回送列車

平間みなの

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1 終わりから再び

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――あれ、おかしいな。
 僕は死んでしまったはずだ。病院のベッドで、家族に見守られながら。目を閉じて意識を飛ばす直前に、両親や妹に、「ありがとう」と声をかけられたはずだ。
 僕は輪廻転生とか、そういうものは信じていない。死んだら、身体も心も無になる。魂の存在も、全く信じていない。もちろん、神や仏、宗教さえ。
 なのにどうして、田舎によくあるような、木造の駅舎みたいな建物の前に立っているのだろうか。
 周りを見渡してみる。駅舎らしきものがある以外は、すべてが真っ白だ。いや、違う。線路が見える。それも、片側、駅舎正面から見て左側にだけ続いていて、右側にはない。よく見ると、改札の向こうに、車両らしきものも見える。
 人は、いるのだろうか。今ここからでは、誰かいるような感じはしない。でも、もしかすると、駅舎や電車の中に誰かいるかもしれない。
 足は動いた。最期は、全身の痛みで、起き上がることすらできなかったというのに。
 一歩、また一歩。恐る恐る駅舎の中に入ると、左側の窓口の向こう、一人の黒い髪を束ねた人間が、こちらに背を向けて座っていた。いや、そもそも、そこにいるのは、『人間』なのだろうか?
「おや、お客さんか」
 椅子をくるりと回して、その人は姿勢をやや斜め横にしたままで、こちらに顔だけを向けてきた。
「あの、ここはどこですか」
 すいません、とか、ごめんください、とかと、丁寧に話しかけるような言葉の前に、自然とそんな疑問が口をついて出てきた。お客さん、と呼ばれたのも気になったが、それより先にそれを理解しなければ、僕は前に進めない気がした。
 すると、その東洋人の顔つきの、男性か女性か、その中間のような人は、口の角を上げた。「ここはね、人生の終着駅だよ。外から見て分かったと思うけれど、線路は片方にしか伸びていない。反対側には車止めがあって、その先には進めない。だけども、すべての人が、ここにやって来る訳でもない」
 人生の終着駅。そう言うのなら、ここは死後の世界のどこか、ということなのだろう。人生を線路に例えるならば、そういう言い方も出来るのかもしれない。
 だが、また次なる疑問。すべての人がここに来るわけではない、というのは、どういう意味なのだろうか。
「ここに来る人は、選ばれた人、ということですか」
「そうだね。死後の世界は一箇所ではないんだよ。宗教でいう天国や地獄もあるし、仏の世界もある。そういうものを信じている人は、そういうところに行く。でもここは、特殊な場所。確認だけど、君、人間として生きている時は、何の宗教も信じていなかったようだね」
 何なんだ、この人は。どうして、僕のそんな考え方を知っているのだろうか。が、それを聞くのはまた後だ。まずは質問に答えることが礼儀だろう。
「うん。何も信じていなかったよ。神も仏も、天国も地獄も、魂でさえ」
「やはりそうだね。もちろん、そういう人は、そう強く望んでいれば、ゼロになって、その先がない、ということもある。君もそうなるはずだった」
「じゃあ、なぜ」
 僕は確かに、ゼロになることを望んでいた。だから、そこに分類されるはずだった。分類されるべきだった。それなら、ここにいる意味は?
 すると、その人は、しっかりと正面を向いて、窓口のすぐ向こう側に置かれている小さなテーブルに両肘をついて、組んだ両手にあごを載せるような格好を取ってきた。表情は先程からずっと、その微笑みを崩していないのが不気味だ。
 何を言い出すつもりなのだろうか。少々身構えていると、覚悟していた以上の言葉が、その口から放たれた。
「君、何か大きな後悔があるんじゃない?」
「……えっ」
 その言葉の矢は、見事に僕を貫いた。一番言われたくない言葉だったのかもしれない。背中に嫌な汗が流れた。
「ここはね、そういう人が来るところなの。何の宗教も信じていなくて、死後の世界なんてモノもないと思っている人のうち、人生のうちで未解決だった大きな事柄がある人がね。どうだい、違うかい?」
 違う、とは言えなかった。確かに、ある人に対して、色々とやり残したことがある。余命宣告を受けてから、生きているうちに、家族や仲間としておきたいことはしておいたものの、どうしても一つだけ、できなかったことがあった。それは、病気のせいで、というよりは、僕の気持ちの問題で。
「……違わないです」
 正直に告白すると、相手は組んでいた手を解き、リラックスした様子で、足を組んだ。
「おー、素直だね、君はまだ。なあに、なかなか認めたがらないやつもいるからさ。そこで、だ。その内容は聞かないでおくけど、一つ、提案がある。乗るか乗らないかは、君次第だ」
 今度は何だろうか。人の古傷に触れておいて。しかし、人の心や過去を読む能力があるらしいこの人の言うことに、だんだんと興味を持ち始めていたのも事実。とりあえず、聞くだけ聞いてみることにした。
「それは、何ですか?」
「その時に戻って、その問題を解決したいと思わないかい?」
 頭が真っ白になった。この人は、今、何と?

