上 下
106 / 136
第二部 四章

第五十話 戦争の終わり

しおりを挟む
「駄目だな。全く歯が立たん」

 ゼロは戦場の様子を眺めながら呟いた。
 個人的にシルバーシドは、かなり強力な兵だと思っていた。

 だが予想以上に戦力にならない。

 圧倒的だと思われていた装甲も、隙間を狙われれば脆いものだった。
 元になったシドの倒し方を知っている人間ならば、全く同じ方法で倒されてしまう。
 相手が手練れというのもあるかもしれないが、余りに一方的に打ち倒されていく。

「こんな筈では……」

 ジーベは顔をしかめていた。
 元々シドを現神触にするというのはジーベの案である。

 生息数が多い事と、知性は低いものの、一定の社会性を持ったシドならば兵士として扱い易いと思ったからだ。

「これは失敗だな。シドでは連携が取れん」

 見事な連携で各個撃破されていくシドを見てゼロは顎を撫でる。
 ルール通りに動ける事と、戦場で戦えるかどうかは全く意味合いが違っていた。

「このままじゃ兵がいなくなってしまう。何とかならないのか!」

 自分の兵があっという間に数を減らすのを見て、ジーベは焦っていた。

「仕方ない。また戦場が荒れるが」

 そんなジーベに助け舟を出す為に、オルタは手をかざす。
 すると今まで微動だにしなかったシルバートゥースが動き始めた。

「シルバートゥースで前衛だけ吹き飛ばす。そうすれば少しはマシになるだろう」
「おお、有難い。オルタ、頼む」

「しかしそれでは正確な情報を集められんのではないか?」

 ロクスの言う通りだった。
 シルバートゥースを使ってしまえば、本来の目的である歩兵同士でどれくらい戦えるかのデータは得られなくなる。

「それどころではないぞ。ここで兵を失えば戦争自体が出来なくなるかもしれん!」
「欠陥が見つかった以上、もう一度練り直す必要があると思うがな」

 ゼロは手の中にある戦術本に目を通しながら言った。

「また何百年も待つのか!? 冗談じゃない!」
「現神触を使うのは止めるべきかもしれん。兵の補充に時間がかかり過ぎる。もっと汎用性の高い兵士を採用すべきだ」
「そんな事より今は損害を減らすのが先決だろうが!」

 声を荒げるジーベにゼロは肩をすくめた。

「好きにすれば良い」

「オルタ、頼む」
「ああ」

 オルタはシルバートゥースに向かって指笛を吹く。

『法術展開』

 命令と同時に、シルバートゥースの周囲に霜が降り始めた。

 レガリア達の部隊は手練れだったが、あくまで人という枠の中での話だ。
 シルバートゥースの氷結突進は、人の身では受けきれる代物では無かった。
 まともに食らえば一撃で全滅するだろう。

「いかん! 全力後退! 逃げろ!」

 戦場にレガリアの声が響いた。
 それと同時にレガリア達の部隊はシルバートゥースから逆方向へと走っていく。
 だがそれぞれの撤退速度に差があるのか、部隊は細長く伸びつつあった。

「愚かだな」

 必死で逃げようとする相手を見て、オルタは憐みを覚えた。
 シルバートゥースの走る速度は馬を遥かに超える。
 法術で移動速度を強化したとしても、攻撃の範囲から逃れる事などできない。

 オルタはさっきと同じように手を掲げると、逃げていく最後尾に向かって手を振り下ろす。

 
「さあ突っ込め」

 
 共にシルバートゥース五匹が、最後尾に向かって突っ込む。


 轟音と共に、シルバートゥースが砕け散った。


「なっ!?」

 レガリアの部隊に攻撃された訳ではない。

 突進したシルバートゥース同士が接触して、法術が暴発したのだ。


 要は自爆であった。

 
 シルバートゥースの強化された爆発は周囲に膨大な量の氷を巻き上げた。
 巻き起こった白煙は少しの時間、戦場を覆い隠す。

 白煙が晴れると、そこにはシルバートゥースの残骸と無傷のレガリア達がいた。

「おのれ、失敗した! こんな事になるとは……!」

 オルタは自分の迂闊さに歯噛みする。

 すでにレガリアの部隊はシルバートゥースが自爆したのを見越していたかのように、スムーズに反転してきていた。

「……ほぉ……なるほどな」

 ゼロはその様子を見て、感心した。
 
 こちらの指揮力不足と実戦経験不足を完全に逆手に取られた。
 我々がシルバートゥース自体のサイズを考えていない事を見破られたのだ。

 例えば騎兵と歩兵では、体のサイズが全く違う。
 歩兵を百人並べるのと、騎兵を百人並べるのとでは占有スペースは大きく差が出る。

 これが人間とシルバートゥースならば尚更だ。
 さっきは戦場を更地にする為に、平行に突っ込ませたから、干渉が起きなかった。
 しかし今回は『細長く伸びた部隊の最後尾』に突っ込ませてしまったのだ。
 
