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元王女の生存戦略

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「再び生きてお会いできるとは望外の喜びです、ヒースリール王女殿下」
「もはや王女ではありませんわ、ヨルム宰相」
 
 本来なら二度と会えないはずだったヒースリールにこの国の宰相は戸惑い気味の笑顔を見せた。
 国王に次ぐ地位の男はクーデター中に他の大臣たちと共に拘束されていたが、彼女の指示により解放された。
 すでにこの世にいない国王が購入した高級な机を挟み、宰相は2人きりで情報交換するために人払いをさせており、盗聴を防ぐために音声を遮断する魔法具も起動中である。

「私も妹たちもすでに王位とは無縁です」
「女神様がご降臨された直後にそう宣言されたそうですね。それを聞いた時は驚きました」

 宰相はこの場に来る前に処刑の場で何が起きたかを複数の人物から聞いた。それによれば国王と王妃が処刑された直後に翼を生やした謎の存在が降臨した。彼女は王女たち3人を救い出し、そこで斬りかかった将軍を強力な魔法で処し、全権を王女に委任して飛び去った。
 誰に聞いても同じ答えしか返ってこず、話も簡潔なので誤解や誇張が紛れ込む余地がない。宰相ヨルムは全員が魔法による集団催眠にかかった可能性さえ疑ったが、それでは処刑場に今も晒されている将軍の死体が説明できない。
 彼はカップに注がれた紅茶をちらりと見る。困惑した自分の顔が映っている。

「あなた様が女王陛下になられるとばかり。神官も民衆も喜んで従ったのでは?」

 女神のご威光があればいつも煩い神殿の連中も黙るしかない。
 絶好の機会だったはずと彼は思った。

「ご冗談を。今は女神様がご降臨なされた直後ですから民衆も浮足立っていますが、時間が経てば不信感が戻ってきます。私と妹たちは王位から去った方が良いのです」
「そして教会の庇護下に入ったと聞きました。なぜですか?」

 女神が去った後の演説でヒースリールは3つのことを告知した。
 1、自分と妹たちは王位から去り、神殿に入門する。
 2、現教皇は引退して枢機卿が一時的な教皇代行を務める。
 3、王の職は一時的にヨルム宰相が代行し、今後の政治体制は3日以内に公告する。
 本来なら王族は教皇の進退に介入できないが、女神の意向であることを匂わせたために神殿側は従うしかなった。教皇はどこかの建物に幽閉されている。

「女神様のご意思を踏まえたうえでの私の判断です」

 ヒースリールはそう言って自分の前にある紅茶を飲んだ。
 この世に顕現した女神様のご意向。こう言われると他の者なら引き下がるしかない。
 しかし、ヨルムは混沌とした王国政治を生きてきた男だ。それで良しとはしない。

「女神様とはどのような話……いいえ、どのようなお告げがあったのですか?」
「他言無用とは言われていませんが、話してしてよいとも言われていません。ですので、お話しするか悩みますわ」

 大事なカードは仕舞っておく。
 しかし条件次第では話すかもしれない。暗にそう言われてヨルムは熟考し、ひとまず脇に置くことにした。確認すべきことが他にもある。

「左様ですか。お話は変わりますが、この国の政治体制について三日以内に告知すると仰ったそうですね。どうされるおつもりですか?」
「それを決めるためにヨルム宰相に王職を代行して頂きました。閣下のご意見を伺いたく思います」
「私の意見ですか?そうですな……王政が否定された今では貴族を中心とした貴族制政治を敷くのが穏当かもしれません……例えばいくつかの共和国が取るような元老院を設けるなど……」

 彼はそう言ってヒースリールの反応を伺った。
 彼女がどこまで政治に口を出す気なのか確かめるためだ。神殿に入門して王位を捨てるという言葉をそのまま受け取る者がいたらどうかしていると彼は思う。

「そうですか。では、そのように。詳細はお任せします」
「よ、よろしいのですか?」
「何がですか?繰り返しますが、私はもう王族ではありません。いいえ、この際ですからはっきりと申し上げます。私も妹ももう殺されたくないのです」

 露骨な言葉に宰相は目を見開いた。

「宰相閣下は断頭台に頭を乗せられたことがありますか?」
「い、いいえ……」
「私はあの時に思いました。こんな事なら王族に生まれてこなければよかったと。この国のことは愛していますし、案じていますが、命を捨てる覚悟まではありません。この国の事は宰相閣下や諸侯の皆様にお任せします。私の両親の散財のせいで破綻寸前なのでしょう?最悪、他国に併合される道を取っても構いません」
「で、殿下!?そのような事を仰ってはなりません!」
「もう殿下ではありません」
「いや、しかし……」
「ヨルム宰相は聡明な御方。様々・・な選択肢を考慮し、決断されたはずでしょう?これからもそうしてください。私は不平不満など言いません」

 宰相は彼女が言いたいことをすぐに理解し、驚愕した。
 この国が抱えている飢えと飢饉と巨額の財政難。これを素早く解決する方法は他国に戦争を仕掛けるか救援を求めるしかなく、将軍は自分が王位を得た後で前者を選ぶつもりだった。宰相は後者を取りたかったが他国から見返りを要求されるのは必須。長期的には自国が併合という名の吸収を受ける可能性が高かった。

(だからこそ私は将軍の謀反に見て見ぬふりをした……ひょっとしてこの御方は気付いているのか?)

 宰相は喉が渇き、紅茶を飲みたくなったができなかった。
 今、カップを持つと手の汗で滑り落としてしまいそうだから。



 宰相を見ながらヒースリールは掌に汗が浮かぶのを感じた。
 目の前の男は宰相として有能だ。将軍のクーデターを全く察知してなかったとは思えない。黙認か支持をしていた。自分と妹たちに奴隷か処刑の道を選ばせたと思えば怒りも沸いてくるが、元を辿れば愚かな両親が原因であるし、宰相なりに国を案じたことも理解できるから処罰はしない。
 だが言外に匂わせる。私を両親と同じ愚者と思わないで。そしてこれは貸しだと。

(もう処刑されるのは御免だから政治闘争の世界からは退場するわ。でも、それだけで安全とは言い切れないから宰相個人と繋がりを残しておきたいの。私には借りができたし、女神さまのことも知りたいでしょう?さあ、今度は私を切り捨てないでね、ヨルム宰相閣下)

 ヒースリールの生存戦略は始まったばかりだった。
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