「そこに鉄道車両があるでしょ? ボクの他に、ここにはもう一人いるんだけど、そいつがあの車両の運転手でね。あの線路を遡っていけば、つまり君の過去へと『回送』していけば、君の人生の任意の時間まで辿り着くことができる。もちろん、君は死んだ存在だから、ずっとその時間にいることはできない。問題が解決すれば、いずれは本当に消えなければならない。そういう条件なんだけど、やってみるかい?」
 真っ白な中でも、その言葉は、何とか耳に入れることはできた。そして、その言葉を、ゆっくりと消化しながら、思考を白からリアルに戻していく。
 もしも、あの頃に帰ることができるのなら。人生でずっと、後悔していた、引きずっていた過去を、今からでも清算することができるのなら。
「ああ、もちろん即決する必要はないよ。そういう人のためのベッドもあるし、食事が必要なら、ボクが用意することも……」
「お願いします! 連れて行って下さい!」
 気が付くと、無我夢中で、頭を下げていた。
「僕にとって、それはあまりにも重い過去なんです。それが何とかできるものなら、是非とも……!」
 少しの間があった。相手はしばらく何も言わなかったかと思うと、一つ、息をはいたのが聞こえた。
「分かった。頭を上げなよ」
 その通りにすると、窓口の向こうの人は、腰を上げていた。
「叶えてあげるよ、それ」
「……いいんですか。ていうか、本当に、そんなこと、可能なのですか。今更ですけど」
「ボクたちの手にかかれば簡単だよ。ほら、両手を、手のひらを上にして出してごらん」
「あ、はい」
 一瞬の懐疑を挟みながらも、僕はもう、その先へと大きく意識が傾いていた。言われた通りに両手を窓口の向こうへと伸ばすと、その人の手が重ねられた。温かい、血が通っている感じの手だった。
 その人は目を閉じた。数秒の後、手をぎゅっと握ってきて、それから少し気怠そうに瞼を持ち上げた。手はまだ、触れたままで。
「悪いけど、必要最小限だけ、その『後悔』の内容を読み取らせてもらったよ。君はちょっと長めに時間をとる必要がありそうだね。一週間か、一ヶ月ぐらいの人が多いのだけど、君は一年ぐらい必要かな」
 一年。確かに、それぐらいの時間は必要そうだ。感情の問題が大きいのだ、ちょっと動いてすぐに解決する問題ではないと、もうすでに分かっている。
「じゃあ、決意が揺らがないうちに行こうか。もたもたして、気が変わっちゃうのは嫌でしょ?」
「はい」
 僕の場合、いくら待っても、その気持ちが変わることは、決してないと思うのだが。それでも、善は急げだ。
「ちょっと待ってね。あ、そこのベンチにでも座っててよ。でも駅舎からは出ないでね、そうしたらボクたちの力は及ばなくなってしまうから」
 手を離して、その人は奥へと引っ込んでいった。振り返ると、ベンチが駅舎の壁に沿って付けられていた。ご丁寧に、寒色系の座布団も並べられている。そのうち、真ん中辺りに、僕は腰を下ろした。
 遠い、いや、案外そうでもないかもしれない、僕が戻りたいと考えている過去に思いを馳せる。眩しい「あの子」の笑顔。突然すべてが終わり、それから知った、とんでもない「事実」――。
 たとえ死んだ後であっても、不思議な方法でかもしれないけれど、それをやり直せるだなんて、僕は相当、幸せ者なのかもしれない。