 その結果、巨大なシルバートゥースはお互いにぶつかりあい、法術でお互いを滅ぼす結果となった。

 例えば住宅街に並ぶ五軒の家を、平行に動かすのではなく一か所に向かって動かす。
 そんなもの、家同士がお互いにぶつかって壊れるに決まっている。

 現実の戦場を知っていれば、誰でも理解できている事である。

 だが机上でしか戦場をシミュレートしていなかった神護者達には、軍隊とは地図上にある無数の『点』でしかなかった。
 現実に存在する『生きた兵』ではなかったのである。
 
 それに今から考えてみれば、あのレガリアという男は結線石を使って指示をしていた。
 ならば何も大声で叫ぶ必要などない。
 では何故、わざわざ大声で指揮を飛ばしたのか。

 自分の部隊ではなく、他に自分の指揮を聞かせたい相手がいたからだ。
 
「うまく釣られたな」
「釣られた、だと?」

 ゼロの言葉に、オルタは眉間に皺を寄せた。
 ゼロ以外の神護者は、まだオルタが単純に指揮ミスをしたのだ、と思っていた。

 だがこのミスは、相手によって巧妙に誘導され、引き起こされたものだ。
 いずれ起きていたであろうミスを、この瞬間に強制的に引き起こされた。
 
「部隊を細く伸ばしたのも、その為か。シルバートゥースを地形ではなく、人に向けて使おうとした時点で、こちらの力量を見抜き、利用する事で、労せずこちらへ最大のダメージを与えて来たという事だ」

 ゼロは深く頷きながら呟く。

「そこまで考えていたというのか?」
「そこまで考えるのだろう。我々と違って人の命は短く儚い。だからこそ自分が倒れないように、相手だけを倒す技に長けているのだ」

 生きる事が当然であり、不変であった神護者には、遥か昔に忘れ去られた感覚であった。

「精神面でも色々と課題がありそうだな……」

 神護者達は考えこむ。

「どうも面倒になってきたのう」

 ロクスは白銀のあごひげを撫でながら呟く。

「一度、今後について話すべきかもしれんな」

 オルタがそう呟いた時だった。


 地面が揺れる。

 
 地震か? と思ったが違う。
 足場としている木が揺れているのだ。

「――凄いな」

 ゼロは木の根元に、いつの間にか現れた兵士を見ながら言った。
 シルバートゥースで視界が遮られた一瞬の隙を突いて、こちらの方へ伏兵を送り込んでいたのだ。
 地面の揺れは潜んでいた兵士が木を切り倒したせいだった。

