

 あんぐりと口を開けるジャンに、アナスタシアは紅茶を注いだカップを渡した。

「詳しく説明すると……、この世界全てを創り上げた人、その世界の中で生きる人。お父様は前者、授業のニコライ二世は後者。私達は、元々他の次元で一生を終えてここに来て、この世界を創ったのよ。」

 仄かに甘いフレーバーティーの香りで口の中を一杯にして、ジャンは身を乗り出す。

「っていう事は、この世界のどこかにアナスタシア達が生きた世界と、同じ運命を辿る世界があるって事?」

「そういう事。もっと言うと、ジャンが帝國に来る前にジャンヌ・ダルクをした世界は、私達が生前を過ごした世界のコピーって事。」

 頭痛くなってきたよ、とジャンはティーカップを机に置いた。

「簡潔に言いましょうか。似た世界が二つあるの。私が生きた世界と、ジャンが生きた世界。ジャンが生きた世界は、私が生きた世界のコピー。私のお父様が生きた世界は、私が生きた世界と一緒。士官学校の授業で出てきたニコライ二世が生きた世界は、ジャンが生きた世界と一緒。」

「それならなんとなく分かるよ。」

 良かった、とアナスタシアが微笑むと、ジャンも頬を緩ませた。

「そうすると、アナスタシアが生きた世界の人々が、こっちに来て俺が生きた世界を創ったって事だよね。ていう事は、アナスタシアやニコライさんは神様なの?それとも天使?」

「いいえ。……ジャンにこんな事言うのは気が引けるけど、聖書に書いてある事は本当の部分とかなり遠い言い回しをしている部分があるの。私達は[神]様と[天使]という二つの分類だけじゃないし、[神]様は複数人なのよ。」

 手に取ろうとしたティーカップを思わず掠めて、ジャンは眉間にしわを寄せる。

「え、じゃあ俺が信じてた事は嘘だったの……?」

「嘘じゃないのよ。言葉のあやがあるだけ。例えばね、ジャン。貴方が死んだ後、貴方が行った場所は、天国でも煉獄でも、地獄でもなかったでしょ?」

 見開いたジャンの紺碧の瞳から、涙が伝っていった。
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