「お客さん、準備が出来ましたよ」
 いつの間にか、うとうととしてしまっていたらしい。その声に我に返ると、目の前に僕を出迎えてくれた人が立っていて、僕を見下ろしていた。
「ああ、すいません」
「だいたい皆そうですよ。ちょっとばかり、準備に時間がかかるもので。さあ」
「はい」
 少し先に行ったその人の後を追って、ホームに出た。何か看板が掲げられているのかと思ったが、何もなかった。
 ドアが前後二か所ある電車は、もうエンジンがかかっているらしい。運転席の近くに、煙草を吸っている、別の小柄な、こちらも性別が分からない、青い目をした人がいた。
 僕を導いてくれた人は、白地に、窓の下に青のラインが入ったその車両の、前の出入り口の前で立ち止まった。
「最終確認をするよ。期限は一年間。その間に、君の問題はきっと解決する。解決でき次第、一年が経っていなくとも、君は君が本来望んでいた通り、無になる。いいね?」
「はい」
 僕は、はっきりと返事をした。まるで、小学生が「ちゃんと返事をしなさい」と言われてするように。その人は、僕の肩を叩いた。
「じゃあ、行っておいで」
 促されて、僕は右足を車両に踏み入れた。が、一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあったのを思い出して、手摺りを右手で掴んで振り返った。
「あの、一つ、いいですか」
「うん? 気が変わったかい?」
「いえ、そういうのじゃないんです。一つだけ、お聞きしたいことがあって」
「おや、なんだい」
「あなた方は、何者なんですか?」
 すると、その人は口元に手を寄せて、クスッと笑った。
「そうだね……優しい死神、ってところかな」
 ああ、やはり人間じゃなかったのか。なのに手が温かかったのは、不思議な気がするが。
「ほら、さっさと行け」
「すいません」
 軽く照れたのか、少し乱暴な口調になっていた。それに促され、僕は両足を車内に踏み入れた。もう一度、その顔を見る。
「では、ご武運を」
 敬礼しながら、その死神は言った。扉が閉まる。
『せっかくだから、座れ』
 車内放送を通じて、運転手らしき声が聞こえた。一番扉に近かった席に座って、運転席を見てみると、癖のある髪の死神が、立ってこちらを見ていた。
『今から発車する。その手摺りに、ボタンがあるのが分かるか?』
 確かに、手摺りには、赤いボタンがあった。うなずくと、相手は続けた。
『発車して十秒経ったら、もう引き返せなくなる。もしその間に気が変わるようなことがあれば、そのボタンを押せ。そしたらこの列車は強制的にこの空間の中で止まる。いいな?』
 再びうなずくと、運転士は座席についた。
『過去への回送列車、発車します。行き先、二〇××年四月一日、午前零時、日本国、東京都、調布市――』
 そうだ、その通りだ。まさしく、僕が還るべき先、当時住んでいた住所だ。
 列車は動き出し、加速していく。
『一、二、三、四』
 振り返っても、もう、駅舎も、もう一人の死神の姿も見えない。
『五、六、七』
 気が変わる気配はない。もう、全部、委ねてしまえ――
『八、九、十、脱出!!』
 最後に感じたのは、飛行機が飛び立つときのような、あの浮遊感だった。
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