 さすがの神護者も空中を歩く事は出来ない。
 なすすべなく地面へと放り出される。

 人間ならば打ちどころが悪ければ即死するような高さだったが、さすがに神護者達にダメージは無かった。

「ちっ……いつの間にここまで近づかれてたんだ」
「さっきの視界が遮られた一瞬じゃろ。やりおるわ」

 ジーベとロクスは立ち上がり、周囲を見渡ながら呟いた。
 
 神護者が着地した周囲にシルバーシドはいなかった。
 もちろん戦場にシルバーシドは残っているが、ジオの部隊とレガリアの部隊が押し留めている。


「そろそろ終わりにしよう」

 
 木を切り倒した兵士達は神護者に向かって剣を構える。
 
 なぜ彼らがここにいるのか。
 その理由にゼロだけが気づいた。
 
「いや、実に見事だ。称賛に値するよ」

 ゼロは心の底から兵士達に賛辞を送った。

「随分と余裕ですね」

 兵士の一人がアダマンエストックの切っ先を神護者に向けた。

 神護者の元に送られた伏兵は前線で戦っていたはずの手練れの兵。
 ジオとニニャ、そしてイカルガとミョルドであった。
 
「自分たちの軍すら囮として使い、少数精鋭を伏兵にし、相手の首を取りに来るとは。最大の弱点に最大の火力を叩きこむ――。その勇気と知恵は本当、素晴らしい」
 
 視界が遮られた一瞬に、ジオとニニャ、イカルガとミョルドは神護者のいた木まで突撃していたのだ。

 まさか最大の戦力を切り離して、突っ込ませてくるとは思ってもみなかった。

 いや、予想すべき事ではあったのかもしれない。
 この四人がいなくても、レガリア達の軍は十分にシルバーシドと渡り合えていた。

 恐らくレガリアは最初から機を見て、この四人を神護者の元へと送り出すつもりだったのだろう。
 四人を最も神護者に近い位置で戦わせていたのは、その為だ。

 シルバーシドの軍がこのまま大敗すれば、そのうち神護者が逃げてしまうかもしれない。
 だから神護者が逃げる判断を下す前に、首を取る。


 ここで絶対に決着をつけんとする意思――殺意すら感じる策であった。


「仲間の仇を取らせてもらう」
 
 イカルガもゼロに剣を向ける。

 後は元凶を倒すだけだ。
 四人の力と神器が神護者に通じるかどうかにかかっている。

 しかし剣を向けられているゼロは清々しいような表情をしていた。
 戦闘態勢にすら入らない。

 そして、はっきりとこう言った。
 
「我々の敗北だ。抵抗はせんよ」

 驚くべき事に、ゼロは素直に敗北を認めた。
 しかも抵抗すらしないようだった。

「ゼロ――」

 ジーベが何か言おうとしたが、ゼロは手で言葉を遮る。

「まさかここまでやるとは想像もつかなかった。本や机上の世界では、知れぬ事であったよ」

 ゼロは手にしていた本を、ぱたんと閉じる。

「この戦いは、私の首を差し出して終わりにしよう」

 ゼロは無造作にミョルド達に歩みを進める。

「随分と潔いな」

 ゼロの前に立ったのはジオだった。
 巨大な木を一撃で切り倒したのは、ジオの剣戟である。
 
「苦しみたくは無い。一撃で頼む」

 ゼロは首元をさらけ出し、天を仰いだ。
 余りの潔さにミョルド達は戸惑う。

 だがゼロの手には何の武器も無く、無防備で隙だらけだ。
 やろうと思えば、瞬きする間にゼロの首を落とせるだろう。

 ゼロ以外の神護者も、大人しくその様子を見守っているだけだ。
 何か手を出そうとする気配も無い。
 
「一つだけ良いか」

 ゼロは天を仰いだまま、ジオに聞いた。

「何だ」

 ジオは油断なく大剣を構えながら答える。

「私の首を差し出す代わりに、他の者は助けてやって欲しい。全ては私が計画した事なのだ。最後の願い、聞いて貰えないだろうか」
 
 ジオは答えに窮した。
 神護者がやってきた事は、ゼロ一人の命で贖えるような事では無い。
 ここで殺さず、裁判にかけたとしても首謀者は確実に全員が死刑となるだろう。

 
 だが、ここで首を振れば遺恨を残す事となる。

 
「分かった。出来る限りの事はする」

 武人としての情け。
 その情けからジオが言えたのは、それだけだった。

「――ああ、それを聞いて安心した」

 ゼロは目をゆっくりと閉じる。

 
火王烈剣フラーム・フランベルジュ


 ジオの大剣が赤い炎を纏う。
 ジオの大剣はジェイド家に伝わる家宝の剣であり、レフナイトより希少価値が高く、強靭な魔力鉱メルクリスで作られている。
 ジオの剣技と法術、宝剣が組み合わさった攻撃力は帝国でも最強であると言われていた。
 
 ジオはゼロに向かって剣を振りかぶる。

 剣を振りかぶっても、ゼロは微動だにしない。
 周りの神護者も動かない。

 
 ――考えても意味は無い。


 兄者が全員倒せと言った。
 だからそれを実行するのみ。
 
 ジオはそう決めると、ゼロの首に向かって全力で剣を振り下ろした。






 
「……ふ……くく……ははははは!」

 笑い声が戦場に漏れる。
 
 声の主はゼロであった。
 ゼロは天を仰いだまま、笑う。
 
 ――その首に、燃え盛る大剣が刺さったままで。
 
 いや、正確には刺さっていなかった。
 首の皮でジオの大剣は止められていたのである。

「なん……だと!?」

 ジオは一切、手加減などしていない。
 元より手加減など出来ぬ性分である。
 
 つまりジオの剣技と法術、宝剣を使ってもノーダメージであるという事であった。
 
「ははは……これはまあ、一つのけじめだよ」

 ゼロは笑みを浮かべたまま、ジオの燃え盛る大剣に指を添えた。

 剣が押し戻される。

 たった二本の指で摘ままれたジオの大剣が、押し戻されてゆく。
 大剣を両手で握りしめているジオは信じられないといった表情でゼロを見る。
 ゼロは、なおも笑みを浮かべたままであった。

「先ほどの『儀式』で我々の戦争は終焉を迎えたのだ。戦争は終わったのだよ」


「しかしそれで、では解散とはならんよなぁ?」

 ジーベもジオ達を見ながら笑みを浮かべていた。
 いや、大人しかった神護者全員が笑みを浮かべている。

 
 その笑みを見た時に、ジオは直感した。

 
 戦争に勝とうが負けようが、どっちでも良かったのだ。
 いざとなればゲーム盤をひっくり返すだけの力――暴力を神護者は持っていた。
 
 見通しが甘かった。

 いや、いくら何でもここまで、絶望的な差があるとは思っていなかったのだ。
 現神触の恐ろしさは伝え聞いていた。
 だが真の意味で恐ろしさを理解していなかった。
 
 コレを倒すには、数の力では無理だ。
 包囲や戦術や、そういったもので覆せる差ではない。
 生物として規格が違いすぎる。
 数ではなく、個の力が要る。

 
「だからこれから我々が行う事は――そうだな、何と表現すべきか」


 ゼロはつまんだ指先に力を籠める。
 ジェイド家に伝わる宝剣が、それだけで砕け散った。

 
「そうだな。まあ、簡単に言うならば、だ」


 ゼロがジオに向かって手を振り上げた。




「――ただの嫌がらせだな」




 ゼロの手が振り下ろされる。
 その場にいる全ての生物に、見えない速度だった。
しおりを挟む

処理中です...